テーマは 『 救いは神からの賜物 』 です

【エペソ2章8-9節】

あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。

行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。

救いは、キリスト教信仰の基本です。
聖書では救いのことを色々なことばで表現しています。

救いが何かをはっきりと知らないと、救われましたと言っても それが何になるのかが分からないです。


様々な宗教では “たましいの救い” について、ほとんど聞いたことがないと思います。

また、クリスチャンであっても救いについて聞かれると きちんと答えられない人が多いです。
中には「私、本当に救われたのでしょうか?確信がありません。」、「救いとは何ですか?」と言う人もいます。




今回は、救いがどういうものであるのかを はっきりと伝えていきたいと思います。


まず、この救いとは人間にとって命のようなものです。

命以上に大切なものはありますか?これは私たちが肉体と共に持っている命のことではないです。

この命とは、私たちが地上を離れてから “永遠に生きるのか” 、 “永遠に苦しむのか” どちらかのための永遠の命のことです。


そして聖書の中で色々な言葉で救いのことを表現しています。

例えば、「永遠のいのちを受けた」、「罪の赦しを受けた」、「生まれ変わった」、「神の子どもになった」、「イエス・キリストを私の救い主として受け入れた」、「私はイエス・キリストを信じます」、「神様と和解した」、「天国の民となった」、「神から義と認められた」 これらは全て救いのことであります。


ですから どの言葉をとっても “救い” は私たちにとって大切なことですが、人々はそのことに対して どのような反応をしているのかと言えば、ピンと来ていないです。


ここで1つの質問をしてみたいと思います。



1.あなたにとって一番重要な問題は何ですか?



「あなたにとって一番重要な問題は何ですか?」と聞かれたら、どのように答えますか?


色々な答えがあると思います。
ある人たちは「健康です。成功です。勉強です。携帯です。お金です。家族です。」など色々あると思います。

人は自分が一番重要だと思うことをいつも考え、目指し、また求めます。

聖書は、そのような姿を見て語ることばがあります。


【マルコの福音書8章36-37節】

人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。

自分のいのちを買い戻すために、人はいったい何を差し出すことができるでしょう。

イエス様が語るのは肉体のいのちではなく、永遠のいのちのことを語っています。


全世界よりも永遠のいのちの方が重要であるのに それらに関心がなく、人々は消えていくものばかりに関心があります。

ですからイエス様は このようにその人たちに語りました。


さらに質問があります。


≪ 今の人生に対してどう思いますか? ≫


このように質問をするならば、人々は色々な答えを言います。

「何の問題もなく楽しいです。」、「まあまあ満足していますので救いは別に要らないです。」
またある人々は「むなしいです。不幸でつらいです。死にたいです。消えて楽になりたいです。救いなんかあるわけないでしょう。」

このどちらの答えも、救いは私とは関係のないものだと思っています。
救いを受ける真理に関心がありません。


ですから福音を聞いても「やめて。私は聞きたくないから。救いなんか私にはどうでも良いことだ。」

教会に来てくださいと誘っても「入りたくない」と言います。



2.自分に対してはどう思いますか。死んだ後は?



自分たちで好きな神々を作り それを信じます。

「自分に対してはどう思いますか?」と質問をしても、言い訳のようなことを言って自分は知恵ある者だと思って「聞きたくない」と言います。

死後のことは哲学ではないので、哲学者の思想を聞く必要がないです。
あなたは何者ですか?それこそ己を知ることがどれほど大切であるか分かりません。


ここでも色々な答えがあると思います。
「私は罪を犯したことがないです。」「私は良い人だと思います。」「私は今まで真面目に生きてきました。」と自慢をする人もいます。


しかし、“あなたは一体誰ですか?”と聞かれた時に、本当の自分の姿は『罪人』であります。

自分の目で 自分を見ても分からないと思います。


「懲役○年生きてきた」、「執行猶予を受けた」という人だけが罪人というわけではないです。


もしも「私は生まれてから一度も罪を犯したことがない」という人がいるなら、その人は世界中で1番の嘘つきであります。


私たちは数々の罪を犯して生きてきましたが、罪人という認識がないだけです。


私がイエス様を受け入れたのは、初めて自分の心に響いて来た主の声を聞いた時でした。
「あなたは罪人ではないのか?」という声を聞き、私はびっくりしました。

もちろん 悪いことは1つもしていないとは思っていませんが、罪人という認識がまったくありませんでした。
それまでも教会へ行ったことは何度もありましたが、賛美が良いとか雰囲気が良いとか、本当に見物人でした。自分の事など分かっていませんでした。
「あなたは罪人ではないのか?」という声は、私をあわれみ私を救おうとした主の導きでした。


そしてなぜか分かってきました。自分が罪人であることが。それで涙が溢れ出て30分以上も泣き続けました。
その後に私はイエス・キリストを自分の救い主として受け入れました。
そこからの私の人生はものすごく変わって「この神様は私にとって1番」という想いになりました。


【ローマ3章10節】

義人はいない。ひとりもいない。

これは神様から見た時に、「罪がないです。」と言える人は1人もいないということです。


【ローマ3章23節】

すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、

「私は罪を犯していません。」と言うなら、神様はその人が産まれた時から今までの行動をすべて見ていますので、
その姿を神様がパノラマのように見せる時に大恥をかくと思います。

私たちが罪に対して鈍かったので、罪を罪とも思わなかっただけであります。


すべての人間は罪人です。
そして、この罪が私たちにもたらす結果があります。次の箇所です。


【ローマ6章23節】

罪から来る報酬は死です。

ここでの「死」とは、神様から引き離された永遠の死であります。
死んだら「無」になることではなく、死の地獄で永遠に苦しむという報いであります。


例えば、人を何人も殺した殺人者が捕まり 裁判を受けたとします。
もし裁判官がその人に「あなたは懲役1年です。」と判決するならば人々は何と言うでしょうか。
「それはおかしい。何人も殺したのに1年は軽すぎる。もっと厳しくしないといけない。死刑にしなければならない。」と怒るでしょう。


犯した罪が軽いか重いかという以前に、罪から来る報酬は死であります。
それは自分が刈り取らなければならないのです。

神様の前に立った時は 私たちもそのような姿です。そして神様の前に立つと裁判が行われます。
その時は自分たちが考えていた以上に違反行為が出て来ると思います。


神様が最後に「あなたは死だ」と言うならば、永遠の死を受けなければならないのです。

「そんなこと分かるはずがないでしょう?」と言う人たちがいるかも知れませんが、聖書には変わらない真理があります。次の箇所です。


【ヘブル9章27節】

そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、

1度死ぬことに対しては誰も反論ができないです。なぜなら生まれた人間は必ず死ぬからです。
それは議論する余地もないです。

しかし、その後のことには考えない人が多いです。
「死んだら終わり」と言うのは―― 果たしてそうでしょうか?


肉体が死んでから神のさばきがあることを語りました。この死後にさばきを受けることの方が恐いのです。
なぜなら、地上よりも死後の世界の方が、永遠に続く世界だからです。人々はここで一番つまずきます。


死後の世界は、夢ではなく、現実の世界であります。


人々は「死んだらすべてが終わりだ。死んでみないとわからない。そんなのよくわからない。考えたくもない。」
日本では「死」という言葉がタブーになっています。誰もが必ず死にますが、それについては触れないです。
しかし生まれることについては すごく喜びとしています。

「死についてのことは何も言うな。聞きたくない。そんな話はしたらいけない。」と言います。


しかしキリスト教では、それがすごく大切なことですので、私が牧会する教会では死に対してもたくさん語ります。
なぜならそれが現実であり、その後の世界は実在するからです。



3.罪人たちが救われる道はありますか?



地獄へ行っている人たちは、私たちが想像も出来ない苦しみを受けています。


イエス様は地獄が実在することを私たちに知らせたいので、神様からの特別な恵みで信徒たちに地獄を見せることがあります。地獄にいる人たちがイエス様に向かって同じ言葉を語ります。

地獄の炎の中で苦しんでいる人々が叫びました。「ここから出してください!地上に1分でも良いから、1秒でも良いから出してください!」

そして彼らは「私たちが出たら必ず悔い改めてイエス様を信じます!地獄から出られたら何でもします!」と願います。


信じなかった人々、地獄なんか存在しない、地獄に行っても別に構わない、と言った人々が、実際に耐えられない地獄におちると それが彼らの現実となります。


イエス様は「それはできないんだ。もう遅い。人間は生きている時だけチャンスがあるんだよ。」と語ります。


「私は地獄へ行っても構わない。行ってやろうか?地獄の方が私には相応しいかも!」と言うのは、地獄があることを信じて語る言葉ではなく、皮肉で語る言葉です。そんなことがある訳が無いでしょう?という思いです。




もともとサタンは、御使いが堕落してサタンになりました。
御使いはもともと神に造られたものなのに、御使いが「神になろう」と神の権威に挑戦をして滅ぼされました。


アダムとエバが堕落した理由も同じです。
サタンが近づき誘惑し、「善悪の知識の木の実を食べたら、あなたたちも神のようになる」という言葉を使いました。
サタンは “神のようになりたい” と思い、サタンが人間を誘惑した時も “神のようになれる” と言いました。


日本でよく言われる “仏になるんだ” という言葉は、人間として生きてきた者は死んだら “神になる” ことを指しているのです。

これはサタンの思想であります。自分たちの思いと語る言葉が「神のようになりたい」という高慢な思いです。
人間が神に生まれ変わるはずがありません。

しかし、サタンはそのような思想を人間の思いに入れるのです。

真理の言葉には耳を傾けないのに、自分たちの都合の良いようにそれを信じています。


罪をたくさん犯した者が 聖い神様になれるわけがありません。




先ほども言ったように、罪人として死ぬならば永遠の死を刈り取ることになります。

すると私たちは「罪人たちが救われる道はないのですか?皆が地獄に行くしかないのですか?どうせ地獄へ行くなら、自分の欲のままに生きても良いじゃないか」と思います。

しかし真理を知ると悟りが来ます。
神様は1つの救いの道を用意してくださいました。


天国への道は 1つであります。この たった1つの救いの道を信じるならば救われるのです。


世の中には多くの宗教があります。それらの宗教が語る言葉と、キリストが語る言葉の違いを1つ伝えます。

世の中のすべての宗教は「善行をすれば、その行いによって極楽へ行く」など 必ず “行い” のことを語ります。
「たくさん捧げたら…」、「たくさん良いことをすれば…」
これはカトリックでもイスラム教でも仏教でも言います。


しかし、今回の聖書テーマ箇所で≪ 行いによるのではありません ≫と書かれていました。

どんなに良い行いをする努力をしても救いを受けることはないのです。


例えば、良いことばかりをしてきた善人がいたとします。

しかし、その人がある時に誰かを殺してしまったとします。
裁判に掛けられた時に「私の人生を見てください。私は今までずっと真面目に生きました。他人にも良いことをたくさんしました。ですから、このたった1つの殺人を犯した罪を許してください。私は本当に何十年も良いことをしてきました。」と言ったとすると、

裁判官は「分かった。あなたは1つ悪いことをしたが、今までは良いことをしてきたので罪は無いことにしよう。」と言うでしょうか?絶対にそうはならないです。

裁判官は「今まで良いことをしてきたのは分かった。だが殺人は罪であるから あなたは刑務所に入らなければならない。」と言うでしょう。


罪はあくまでも「罪」なのです。
良い行いは「良い行い」としてありますが、その良い行いによって 罪が消されることはありません。


このように人間の努力では罪を消すことが出来ないので、神の方から提示しました。
その提示が、救い主イエス・キリストを信じることでありました。


【使徒の働き10章42-43節】

イエスは私たちに命じて、このイエスこそ生きている者と死んだ者とのさばき主として、神によって定められた方であることを人々に宣べ伝え、そのあかしをするように、言われたのです。

イエスについては、預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、とあかししています。」

イエス・キリストの十字架には、私たち罪人のために代わりに罪を負って死んでくださったという意味があります。


本来ならば私たちが死ななければならないのに、(私たちが神の御前に立った時に)イエス様が出てこられて「この人の罪をわたしが背負います。わたしがこの人の代わりに死にますので、どうかこの人を解放してください。この人の罪を赦して下さい。」と言うならば身代わりになるということです。

それによって私たちの罪が赦されるということを主が語ってくださいました。


イエス・キリストは「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
わたしを通してでなければだれひとり父のみもとに来ることはありません。」と言われました。


救いの道、神様の国が救われた人たちの行くところであります。
しかしそれはイエス様の十字架を通らなければ入ることが出来ないとはっきりと言われました。


【使徒の働き4章12節】

この方以外には、だれによっても救いはありません。 天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は、人に与えられていないからです。」

世界のあちこちで「ここに救いがあります。」、「ここにも救いがあります。」と言います。
それなのに、どうしてキリスト教だけが救いがあると言うのですか?それはおかしいでしょう?と反論をします。


その人たちに私たちが示さなければならないことは、「あなたたちの信仰の教祖が、あなたの代わりに死にましたか?その人は神から出た者なのですか?その教祖も罪人なのに誰がその罪を背負うのですか?」


教え自体は良いかも知れないです。ですが 私たちはその教えのことを言うのではなく、「本当にその教祖があなたの罪をどのようにしたのですか?」という部分です。

罪が赦されていないと私たちは地獄へ行くしかないのです。


ですから どんなに教えが良いものであっても、真理ではないです。
それを私たちは言わなければなりません。


救いは神が決めたことを信仰によって受け入れる時に神からのプレゼントとして与えられます。

私たちは信じることだけで、その代わりに何かの代価を払う必要もないです。
「キリストが私のために十字架にかかったことを信じます。」という1つの言葉だけで救いがあるのです。


しかし、世の中の人々の「ふーん。そんなことで救われるの?」と言う人たちに語る言葉があります。


【Ⅰコリント1章18節】

十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。

「何もせずに、そんなにすごいこと(救い)を受け取れるなんておかしい」と言います。
なぜならば、今まで散々「良い事をしなければ、努力をしなければ…」という行いが強調されて聞かされてきたからです。

私たちは生きているうちに救いを受けておかなければならないです。


赤ちゃんは母の胎内にいる時に男か女か性別が決まります。生まれてから決まるのではないです。
それも親が性別を決めることはできなく、神様が既に胎内にいる前から決めています。


これは何を意味しているのでしょうか ――?


私たちが地上で生きている時というのは、胎内で生きている命と同じであります。そして胎から出た時に救いを受けていたか受けていないかによって、そのたましいの行く所が決定されます。

ですから私たちは地上にいる時に、自分で行き先を決めなければならないということです。


自分が今 天国に向かって歩んでいるか?それとも地獄に向かって歩んでいるかをよく考えて下さい。
地上にいる時に、自分の罪を悔い改めてイエス・キリストを受け入れ、日々主と共に歩むならば神の御国に入ることができます。


私たちはいつ死ぬかは分かりません。神様は今が恵みの時、救いの時だとおっしゃいます。

地獄へ行って一番びっくりするのは本人であります。

「実際に地獄があることを知っていたならば、生きていた時にキリストを信じれば良かった」と実感すると思います。


また、口先だけで「信じます。」と言えば良いのだと錯覚をしてはいけないです。


救いの内容がどのようなものであるのか、自分が罪人であることをはっきりと知り、「キリストが私の罪のために既に十字架にかかって死んでくださり、 この方以外には救いがないということを私は信じます。受け入れます。そして感謝します。」

このように理解をして信じないと意味がないです。


自分の命の恩人が誰なのかも知らないで、どのようにして自分が救い出されたのか、救いがどういうものなのか、自分の正体がどんな者であったのかも知らず、 教会に来ているから救われていると思うのは とんでもないことであります。

何十年教会に通っていても、自分の受けた救いが何なのか よく分からない人たちもいます。

ですから、私たちは正しく みことばを通して知らなければならないです。 ( ̄‥ ̄)=3

2014.7.6
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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今日の「いのちのパン」

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

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