テーマは 『 2つの顔を持つキリスト 』 です
【イザヤ書9章6-7節】
ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。
“ 2つの顔を持つ人” と言われると、何が思い出されますか?
私はジキルとハイドのことを思い出しました。
小説に登場する人物で、二重人格で善人と悪人の顔を持っています。
イエス様にも2つの顔がありました。
善人と悪人ではなく、“ 神と人間 ” という まったく異なる性質を同時に持っていました。
イエス様が誕生する700年も前に、神は預言者イザヤを通して、メシアの預言をしました。
そのメシアがイエス・キリストですが、神はイザヤを通して2つの顔を持つ異なるメシアを紹介しました。
これを知らないと、イエス・キリストを理解することは出来ません。
また理解するならば、イエス・キリストがまことのメシアであることが分かります。
神の顔を持つイエス・キリスト
今日の本文が、神としてのイエス・キリストを紹介しました。
「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」
そして「主権、王座、王国」などは神としてのキリストの姿です。
これは人間ではなく、神の性質をもって来られたキリストを語っています。
神としてのキリストを 誰よりもよく知っていたのは悪魔でした。
悪霊に取りつかれて墓場に住んでいた男がイエスを見ると、叫び声をあげ、御前にひれ伏して大声で言いました。
【マルコの福音書5章7節】
「いと高き神の子、イエスさま。いったい私に何をしようというのですか。神の御名によってお願いします。どうか私を苦しめないでください。」
誰もその人から悪霊を追い出すことは出来ませんでしたが、悪霊はイエス様を見るなり、その前にひれ伏しました。
イエス様には 悪霊を制する力があることを知っていたからです。
悪霊は、霊の存在である神を知っています。
悪霊までもがイエス様が神であることを認めました。
そして病人を癒したり、様々な奇跡を行う姿を見て、人々はイエス様が神であることを知りました。
次の箇所にはイエス様の2つの姿を明確に教えています。
【ピリピ2章6-8節】
キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、
ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、
自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。
人間の顔を持つイエス・キリスト
次に、神がイザヤ預言者を通して語ったキリストの姿は、人間の姿です。
それも、苦難を受ける人間の姿です。
イザヤ書53章全体は人間として生まれ、人々から のけ者にされ、痛めつけられ、苦しみを受けるキリストの姿、すなわち十字架の苦しみを受ける姿が預言されてあります。
主のために道を備えたバプテスマのヨハネも、イエス様を見た時に言いました。
【ヨハネの福音書1章29節】
見よ、世の罪を取り除く神の小羊。
なぜ神であるイエス様が人間として生まれ、十字架の苦しみを受けなければならないのか、その理由は世の罪を取り除くためでした。
次の箇所にはキリストについて詳しく書かれてあります。
【第1ペテロ2章22-24節】
キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。
ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。
そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。
キリストが人間にならなければ、人間の罪を その身に負うことが出来ないので、人間の姿になりました。
人類を罪から救うためには、誰かが代価を払わなければならないのに、すべての人類の中で それを出来る者が存在しないので、神はひとり子を人間の姿にして地上に送り出しました。
ですからキリストが十字架にかかり、救いの計画を成し遂げた時に、「完了した。」と宣言しました。
神の救いの計画は、
イエス様が2つの性質、すなわち神の性質と人間の性質を同時に持っていたからこそ出来たことです。
神だけであっても、人間だけであっても、それは不可能でした。
ですから人間の顔しか持っていない者が、「自分は神である」と言っても、それは嘘です。
しかし神の性質を持っている方が、神と言ったらそれは嘘ではないです。
イエス様に対してはこのような証言もありました。
キリストの十字架の死を誰よりも近くで見た者たちの証言です。
【マタイの福音書27章54節】
百人隊長および彼といっしょにイエスの見張りをしていた人々は、地震やいろいろの出来事を見て、非常な恐れを感じ、「この方はまことの神の子であった」と言った。
救い主として世に来られたイエス様に出会い、その救いを受けた人は幸いな人です。
救われずには誰も天国に入ることも、永遠のいのちを得ることも不可能です。
まだ出会ってない人は 必ず救い主イエス・キリストに出会って、魂が救われますように。
アーメン (・∀・)つ
2018.12.23
クリスマス礼拝メッセージ
八戸ノ里キリスト教会
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