テーマは『 私たちの罪と神様の恵み 』です

【ミカ書7章18-20節】

あなたのような神が、ほかにあるでしょうか。あなたは、咎を赦し、ご自分のものである残りの者のために、そむきの罪を見過ごされ、 怒りをいつまでも持ち続けず、いつくしみを喜ばれるからです。

もう一度、私たちをあわれみ、私たちの咎を踏みつけて、 すべての罪を海の深みに投げ入れてください。

昔、私たちの先祖に誓われたように、真実をヤコブに、いつくしみをアブラハムに与えてください。

ミカは預言者です。神様は彼の口を通して、罪深いイスラエルに対して裁きの言葉を語りました。

憐み深く、恵み豊かな神様ではありますが、選ばれた民たちが神様の恵みに感謝もせず、仕えることもしないで神様を悲しませました。

聖書には、「憐れむのに飽いた」という言葉があります。神様が何度も憐れんでも、民たちが罪の中に留まり立ち返らないのです。

聖書に出てくる「罪」とは何でしょうか?
全ての人間は罪を犯していますが、人間は神によって造られた被造物であります。
ですから、造られたものは 当然のように神様のみこころに従って歩まなければならないです。
これが救われた人間の義務でもあります。

しかし人間が みこころに従わず、自分勝手に行動をすることが罪なのです。


【ローマ6章23節】

罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

人間はなぜ死ぬのでしょうか。

ただ身体が弱ったから死ぬのではなく、主が語った言葉通りに罪から来る報酬を自ら受け取るので死ななければならないです。

罪は人間から出たものです。自らが罪の種を蒔き、さらに罪を犯して大きくしていきます。
神様は罪がない方であり、神様から出てくるのは恵みであります。
罪を犯している人間に対し 神様は律法通りに裁くならば、その都度 殺さなければならないです。
そうすると地上に人間は存在しなくなります。

しかし、罪を犯しても神様は何度も赦して、私たちを生かしてくださいました。


神様の恵みから離れると(その人から)何が起こるでしょうか――。
自らが罪を犯すと、消えていくものがあります。それは恵みです。

神様の恵みは、みことばや聖霊様から来るものが一滴一滴 自分の中に貯まり、それを飲んで癒されていくのです。

罪を犯すと、一滴一滴の中に毒が撒かれるのと同じであります。つまり飲めない水になるのです。
そうすると汚れてしまい喜びや平安が消えます。
外見では、笑ったり 信仰も形式的に守っていくのですが、その人の深い部分には喜びがないです。
霊が枯れて飲む水がなくなるので その人は死にます。

完全に器を変える為には悔い改めて、神様に洗ってもらわないと心の泉が綺麗にならないです。
神様に立ち返る方法しかないです。
足を洗い、心を洗って帰ってきたら 神様はその人に希望を与えてくださいます。

不従順・不信仰は、神様に敵対することであります。それによって得るものは無いです。

人間が罪を犯すと、罪の奴隷になります。


【箴言5章22節】

悪者は自分の咎に捕らえられ、自分の罪のなわにつながれる。

これは奴隷の姿であります。
罪を断ち切らないと、繋がれているので離れられなく 罪から解放されることがないです。
初めは小さな誘惑から始まりますが、そこから立ち上がらないのでサタンは足かせをかけておくのです。

サタンの手から逃れるために 必死に もがいて神様を求めるならば、その罪を赦してくださいますが、
ある部分ではその人は その罪を楽しんでいるのです。
自分の肉の欲の方が強いので「私はしばらくここで楽しみたい」とサタンに繋がれているにも関わらず気にしないのです。

神様から「立ち返りなさい。」と言われた時には、“その時 ” が立ち返る時であります。


それが神様の愛と憐みであり、恵みであります。
神様はたくさんの厳しい叱責の言葉を語ります。これは「愛」なのです。愛がなければ言わないです。

なぜなら、そのままだと滅びに至るからです。
それなのに、「イヤだ。良い言葉が欲しい。厳しい言葉は聞きたくない。神様は私のことを憎んでいる。」
これは、目がくらんでいる姿です。罪によって目がくらむと悟りがないのです。自分の足の下には地獄が待っているのに気付いていないです。

周りの人たちは、それに気付いているので 離れるように言いますが、その人は罪によって、みことばに覆いが被されているので暗闇に陥っていきます。

しかし、神様は私たちが罪深い者であることを知っているのです。そして神様の恵みの手が働きます。

今、自分の目が開かれていると思っている人たちは考えなければならないです。本当に自分は目が見えているのでしょうか?

私たちは神様の恵みがないと、生きる道がなく希望がないです。


【Ⅱペテロ3章9節】

主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。 かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを 望んでおられるのです。

すべての人が罪を犯したので、神様からの栄誉を受けることが出来なく、それによって神様は裁きを遅らせているのです。

それは神様の深い愛であり 憐れみであります。「帰ってきなさい。」と恵みのところに来ることを望んでおられます。
このように優しく語ってくださる神様がどこにいるでしょうか?―― この世に神と呼ばれるものはたくさんあっても、
憐み深く、赦してくださる神様はいないです。

他の宗教では、罪の話は全くしないです。彼らがしない理由は そこに救いがないので 初めから触れないのです。
そして良いことをしなさいと言いますが、一度汚れてしまった者に良い服を着せたとしても中身が汚れていますので 絶対に聖い者にはならないです。


しかし 主は汚れた罪を始末する恵みを持っておられます。
私たちは罪や咎ばかりですが、主の恵みで そこから救い出してくださいました。

この素晴らしい神様を悲しませてはいけないです。

自分が今どのような姿なのかを見て、まず自分が先に立ち返ることです。
祈りでも、自分が欲しいものを求めて祈るのではなく、祈りをしてから 神様に耳を傾けることであります。

私たちは神の声を聞くために祈るのです。

立ち返ることは祝福です。主の言葉を信じるのが祝福であり信仰であります。

他人が自分に対して罪を犯した時も、私たちは愛のある者、憐み深い者、許す者にならないといけないです。
他人を裁くと、神様から「あなたはどうなのか?あなたの心のほうが、よっぽど汚れている。しかし わたしがあなたを赦しているのだ。」という声を聞かなければならないです。

私たちを愛し、赦してくださった神様に対して 私たちは本当に感謝をして、私たちも神様を愛し、神様の傍から絶対に離れないようにしましょう。

忍耐をしながら ますます神様に頼っていくならば、神様から来るものは、恵みの上にさらに恵みであります。
命の水が枯れることはないです。 (^∀^)

2013.12.15
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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