テーマは 『 神の栄光を横取りしてはならない 』 です
【使徒の働き14章11-18節】
パウロのしたことを見た群衆は、声を張り上げ、ルカオニヤ語で、「神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになったのだ」と言った。
そして、バルナバをゼウスと呼び、パウロがおもに話す人であったので、パウロをヘルメスと呼んだ。
すると、町の門の前にあるゼウス神殿の祭司は、雄牛数頭と花飾りを門の前に携えて来て、群衆といっしょに、いけにえをささげようとした。
これを聞いた使徒たち。バルナバとパウロは、衣を裂いて、群衆の中に駆け込み、叫びながら
言った。「皆さん。どうしてこんなことをするのですか。私たちも皆さんと同じ人間です。そして、あなたがたがこのようなむなしいことを捨てて、天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける神に立ち返るように、福音を宣べ伝えている者たちです。
過ぎ去った時代には、神はあらゆる国の人々がそれぞれ自分の道を歩むことを許しておられました。
とはいえ、ご自身のことをあかししないでおられたのではありません。すなわち、恵みをもって、天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たしてくださったのです。」
こう言って、ようやくのことで、群衆が彼らにいけにえをささげるのをやめさせた。
神が人間を造った一番の目的は“神の栄光のため” でした。
【イザヤ書43章7節】
わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。
ですから、もし人間がその目的通りに生きていないならば、その人は神に逆らう人生を生きています。
造られた目的を知らないと、神のみこころに従って歩むことは不可能です。
人間を造った神は 聖書を通して、その目的を私たちに教えて下さいました。
しかしその目的を知ったとしても神の栄光を横取りするならば、それは神を冒涜することになります。
神に栄光をささげる姿
パウロとバルナバは 神に選ばれ、宣教師としての働きをしていました。
神は、パウロに奇跡や癒しを行う力を注いで下さいました。
パウロはイエス様に出会うまでは病人を癒したことも、奇跡を起こしたこともありませんでした。
しかしイエス様に出会ってから、多くの癒しや奇跡を行い、人々に知られるようになりました。
ある時、パウロは生まれつき足のなえた人を癒しました。
すると群衆は、彼らが人間ではない神であると声を張り上げました。
そして二人は突然、ギリシャ神話に出て来る神になってしまいました。
パウロがヘルメス、バルナバがゼウスになりました。
そしてゼウス神殿の祭司や群衆も、二人にいけにえをささげようとしました。
もし二人がそれを受け入れたならば、彼らは 人々の上に神として君臨することも可能でした。
しかし、このことで一番危機感を感じたのは二人でした。
どれほど二人がびっくりしかと言えば、衣を裂いて叫びながら人間宣言しました。
自分たちは神ではなく、神のしもべであることを伝えました。
二人はとんでもない騒ぎが起こったことでびっくりしたと思います。
これらのことは、サタンの策略だったと思います。
サタンは、自分が神になりたくて堕落した存在です。
アダムとエバは、このサタンの策略に負けたので堕落しました。
神の栄光を横取りしようとしたことで、彼らは神から刑罰を受けました。
神が受けるべき栄光を 自分が受けることは、神のものを盗むことです。
主の弟子ペテロにも似たような経験がありました。
主の導きで、百人隊長コルネリオに会いに行きました。
当時の力関係で言うならば、ペテロがコルネリオよりも下です。
しかし同じく神からの導きを受けたコルネリオは、ペテロが自分の家を訪ねた時に、すぐさま出向いて、ペテロの足元にひれ伏して拝みました。
プライドの高い人ならば 天狗になる瞬間です。
しかしペテロは驚いて彼を起こして「お立ちなさい。私も一人の人間です」と 神の栄光を盗みませんでした。
主の働きの中でも、このような誘惑が多いです。
自分を高く評価する瞬間、サタンはその思いにつけ込みます。
ある牧師が天国へ行った時に、すでに召された有名な牧師に会ってみたいとイエス様にお願いをしました。
すると主の表情が雲ってきて、しばらく沈黙が流れました。
その後、静かに「彼は ここにはいない」と言われました。
一瞬、意味が分からなかったそうです。
召された牧師は有名な方で、とても素晴らしい働きをしたからです。
その後、地獄の牢獄の中に閉じ込められた その牧師を、主が見せて下さいました。
「なぜ あの牧師はあそこにいますか?」
あり得ない状況に戸惑いながら主に聞くと、
主からの答えは「彼は私の栄光を横取りしたからだよ。」
牢獄にいる牧師が叫びました。
「主の栄光を横取りしてはならない!」
主の栄光を横取りした聖書の人物は
【使徒の働き12章21-23節】
定められた日に、ヘロデ王は王服を着けて、王座に着き、彼らに向かって演説を始めた。
そこで民衆は、「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けた。
するとたちまち、主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えた。
虫にかまれたことが直接的な死因ですが、それより先にあった出来事が死因に結び付き、神の栄光を横取りしたことでした。
神が死因を教えて下さらなかったならば、死因は虫にかまれて死んだかわいそうな人として記録されたと思います。
この罪は誰でも犯しやすい罪です。
私たちの自我の中には、アダムの罪の性質があります。
神になりたい欲望があります。
ですから、主の働きをする人でも 自我を捨てないと、いつでも 口では “神に栄光” と言いながら、自分が栄光を受けることを喜びます。
素晴らしい業績を残し、人々に尊敬されている主のしもべたちは、常にこの誘惑にさらされています。
高慢になると主の栄光を自分のものにします。
謙遜になることが必要ですが、自分を砕かないと謙遜にならないので、偉くなるにつれて誘惑に負けていく人が多いです。
【マタイの福音書7章22-23節】
その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行ったではありませんか。』
しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。
神が偶像崇拝を忌み嫌う理由
偶像は人間の手の作品であり、人間が造った神です。
まことの神にこそ栄光をささげなければならない人間が、自分たちで造った(偶像の)神を神として拝みながら、それに栄光をささげる姿に、(まことの)神は我慢が出来ないです。
生きた人間や死んだ先祖たちを拝む行為も、神の栄光をむなしいものにささげる行為であるので、神はそれに対して必ず刑罰を与えると警告してあります。
【出エジプト記20章4節】
あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。
偶像崇拝は 神の栄光を台無しにする姿であります。
【ローマ1章23節】
不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。
偶像崇拝によって栄光を受け 喜ぶのは、神になりたくて神に逆らった“サタン” です。
サタンは神の栄光を横取りするために人々を惑わし、次々と偶像の神を造らせ、サタンが栄光を受けています。
栄光を受けるべき方は、主お一人です。
【詩篇24編8節】
栄光の王とは、だれか。強く、力ある主。戦いに力ある主。
【詩篇24編10節】
その栄光の王とはだれか。万軍の主。これぞ、栄光の王。
私たちは自分は取るに足りない者であることを自覚し、すべての栄光を主にささげましょう。
アーメン (・∀・)
2018.4.15
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