テーマは『 聖書が記録された目的に対して 』です

【ヨハネの福音書20章30-31節】、【ヨハネの福音書21章25節】

クリスチャンにとって聖書は「命の書」であります。
クリスチャン生活を送るうえで、もしも聖書が無ければどうなるでしょうか?
――それは食べ物がない状態と同じです。飢え渇き死んでいきます。

聖書があることで、自分たちの霊が守られていることを、私たちは知っています。

聖書が記録された一番の目的は、ヨハネの福音書20章31節です。

ただの「イエス」ではなく、神の子・イエスの「神の子」の部分が大切であります。
神の子を信じるということは、イエス様は神様であるということです。

イエス様を信じない人は、人間の子でしか見ていない人が多いです。
多くの異端がよくそのような話をします。

キリスト教はイエス様が教祖なのです。多くの宗教にあるような、人間の教祖です。
ですが、私たちクリスチャンは一度もイエス様のことを教祖と呼ばないです。
なぜならそれは、神の子であるからです。

聖書は、イエス様が神の子であること、そして私たちを救うために人間の姿をもってこの地上に来られ、
罪を犯した人間を救うために、その肉体を十字架にかけるために来られました。
それを聖書が私たちに一番教えています。

聖書は、自分の知識のために読む人も多いですし、疑いの心をもって読む人もいますし、
キリストが神ではないことを証明するために聖書を読む人も多いです。

しかし、クリスチャンが聖書を読む時は、神様が聖書を記録した目的通りに読まなければいけないです。
それは私たちのために来られた仲介者、神様と人間を和解させるために来られた主であるということを
私たちが信じることであります。

神様の知識・情報を「聞く」だけで終わる人が多くいます。
聞くだけで救われるわけがないです。真の神であることを信じて、初めて魂が救われます。
魂が救われることは、永遠の命を得ることであります。


【ヨハネの福音書3章16節】

聖書は人間が作り出したものではなく、聖霊によって動かされた人たちが作ったものであります。

聖書を読む時に、「 そこに神様の姿・全地を造られた主、人間を愛しておられる神様、
そして今も生きて働いておられる神様、これからの将来すべてのことを計画しておられる神様 」
それらの姿を私たちは聖書の中で見なければならないです。
ですから神様を発見することが一番なのです。


私たち個人に対して、クリスチャンはどのように聖書を読むのか?は次の箇所です。

【ローマ15章4節】

教訓を与えます。昔、信仰をもって歩んだ姿を見て、自分たちがしっかりと学ぶことであります。
周りにいるクリスチャンたちや、自分たちの前を進んでいたクリスチャンたち、
従順に歩んだ者たち、不従順に歩んだ者たち、その結果がどうなったのかを私たちが学ぶことであります。
「どうしてこの人は祝福されたのか」、「どうしてこの人は倒れてしまったのか」と、その結果には原因があります。
神様はそれを隠さずに聖書に記録しています。
それは、「あなたが読んで学んで教訓を受けなさい」ということであります。


【Ⅰコリント10章11節】

学ばないと教訓にならないです。


【Ⅱテモテ3章15-17節】

聖書を知らないと、本当の働き人にはなれないです。みことば(黙想)と祈りに専念することです。
聖書は たくさん読むよりも、短く深く読む方が良いです。
しっかりと理解をして自分に適応できるように聖書に触れることが大切であります。

たくさん読んでも1つも頭に残っていないならば、ただ舐めって終わったことになるのです。
自分が何を読んだかもわからないならば、それは間違った読み方であります。
ですから同じ箇所を繰り返して、掘っていき、「神様は私に何を要求しているのだろうか?」と
自分の姿が全然違うのなら、そこで気付いて直して立ち上がることが、本当の意味での訓練なのです。

訓練はただ聞くだけで終わるのではなくて、それによって自分を変えていくのが訓練であります。

神様はそのように訓練をして、(私たちが)良い働きのために相応しい充分に整えられた者となるためです。
私たちが聖書を読みながら、「神様、これによって私がこういう訓練をしっかり受けて、私が整えられる者に
なりますように」と祈ると良いです。


【Ⅰヨハネ2章26節】

終わりの時には、惑わしの霊がものすごく働きます。
ですので、みことばを知らない人たちは一番惑わされます。

サタンは、クリスチャンたちを信仰から落とすために、似たような言葉ですが真理ではない言葉を持ってきて
惑わします。
ですから、みことばを正しく知らないと、その人が惑わされます。

異端は信じていない人が作ったものではなく、信じて教会に通っていた者が異端を作ります。
似たような言葉ですが真理ではないことに騙されている人が、どれほどたくさんいるのかわからないです。

目を覚ますことが大切で、みことばの上にしっかりと立つことであります。
しっかりと立っているならば、サタンはその人を惑わすことができないです。

その人は、真理そのものを握っていますので偽物はすぐに分かります。

聖書は、偽物と本物を見付けるための大切な基準でもあります。
普段からしっかりと聖書を読んでください。
これから起こる終わりの時代に、騙されないために真理を知ってください。 (・◇・)ゞ

2013.5.12
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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