テーマは『 働く態度と実 』です。

【ローマ12章10-11節】

私たちは1年間、どのような気持ちで働いてきたでしょうか?どのような実を結んだでしょうか?
年末になると感謝はもちろんですが、反省もしなければならないです。

神様が喜ぶ態度で自分は働いてきたのか、考えなければならないです。

労働は人間としてすべきことです。
私たちはそれにプラスして、神様に仕える働きもあります。これはクリスチャンにとって大切なことです。

神様は「主のために○○をしなさい」と、私たちに与えておられます。
教会に来て何もしていないという人は1人もいないと思います。

働きの中でも、神様はその人の心を見ておられます。その人がどんな態度で仕事をしているのか ――です。
心の態度がとても大切で、それができていないと一生懸命働いたとしても、神様はある者は退け、
ある者はやっていても何も報いがない。ある者はやっていても何も実が結びません。

働く態度の姿は3つあります。

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①感動の心で使命感を持って働く姿

神様から受けた恵みに常に感動して、「どうやったら私が主を喜ばせることができるか。」
「神様は私の為にイエス様を送ってくださったので、私は何をもって神様に仕えることができるでしょうか。」
「主よ、私は何をしたら良いでしょうか。」
仕事をする前に神様の感動があります。

こういう者に対して、神様は喜んで働きを与えてくださいます。
それが、その人にとって使命なのです。「神様、与えてくださり感謝します。」

パウロは神様に出会った時から、死ぬ時まで感動の心で自分の使命を果たしました。
これは、神様が一番喜ぶ姿であります。

感動が消えると、それは「形式」になります。神様はこの形式的なのを嫌います。

パリサイ人は言葉や知識をよく知っていますので、その点では神様は彼らをけなすことはないです。

語る言葉は神様のことなので間違いはないのですが、彼らの心は恵みに対する感動がないです。
ですので、結局自分のための働きになります。

神様が喜ぶか 喜ばないか、それを考えながら聖書を読まなければならないです。
霊に燃えるということは、使命に燃えることであります。知識ではないです。
このような人たちがたくさんの実を結びます。そのような態度でしますので、実が落ちることがないです。

いつも同じ心で取り組むので、どんどん大きい木になって、そこにたくさんの実が結ばれ、
神様はそれをすごく喜びます。


②義務感で働く人の姿

私たちは義務感を持つ必要がありますが、それだけで働く人たちがいます。
その人たちはしたくないのに、「しなければならない」という思いでしています。
義務感で働くと、働きはきちんと出来ています。
しかし、働いている人の心には喜びがないです。

普段 喜んで働いていても、時々身体が疲れたり、心が落ち込んだりする時は「したくないな」という
気持ちになるのは当然出てきますが、
義務感で働く人たちは常に「したくないな」という思いを持ちながら、「自分に与えられたことだから、仕方がないな。」と働きをします。

義務感で働く人は、働きをしていますが神様に喜ばれない姿であります。
その働きが終わったら、サッと消えます。そして、それ以上のことはする気がないです。

神様の前で、義務感を持って働く人が意外と多いです。

例えば、したくないこともあると思います。「これは私の仕事でしょうか?」ということがあるかも知れませんが、
神様は私たちの中にある「別のもの」を見ておられます。別の可能性を見て、神様はそれを花咲かせる為に、
私にやらせるんだ、と。  人間にはたくさんの才能があります。
ですが、私たちは自分がしたいことをするので、自分に見えていない可能性は埋もれてしまいます。

光に当たることもなく、一度も芽を出すこともなく、消え去って行きます。

神様の素晴らしいところは、私たちの中にあるものを、引き出すのがとても上手いのです。

「出来ないです」と逃げることを考えるのではなく、
「神様、これが与えられました。どうか出来る力をください。出来るように守ってください。
出来るように神様が恵みをください。知恵をください。」
このように祈った時から、出来ないと思っていたことが光に当たっていきます。
自分でも知らなかった部分が、どんどん凄いものになっていきます。

神様によって1つのチャンスが与えられる事、それに出会うことは、私たちにとって恵みであります。
初めは義務感でしていたことも、それをずっと続けていることで義務感でなくなります。

神様から与えられたことは、義務でするのではなく、どうせやるならば主に喜ばれる実をしっかりと
結ぶものにして、神様に「私はこれを通して栄光を捧げました。」というものを持ったら良いです。

多くの場合は、「そんなことできません」という義務感から始まると思いますが、
「私のような者に与えてくだっさって感謝します。」という思いですると、たくさんの恵みを受けると思います。
主の働きは全て良いものであります。


③イヤイヤしながらする姿

逃げたいのに逃げられないという思いで、義務感もありません。

いつも逃げることを考えて、そして突然やめてしまいます。
その人たちからは1つも実を結ぶことがありません。「これ以上無理!」と投げ出し、
神様のことを全然考えないで自分がしたいようにするのは、ある意味役に立たない姿であります。

このような人たちはいつも不平不満が出てきます。牧師や周りの人たちにも不平不満を言います。
それは神様の恵みに気付いていない姿であります。

神様はいつも私たちの心をやわらかくしなさいとおっしゃいます。
そして、日々新しい恵みを備えてありますので、常に新しい革袋を用意しなさいと語ります。

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まず私たちが愛の心から出発していることで、
神様に喜ばれる態度で、良い実を結ぶためには「兄弟愛」が必要です。

兄弟愛があるので互いに仕えあうことができるのです。愛があると心に感動が出てきます。
愛と義務は全く違うものです。義務には愛がないです。
愛があると、「しなさい」と言われなくても、「仕えたい」、「ある人を喜ばせたい」と、その思いが出てきます。

愛がないと相手をけなして、相手を踏みつけます。

「愛してる」と言いながら相手を踏みつけたり、暴言を吐いたりするなら、それは愛ではなく執着心であります。
愛は、相手を大切にして、相手を自分よりも勝っていると思う心であります。そして、そういう人たちは
一生懸命、喜んで働きをします。神様はその人の上に祝福を与えてくださいます。

この1年の自分の姿がわかると思います。本音は自分の心の中にあります。
もし自分の心がどこかに当てはまるならば、それを改善すべきであります。
同じ心で来年も仕えていても、実が結ばれることはないので、確実に実が結ばれるように働くと、
神様には「栄光」、自分には「祝福」。
その人たちにはますます素晴らしい実を結ぶ人生になります。  v( ̄∇ ̄)v

2012.12.30
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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