テーマは 『 知恵のある者になる 』 です
2月になり、いつのまにか2019年も一か月以上過ぎました。
そこで振り返ってみてください。
1月はあなたの思った通りになりましたか?
私は反省点がたくさんあります。
特に仕事先とかで「こう言うべきだったのに、いらんことを言ってしまった。」「しゃべらなくても良いのに無駄に一人で話し過ぎた」「言い過ぎた」などなど・・・。
反省することばかりであり、また注意を忘れて失敗を繰り返したりしています。
そのような経験はございませんか。
例えば、次から挙げることに どのくらいあなたは当てはまりますか?
- さわがしい、無駄口をたたく
- 曲がったことを言う
- よく聞かないうちに返事をする
- 自分の愚かさを言いふらす、吐き出す、食いあさる、繰り返す
- わきまえがない、何も知らない、思慮がない
- 悪事が楽しみ、悪から離れることを忌み嫌う
- むなしいものを追い求める
- なまけ者
- 自分の怒りをすぐ現す、怒りやすくて自信が強い、短気、争いを起こす
- 主に向かって激しく怒る
- 争いを起こす
- 母をさげすむ、自分の父の訓戒を侮る
- 思慮深いことばをさげすむ、英知を喜ばない
- 自分の意見だけを表す、自分の心に頼るもの
これからの姿は、すべて聖書でいう “愚か者” です。
知恵がない愚か者なんです。
また、どこかで「こんな自分じゃダメだ」「直さないとな」と思っていませんか?
もし、それすらも思っていないのならば 心の姿勢に問題があります。
愚かなまま生きていると、その道は命の道には繋がっていないですし、心にも平安がないです。
一方で、知恵を持ち、賢く生きることができれば、あなたは次のようになります。
- 安全に住まい、わざわいをおそれることもなく、安らかである
- たましいが楽しんでいる
- 悪の道やねじれごとを言う者から救い出される
- いのちの年と平安が増し加えられる
- からだを健康にし、骨に元気をつける
- 恐れがない
- 休む時、眠りが心地いい
- 主がおられ、守ってくださる
- 主から恵みをいただく
- つまずくことがない
- 高められ、ほめられる
これらはいずれも聖書で書いてある「知恵のある人」の姿です。
私たちは “なんとなく” 何も考えずに生きるのではなく、もちろん「愚かな者」として生きるべきではなく、知恵のある者として生きなければなりません。
それは自分自身にとっても、周りの人にとっても、神様の目にとっても有益なことであり、望まれることであるからです。
それでは知恵を得て生きるには どうしたら良いのでしょうか。
人間を造られた神様が、一番 人間がどう生きていけば良いかをご存知であります。
例えば、iPhoneを作った人が、一番iPhoneの使い方を知っています。
それと同じように、私たちを造られた方が 一番私たち自身や生き方もご存知なのです。
その神様の御言葉を聞き、また実践することは、私たちが生きるべき方法を知り、人間らしく、神様によって造られた者として生きることです。
神様は、私たちに このようにおっしゃっています。
【ヤコブ1章5節】
あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人はだれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。
神様は私たちに “求めなさい” とおっしゃっています。
私たちは神様に「知恵を与えてください」と願うべきであります。
何か問題にぶつかった時や、それだけではなく、日常生活を生きる私たちは あらゆる瞬間にこの “知恵” を神様に求めるべきなのです。
聖書には、今までで誰よりも一番知恵と知識を持ち、そしてこれからの未来でも彼にまさる者はいない と言われている人物がいます。
それはソロモンです。
ソロモンはダビデの息子であり、王でもありました。
聖書では、どのようにソロモンが知恵を得るようになったかを はっきり記録しています。
それは もちろん神様からでした。
【第1列王記3章3-14節】
ソロモンは主を愛し、父ダビデのおきてに歩んでいたが、ただし、彼は高き所でいけにえをささげ、香をたいていた。
王はいけにえをささげるためにギブオンへ行った。そこは最も重要な高き所であったからである。ソロモンはそこの祭壇の上に一千頭の全勝のいけにえをささげた。
その夜、ギブオンで主は夢のうちにソロモンに現れた。神は仰せられた。「あなたに何を与えようか。願え。」
ソロモンは言った。「あなたは、あなたのしもべ、私の父ダビデに大いなる恵みを施されました。それは、彼が誠実と正義と真心とをもって、あなたの御前を歩んだからです。あなたは、この大いなる恵みを彼のために取っておき、きょう、その王座に着く子を彼にお与えになりました。
わが神、主よ。今、あなたは私の父ダビデに代わって、このしもべを王とされました。しかし、私は小さい子どもで、出入りするすべを知りません。
そのうえ、しもべは、あなたの選んだあなたの民の中におります。しかも彼らはあまりにも多くて、数えることも調べることもできないほど、おびただしい民です。
善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」
この願い事は主の御心にかなった。ソロモンがこのことを願ったからである。
神は彼に仰せられた。『あなたがこのことを求め、自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵のいのちをも求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、
今、わたしはあなたの言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。あなたの先に、あなたのような者はなかった。また、あなたのあとに、あなたのような者も起こらない。
また、あなたの父ダビデが歩んだように、あなたもわたしのおきてと命令を守って、わたしの道を歩むなら、あなたの日を長くしよう。
【第1列王記3章11-12節】
神は彼に仰せられた。『あなたがこのことを求め、自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵のいのちをも求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、
今、わたしはあなたの言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。あなたの先に、あなたのような者はなかった。また、あなたのあとに、あなたのような者も起こらない。
この世の誰よりも知恵を持ったソロモンが書いた知恵の書が、“箴言” と “伝道者の書” です。
箴言には、生活や人生を通して、神様から得た知恵について書いてあり、
伝道者の書には、誰よりも富と権力があり、ありとあらゆる楽しみをし尽くした上で、ソロモンが感じたこと、それはすべてを得たとしてもむなしく、結局は神様をおそれること こそが、一番人間にとって大切なことであり、一番すべきことだと伝えている本です。
本日は特にその箴言から「知恵」について見ていきます。
知恵とは?
この知恵とは一体何なのでしょうか?
この「知恵」とは頭の中で知っているだけの「情報」とは異なります。
特に、ヘブライ語での「知恵」は、実際に使われることを前提として、適用(実践)するところまでを含んでおります。
つまりは、「知っているだけ」ではなく、「知っている生活に役立つ知識を実際に取り入れて行うこと」こそが、「知恵」なのです。
例えば、いくらテニスのやり方を本や動画で頭に知識として叩き込んだところで、実際に体を動かして練習を積まない限り、テニスは上達しませんし、それは “知っている” だけで何も使い物にはならないのです。
私たちも「知恵」を知っているだけで、実際に私たちの生活に、その「知恵」を取り入れない限り意味がないものです。
それでは、実際に私たちが生活に取り入れるべき「知恵」の一番土台となるところを見てみましょう。
【箴言1章7節】
主を恐れることは知識の初めである。愚かな者は知恵と訓戒をさげすむ。
【箴言9章10節】
主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。
ここで、知恵と知識は同じようなものとして扱われていますが、まず この知恵を得るために必要なことは「主を恐れること」です。
ここでいう「主を恐れること」とは、「神様は怖い人。ひどくて厳しくて恐怖を感じる。」という意味ではなく、「かしこまる」という意味での「おそれる」です。
つまりは恐怖心からではなく「神様は偉大だな。すごい方だな と、ひれ伏すこと」です。
例えば、子どもであるならば 学校の先生は権威があって、先生の前ではシャキッとしたり、会社で働いている人の場合は、上司や、社長、会長の前では「ちゃんとしよう」と思うことと似ています。
あまり先生や会社の上司などに良いイメージがない方は、あなたが憧れている人や、すごいなと思う方、お偉い人の前ではかしこまって、きちんとしようとなりませんか?
それと似たような感覚でもあります。
また、この「おそれる」という言葉には、「礼拝する」という意味も含まれています。
つまりは神様を知り、関係を築き、偉大な方であると悟り、その方の前でちゃんとしようと思い、また礼拝する事こそが、真の知恵を得る第一歩と言えます。
知恵は神をおそれることから始まり、神様の御言葉を通して知恵は与えられる。
また、聖書にはキリスト自身に知恵がすべて隠されていると書かれてあります。
【コロサイ2章3節】
このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。
知恵を持って生きるということは、キリストを知り、キリストが歩んだように歩むことです。
キリストこそが唯一完全な人間であり、神様であった方です。
このキリストを通して私たちは知恵を得るべきなのです。
また、人にとっての究極の知恵は、私たちが人生で一番大切なもので必要不可欠であり、いのちを与える「イエス様の十字架」を知り、そこにある救いを受け入れることです。
これこそが、人が生きる上で一番大切なものであり、生きるために なくてはないものであります。
この福音を聞き、知り、受け入れ、イエス様とともに生き、イエス様が歩まれたように歩んでいく事こそが一番知恵のある姿なのです。
その究極の知恵を得たうえで、私たちは日々の生活で出会う様々なシーンで必要な知恵を得るべきであります。
箴言やイエス様の姿が描かれている福音書、その他の聖書箇所の様々なところに私たちが日々必要とする「知恵」が書かれてあります。
その聖書を開きながら、自分がどう生きていくべきか、家族の中で、会社の中で、友達の輪の中で、教会の中でどう知恵を持って振る舞うべきかを学び続け、それを実践する事こそが 私たちの日々の目標とすべきではありませんか。
知恵が足りないですか?
―― 神様に求めてください。
逆にあなたは自分自身を 知恵のある者と思っているのですか。
【箴言3章5-8節】
心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。
あなたの行く所どこにおいても、主を求めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
自分を知恵のある者と思うな。主を恐れて、悪から離れよ。
それはあなたのからだを健康にし、あなたの骨に元気をつける。
それは神様が求める姿ではありませんし、真の知恵を持つ者とも言えません。
神様に知恵を求めましょう。
まずは神様を知り、偉大な神様の前でおそれかしこまり、礼拝しましょう。
神様が教えてくれる御言葉を読み、受け止め、生活で実践しましょう。
もし、御言葉を聞いたり読んだりして、たくさん知っていたとしても「実践しない」ならば意味がないのです。
どんなにダイエット方法をたくさん調べて、たくさん知っていたとしても、実際に実践しない限り 痩せないのです。
同じように「知恵」を頭で持っていて、「実践しない」ならば意味がないのです。
本当の意味で知恵を持つということは、知恵を持ち、それを実践するということです。
また実践をして、すぐ元の愚かな姿に戻るのは、せっかく痩せたのに、すぐリバウンドする人と同じです。
あなたは今のそのままの姿で良いですか?
それとも、知恵を聞き、受け入れ、実践し、知恵のある者へと変わっていきたいですか?
今日から知恵を実践し、神様の前で「知恵のある者」として認められるように一緒に変わっていきませんか。
アーメン (・∀・)
2019.2.3
聖日礼拝メッセージ
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シャローム松山教会の礼拝メッセージです
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