テーマは 『 十字架につけながら生きる 』 です
ハレルヤ。
主の平安と恵みがありますように。
新約時代で、信徒たちが一番模範にして見習うべき人は 使徒パウロです。
新約聖書の多くの部分は使徒パウロが書きました。
聖霊が書くようにパウロを用いて下さいました。
キリストに出会って劇的に人生が変わった人です。
出会った瞬間から一直線にキリストを目指して走り続けた人でした。
主に対する愛はあまりにも熱く、その心はイエス様で満たされていましたし、自分の全人生を惜しまずに主にささげました。
彼ほど 主に救われたことに対して、価値を知る人はいないと思います。
私たちは あまりにもその価値に気付いていないですね。
【ルカの福音書9章25節】
人は、たとい全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の得がありましょう。
全世界どころか、わずかなものに 自分のたましいを売る者が実に多いです。
クリスチャンは “救いの値打ち” が全世界よりも “上” であることを知らないといけないです。
パウロは主に出会って初めて自分が何者であるのかに気付きました。
それまでは自分を立派な者だと思っていました。
また、罪のない正しい者と思っていましたし、まともな者だと思っていました。
自己評価が高い者でした。
しかし主に出会って初めて “真の自分の姿” を見ることが出来ました。
そして びっくりしました。
とんでもない姿が そこにありました。
「私は神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。私は罪人のかしらでした。(第1テモテ1章13節、15節)」
これがパウロの告白でした。
その後、彼の人生はどのように変わったでしょうか。
まず、パウロがしたことがありました。
【ガラテヤ5章24節】
キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。
古い人を十字架につけました。
そして彼は その十字架を負いました。
“十字架を負う” ということは、情欲、欲望、貪欲、不義、妬みなど 人間の生まれながらの行為を十字架につけながら生きることです。
自分が誇りとしている すべてを捨てて、主を第一にすることです。
自分の十字架を負って生きているパウロの告白です。
【第1コリント15章31節】
兄弟たち。私にとって、毎日が死の連続です。これは、私たちの主キリスト・イエスにあってあなたがたを誇る私の誇りにかけて、誓って言えることです。
彼はどんなに苦しくても、自分の十字架を負って主に従って歩みました。
イエス様が死に至るまで父なる神に従順であったように、パウロも死に至るまでイエス様に従順な人でした。
一度もその心が主から離れたことがありませんでした。
イエス様に出会った後の彼は とても幸せでいのちに溢れ、いつも聖霊に満たされていました。
それがどんな苦難の中でも彼を勝利させる原動力でした。
この姿が私たちにも必要な姿ではないでしょうか。
(;´Д`)
2017.1.2
3分テレフォンメッセージ
八戸ノ里キリスト教会
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