テーマは『 救いの条件 』です

【マルコの福音書1章15節】

イエス様が語った言葉です。
イエス様を信じていない人が聞いたら、どういう意味かわからないと思います。
しかし、クリスチャンは教会で「救い」という言葉をよく聞くと思います。

「あなたは本当に救われましたか?」と質問をすると、
「はい、救われました。」や、「よくわかりません。」と答えます。

また、「天国へ行けますか?」と質問をすると、
「必ず行きます。」と言う人もいれば、「死んでみないとわかりません。」と言う人もいます。
そして「私、天国へ行けないかもしれません。」という人もいます。

これは問題であります。救いの意味がまだわかっていないのです。
どうやって救いを受けるのか 意味をわかっていないので、
自分が本当に救われているのか、救われていないのかが曖昧なのです。




< 救いを受ける条件 ①>

悔い改め

まず「罪を悔い改めなさい」ということです。

【マルコの福音書1章4節】

この時点では、まだ「信じなさい」という言葉は出ていないです。

現在の教会では信仰のことばかり伝えますが、それだと「半分だけの福音」になります。
ですので、多くの人がそこで間違えています。
イエス様は信仰だけで救われるとは一度も語ったことはないです。
私たちは「悔い改め」と「信仰」によって救われるのです。


【使徒の働き2章37-38節】

【使徒の働き20章21節】

「私は生まれながらに罪人だ。」と自分の罪に気付くことです。
自分には救いが必要だという認識がないと、イエス様の十字架が見えてこないです。

自分に罪の認識が来ると、「あの十字架は、私のための十字架である」と
十字架の意味がわかってきます。

「(罪人の)私はどうしたら良いですか?」という思いが来て、
それに対して主が「わたしを信じなさい。」というのです。
これは、イエス・キリストに対する「信仰」であります。

この2つ(悔い改めと信仰)が救いを受ける条件であります。

悔い改めの意味は、口先ではないです。次の箇所です。


【マタイの福音書3章7-10節】

ユダヤ人たちは天国へ行ける自信がありました。なぜならアブラハムの子孫だからです。
ですが、バプテスマのヨハネがそのことを指摘し「それはあなたの錯覚である。」と語りました。

自分の罪を知り、本当に悔い改めない限り、アブラハムの子孫であっても天国には入れないと
いうことです。これは現在のクリスチャンに語る言葉であります。
悔い改めに相応しい実を結ばないならば、実が成らなく 葉ばかりです。

みことばを聞くだけで、恵みを受けるだけでは、どうにもならないことであります。
「○○教会に所属していました。」と、いくらイエス様に伝えても、
神様が「全然、悔い改めていないではないか。あなたは罪の中にいるのではないか。
だから切り落とすのだ。」と語ります。


【マタイの福音書11章20-24節】

毎日、奇跡を見ながらもイエス様が望んでおられる 悔い改めにふさわしい実が
見えないです。その姿で天国に入れると思っているのかと、イエス様がはっきりとおっしゃいました。

本気で悔い改めをしなく、教会を行ったり来たりしているから大丈夫だというのは、
イエス様は「目を覚ましなさい。それでは(天国には)行けないんだ。」とおっしゃいます。

ですから、自分自身が「私は罪人だ。」という認識がないならば、まだ救われていないのです。
自分の姿をみことばで照らしてみてください。

主の前で、自分が罪人であることを告白し、罪を赦してもらえるように祈らなければならないです。


人々に福音を伝える時も、必ず悔い改めのメッセージを伝えなければいけないです。

「イエス様を信じたら天国へ行きます。」というのは、悔い改めの部分を完全に無視しています。
相手の機嫌が悪くなったらどうしようと思っているので言わないのです。
日本の教会では悔い改めの言葉をあまり言わないです。罪人という言葉も言わないです。

なぜ言わないのかというと、人々が聞きたがらないからです。
神様が伝えたいメッセージではなく、人々が聞きたいメッセージを伝えるのです。
ですから「愛・祝福がありますように。」以外には言わないのです。
そのような教会にはたくさんの人が集まります。牧師がまるでコメディアンです。
初めから終わりまで冗談を言うので信徒たちは笑っています。
しかし福音は語らないです。


【ルカの福音書5章31-32節】

悔い改めをすることは、認識をすることです。
誰が死から救い出すことができるのか? それにはイエス様が必要です。




< 救いを受ける条件 ②>

信仰とは?

律法の行いだけでは救われないということを教えるために、信仰という言葉が出ました。


【ローマ3章27-28節】

律法の権威の下にいるので、私たちは呪いから逃げることができないです。
罪からくる報酬は死なので、誰も死から逃げることができないのです。
ですから、すべてのものが「死」に閉じ込められています。
自分でどんなに努力し 聖い生活を励んでいても、結局シミ(罪)が付いているので、
罪人になり、その判決は「死」です。

神様は、救い主・キリストを送り(キリストが)救いを完成されました。
救いとは それを信じ、キリストを自分の救い主として心に受け入れることです。


【ヨハネの福音書1章12節】

尊い代価(十字架で流した血)を払って 罪の奴隷から私たちを神様の御国に入れてくださいました。
私たちを買い取ってくださった方が私たちの主人であります。王の王、主の主です。

私たちがイエス様を王様として心に招き入れて、王様に対する態度を見せないならば、
それは救われない信仰であります。

例えば、結婚のことで言うならば、
結婚する前の姿を見てください。男の人は女の人をまるで お姫様のように大切に扱います。
一番良いものを与えて(女の人を)大事にします。女の人も、自分が愛する人に対して
自分のものを惜しまずに与えます。「この人の為なら、命を捧げることもできる」と、大切にします。
そして お互いに「死ぬまで一緒にいたい。」という思いで結婚をします。

結婚してからも、その思いのままで生活をする人は本当に幸せです。

しかし、結婚した途端に男の人は妻を家政婦のように扱います。
そして家政婦ではなく奴隷と思っている人もいます。
いつも怒り 命令をして、自分に少しでも逆らうとDVです。そういうことが今は多いです。

また、妻も結婚するまでは大事にしていたのに、旦那さんに対して、外で奴隷のように働いて
お金だけ運ぶもの。まるでお金を作り出す機械のように王様としての扱いをしないです。

私たちはイエス様を心の中に受け入れてからは、どうでしょうか?
イエス様を王様のように自分が仕えているのか、それともイエス様を自分の奴隷のように命令を
しているでしょうか。


【ヨハネの黙示録3章14-20節】

ラオデキヤ教会は正統派の教会です。異端ではないです。
しかし、イエス様はどこにいるでしょうか?  20節にあるように、イエス様は外にいます。
王様の扱いではなくて、いつの間にか追い出してしまいました。
生温いということは、信仰が死んでいるのです。
イエス様が全ての主権を持っておられます。私たちはその主権のもとでひざまずかなければいけないです。


【マタイの福音書22章1-14節】

王様として主を迎えて、主の言葉通りにする人は少ないです。
天国に入る人は、全人口の3%しかいないです。
このみことば箇所を見ればわかります。王様から招待をされていましたが、無視をして来ませんでした。
そして礼服というのは、王様に対しての礼儀を表すものです。ですが自分のやり方で入ってきました。

【マタイの福音書24章45-51節】

自分は救われたと思っている人です。しかし主人を軽く見ているのです。
主人の言うとおりにしないで、自分の欲望のままに生活をしています。

【マタイの福音書25章14-30節】

主人が言われた通りに従順して従っていく人に対しては、神様はその人を認めてくださいます。
1タラントをもらった しもべは、主人のことを悪い主人だと思っていました。
ですから主人の言うことを聞かないのです。主人から言われたにも関わらず従いませんでした。

これらのみことばの箇所で、主人の言う通りにした者は天に入りましたが、
言う通りにしなかった者、自分勝手に動いた者、それは主人の顔に泥を塗った者です。
この人達はすべて暗闇に出されました。

これは私たちの裁きの時には同じことを受けるのです。その時に2つの道に分かれます。


【ルカの福音書6章46-49節】

その人の人生が、裁きの時に 虚しく崩れ去って行く姿をここで見せています。
私たちは死ぬ時に悔い改めをしたら良いと思っても、ある人は一瞬にして亡くなります。
地獄へ行っても構わないと強気で言う人もたくさんいます。

クリスチャンは騙されてはいけないです。クリスチャンは自分が罪人であることを忘れてはいけないです。
常にイエス様に対する信じる心と、信じた後でも常に足を洗わなければならないです。

罪を悔い改めて立ち返り、主のみこころ通りに聖くなることを目標にしているならば
その人たちは、救いから もれることはないです。このことを心に留めてください。 ( -д-)ノ

2013.6.23
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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