テーマは 『 祝福について 』 です

【ヨハネの福音書4章13-14節】

祝福は私たちの幸せになります。祝福や幸せが嫌いな人はいません。
何かを求める人は、幸せになりたいからするのです。

イエス様が1人の女性と出会いました。その女性は必死に幸せになりたいと願い求めていました。
今よりもっと幸せになりたいというのは私たちの姿であります。
その心をイエス様が知っていました。

それで、分かりやすく井戸の水に例えて、私たちにとって本当の祝福とはどういうものであるのかを教えました。

私たちは幸せを求めて、それを手に入れても、毎日、そして死ぬまでその幸せは続かないです。
手に入れたら、また渇きます。

水が欲しくて海の水を飲んだら、その時は「良かった」と思いますが、それをどんどん海水を飲むほど
さらに渇きがひどくなります。後で生きていけなくなります。

イエス様が「あなたが飲んでいるのは、渇くような水である。そしたら、わたしが与えよう。」と語りました。

あなたが欲しい祝福をわたしが与えよう。わたしが与える物をあなたが受けるならば、
決して渇くことがありません。という言葉をイエス様が使ってくださいました。

神様は祝福を与えてくださるお方です。

【創世記1章27-28節】

神様はまず人間を祝福しました。多くの人たちが世の中の現状を見て、「神は本当にいるのか?」
「(神が)いるなら、なぜこんなに生きにくい世の中なのか。」と言いますが、
それは神様のせいではないです。
神様は祝福を与えましたが、アダムとエバがその祝福の中で生活をしませんでした。
ある意味ではその祝福を拒みました。
そして悪魔サタンが提案したものを、人間はサタンの偽りの言葉を欲しがり受けました。

それでサタンが語った通りの祝福が来たでしょうか?結果は次の聖句です。

【創世記3章16-19節】

苦労が来て、人生の道がいばらの道に変わりました。そして死が来ることになりました。

それでも神様はイエス様を通して、もう1度祝福したいという心は変わりませんでした。

【マタイの福音書5章3-12節】

祝福の祈りです。主がまず与えたい祝福は、「霊的祝福」です。
それは私たちの心と魂が祝福されることであります。

いくら美味しいものを食べても心が平安でなければ幸せではないです。
良い物を着るから私たちが幸せなのではないです。それは“その時だけ”で、また渇きます。

もちろん、神様はそのような祝福も与えてくださいますが、
私たちの心がまず満たされるように祝福してくださる神様であります。

イエス様は「わたしはそれが出来るのだ。」と私たちに語っておられるのです。

その祝福を私たちはどうやって受けることができるでしょうか――?

まずは神様の言葉をそのまま信じることであります。

いくら聞いていても、そんなはずがないだろうと考えならば、それはエサウのような心であります。
一杯の食べ物のために、自分の大切なもの(長子の権利)を売り飛ばすことです。
つまり、わずかな物で価値がないものばかりに目を留めて、わずかな物で満足しようとします。
しかし、その後はまた渇きます。

イエス様は「わたしの祝福を信じて、あなたが受けたいならば(祝福を受ける)器を準備して、
神様から受けなければならない」と語ります。
器というのは、私たち自身のことであります。

祝福を受ける1番良い器はどういう器でしょうか?次の聖句です。

【詩篇1編1-3節】

これは渇くことのない祝福であります。その人たちの人生がそのように生きるならば、受けます。
悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たないことです。

祝福を受けたいならば、祝福を受けるところに自分が立っていなければならないです。
神様の前に立って「私に祝福をください。」と祈るならば、神様の言葉通りに祝福が毎日そこに落ちてきます。

自分が祝福を受けたいならば、どうしたら良いのでしょうか?

それは、「他の人を祝福しなさい」であります。

神様は私だけを祝福したいのではなくて、皆が祝福を受けてほしいから
あなたは他の人の為に祝福を祈りなさいと語ってあります。

【マタイの福音書10章12-13節】

私たちは何に対しても祝福の祈りをしなさいということです。
平安こそが幸せであります。誰に対しても幸せになるように祈り、祝福を受けるように祈ります。
するとその人自身が祈っても、答えるのは神様です。
神様から見た時に、「(祈られている)この人は、祝福を受けることに まったく準備が出来ていない」となれば、
その祝福は、祈りをした人のところに神様が持ってきます。

私たちは祈りにお金がかかることはないです。
私たちが神様の法則に従ってすること。私たちの信仰の先祖・アブラハムに語った神様の言葉、
「あなたを祝福する者をわたしが祝福し、あなたを呪う者をわたしが呪う」と使いました。

悪人であってでも、あなたが呪ってはいけないです。その呪いがあなたのところに返ってはいけないから。
という言葉があります。

【Ⅰペテロ3章9-12節】

絶対にその人を祝福したくないと思うならば、自分自身も祝福を受けることができないです。
私たちは人々を祝福していかなければならないです。

他人のためにも祝福の祈りをしますが、自分自身も神様にいつも「祝福してください」と祈ります。

【Ⅲヨハネ-2節】

これは自分のためにも祈ったら良いです。他人のためにも、自分のためにも祈る必要があります。
「どうせ私みたいな人間は祝福されるはずがない。」と自分で否定的な言葉・呪いの言葉をかける
ならば、神様が祝福したくても出来ないです。

家族のためにも、子供のためにも、小言を言う前に祝福の祈りをするべきであります。

【詩篇67編7節】

イエス様が祝福の元でありますので、私たちがくっついて祝福を受けて、人々は私たちが祝福を受ける姿を見て、
神様を恐れるようにしてください。

「私を祝福してください。」と自分を価値ある者としてください。
私たちが価値のない者になると、他人に踏まれます。

私たちは本当の意味で、神様からたくさん祝福されないといけないです。

【申命記28章1-2節】

※申命記28章3節からのみことばにある「あなた」→「私」に変えて祈ると良いです。
神様はよく願う者、祈る者に祝福を与えてくださいます。(自分自身を)絶対に呪わないでください。

私たちは、良い実が出てくるものを蒔きながら「祝福してください」と祈ります。

イサクが種を蒔いて100倍の祝福を得ました。その祝福を私たちにも与えてくださいます。

神様は無限の祝福を持っておられますので、私たちが求めたら与えることが出来るお方であります。

成功するのが祝福ではないです。
価値ある者になるのが本物の祝福を受けた人であります。
 (・∀・)つ

2013.2.24
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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