テーマは 『 主は万物の主権者 』 です

【イザヤ書40章10-17節】

見よ。神である主は力をもって来られ、その御腕で統べ治める。見よ。その報いは主とともにあり、その報酬は主の前にある。

主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。

だれが、手のひらで水を量り、手の幅で天を推し量り、地のちりを枡に盛り、山をてんびんで量り、丘をはかりで量ったのか。

だれが主の霊を推し量り、主の顧問として教えたのか。

主はだれと相談して悟りを得られたのか。だれが公正の道筋を主に教えて、知識を授け、英知の道を知らせたのか。

見よ。国々は、手おけの一しずく、はかりの上のごみのようにみなされる。見よ。主は島々を細かいちりのように取り上げる。

レバノンも、たきぎにするには、足りない、その獣も、全焼のいけにえにするには、足りない。

すべての国々も主の前では無いに等しく、主にとってはむなしく形もないものとみなされる。

創世記から黙示録までを読んでみると、はっきりと見えてくる神の姿があります。

神はすべての万物を創造した方ということだけではなく、すべての被造物の中で、いつでもご自分が願うように全てのことを行う主権を持っておられます。
時間、出来事、自然万物、人間、サタンを含め、全ての霊的存在などに対して、主権を持っておられます。


神様がみこころを立て、計画を練り、実行に移していく時に、その決定を誰も止めることも、変えることも、遅らせることも出来ません。

神が世界を創造した時に、そこに相談相手や顧問がいたでしょうか?

神はご自分の主権で全てを造りました。


そして、最初の人間であるアダムをちりで造り、アダムから取った骨でエバを造る主権を持っていました。


私たちは創世記1章から神が創造主であることだけに目を留めるのではなく、それが全て出来たのは神だけであり、絶対的な主権者であることを知らなければなりません。

神が主権者であることを知るのと知らないのとでは、どれほど大きな影響を私たちの人生にもたらすのか、測り知れないです。


【イザヤ書40章10節】

見よ。神である主は力をもって来られ、その御腕で統べ治める。見よ。その報いは主とともにあり、その報酬は主の前にある。

神は主権者ですので 人々に命令を下し、犯した罪に対しては罰を下し、従う者に対しては報いを与え、世が始まった時から今に至るまで人類を統べ治め、契約を結び、また祝福を約束する主権を持っておられます。


神の主権がどのように働いたのかを聖書でみると、まずアダムに対して次のように命じました。


【創世記2章16-17節】

神である主は、人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。

しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」

エデンの園にある全てのものは、神が造ったものであります。
彼は当然のように主権者に従わなくてはいけませんが、アダムはその命令にそむいて木の実を採って食べたので、主権者である神は 死を下しました。


多くの人は、神が最初から善悪の知識の木を造らなかったらアダムが罪を犯すこともないし、人間に死がくることもなかったのに…と、造った神が悪いと言います。

これは、人間側が自分たちの立場で言うことばであり、神が主権者であることを、認めない発言です。


主権者に対して言うことを聞くのが義務であって、神に対してあれこれ言う資格が、私たちにはありません。

自分たちの不従順を、神のせいにしてはいけないです。


また神は、人間が完全に堕落し暴虐で満ちていた姿を見て、全ての人間を滅ぼす決心をし、大洪水を送りました。
これも神の主権です。

また地上で再び人を増やす計画を持って、ノアとその家族を選ぶ主権を持っていました。

神は人を殺し、人を生かす全ての主権を持っておられます。




ハンナ




サムエルの母ハンナは霊的に素晴しい洞察力を持っていました。

神が主権者であることを、このように語りました。


【Ⅰサムエル記2章6-10節】

主は殺し、また生かし、よみに下し、また上げる。

主は、貧しくし、また富ませ、低くし、また高くするのです。

主は弱い者をちりから起こし、貧しい人を、あくたから引き上げ、高貴な者とともに、すわらせ、彼らに栄光の位を継がせます。まことに、地の柱は主のもの、その上に主は世界を据えられました。

主は聖徒たちの足を守られます。悪者どもは、やみの中に滅びうせます。まことに人は、おのれの力によっては勝てません。

主は、はむかう者を打ち砕き、その者に、天から雷鳴を響かせられます。主は地の果て果てまでさばき、ご自分の王に力を授け、主に油そそがれた者の角を高くあげられます。」

ハンナは不妊の女で、子供を産むことが出来ず、子供をたくさん産んだペニンナから、すごくいじめられていました。

その中でハンナは子供を産めない体であることで、神に文句を言ったのではなく、神の主権は何でも出来ると信じたので、大胆に神に 子供が授かることを願いました。


神は彼女の願いどおりに子・サムエルを与え、その後も何人もの子供を与えて下さいました。胎を閉じるのも開くのも神の主権です。

また、神には不可能はありません。



神はまたアブラハムという人を選んで、祝福を与える主権を持っておられます。

なぜアブラハムが選ばれたのでしょうか?
そんなに素晴らしい祝福を私にくれたら良いのにと、多くの人が思ったでしょう。

しかし、人を選ぶのも、すてるのも、神の主権です。


私たちには、人に対するねたみと高慢があるので、神の選びに対して、不満を持っている人が教会の中でも多いです。

「あの人より、私が偉いのに」、「あの人より私が先なのに」、「あの人より私の方がもっと知識があって、奉仕もしているのに」など、 神の人選びや、賜物、祝福などに対して、納得できないと怒る人も少なくないです。

そしてつまずき、神から離れる人もいます。


それは、神が全てを思いのままになさる主権者であることを認めていない態度であります。

本当に認めるならば、神の主権を尊重し、みこころのままにしてくださいと、受け入れなければなりません。


人間の思いが、神の主権の上に立つことはいけないことです。




イエス様




イエス様でさえ、十字架の死を目の前にして次のように祈りました。

「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのようになさってください。」

神の御子であるイエス様でさえも、父なる神の主権を認めました。


私たちが、神の主権を認めながら、生きることはとても大切です。

これから世界に起こる全てのことも、神の主権がその上にあります。


悪者の働きも、主の主権がゆるした範囲で、ゆるされた時に行われます。

神が見た世界は、今日の本文にあるように、

国々は、手おけの一しずく、はかりの上のごみのようにみなされる。見よ。主は島々を細かいちりのように取り上げる。レバノンも、たきぎにするには、足りない。

すべての国々も主に前では無いに等しいものです。


【Ⅱペテロ3章8節】

主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。

また、このように、たとえ人が千年生きても、主の目に一日のようであるなら、100年生きたとしても、神の前にある私たちの人生は1時間のようなもので、それくらい短い人生を私たちは生きています。

主が造った世界の中で主に与えられた命を持って、主がゆるした時間の中で生きる私たちは、主の主権を認め、主の主権に服従する人生を生きていきましょう。


この主権者を絶対に軽く見てはいけません。
そして、その前で高ぶってもいけないことを、心にしっかりと刻みましょう。
(・◇・)ゞ

2014.9.21
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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