テーマは 『 信仰によって大胆に生きる人々 』 です

【ヘブル10章32-39節】

あなたがたは、光に照らされて後、苦難に会いながら激しい戦いに耐えた初めのころを、思い起こしなさい。

人々の目の前で、そしりと苦しみとを受けた者もあれば、このようなめにあった人々の仲間になった者もありました。

あなたがたは、捕えられている人々を思いやり、また、もっとすぐれた、いつまでも残る財産を持っていることを知っていたので、自分の財産が奪われても、喜んで忍びました。

ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。

あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。

「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。

わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」

私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。

最近、感動的な映像を観ました。


モスルで イラク軍とISの激しい戦闘がある最中に、IS側の地域で 死んだお母さんのそばで座って泣いている6歳のイラク人の女の子を見つけた、デビット・ユベンクというクリスチャンの人が 命を懸けて爆弾が落ちる地域に走って行き、その女の子を救出しました。


彼にも小さい子どもがいますが、死を覚悟して、救出に向かったと言いました。

彼は 英雄と呼ばれることに対して、自分は決して英雄ではなく、すべきことをしたと言われました。


“隣人を愛しなさい” ということばを実行したと思います。

実際いま、中東では、自分のいのちを懸けて福音を伝える多くのクリスチャンたちがいますし、良き働きをしているクリスチャンたちも多いです。


中東のほとんどの国は、イスラム教の世界なので、そこには数少ないクリスチャンがいて激しい迫害を実際受けている人々もいますので、まさに苦難の火の中で信仰を守っているような状態です。

その彼らが、どれほど大胆な信仰をもっているのかを色々と聞きました。


今日の本文でも、激しい苦難の中で戦いながら信仰を守っている人たちがいたことを語っています。


どの時代にも、クリスチャンに対する迫害はありました。

その中で大胆な信仰をもって殉教した多くのクリスチャンたちがいました。


しかし信仰の自由があり、苦難も迫害もないのに、意外と弱々しく不安と恐れの中にいるクリスチャンが多いです。

祝福があるのに、将来に対する恐れ、苦難と迫害に対する恐れがあります。


激しい迫害と苦難があっても、恐れもなく 大胆に生きるクリスチャンがいるのになぜでしょうか。


以前、シリアでもイスラム教徒によって破壊された教会の前で、牧師が大胆にも「壊れたこの教会から離れず、ここでまた礼拝をささげる」と言いました。

恐れはないと言いました。殉教も覚悟しているように見えました。


そのようにシリアやイラク、他の国々でも苦難と迫害の中にいるクリスチャンたちは あまり恐れず、その中で生きていました。


目の前でISの人々や他のイスラム教徒がクリスチャンたちを十字架につけたり、首をはねたりと残虐な行為を繰り返しても、彼らは信仰を守りながら大胆に彼らの中で生活しています。


どうして そのようなことが出来るでしょうか?


彼らは未来だけを見るのではなく、今日という日を熱心に生きています。







アメリカで発行された 「Standing in the fire」 という本の著者が話した内容も少し話します。


西洋の教会では 恐れながら生きている人が多いのに、なぜシリアなど迫害を受けている教会では そういうことがないのかを調べました。


恐れがある主な理由は、“信じる者たちがこの世のTVや放送局で流れるニュースばかり聞きながら考えるからだ” と言いました。


毎日ニュースはテロ、事件、事故、災害など衝撃的なものがほとんどです。

テレビの前で座りながら、それらのニュースの爆弾を受けています。


否定的な知らせ、ムスリム世界のことばかりを聞くと、心に不安と恐れが生じます。

そうすると、だんだんと信仰も弱くなり、恐れ退いていきます。


しかし、信徒たちは恐れ退いてはならないです。


中東の信徒たちは、ムスリム背景から出て来ましたが、そのようには生きていないです。



「使徒の働き」 を読んでみると、聖霊を受ける前の弟子たちも恐れおののいて 隠れていましたが、聖霊を受けた後は 聖霊と力に満たされ、迫害の中でも、大胆に福音を伝えました。


恐れが何もない所に住んでいるクリスチャンが恐れているのに、大きな危険の中に生きているクリスチャンは、それとは反対に 非常に大胆です。


中東にいるクリスチャンに出会って驚いたことは、彼らに恐れがなかったことだと言われました。

彼らは戦争が早く終わるように、迫害が止まるように祈ってはいないそうです。


かえって自分たちが いま経験している すべてのことを通して学ばせて下さいと祈っています。


試練から学び、大胆に苦難を受け、主のために喜んで いのちをささげることが出来るように祈っています。


自分の祝福ばかり祈っているクリスチャンとは 全く違う姿です。


彼らは 神を求めていますが、自由の国のクリスチャンは 祝福を求めます。


信仰よりも自分の生活が守られるように祈っています。

ですから試練に弱く、大胆な信仰も足りないのです。






ニジェールは、世界でも貧しい国の下から二番目のアフリカにある国ですが、そこもイスラム教が多く、教会に対する迫害が強い国です。


そこで20年間宣教している宣教師の報告でも、パリで2015年に起きた新聞社テロの影響を受けて ニジェールでも教会が次々とイスラム教徒らに襲撃されて教会が放火されたり、壊されたりしました。


信徒たちもいやがらせを受けたりしたので、別の所に移った人もいましたが、しばらくすると信徒たちが教会に戻って来ました。

教会が燃えて椅子一つ残されていないので、自分たちの家から椅子を持って来て礼拝しました。


またいつ襲われるか分からないので、死を覚悟して信仰生活をしています。

その国は、ボコハラムというイスラム過激派が活動している危険な所です。

彼らはナイジェリアでも、4千人のキリスト教徒を殺害しました。



しかし、そのような苦難と迫害の中でも 大胆に信仰をもって生きる人々がいるので、私たちは彼らから学ぶ必要があります。


大胆な信仰はどこから来たのでしょうか?


神のことばに耳を傾けることです。


信仰は キリストのことばを聞いて始まりますし、信仰によって生きることも神のことばによります。


迫害の中で生きる人たちは、いつも神のことばを優先に聞きました。

神のことばで力を受け、神と永遠の世界を知り、真の希望と誰に頼って生きるべきかを学びました。


彼らの世界観は神のことばから来ました。

この世のニュースばかり聞いて、それで判断し、右往左往するならば、信仰によって生きる人ではなく、世に頼って、世の価値観で生きる者になります。


ですから 大胆な信仰のためには、世の騒音を消して、神のことばを聞かなければなりません。



祈祷院で1週間 神に向き合って、ニュースをいっさい聞かなかった時に、本当に心が平安になり、聖霊に満たされました。


山から下りると騒がしいニュースばかりで、心が乱された経験がありました。


今、戦闘地域に住んでいる人たちは 自爆テロや爆弾が落ちたりすると、そこに家族が巻き込まれているかも知れないという不安と恐れを持って、すぐニュースに耳を傾けますが、そこにいるクリスチャンたちは ニュースよりもまず ひざまずいて、「神は真実な神です。神はあわれみ深い方です。神は御民を守って下さる方です。大丈夫だと信じます。」 と祈った後に、詳しいことを調べるらしいです。


しかし自由の世界にいる多くのクリスチャンは 心配と恐れで、まずニュースを聞き、後になって祈ります。


世のすべてのことは、まず信仰の目で見て神に祈ることが優先です。


恐れの目で見てはいけないです。

大胆な信仰によって生きている人は 絶望的な時に、必ず祈ります。

その時、必死に神を求めます。


彼らは、「神に信頼する者は決して失望させられることはない」 ということばを信じています。

そして苦難に耐える時は、神から受ける大きな報いを信じています。


苦難もなく、肉を喜ばせるものが多い所に住む人は、世を愛して いつまでもこの世が続いてほしいと思いますが、苦難や迫害、様々な困難が多い所では、この世よりは天の御国へ行きたい思いが強くなるので、この世のことで くよくよ悩んだり、未来のことで心配ばかりすることはしないです。

その分、恐れも少なくなります。


迫害があり、戦闘がある所では 明日が問題ではなく、今日生きるか死ぬかが問題です。

ですから、“今日” と言う日を神に頼って精いっぱい生きます。


「今日、信仰によって生きないと天国に行けないかも知れない」 という思いで生きています。


ソファーに座ってテレビを観ながら未来に対して不安と恐れを感じて生きるクリスチャンと、必死に祈りながら今日生きている人は、どちらが大胆に生きる人でしょうか?


昔から大胆な信仰を持って生きた人たちは、信仰の戦いが強い時代に生きた人々でした。

今も変わりません。






アメリカで高齢者たちに、「今、後悔していることは何か」 のアンケートを取りました。

結果、「挑戦しなかったことを一番後悔している」 という回答でした。


安全な道、楽な道ばかり求めて生きた結果だと思います。

そして新しいことへの不安と恐れがあるので、挑戦を諦めたと思います。


信仰の道は楽な道ではないです。

その道は せまく険しいと主が語りました。


自分がしたいこと全部しながら歩める道ではないです。

反対に神の声に聞き従いながら歩む道です。


悪の力と戦いながら歩む道です。


しかし、信仰の道を走り終えると 大きな報い、永遠のいのちが得られる素晴らしい道でもあります。


これからの時代は、信仰を守るのが難しくなる時代になると聖書でも預言しました。


大胆な信仰がないと、信仰で生きることが出来ない時代になります。

いま小さい試練の中で訓練して下さい。


忍耐すること、大胆になることを――。
( ̄‥ ̄)=3


2017.7.30
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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