テーマは 『 伝道するために 』 です

【ルカの福音書15章3-10節】

魂を救う為に、伝道しなければならないということは知っていますが、
「どうやったら伝道できるのか?」と悩んでいる人が結構多いです。

神様が一番喜ぶことは、罪人が悔い改めて、主に立ち返ることです。

天国に喜びを与えるために私たちが人を導くのではないです。
救われた人たちは、まず救いがどういうものであるのかを理解しなければならないです。

【Ⅰペテロ2章9ー10節】

救いを受ける前と、救いを受けた後は、状態が変わったことをこの箇所で主が教えてくださいました。
救いを受けた人たちは、今度はそれを伝えなければならないです。
その使命を神様が私たちに与えてあります。
私たちは(世の人たちと)区別されていますが、私たちも以前はそこにいた者で、神様から救い出されました。
ですから今度は私たちが行って、その人たちをそこから救い出しなさいというのが神様が私たちにさせることです。

伝道をする時に、いくつかの方法があります。“語るべき言葉”です。


① 「あなたは誰ですか?」

この質問をするなら、びっくりすると思います。それで相手の人は名前を言うかも知れませんし、
自分が所属している名称を言うかも知れません。

ですが、本当の意味で あなたという存在は、何ですか?と聞くことであります。
質問を受けた人々は答えられないと思います。
自分という本質は何であるのか――?わからないと思います。
ですから、神様を求めないのです。救いが何であるのかがわからないのです。

聖書には、全ての人間はこういう者であると教えてあります。

【ローマ3章23節】

神様から見る私たちの姿は「罪人」であります。これは全ての人間に共通した部分です。
これを伝えなければいけないです。

「私が何の罪を犯したんですか?」と腹を立てるかも知れません。
その時に「神様があなたを罪人だと言っている姿はこの姿です。」と教える部分は、
人間だけは神様の姿に似せて造られたものですが、それは神様の栄光を現す為に造られた目的があります。

しかし、人間が神様の初めの言葉を無視して逆らいました。それが罪の始まりでした。
神様が人間を造った(本来の)目的通りではないです。

ですから神様の栄光を受けるに相応しくなく、栄光を現す事もできないのであります。
その姿が、神様の目から見たら罪人なのです。

すべての人間は汚れているので、罪とは言わないで「似た者同士でしょう~」と、
お互いの汚い部分は見ようともしません。

しかし、聖い神様の目から人間を見ると、誰もが罪人です。それを神様が教えてあります。

それでも「私は罪人ではない」と語るならば、その人たちの罪を見せることです。それが次の箇所です。

【ローマ1章19-32節】

この箇所に1つも当てはまらないという人はいないです。これらは罪の姿であります。
私たちはこういう罪を人々に見せなければならないです。


② 「あなたはどこに向かっていくんですか?」

私たちの人生はどこかに向かって歩いています。立ち止まった人はいないです。
永遠にこの世で生きる人はいないです。
どこかに行くのです。

それを相手に聞きます。
人によって「知りません。」、「天国に行きます。」、「死んだら【無】でしょう?」等と答えるでしょう。
しかし、それが真理でしょうか?
神様から出た真理の言葉はそうではないです。

【ヘブル9章27節】

どこに向かっていくのですか? ――神様の裁きの座に私たちは死んでから、まず向かっていきます。
そこに誰もが立たなければならないです。

「私は【無】になった方が良いです。」と言っても誰も逃げることができないです。
なぜなら、世界を造ったのは神様であり、法則を造ったのも神様であるからです。

自分は願っていても、これだけは避けることができないです。

【ヨハネの黙示録20章11-15節】 、 【ヨハネの黙示録21章7-8節】

いのちの書に書かれている人は、勝利者として神様の御国に入ります。
もう1つは、その人達の不信仰によって、数々の罪によって火と硫黄の燃える池の中に永遠に閉じ込められます。

ですから、「どちらに行きますか?」ということであります。あなたは、どちらに行きたいですか?
これは2つに1つで、その中間はないです。

もし「救いの道に行きたいです」と言うならば、そのまま(救いの道に)行くのではないです。
“みことばを通して神様は「そこに行きたいならば、こうしなさい。」と、あなたに対する解決策を
神様が持っていらっしゃいます。”と、次の箇所を伝えます。

【エペソ2章8-9節】

信仰というものは、神様の言葉を聞く事であります。
福音は悔い改めなしには無理なのです。私たちの信仰には悔い改めが必要であります。

救いは悔い改めなしには、救いはないです。悔い改める時にイエス様の血潮が注がれるのです。

現代の福音は間違ったものが多いです。教会でも悔い改める事を語らず恵みだけを伝えることは、
それによって魂は救われません。

信仰を見せるということは、罪を認めて立ち返ることであります。
罪人であると自分を認めることです。「私には救いが必要です。私を救ってくださるのは神様しかいません。」と
それが信仰であります。

【ヨハネの福音書3章14-16節】

【民数記21章4-9節】

自分の罪によって死んでいく者であっても、イエス様の言葉を信じて十字架を見上げるならば、
その人は生きます。
しかし、不信仰なまま神様の言葉を耳に入れないならば、その人はそのまま死にます。
ですから同じように蛇にかまれた者であっても、1人は生き、1人は死にます。
その違いは神様の言葉を信じたか、信じなかったか、です。

行いを良くするからと言って、罪が消されることはないです。
自分の汚れは、それを洗い落とさない限り汚れが付いたままです。
イエス様の血潮でないと、その汚れは絶対に無くならないです。

それが神様が用いた方法・解決策であります。

私たちは十字架がこういうものであるのだということを“民数記とヨハネの福音書”の聖書箇所で
知ることができます。
私たちは愛だけを伝えるのですが、それだけを伝えると十字架が見えてこないです。
罪人のためにイエス様が十字架に架かって死んでくださいました。


③ 「あなたはどうしますか?」

決断は私たちがするのではなくて、
みことばを聞いた人たち、解決策を聞いた人たちが選ばなければならないです。

あなたがそれを信じて、決断をするならば、こうなりますと次の箇所があります。

【ヨハネの福音書1章12節】 、 【ヨハネの福音書5章24-25】

神様はどんな時でも私たちがみことばを聞いて、信じて救われる事を望んでおられます。

救いは軽いものではなくて、本当に永遠の命を得るか、永遠の死を受けるか、一番大きい問題であります。

ある人たちは、平気に「地獄が良い」という人がいます。
それは地獄を見ていないから言えるのです。

この地上でも地震が起きたり、テロが起きている悲惨な場面を見ているだけでも、ゾッとします。
恐怖や不安でいっぱいになります。

だけど、それは地獄に比べたらある意味では大したことではないです。なぜならそこから逃れる道があるからです。

しかし、地獄というところは、どんなに逃げたくても逃げられなく、終わって欲しいと願っても終わらない世界です。
どうやって人間を常に苦しめようかと楽しんでいるサタンが取り囲んでいます。
燃える火に投げ込まれても、一度入れられたらどうにもならないです。

「天国はつまらなさそう」という人もいます。その人がそういう世界があることを信じないから言うのですが、
「本当に 本当に、そのような世界があったらあなたはどうするのか?」と
「死んでしまったらもう遅いよ!」と私たちはその人たちを責めなければならないです。
「それでも良いのか!?」と私たちは語るべきであります。

私たちは神様の素晴らしさを伝える使命があります。しかし、(私たちに)みことばが何もないのなら、
人々にただ「信じなさい」と言っても、その人達は何を信じたら良いのかわからないです。

なぜ信じなければならないのか、その意味もわからないのです。
ですから私たちは、みことばには力があるので順序正しく、「あなたはこういう者です。」
「あなたはどこに向かっていくんですか?」とそれを教えることであり、
そして「救いはこういうものであります」と自分の努力や行いでは救われなく、
どんなに拝んでも、良い働きをしても、それでは救われません、と

それを教えることであり、救われたらこういう素晴らしい状態になりますと私たちは伝えることであります。

始まりがあり、終わりがあります。中途半端に教えるのではわからないです。
罪人であることを教えない限り、悔い改めることはしないでしょう。
悔い改めなしに主に立ち返ることもないです。救われることもないです。

罪がないと十字架がいらないです。十字架が意味のないものになってしまいます。
ですから、十字架は何のためにあるのか・・・。
    → 「罪人である あなたのためにあります」。

神様はあなたが滅びに行くことを願わないです。1人も滅びに行くことを願わないです。
それで神様がそうしました、と。そして福音を伝えることであります。

これが伝道するということです。
私たちが正しいものを伝えない限り、正しい道に導くことはできないです。
今回のみことばは紙に書いてカバンの中に入れておいてください。

こういう伝道方法を用いて、魂を導いてください。 (・◇・)ゞ

2013.2.17
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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