※ 今回は内容を簡潔にまとめさせていただきました。恵みが三十倍、六十倍、百倍になりますように。


テーマは 『 キリストが受けた苦難の数々 』 です

【ヨハネの福音書1章9-11節】

すべての人を照らすそのまことの光が来ようとしていた。

この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。

この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。

4月は キリストの受難週、十字架の死、復活などキリストに関わる重要な出来事が色々ありますので、そのことに対して語ろうと思います。

私たちの目をキリストにしっかり向けて、キリストが私たちのために どのような苦難を受けたのかを今日は知りましょう。


キリストが受けた苦難は むち打たれ、釘打ちにされ、十字架に架かっただけではなく、それ以前からもたくさんありました。

身体に受ける暴力もつらい事ですが、精神的な暴力のほうが ある意味もっときついかも知れません。


拒絶、無視、脅迫、敵対、裏切り、見捨てられるなど 人間から様々な苦しみを受けました。
どのような苦難を受けたのか知っていますか?




(1)人から拒絶されました。喜んで歓迎しなければならないのに、最初から人々はキリストを拒絶しました。



一部の人からではなく、すべての者から拒絶されました。


【イザヤ書53章3節】

彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。

と、預言された通りのことが 実際に起こりました。


【ヨハネの福音書1章11節】

この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。

民から拒絶された姿でした。
イエス様が育ったナザレの人たちは キリストを受け入れ、認めたでしょうか。
ナザレの人々はもっとひどかったです。受け入れないどころか殺そうとしました。


【ルカの福音書4章28-29節】

これらのことを聞くと、会堂にいた人たちはみな、ひどく怒り、

立ち上がってイエスを町の外に追い出し、町が立っていた丘のがけのふちまで連れて行き、そこから投げ落とそうとした。

ユダヤ人たちもナザレの人々と同じ姿でした。


【ヨハネの福音書7章1節】

その後、イエスはガリラヤを巡っておられた。それは、ユダヤ人たちがイエスを殺そうとしていたので、ユダヤを巡りたいとは思われなかったからである。

どこへ行っても拒絶する人々がたくさんいました。

この状況はとてもつらい状況で 悲しくやりきれない心境になります。

また、家族はキリストを信じ、理解者であったでしょうか。


【ヨハネの福音書7章5節】

兄弟たちもイエスを信じていなかったのである。

キリストと認めず 信じませんでした。




(2)出身地と家庭環境によって 人々から蔑まれました。



人々は先入観と差別意識でキリストを見てました。


【ヨハネの福音書1章46節】

ナタナエルは彼に言った。「ナザレから何の良いものが出るだろう。」

【ヨハネの福音書7章52節】

彼らは答えて言った。「あなたもガリラヤの出身なのか。調べてみなさい。ガリラヤから預言者は起こらない。」

人格を無視されると 私たちの心は本当につらいですね。
イエス様は最初からこのように人格も無視されました。




(3)絶えず人々から来る脅威がありました。



いつも自分を憎んで、妬んで 命を狙う人がいることは大きな苦難です。
キリストは常にそのような状況の中に置かれていました。生まれた時からでした。

キリストが生まれたことを知ったヘロデ王はベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺させました。

主の遣いの助けがなかったならば、赤ちゃんの時に殺されたでしょう。
安息日に病人を癒したことでも ユダヤ人はイエス様を迫害しました。
真理を語ると 人々はどのような反応をしたでしょうか。

喜んで受け入れたでしょうか?


【ヨハネの福音書8章40節】

ところが今あなたがたは、神から聞いた真理をあなたがたに話しているこのわたしを、殺そうとしています。アブラハムはそのようなことはしなかったのです。



(4)弟子たちもイエス様が理解できず、ある者は裏切り、非難、否定して離れていき キリストを苦しめました。




十二弟子の1人、イスカリオテ・ユダはお金をもらって祭司たちにキリストを売りました。


【ヨハネの福音書6章66節】

こういうわけで、弟子たちのうちの多くの者が離れ去って行き、もはやイエスとともに歩かなかった。

イエス様が十字架にかかるために とらえられた時には、ほかの弟子たちまでもがキリストから離れていきました。

信頼し、共に生きてきた人が、ある日 突然離れていくことほど つらいことはありません。


牧師としても愛していた信徒が去っていく時、とてもつらい思いをします。

イエス様は みんなが離れていき、一人ぼっちになりました。
どれほど心がつらかったでしょうか。




(5)そして 最もつらかったことは神に捨てられました。



【マタイの福音書27章46節】

三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

神は人類の罪をキリストに負わせ、十字架の上に死なせました。

その瞬間は 自分の愛する子としてではなく、罪人とみなし 顔をそむけました。
いつも父と1つであったキリストにとって この瞬間は最もつらかった時だったと思います。

これらのことを見ると、人間社会でイエス様が受けた苦しみは 私たちの想像をはるかに超えた苛酷なものであったことが分かります。


私たちは人からの言葉1つでも、時には「心が傷つけられた。もう許せない。つらい。憎い。つまずいた。」と大騒ぎをします。

しかし、イエス様の立場から見ると、「たったそんなことで つまずくのか。わたしを見なさい。今もあなたはわたしの言うことも聞かず、苦しめ、悲しませているではないか。どれほど わたしがつらいかを考えたことがあるのか。」とおっしゃいます。




イエス様の十字架の証



ある人が幻で十字架に架かって血を流している主を見ました。


あまりにも苦しい姿でしたので、十字架の周りに集まっていた人からも 主がかわいそうで泣いている人も見えました。

多くの人々は 十字架にかかって苦しんでいるイエス様の姿を見るだけで、
なぜイエス様が十字架にかからなければならなかったのかと その理由を知る霊の目を持っている人は誰もいませんでした。


イエス様は肉体の痛みで苦しいよりは、自分が死ななければならない理由と、自分の心境を知らない人々がかわいそうで何倍も心の中で苦しんでいました。


(その幻をみた人は)それを霊で感じとって

「イエス様。力を出して下さい。私はやっと分かりました。
イエス様は全人類の罪のために大きな働きをしているのですね。
イエス様の死は、いのちを与えるための偉大な愛です。

私がこのことを皆に知らせます。そして、主が選んだ民たちを集めます。
そして主の愛を決して忘れません。」


イエス様は、その人を見て 自分の心を知っている人がいることで、うなずき 微笑んでくださいました。






蘇ったイエス様がペテロに3度も「あなたはわたしを愛しますか?」と聞きました。
イエス様を愛さない者たちが イエス様を苦しめました。

裏切り殺しました。


イエス様は私たちが主を愛することを求めています。

イエス様は 私たちを愛してご自身の命まで捧げたのに、私たちが愛さないなら それはイエス様の心を苦しめることになります。


【Ⅰコリント13章4-7節】

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。

礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、

不正を喜ばずに真理を喜びます。

すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

イエス様を苦しめず、心からこの愛を持って 愛する者になりましょう。

今まで与えた苦しみだけでも、あまりにも大きいですから。 (TДT)

2014.4.6
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜ *・゜゚・*:.。..。.:*・゜

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス 牧師のブログ

アメリカ神学校で 神様の訓練がスタートしたヒョノちゃんのブログです。
ヒョノ のブログ

毎週日曜日の八戸ノ里キリスト教会のご馳走です!
主の食卓のブログ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝 ❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■