テーマは 『 主が求めておられること 』 です

【ミカ書6章8節】

主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。

2016年がスタートしました。

心を引き締め、身を慎むことが必要です。


スタートから何も考えず ダラダラと生きるならば、神にとっても人にとっても役に立たない者になります。


新しい一年をしっかりと信仰持って神と共に歩むためには、神が何を喜び、何を私たちに要求するのかを知って、それに合わせて生きる時に、その信仰は生き生きとした信仰になり、神に喜ばれる人になれます。


私たちが神のみこころを知って、それに共感しないと 神と共に歩むことはとても難しいので、今回はみこころを知って、共感してこの一年を神と共に歩みたいと思います。


今回のテーマ箇所の 主のことばには、主が求めるものがあります。




公義を行うこと




この “公義” とは どのような意味でしょうか。


神のことばに従って正しく生きることです。


これは罪人である者として、真の悔い改めなしには不可能です。


なぜならば真の悔い改めなしに、神の前に正しく歩むことが出来ないからです。


神に逆らう態度や、神が忌み嫌うものから離れ、神の言葉に従うことが “公義を行う” ことです。

真の悔い改めもない状態で、他のものでごまかしても 神がそれを知らないわけでもないですし、喜ぶわけでもありません。


クリスチャンの中でも自己流信仰の人がとても多いです。

自分だけが良いと思うやり方で信仰生活して、それを正しいと主張します。

そして他の人を裁きます。


それが正しいですか?それが公義でしょうか?
―― それは違います。


ヨブという人物を見ると、公義を行うとは どういうことかが分かります。


【ヨブ記1章1節】

ウツの地にヨブという名の人がいた。この人は潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっていた。

【ヨブ記1章4-5節】

彼の息子たちは互いに行き来し、それぞれ自分の日に、その家で祝宴を開き、人をやって彼らの三人の姉妹も招き、彼らといっしょに飲み食いするのを常としていた。

こうして祝宴の日が一巡すると、ヨブは彼らを呼び寄せ、聖別することにしていた。彼は翌朝早く、彼らひとりひとりのために、それぞれの全焼のいけにえをささげた。ヨブは、「私の息子たちが、あるいは罪を犯し、心の中で神をのろったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつもこのようにしていた。

公義を行う人は 神を恐れていますので、悪から遠ざかり、常に罪から聖別します。

罪に対して敏感で 罪を放置せず、すぐに悔い改めます。


これは形式的な信仰態度では出来ないことであり、心を引き締め、身を慎みながら生きている姿です。


ヨブのように真剣な態度で神を恐れ、神の前で生きようとする人が公義を行う人です。


新約聖書では公義を行う姿を次のようにも教えました。



【ローマ12章1-2節】

そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

日々 聖くなることが公義を行う姿で、それが霊的礼拝になります。


これは、神が私たちに常に求めておられる姿です。

真実な主の前で、偽りや形式で固めたものを差し出しても 主が喜ぶはずがありません。


それは神の前に礼儀ある姿ではないです。

私たちも礼儀のない人は好きではないですね。

神様に対しても礼儀がないならば嫌われます。


公義を行うことは神への礼儀です。




誠実を愛すること




“誠実” とは真心があることです。

真心で人や物事に対応することです。


それをさらに “愛すること” はそれに集中して心をすべて注ぐことです。


人はうわべを見ますが、神様は心を見ます。


何をするにも 神様は心の状態を見て判断します。

死に至るまで忠実な姿が、“誠実を愛する姿” です。


人間ほど変わりやすい者はいません。
手の平を返すように 心を変えることが多いですね。


神様は、誠実を愛する人を求めています。


神様は 愛していたイスラエルの民からいつも裏切られました。

彼らは簡単に神を捨てて、他の神々を求めて離れて行きました。

誠実さがなく、姦淫を行いました。


・神様だけを愛し続ける人が 神に誠実な人です。

・迫害があっても信仰を捨てず、主を信じる人が誠実を愛する姿です。

・奉仕がしんどくてもやり続けることが 誠実を愛する人です。

・誠実な人は、聞くだけで済ませる人ではなく実行する人です。


儒教の生みの親である孔子が ペルシヤ王の招きを受けた時に、馬鹿っぽい弟子1人だけを連れて行きました。

王は愚かに見える弟子を見て、孔子に「なぜあんな人を連れて来ましたか。」と尋ねると、孔子は答えました。


「私には一つ教えると十を悟る賢い弟子は多いですが、彼らは頭で理解するだけで実践しないですが、この弟子はあまりにも足りないので、一つ教えると それを忘れてはいけないと思って、すぐに実践する人だから私が一番愛して傍に置いています。」


聞いても何もしない人は、誠実な人ではないです。


心を込めて実行する人、そして それを継続する人は誠実で忠実な人です。

これは本当に必要な姿です。

神の民に求められるのは、頭に知識だけをいっぱい詰める人ではなく、誠実を愛する姿です。




へりくだって神と共に歩むこと




へりくだっている人は、己を知っている人です。


人生で一番難しいことは 自分自身を正確に知ることです。

へりくだっている人は、自分が無知であることを知って、絶えず変わろうとします。

そして自分の弱さを恥ずかしがらずに認めます。


自分の間違いも認め、自分の限界も知っているので努力をします。

そして自分の弱さを知っているので、人の弱さも理解し、人の間違いにも寛大です。

自分が弱い存在であることを知っているので、神に頼り、神と共に歩みます。


従順は へりくだる者が出来ます。

このような人と 主は共に歩みます。

これが今年目指すべき姿です。
(・∀・)つ


2016.1.2
新年礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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