テーマは 『 私たちを祝福したいと願う主 』 です
【民数記6章23-27節】
「アロンとその子らに告げて言え。あなたがたはイスラエル人をこのように祝福して言いなさい。
『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。
主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。
主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』
彼らがわたしの名でイスラエル人のために祈るなら、わたしは彼らを祝福しよう。」
人間が神に求めることは、何と言っても祝福ですね。
自分を呪ってほしいと神に祈る人がいるでしょうか。
時にはあまりにも辛いので、神に「生きるより死んだほうがましです。私の命を取って下さい。」と嘆くことはあるかも知れません。
しかし、本音は “祝福されること” です。
祝福されたら死にたいとは言わないと思います。
聖書によると、私たちが必死に祝福を求めて、やっと祝福されるのではなく、神の方が私たちを祝福したいと強い願いを持っていることが分かります。
親子関係で考えるとその意味が分かると思います。
子どもが生まれると、子どもが何も願わなくても、親の方がたくさんの祝福を与えようとあれこれ考えます。
神様もそうですね。
神様は私たちを愛しているので、祝福したいと願っています。
神が選んだ神の民には、特別な祝福があることを、イスラエルに向かって語った言葉で知ることが出来ます。
それは神を信じる者に与える祝福です。
今回は そのことを考えながら メッセージを聞いて下さい。
神は 祝福の神で、祝福を与えたいと願っています
神ご自身が「受けるよりも与える方が幸いである」と言われました。
世界とその中にある すべてのものを造ったのは 神であり、神はそれらを私たちのために与えて下さいました。
空気もタダ、太陽の光や熱もタダ、山や川、空もタダで見ることが出来ます。
とても大切なものをタダで使うようにしたのは神です。
それは神が “祝福の神” だからです。
【マタイの福音書5章45節】
天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。
すべてのものを人間の祝福のために創造し、創世記から黙示録まで読むと、神の祝福がたくさんあることが発見出来ます。
神を信じることは、その祝福を受けるためです。
神ほど私たちを祝福したいと願う方はいません。
人間は悪いことがあると、神様のせいにして、神のことを悪く言いますが、それは “悪魔” がしたことを神と勘違いした人がいう事です。
ですから 神に悪口言う前に、自分が信じる神が 本当の神かどうかを調べてから言って下さい。
人に悪を働くのは神ではなく、悪魔(サタン)であることを知りましょう。
聖書には悪魔の仕業がたくさん出てきます。
“盗む、滅ぼす、惑わす、誘惑する、罠を仕掛ける、襲いかかる、苦痛を与える、病気を与える、死をもたらす” など様々な例があります。
しかし神は初めから祝福の神です。
その祝福なしには人間は存在できないです。
【哀歌3章22-23節】
私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。
それは朝ごとに新しい。
祝福の神を信じる人は幸いな人です。
神を誤解しながら生きる人は、特別な神の祝福を逃すことになりますので本当にもったいないです。
祝福の神は、私たちが祝福を求めることを願っています
神は “祝福の神” ですが、私たちがその祝福を求めて神の御前に出ることを願っています。
何も求めないで、神に任せるのが “信仰深い姿” だと思いますか?
―― そうではないです。
神は祝福に対しては、求めるように言われました。
【第1ヨハネ5章14-15節】
何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。
私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。
イエス様は、声を上げてイエス様を呼んだ人々に「何をしてほしいのか」と聞きました。
その時、願いをはっきり言った人たちは みな祝福されました。
祝福は積極的に求めることです。
主がそのようにしなさいと言われましたので、祝福は本人が積極的に求めることです。
神がそれを願っておられるからです。
ほかの人のためにも 祝福を求めることを神は要求します
神はすべての人が祝福されることを願っています。
ですから 自分だけ祝福されることを願う人は、神の心とは違うので、神はそれを “貪欲” と言って嫌います。
神はどの人のことも愛しています。
神の愛は変わることがありません。
私たちは愛される資格があったでしょうか?
他の人より優れた所があるでしょうか?
罪がなかったでしょうか?
それを考えると、他の人を悪人呼ばわりしたり、祝福を受ける資格がないと言ったらいけないです。
神は次のように言われました。
【マタイの福音書5章44節】
自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
また弟子たちを遣わした時にも このように話しました。
【マタイの福音書10章12-13節】
その家に入るときには、平安を祈るあいさつをしなさい。
その家がそれにふさわしい家なら、その平安はきっとその家に来るし、もし、ふさわしい家でないなら、その平安はあなたがたのところに返って来ます。
ですから私たちが他人のために祝福するのは、神のみこころですし、それは必ず相手の祝福になるか、自分の祝福になるかで無駄になることはありません。
相手のために神に求めることも祝福であり、自分が受けた祝福を 人のために使うことも祝福を与えることです。
最近ニュースで知りました。
わずかな年金で生活が出来ない貧困老人がたくさんいるのに、生活保護を申請しない老人が多いということです。
その理由は、受けることを恥だと思うらしいです。
「施しは受けたくないと。
生活はとても悲惨なのにそれでも受けないと。」
生活保護は、最初から困った人のために使う予算です。
自分たちが税金を払って、そこから受けることですから、 “施し“ ではないですね。
国には様々な制度が国民のためにあります。
他の制度は積極的に使いながら、生活保護だけをそのように思うことは、その制度に対する偏見だと思います。
困った人にはそれは準備された祝福です。
悪いのは、お金が十分あるのに、その制度を悪用する人たちです。
私たちは、神がどのような祝福を用意してあるのかを もっともっと知る必要があります。
そして、その祝福の制度を積極的に使うことです。
どうにもならないからと死を選んだり、諦めたりする前に、まだやっていないことがないかを探ることです。
聖書には神の祝福がたくさんあります。
神を信じてそれを求めるならば、その願いが みこころにかなう時には祝福を受けることができます。
神は真実な方ですから、その約束を守ります。
(・◇・)ゞ
2017.1.15
聖日礼拝メッセージ
八戸ノ里キリスト教会
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神様からの警告のことばです
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幻と啓示~天国と地獄~
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金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
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