からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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ヨハネの福音書

十字架の道(Via Dolorosa-ヴィアドロローサ)

テーマは 『 十字架の道(Via Dolorosa-ヴィアドロローサ)  』 です

【ヨハネの福音書19章17節】

彼らはイエスを受け取った。そして、イエスはご自分で十字架を負って、「どくろの地」という場所(ヘブル語でゴルゴタと言われる)に出て行かれた。

今日は聖餐式もあるので、イエス様が罪人を救うために どれほど尊い犠牲を払ったのか、主の十字架の道を辿りながら主への感謝をしたいと思います。


十字架の道、主が苦しみながらゴルゴタの丘まで歩いた距離は約1キロです。

その道をラテン語でヴィアドロローサと言います。


それ “苦難の道、悲しみの道” という意味です。

今も聖地巡礼する人たちはその道を歩きます。


14か所の道を通りながらゴルゴタまで上って行きます。

私もその道を歩きました。
もう一度歩いてみたい気持ちがあります。


「苦しみの道」14箇所で何があったのかを学びます。




1.ピラト総督から裁判を受けた場所 ( ピラトに裁かれて死刑判決を受ける )



【ヨハネの福音書19章1-11節】

そこで、ピラトはイエスを捕らえて、むち打ちにした。

また、兵士たちは、いばらで冠を編んで、イエスの頭にかぶらせ、紫色の着物を着せた。

彼らは、イエスに近寄っては、「ユダヤ人の王さま。ばんざい」と言い、またイエスの顔を平手で打った。

ピラトは、もう一度外に出て来て、彼らに言った。「よく聞きなさい。あなたがたのところにあの人を連れ出してきます。あの人に何の罪も見られないということを、あなたがたに知らせるためです。」

それでイエスは、いばらの冠と紫色の着物を着けて、出て来られた。するとピラトは彼らに「さあ、この人です」と言った。

祭司長たちや役人たちはイエスを見ると、激しく叫んで、「十字架につけろ。十字架につけろ」と言った。ピラトは言った。「あなたがたがこの人を引き取り、十字架につけなさい。私はこの人には罪を認めません。」

ユダヤ人たちは彼に答えた。「私たちには律法があります。この人は自分を神の子としたのですから、律法によれば、死に当たります。」

ピラトは、このことばを聞くと、ますます恐れた。

そして、また官邸に入って、イエスに行った。「あなたはどこの人ですか。」しかし、イエスは彼に何の答えもされなかった。

そこで、ピラトはイエスに行った。「あなたは私に話さないのですか。私にはあなたを釈放する権威があり、また十字架につける権威があることを、知らないのですか。」

イエスは答えられた。「もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。ですから、わたしをあなたに渡した者に、もっと大きい罪があるのです。」



2.死刑判決の後、むちで打たれ、十字架を背負い歩き出した場所




【ヨハネの福音書19章15-16節】

彼らは激しく叫んだ。「除け。除け。十字架につけろ。」ピラトは彼らに言った。「あなたがたの王を私が十字架につけるのですか。」祭司長たちは答えた。「カイザルのほかには、私たちに王はありません。」

そこでピラトは、そのとき、イエスを、十字架につけるため彼らに引き渡した。



3.十字架の重みで最初に倒れた場所





4.悲しむ母マリヤに会った場所





5.クレネ人シモンが無理矢理 十字架を担がされた場所



【ルカの福音書23章26節】

彼らは、イエスを引いて行く途中、いなかから出て来たシモンというクレネ人をつかまえ、この人に十字架を負わせてイエスのうしろから運ばせた。



6.ベロニカがイエスの顔を拭いた場所





7.イエス様が二度目に倒れた場所





8.悲しむ女性たちを慰めた場所 ( エルサレムの娘たち )



【ルカの福音書23章28節】

しかしイエスは、女たちのほうに向いて、こう言われた。「エルサレムの娘たち。わたしのことで泣いてはいけない。むしろ自分自身と、自分の子どもたちのことのために泣きなさい。



9.イエス様が3度目に倒れた場所





10.十字架につけるために、衣を脱がされた場所



【ヨハネの福音書19章23節】

さて、兵士たちは、イエスを十字架につけると、イエスの着物を取り、ひとりの兵士に一つずつあたるよう四分した。また下着をも取ったが、それは上から全部一つに織った、縫い目なしのものであった。



11.兵士たちがイエス様を十字架につけた場所



【マタイの福音書27章45-53節】

さて、十二時から、全地が暗くなって、三時まで続いた。

三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

すると、それを聞いて、そこに立っていた人々のうち、ある人たちは、「この人はエリヤを呼んでいる」と言った。

また、彼らのひとりがすぐ走って行って、海綿を取り、それに酸いぶどう酒を含ませて、葦の棒につけ、イエスに飲ませようとした。

ほかの者たちは、「私たちはエリヤが助けに来るかどうか見ることにしよう」と言った。

そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。

すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。

また、墓が開いて、眠っていた多くの聖徒たちのからだが生き返った。

そして、イエスの復活の後に墓から出て来て、聖都に入って多くの人に現れた。



12.イエス様が十字架の上で息を引き取った場所



【マタイの福音書27章35節】

こうして、イエスを十字架につけてから、彼らはくじを引いて、イエスの着物を分け、



13.十字架から降ろされ遺体を置いた場所



【ルカの福音書23章53節】

それから、イエスを取り降ろして、亜麻布で包み、そして、まだだれをも葬ったことのない、岩に掘られた墓にイエスを納めた。



14.遺体を墓に収めた場所



【ヨハネの福音書19章38-42節】

そのあとで、イエスの弟子ではあったがユダヤ人を恐れてそのことを隠していたアリマタヤのヨセフが、イエスのからだを取りかたづけたいとピラトに願った。それで、ピラトは許可を与えた。そこで彼は来て、イエスのからだを取り降ろした。

前に、夜イエスのところに来たニコデモも、没薬とアロエを混ぜ合わせたものをおよそ三十キログラムばかり持って、やって来た。

そこで、彼らはイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、それを香料といっしょに亜麻布で巻いた。

イエスが十字架につけられた場所に園があって、そこには、まだだれも葬られたことのない新しい墓があった。

その日がユダヤ人の備え日であったため、墓が近かったので、彼らはイエスをそこに納めた。

アーメン ヽ(TдT)ノ

2018.8.5
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足を洗うことの意味

テーマは 『 足を洗うことの意味 』 です

【ヨハネの福音書13章3-5節、12-15節】

イエスは、父が万物を自分の手に渡されたことと、ご自分が神から出て神に行くことを知られ、

夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。

それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。



イエスは、彼らの足を洗い終わり、上着を着けて、再び席に着いて、彼らに言われた。「わたしがあなたがたに何をしたか、わかりますか。

あなたがたはわたしを先生とも主とも呼んでいます。あなたがたがそう言うのはよい。わたしはそのような者だからです。

それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。

わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。

イエス様が弟子たちの足を洗ったのは これが最初であり、最後でした。


足を洗ったのは最後の晩餐の席で、
十字架の死を遂げる前日の出来事でした。

他の日ではないからこそ、深く考えないといけないですね。


弟子たちは 後でこのことから学び、主のように互いに足を洗う者になりました。


当時、足を洗ってあげるのは身分の低いしもべの仕事でした。

師とも主とも呼ばれるイエス様がする仕事ではないです。

しかし、敢えてイエス様がこのような行動をしたのは、弟子たちに教えなければならないことがあったからです。


12人の弟子たちの間には ライバル意識がありました。

何度も彼らの間で 『誰が一番えらいのか』 に対して議論がありました。

イエス様はそれを知っていました。


直前にも そのことで議論がありました。


このままではいけないので、弟子たちの足を洗った後に 『わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです』 と言われました。


私たちの教会では実際に足を洗うことはしませんが、それを行っている教会もあります。

本音をいうならば、何となく そのことに違和感を感じます。


イエス様はイベントのように足を洗う儀式を願っているでしょうか?


儀式ではなく、“意味をわかってほしい” と願っています。


何を教えようとしたでしょうか?




自分を低くして謙遜になること




しもべがするようなことを、師であるイエス様がしたことは、師という立場を捨てて しもべの姿になったことを意味します。


謙遜になって しもべの姿を取り、しもべの働きをしました。


『互いに足を洗うべきです』 というのは、“高ぶらないで、自分を低くし、謙遜な者になりなさい” という意味です。


誰かの上に立ちたいと思う人は、人に仕えることが出来ません。

しもべにはなれません。

主の働きは、しもべとしての働きです。



十字架の死は、高慢な人の死でしょうか?


十字架の死は、謙遜の絶頂でした。

自分を完全に無にした姿でした。


『自分を捨て、自分の十字架を負ってわたしに従って来なさい』 と弟子たちに言いましたが、捨てることも十字架を負うことも、“謙遜” にならないと出来ないことです。



他人の足を洗ってあげられるほど 自分を低くして謙遜になりなさい という主のメッセージがあります。

愛と尊敬は、相手を高くあげて相手の足を洗うことです。


実際に足を洗うのではなく、自分を低くして仕えるしもべの姿になりなさいという意味で、主は弟子たちの足を洗いました。




利己心を捨てて他人に仕えること




人は自分が一番で、自己中心ですので、利益もないのに他人に仕えることは難しいです。

ましてや身を低くして他人に仕えることに抵抗を感じます。


うわべだけで仕える場合がありますが、主はうわべではなく、心から人に仕えることを願っています。

主が模範を見せました。


キリスト教の中心にあるのは 『愛』 です。


“神を愛することと、隣人を愛することが律法の完成である” と教えて下さいました。


主はその愛を見せて下さいました。

イエス様の生涯は 自分のためではなく、他の人のために生きた生涯でした。

いのちまでも捨てました。


そのように、人のために生きた姿を最後の晩でも見せて下さいました。


積極的に献身、奉仕する姿の中にあるのは愛です。

自己愛ではなく隣人を愛する姿です。


足を洗うことで、主は仕えることの意味が何かを教えて下さいました。


見て学んで行う時に、良い実が結ばれていきます。

主が喜んで下さいます。
アーメン v( ̄∇ ̄)v


2018.7.29
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なぜなのか

テーマは 『 なぜなのか 』 です

【ヨハネの福音書1章29節】

その翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。

昔よく聴いていた福音聖歌がありました。

「誰が知っているのか。主の心を~」 この歌詞から歌が始まりました。


何十年も主を信じていますが、未だに主の心がわかりません。


なぜ被造物である人間を これほどまでに愛して惜しんでいるのか、主の心が分かりません。


罪を犯した人間が、その報いとして死んで滅びることは当然なのに、なぜ罪を犯したことのない神の子イエス様に人間の罪を背負わせたのか ――


アダムとエバが罪を犯した時に、彼らを滅ぼして、新しい人間と世界を造れば良かったのに、なぜ彼らを生かして、その時から神の子を犠牲にする計画を立てたのか。


次の箇所でダビデもこのように語りました。


【詩篇8編4節】

人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。

全知全能なる力ある神が、取るに足りないちっぽけな人間のために、なぜ神の子イエス様をあのむごい十字架につけたのか、いまだに全ては理解出来ないです。


私たちが一体 何者だから、イエス様が来られて罪を取り除き、救いの道を与え、救われた者に「神の子になる特権」を与えたのかわかりません。

神の子を殺した犯罪者なのに。


また、自分に小さなあやまちを犯した1人の人間に対しても、敵意をむき出しにするほど とんでもない者に対して、なぜ神は我慢が出来るのか、理解が出来ないです。


誰よりも知恵がある方なのに、時には愚かな方法を わざわざ選ぶ神に、「なぜですか?」と理解が出来ないです。

神の心がわからないです。


人間は自分を知恵ある者と思い、その知恵を高らかに誇るのに。

なぜ神は愚かな者のようにふるまうでしょうか。


私のような人間になぜ恵みを注いでおられるのかわからないです。


「なぜですか?」だらけの主の恵みを、当たり前のように受けてはいけないですね。


私たちは、主に対して返すことが出来ないたくさんの負債があります。


ただ主に感謝をささげること、そして主の恵みを何一つ忘れないことです。

アーメン (*´ -`)(´- `*)


2018.4.29
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迫害の中でつまずかないためには

テーマは 『 迫害の中でつまずかないためには 』 です

【ヨハネの福音書15章18-25節】

もし世があなたがたを憎むなら、世はあなたがたよりもわたしを先に憎んだことを知っておきなさい。

もしあなたがたがこの世のものであったなら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではなく、かえってわたしが世からあなたがたを選び出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです。

しもべはその主人にまさるものではない、とわたしがあなたがたに言ったことばを覚えておきなさい。もし人々がわたしを迫害したなら、あなたがたをも迫害します。もし彼らがわたしのことばを守ったなら、あなたがたのことばをも守ります。

しかし彼らは、わたしの名のゆえに、あなたがたに対してそれらのことをみな行います。それは彼らがわたしを遣わした方を知らないからです。

もしわたしが来て彼らに話さなかったなら、彼らに罪はなかったでしょう。しかし今では、その罪について弁解の余地はありません。

わたしを憎んでいる者は、わたしの父をも憎んでいるのです。

もしわたしが、ほかのだれも行ったことのないわざを、彼らの間で行わなかったのなら、彼らには罪がなかったでしょう。しかし今、彼らはわたしをも、わたしの父をも見て、そのうえで憎んだのです。

これは、『彼らは理由なしにわたしを憎んだ』と彼らの律法に書かれていることばが成就するためです。

イエス・キリストの十字架の死は 初めから予定されたものでした。


イエス・キリストは 自分がどのような死を迎えるかを知っていたので、弟子たちに事前に話しました。


【マタイの福音書16章21節】

その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。

そして、そのことば通りのことが実際に起こりました。

宗教指導者たちの迫害によって殺されました。


この迫害は、イエス・キリストだけに限定されたものではなく、長い歴史の中で いつの時代にもキリスト者にありました。


イエス様は天に上る前に、弟子たちに使命を与えました。


【マルコの福音書16章15-16節】

全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。

信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。

そして主は聖霊を遣わして下さいました。


宣教は聖霊が主導し、聖霊が力を与えたので、弟子たちは勇気をもって大胆に出て行って福音を伝えました。


聖霊の奇跡も たくさん起こったので、救われる魂が多く起こされました。

イエス・キリストを殺した人間から見たら “想定外” のことで、福音は勢いよく広がっていきました。


それでイエス・キリストを迫害した同じ人間たちによって、再び迫害が 使徒たちや信じる者たちに始まり、そこで殉教者も出て来ました。

その様子を次の箇所で見ます。


【使徒の働き5章17-18節】

そこで、大祭司とその仲間たち全部、すなわちサドカイ派の者はみな、ねたみに燃えて立ち上がり、

使徒たちを捕らえ、留置場に入れた。

【使徒の働き5章33節】

彼らはこれを聞いて怒り狂い、使徒たちを殺そうと計った。

【使徒の働き5章40節】

使徒たちを呼んで、彼らをむちで打ち、イエスの名によって語ってはならないと言い渡したうえで釈放した。

これ以外にも激しい迫害がありました。



しかし、その中でも弟子たちは福音を宣べ伝え、ローマやアジヤでも多くの信じる者が生まれました。


ローマでは最初は迫害がなかったですが、信じる者が増えるにつれて迫害が始まりました。


イエス・キリストを信じる者が握っている “確信” (福音のメッセージ、唯一の神、救い主はキリストだけである) という排他性が 多くの人々を惹きつけましたが、それを認めない人たちは、そこにつまずき、敵対者になり、キリスト者を非難しました。

そして福音を妨げる力も強く働きました。


本格的なローマでの迫害は、ネロ皇帝の時に始まりました。

先月ローマへ行き、その現場を自分の目で見ることが出来ました。


ネロの放火によってローマ市の大半が焼かれた時に、ネロはその罪を、キリストを信じる者たちに転嫁しました。

そして “キリスト者” として知られている者たちに 罪を着せ、処刑しました。


クリスチャンたちは、動物のぬけがらを着せられて 犬に食い散らされたり、十字架につけられたり、夜になれば たいまつの代わりに燃やされました。


ネロは これらの見世物のために、自分の庭を解放して見せました。

ライオンや熊の餌食になる者も多かったです。



コロセウムの中にも入りましたが、5万人近く入る闘技場で、クリスチャンたちは 猛獣の餌食になっていきました。

このような迫害は長く続きました。


ドミティアヌス帝は、「キリスト教を告白することは死刑に値する罪」としました。

そして、ある人がキリスト者であることを知ると、その人に信仰を捨てる機会を与えます。

もしそれを拒否すれば処刑されました。


皇帝トラヤヌスは「だれでも自分がキリスト者であることを否定し、それを行いで証明するために、われわれの神々を拝むなら、その過去がいかに危険なものであろうとも その悔い改めによって赦されなければならない」と言いました。


激しい迫害を避けて、人々は地下に潜って行きました。



ローマには、カタコンベがあります。

現在知られているカタコンベは35です。


“地下埋葬所” とも言いますが、そこはクリスチャンたちが迫害を逃れるために身を隠した場所でもあります。


彼ら自身が地下に潜ってすべて掘りました。

今回はプリスキラカタコンベに行きました。


複雑に入り組んだカタコンベの廊下の総延長は、800キロとも言われます。

その規模には本当にびっくりしました。


真っ暗闇の中、息苦しい場所、湿気があり、そして死んだ人たちをそこに埋葬してあるので、においも相当あったと思いますが、それらと一緒に暮らすことは想像するだけで苦しくなりました。


しかし激しい迫害の中でも 彼らはその中で信仰を守っていました。



どのようにして彼らは激しい迫害の中で、つまずかずに信仰を守り通したのでしょうか?


ペテロもパウロも、ネロの迫害の時代に殉教しました。

私たちは同じ時代、迫害の中にいる信徒たちに対して イエス様が使徒ヨハネを通して語ったことばで、彼らの中にあるものを知ることが出来ます。


迫害の中で彼らを支えたものが何かを主が教えて下さいました。

その部分だけを聖書の箇所で伝えます。




主の名のために耐え忍んだ




【ヨハネの黙示録2章3節】

あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。



主の励ましと報い




【ヨハネの黙示録2章10節】

あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはならない。見よ。悪魔はあなたがたをためすために、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。



主に対する信仰




【ヨハネの黙示録2章13節】

「わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。しかしあなたは、わたしの名を堅く保って、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住むあなたがたのところで殺されたときでも、わたしに対する信仰を捨てなかった。



愛と信仰、奉仕と忍耐




【ヨハネの黙示録2章19節】

「わたしは、あなたの行いとあなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を知っており、また、あなたの近ごろの行いが初めの行いにまさっていることも知っている。



罪から離れ主とともに歩む




【ヨハネの黙示録3章4節】

しかし、サルデスには、その衣を汚さなかった者が幾人かいる。彼らは白い衣を着て、わたしとともに歩む。彼らはそれにふさわしい者だからである。



忍耐のことばを守った人に対する主の守り




【ヨハネの黙示録3章10節】

あなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。





外から来る激しい迫害に耐えるための信仰と愛、忍耐と奉仕、主のことばに対する信頼があったので、彼らはイエス様を捨てることもなく、つまずくこともありませんでした。


そして、彼らには強力な復活信仰がありました。


よみがえった主を実際に目撃し、見ていなくても信じたので、彼らは試練の中で耐えることが出来ました。



今も世界の様々な所で、迫害を受けている信徒たちがいます。

そして後には、全世界に迫害が必ず起こると預言されています。


“目を覚まして準備していなさい” と主から言われてあります。


準備せずに信仰を守ることは不可能です。

忍耐も出来ないです。


簡単につまずくと思います。


主のことばは必ず実現しますので、他人事のように思ってはいけないです。
(; ̄Д ̄)


2018.2.4
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人が失ったものを回復させて下さった主

テーマは 『 人が失ったものを回復させて下さった主 』 です

【ヨハネの福音書14章6節】

イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。

「イエス・キリストをなぜ信じますか。」
「イエス・キリストが何をしてくれましたか。」と 聞かれたなら、何と答えますか?


信じる理由はあると思います。

理由もなく信じることはないです。


「イエス・キリストは何をしてくれましたか?」という質問にも きちんと答えられますか?

もし知らないならば、明確に知る必要があります。


イエス様は、私たちが もっと主を知ってほしいと願って、いつも自分のことを教え、また実際の働きを通して見せました。

本文でも自分が誰なのかを教えて下さいました。


イエス様がなぜ「道、真理、いのち」でしょうか。


それにはどのような意味があるでしょうか?


それを知るためには 創世記を読まないと理解が出来ません。


創世記を読むと、人間は本来 何を持っていたのかを知ることが出来ます。

神が最初の人間であるアダムを造った後に、何をしたでしょうか?


【創世記1章27-28節】

神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。

神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」

【創世記2章8-9節】

神である主は、東の方エデンに園を設け、そこに主の形造った人を置かれた。

神である主は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良いすべての木を生えさせた。園の中央には、いのちの木、それから善悪の知識の木を生えさせた。

神は人間に被造物を支配する権威と祝福を最初から与えました。

何一つ不足がない祝福でした。


何の心配や不安もない生活を送れるように、神が祝福して下さいました。

しかし、“ひとつだけ” 気を付けるように言われたことがありました。


【創世記2章16-17節】

神である主は、人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。

しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」

エデンの園は平和で祝福に満ちていましたし、人間は何の不自由もなく暮らしました。


創世記2章までは完璧な世界でした。






しかし そこに忍び寄るものがありました。


蛇ですが、ただの蛇ではなく、サタンが入っていました。

とても悪い目的を持って近づきました。


そして人間を “偽り” で惑わし始めました。

それに対して、人間は あまりにも簡単に惑わされてしまいました。


“善悪の知識の木” は、人間が神のことばに従順するかどうかを試すための木でありました。


人間は、“神による被造物であること” を忘れず、いつも覚える必要がありましたし、神のことばに従う義務がありました。



悪魔はそれを知って、人間を誘惑するために近づきました。

神が禁じた善悪の木に対して、悪魔は次の箇所で言いました。


【創世記3章4-5節】

そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。

あなたがたがそれを食べる時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」

このことばは真実でしょうか?

それまで人間は 神様のことばしか聞いていませんでした。


ですから、サタンのことばが “新鮮” に聞こえたかも知れないです。

それが とても魅力的なことばだったので、余計に耳を傾けました。


神のようになりたいので、食べたくなったのでしょう。

そして、「食べても死ぬわけがないだろう」 と思ったことでしょう。


偽りが真実に、真実が偽りに聞こえました。


しかし食べた後、彼らは騙されたことに気づきました。

神になったわけでもなく、反対に恥ずかしい思い、不安、神へ恐れが出てきました。



そして神が現れ、彼らに警告した通りのさばきを下しました。


【創世記3章23-24節】

そこで神である主は、人をエデンの園から追い出されたので、人は自分がそこから取り出された土を耕すようになった。

こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。

天国のようなエデンの園から追い出された人間には 地獄のような苦しい生活が待っていました。

天国を知っているからこそ、地獄のような生活は惨めだったと思います。


神が祝福として与えたすべてのものを人間は一瞬にして失いました。


いのち、神との交わり、エデンの園、平安、地を支配する権威、清さなど、良いものを全て失いました。

どんなに悔いても “後の祭り” でした。


失ってから その大切さを知ることが多いです。


しかし人間の力で失ったものを取り戻せたでしょうか?

―― 取り戻せなかったです。
人間には、そんな能力や力もないです。


そしてサタンは、人間を騙したことを謝って償ったでしょうか?

サタンは人間を騙して堕落させたことを喜び、そして人間を支配する者になりました。


それによって人間は、“惨めさと絶望しかない” 状態になりました。


そこで、このことを残念に思った方がいました。

それは人間を造った神でした。


人間の堕落がなかったならば、救いの計画は要らなかったはずです。

しかし堕落してしまったことで すべてが変わってしまいました。


そして人間は堕落によって、神を大いに失望させました。


でも人間は反省もせず、失ったものだけで苦しんでいました。

取り戻す すべがなかったからです。






そこで愛の神は、人間を永遠に捨てることをせず、再び人間が失ったものを取り戻す方法を考えました。


無力な人間の代わりに 神の力で、失ったいのち、閉ざされた天国への道、相変わらずサタンに騙されている人間を救い出すための大プロジェクトを始めました。


その働きに一番ふさわしい方は、神のひとり子・イエス様しかいませんでした。


ですからイエス様は、その働きをするために神に遣わされて人間となって地上に来られました。


そして偽りの中で生きている人間に 真理を語り、偽りの正体も明らかにしました。


【ヨハネの福音書8章44-47節】

あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。

しかし、このわたしは真理を話しているために、あなたがたはわたしを信じません。

あなたがたのうちだれか、わたしに罪があると責める者がいますか。わたしが真理を話しているなら、なぜわたしを信じないのですか。

神から出た者は、神のことばに聞き従います。ですから、あなたがたが聞き従わないのは、あなたがたが神から出た者でないからです。」

そしていのちを与える主であることも知らせました。


【ヨハネの福音書5章24節】

まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。

真理しか語らない方ですから、このことばも真理であり真実です。


イエス様ご自身も、十字架で死んだままで終わったのではなく、死の力を持つ悪魔に勝利して “復活” しました。


ですから信じる者にも復活のいのちを与えることが出来ます。


そしてイエス様によって天国への道も開かれました。


【ヨハネの福音書14章3節】

わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。

このようにイエス様は地上に来られ、人間が失ったすべてものを取り戻しました。


そして、信じる者に イエス様は取り戻したものを回復させて下さいます。


【ヨハネの黙示録22章13-14節】

わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」

自分の着物を洗って、いのちの木の実を食べる権利を与えられ、門を通って都に入れるようになる者は、幸いである。

イエス・キリストが地上に来られた目的は これ以外も多いですが、すべて私たち人間のためであることを知り、信じ、感謝する者になりましょう。


この恵みを受け取る人が幸いです。
アーメン ヽ(TдT)ノ


2017.12.24
クリスマス礼拝メッセージ

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感謝と奇跡

テーマは 『 感謝と奇跡 』 です

【ヨハネの福音書6章1-13節】

その後、イエスはガリラヤの湖、すなわち、テベリヤの湖の向こう岸へ行かれた。

大ぜいの人の群れがイエスにつき従っていた。それはイエスが病人たちになさっていたしるしを見たからである。

イエスは山に登り、弟子たちとともにそこにすわられた。

さて、ユダヤ人の祭りである過越が間近になっていた。

イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。

もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである。

ピリポはイエスに答えた。「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」

弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。

「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」

イエスは言われた。「人々をすわらせなさい。」その場所には草が多かった。そこで男たちはすわった。その数はおよそ五千人であった。

そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。

そして、彼らが十分食べたとき、弟子たちに言われた。「余ったパン切れを、一つもむだに捨てないように集めなさい。」

彼らは集めてみた。すると、大麦のパン五つから出て来たパン切れを、人々が食べたうえ、なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった。

みなさんは毎日祈っていますか?


祈っているならば 願いのための祈りが多いですか?

それとも、感謝するための祈りが多いですか?



神様は願いも感謝も聞いておられます。


しかし神様を最も喜ばせるのは “感謝” です。


感謝する時に、さらに強い恵みの雨が天から降ってきます。



そして、感謝の中でも さらに神が喜ぶ感謝があります。

試練の中での感謝と、小さいことに大きな感謝をささげる時に神様はとても喜びます。



いつも感謝している人を見ると、霊的にも精神的にも安定しています。

顔も笑顔です。

口から絶えず感謝のことばが出てきます。


感謝のない人を見るといつも不機嫌な顔、不満げな顔、そして文句を言います。

そこから嫌なものが流れてきます。



今年も既に2ヵ月が過ぎましたが、どれくらい感謝しましたか?


“神の恵みなしには生きていけないな” と思う出来事も色々ありました。

そういうものがあるからこそ、受けている恵みに対して感謝が出てきます。


自分がいま存在していることを神様の恵みだと思っていますか?

自分の足で歩いて来られたことを感謝しましたか?



ある大学2年生の男の人が、交通事故で脊髄を痛めて首から下がマヒしました。

動けなくなりましたが、口に棒をくわえながらパソコンで文字を入力して 友達にメールを送ります。


今は それしか出来ないです。人生が一瞬にして変わりました。

とてもかわいそうでした。


2度も交通事故にあった私から見ると、いま生きているのは すばらしい神の恵みです。

いつもそのことを思っています。






今日のテーマは、“感謝と奇跡“ の話ですが、本文には感謝と奇跡があります。


主は五つのパンと二匹の魚で、男だけで5千人、そして女と子どもを合わせると二万人くらいの人たちに食べさせました。

まさに奇跡です。


その奇跡を起こす “前” のことを 見ていきたいと思います。


主は、父なる神にまず感謝をささげました。

奇跡が起きてからの感謝ではなく、“最初から” 感謝しました。


そして感謝して分け与えた時に、みんなが食べられる分のパンと魚になりました。


主は自分の力を見せびらかすために奇跡を行ったのではないです。



この奇跡は群衆に対する ある思いから始まりました。

本文には出ていないですが、別の福音書には 次のようにあります。


【マルコの福音書6章34節】

イエスは、船から上がられると、多くの群衆をご覧になった。そして彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められた。

彼らの魂を憐れみ、まずは霊のパンを与えました。


それから次の箇所です。


【マタイの福音書15章32節】

イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。「かわいそうに、この群衆はもう三日間もわたしといっしょにいて、食べる物を持っていないのです。彼らを空腹のままで帰らせたくありません。途中で動けなくなるといけないから。」

食べ物もなく、肉体も弱ってきたことを見て、かわいそうに思い、奇跡を行って彼らを食べさせたいと主は思いました。



聖書にある奇跡を見ると、主のあわれみによって、信仰によって、必要性に応じて奇跡が起きたことが分かります。


誰かに対して憐れみの心を持って祈る時に、その祈りが聞かれることを経験していると思います。


憐れみの心がある時に、私たちの祈りも真剣な祈りになります。


親は常に子どもに対して憐れみの心を持っています。

ですから 惜しむ心がないですし 真剣です。

夫婦でも互いに憐れむ心があると、喧嘩することもなく感謝し合います。


イエス様の奇跡は、とても小さいものから始まりました。



少年が持っていた大麦のパン五つと小さい魚二匹でした。

これは貧しい人たちが食べる食事です。


このみすぼらしい小さい食べ物が主の手に載せられた時に 二万人近い人が食べた “パンの奇跡” になりました。


どんなに小さいものでも、主の手によって大きく用いられることができます。



もちろん主は、無から有を創造することも出来る方です。


神様は大きなものよりは小さいものを用いることを喜びます。


自分には小さいものしかないし、才能もないし、力もないと嘆く必要はないです。

私たちが小さいものを差し出す時に、主は喜びます。


小さいことに感謝出来ず、満足せず、大きなもの、多くのものを求める時が多いですが、私たちは小さいことに対して感謝が必要です。


小さいことも 主から与えられた “恵み” です。






マタイの福音書15章には カナン人の女性が出てきますが、彼女は小さい恵みに大きく感謝した人でした。


悪霊に取りつかれた娘の癒しを求めてイエス様の所に来て懇願しました。

しかしその時の主のことばは意外なものでした。


「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです」


女の人はそれに対して、
「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」


彼女は食卓から落ちて来るパンくずの恵みにも感謝出来る人でした。

その感謝によって奇跡が起こりました。


イエス様がパンくずの恵みではなく、その娘を悪霊から解放する奇跡を行いました。


彼女には 受ける前からすでに感謝の心がありました。

これはイエス様からもいつも見られる姿です。


パンの奇跡でも、まずパンを手に取って父なる神に感謝をささげました。

最後の晩餐の時にも、自分の体がむち打たれて死ぬことを知っていながら感謝をささげてパンを裂き、それを弟子たちに配りました。

これから起こる奇跡に感謝しました。



感謝を蒔くと、感謝なことが起こります。


受けてからの感謝も主は喜びますが、受ける前から感謝することは さらに喜びます。


そこには神の奇跡を信じる強い信仰が見られるからです。


これから みなさんもそのような感謝をしてみて下さい。

神様は小さいもの、みすぼらしいものを手に取って神に感謝をささげる人に奇跡を表します。


“不満” では奇跡は起こりません。

“感謝” では奇跡が起こります。


主の感謝でパンと魚に奇跡が起こり、人々は満腹しました。


その後に、主は弟子たちに「余ったものは一つもむだに捨てないように集めなさい。」と言われました。

なぜそうしたでしょうか?


神が私たちに恵みとして与えられたものを むだにしたり、勝手に捨てたりすることは神の恵みをさげすむ行為だからです。


それは神を無視し冒涜する姿です。


いつも “下さい、下さい” ばかり言うのではなく、与えられた恵みを大切に使うことが主の恵みを知っている人の姿です。


どんなに小さい恵みでもそうです。


神は感謝する聖徒を喜びますし、豊かな恵みと奇跡を与えて下さいます。


そして感謝する聖徒たちを サタンは倒すことが出来ません。


感謝は神と周波が合います。

しかし、不満はサタンと周波が合います。



サタンは、感謝する聖徒を誘惑して試みに会わせて倒すことが出来ないです。

すべてに対して感謝しているので隙間がないです。


神から受けた恵みを思い出してみて下さい。

そして心から感謝してみて下さい。


感謝する人の人生にこれから奇跡が起こります。
(・∀・)つ


2017.3.5
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会


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