テーマは 『 つまずいても、つまずきを与えてもいけない 』 です
【イザヤ書8章11-16節】
まことに主は強い御手をもって私を捕らえ、私にこう仰せられた。この民の道に歩まないよう、私を戒めて仰せられた。
「この民が謀反と呼ぶことをみな、謀反と呼ぶな。この民の恐れるものを恐れるな。おののくな。
万軍の主、この方を、聖なる方とし、この方を、あなたがたの恐れ、この方を、あなたがたのおののきとせよ。
そうすれば、この方が聖所となられる。しかし、イスラエルの二つの家には妨げの石とつまずきの岩、エルサレムの住民にはわなとなり、落とし穴となる。
多くの者がそれにつまずき、倒れて砕かれ、わなにかけられて捕らえられる。
このあかしをたばねよ。このおしえをわたしの弟子たちの心のうちに封ぜよ。」
聖書は私たちに警告しています。
つまずいてもならないし、つまずきを与えてもならない と。
「それがそんなに重要なことですか?」と疑問を持つ人がいるかも知れませんが、とても重要であるので 主は何度も警告しました。
つまずくことは、自分で勝手に引っ掛かり倒れることもあれば、人を引っ掛けて倒す人もいます。
信仰につまずく結果は地獄です。
最後のさばきの時はつまずいた者も つまずきを与えた者も 主の前で言い訳をしても、それは通らないです。
永遠のいのちと天国とも関連があるので、とても重要です。
二つの大きなつまずきがあります。
イエス様に対するつまずきと、人間に対するつまずきがあります。
イエス様に対するつまずき
今日のことばはメシアに対する預言です。
預言の中で、イスラエルの人々がメシアにつまずくことが預言されました。
そしてメシアに対する正しい知識を持たなかった多くの者がつまずきました。
彼らの姿をみてイエス様はこのように語りました。
【マタイの福音書11章6節】
だれでもわたしにつまずかない者は幸いです。
なぜ待ち望んだメシアなのに、メシアとして来られた主を受け入れず つまずいたでしょうか?
それは彼らのことばで原因を知ることが出来ます。
まずはイエス様が育ったナザレの町の人々のつまずきの原因です。
【マタイの福音書13章53-58節】
これらのたとえを話し終えると、イエスはそこを去られた。
それから、ご自分の郷里に行って、会堂で人々を教え始められた。すると、彼らは驚いて言った。「この人は、こんな知恵と不思議な力をどこで得たのでしょう。
この人は大工の息子ではありませんか。彼の母親はマリヤで、彼の兄弟は、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではありませんか。
妹たちもみな私たちといっしょにいるではありませんか。とすると、いったいこの人は、これらのものをどこから得たのでしょう。」
こうして、彼らはイエスにつまずいた。しかし、イエスは彼らに言われた。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、家族の間だけです。」
そして、イエスは、彼らの不信仰のゆえに、そこでは多くの奇蹟をなさらなかった。
田舎の貧しい家で生まれ、教育もまともに受けたことのない者がメシアのはずがない と思いました。
もしイエス様が王や貴族の息子であったならば人々はメシアとして認めたと思います。
神がメシアの姿を教えたにも関わらず、彼らは自分たちの判断や考えでみことばを退け、つまずきました。
また多くの弟子たちは、イエス様が「わたしは天から下って来たいのちのパンである」と教えただけで変人扱いし、悪口を言ってつまずき離れ去りました。
またある者たちは、十字架で苦しみながら死んだ主を 無能で力がなく、自分も救うことが出来ない者がメシアのはずがない と思ってつまずきました。
「メシアは十字架の苦しみを受ける」 と預言されたにもかかわらず、十字架につまずきました。
【第1コリント1章23-24節】
しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、
しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。
神の御言葉の上に立たず、自分の考えや偏見、判断に頼る者は必ずつまずきます。
それが本人にとって信仰を邪魔し、罠になり、救いから遠ざけるので、結局は自分で呪いの道を選ぶようになります。
そのため、神のことばにあるメシアの姿とイエス様の姿をよく知る必要があります。
人に対してのつまずきと警告
人に対しては、つまずきを与えたり つまずいてもいけないです。
この警告を無視すると、後につまずくことになります。
なぜなら主がこのように警告したからです。
【マタイの福音書24章10節】
また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。
【ルカの福音書17章1-2節】
イエスは弟子たちにこう言われた。「つまずきが起こるのは避けられない。だが、つまずきを起こさせる者はわざわいだ。
この小さい者たちのひとりに、つまずきを与えるようであったら、そんな者は石臼を首にゆわえつけられて、海に投げ込まれたほうがましです。
イエス様は、「偉大な人をつまずかせてはならない」と語ったことは一度もありませんでした。
いつも “小さい者” ということばを使いました。
小さい者とは、子どもや見下された人、貧しい者、弱い者など 社会的に弱者のことです。
見下げられやすい人たちのことです。
イエス様が地上に来られた目的を見ると、主のこころが分かります。
【ルカの福音書4章18-19節】
「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油をそそがれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、
主の恵みの年を告げ知らせるために。」
ですから小さい者につまずきを与えることは、主の救いの働きを妨害する者になります。
【マタイの福音書18章6-7節】
しかし、わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、大きい石臼を首にかけられて、湖の深みでおぼれ死んだほうがましです。
つまずきを与えるこの世はわざわいだ。つまずきが起こるのは避けられないが、つまずきをもたらす者はわざわいだ。
自分がもつ権利と自由で 人につまずきを与えてもいけないです
【第1コリント8章9節】
ただ、あなたがたのこの権利が、弱い人たちのつまずきとならないように、気をつけなさい。
【第1コリント8章13節】
ですから、もし食物が私の兄弟をつまずかせるなら、私は今後いっさい肉を食べません。それは、私の兄弟につまずきを与えないためです。
主の働きをしている中でも 人につまずきを与えないように気をつけることです
【第2コリント6章3-4節】
私たちは、この務めがそしられないために、どんなことにも人につまずきを与えないようにと、
あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しているのです。すなわち非常な忍耐と、悩みと、苦しみと、嘆きの中で、
つまずきを与えないために、つまずかないために すべきこと
嫌なことされても、自分で仕返しをしない、誘惑されても罪を犯さない、他人が間違った信仰を持っていても 自分の信仰まで捨てる必要はないことを心に留めることです。
悪いものが心に入ると 苦い根を下ろすので、定期的に心を点検して苦い根を取り除くことです。
罪と死の影響を受けないためです。
また、聖霊に満たされることです。
満たされないと すぐに人を非難したり、傷を受けたり、誘惑を受けやすくなり、惑わされてしまいます。
油断してはいけないです。
【ヘブル12章15節】
そのためには、あなたがたはよく監督して、だれも神の恵みから落ちる者がないように、また、苦い根が芽を出して悩ましたり、これによって多くの人が汚されたりすることのないように、
つまずきの罪をいつも警戒して、神の恵みと救いにとどまりましょう。
アーメン ( -д-)ノ
2021.2.7
聖日礼拝メッセージ
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