テーマは 『 主が喜ぶことをする 』 です

【箴言21章3節】

正義と公義を行うことは、いけにえにまさって主に喜ばれる。

主が喜ぶことが何かに対して考えたことがありますか。


偉大な信仰の人たちを見て分かることは、彼らは主を喜ばせた人たちでした。

主が喜ぶことをするならば、主もその人を喜んで下さいますし、主が嫌うことばかりをするならば、主もその人を嫌います。

主が喜ぶなら祝福がありますが、主が喜ばないなら 祝福はどんどん遠のきます。


私たちが神を愛し、信じるならば、主が何を喜ぶかに対して特別な関心が必要です。


なぜならば、私たちは自分を喜ばせるために神を信じるのではなく、神を喜ばせるために存在しているからです。


そのために私たちは 主が何を喜ぶかを知ることは、基本中の基本です。

今日の本文にも主が喜ぶことを私たちに教えています。





・正義と公義を行うこと




正義と公義は、人間が追及すべき絶対的価値があるものです。


なぜかというと、聖書が示す “正義と公義” は神のみことばを実践することだからです。


罪は神の言葉に違反した時に生まれました。

罪ほど神を怒らせ、悲しませるものはありませんし、神が一番忌み嫌うものです。


私たちは自身が罪を犯しながらも、他人が犯す罪に対しては怒りを発し 腹を立てます。


先日、殺された中学生たちのことを思うと、罪を犯した犯人に対して怒りの思いが出て来ます。

その犯人を赦して下さいという思いが出て来ないです。


ですから私たちが神に対して 人に対してひどいことをする時に、神様はどのように思うでしょうか。

決して喜ぶことはなく、まずは神の怒りが出てくると思います。


その罪がいけにえで解決されるでしょうか。
旧約時代はいけにえで解決されると思って、いけにえばかり捧げました。


正義と公義を行わず、罪を犯して いけにえばかり捧げたとしても、それで神を喜ばせる事は出来ません。

いけにえよりも、正義と公義を行うことを主は喜びます。


正義と公義を行うためには、まず すべきことがあります。

それは罪を認め、主に悔い改めることです。





・いけにえよりも 悔い改めと神の言葉に聞き従うこと




神は、私たちが罪を悔い改めて神のことばに従うことを願うのに、それをせず 奉仕や捧げもの等でごまかすことを嫌います。


サウル王が神の言葉を無視した後、分捕り物の中から羊と牛を残した理由を、“神へのいけにえのためである” と言われた時に、サムエルが語ったことばを皆さんも聞いたことがあると思います。


【第1サムエル記15章22節】

するとサムエルは言った。「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。

神様は、主のことばを素直に聞き従うことを喜ぶ方です。

それが主を恐れる姿であり、主の権威を認める姿です。


そして罪を犯した者が言い訳したり ごまかしたりせず、素直に悔い改めることを喜んで下さいます。


ダビデ王も神の前に罪を犯し、しばらくは悔い改めることをせず、罪を隠したままでした。

しかしそのことで彼と神の関係は悪化していました。


悔い改めた後のダビデの告白を聞きたいと思います。


【詩篇51篇16-17節】

たとい私がささげても、まことに、あなたはいけにえを喜ばれません。全焼のいけにえを、望まれません。

神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。

私たちは日々、罪を犯しています。それを素直に認めて神様に悔い改めていますか?

主は罪を赦して下さるお方です。


罪人を受け入れて共に食事をしているイエス様を非難した宗教家たちに主は次のように言いました。


ルカの福音書15章で失われた一匹の羊のたとえを語った後に次のように語りました。


【ルカの福音書15章7節】

あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。




・主を正しく知ること




神ほど誤解される存在もいません。

目に見えないので人間が勝手にあれこれと言います。


もし自分のことをよく知らない人間が、自分のことを誤解して違うことを勝手に言うならば、どのような気持ちになりますか?

人間が勝手にいうことばを聞いて主はどのように思うでしょうか。


【エレミヤ書9章24節】

誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは主であって、地に恵みと公義と正義を行う者であり、わたしがこれらのことを喜ぶからだ。― 主の御告げ ―

神を知る努力もせず、自分勝手な神のイメージで神を誤解することは愚かなことです。

自分勝手な信仰生活をしながらも、それが神に受け入れられると勘違いすることも愚かなことです。


主を正しく知ることで、私たちは真理の中を歩むことが出来ますし、まっすぐに歩くことが出来ます。

そのことを主は喜びます。





・絶えずささげる感謝



【第1テサロニケ5章18節】

すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

感謝されると、心が自然と嬉しくなります。

感謝は、恵みやありがたさを知っているので出ることばです。

“こんなもん” とか “当たり前” としか思わない人からは感謝は出ません。


いつも口から感謝がこぼれる人を主は喜んで下さり、恵みを注いで下さいます。

それは神の耳に美しい歌のようです。





・神に対する信仰




【ヘブル11章6節】

信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。

無神論者、偶像崇拝者、信仰の薄い者は神に喜ばれることはありません。

純粋に素直に神を信じる者を主は喜んで下さいます。


自分が持っている信仰が果たして神に喜ばれる信仰かどうかを知る必要があります。

喜ばない信仰をいつまで持ち続けても、それが自分に何をもたらすでしょうか。


主が喜ぶすばらしいいけにえがあります。


【ヘブル13章15-16節】

ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。

善を行うことと、持ち物を人に分けることとを怠ってはいけません。神はこのようないけにえを喜ばれるからです。

神をほめたたえ、人を心から愛し、みことばを実行する時に、主が喜ぶことは当然なことだと思います。


その他にも主が喜ぶことがありますので、それはみことばだけを伝えたいと思います。

みなさんが心に留めて、実生活の中で実行出来たら主は喜んで下さいます。


【箴言11章20節】

心の曲がった者は主に忌みきらわれる。しかしまっすぐに道を歩む者は主に喜ばれる。




・福音伝道




【ローマ10章15節】

遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」




・神へのささげもの




【ピリピ4章18節】

私は、すべての物を受けて、満ちあふれています。エパフロデトからあなたがたの贈り物を受けたので、満ち足りています。それは香ばしいかおりであって、神が喜んで受けてくださる供え物です。




・祈り




【黙示録5章8節】

彼が巻き物を受け取ったとき、四つの生き物と二十四人の長老は、おのおの、立琴と、香のいっぱい入った金の鉢とを持って、小羊の前にひれ伏した。この香は聖徒たちの祈りである。

これらのみことばによっても分かるのは、神を喜ばせることはハードルが高くて難しいことは何もないです。


私たちが神への愛と関心と信仰の心があれば、すべては今すぐにでも実行出来ます。

神は誰にでも出来ることを求め、それに従う人を喜んで下さいます。

神に栄光をささげることは、神が喜ぶことをすることです。


愛は相手が喜ぶことをすることです。

それが犠牲を払う事でも、愛があればその犠牲も喜んで払います。


神を愛していますか?
(・∀・)

2015.8.23
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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