テーマは『 実に対する教訓 』です

【マタイ7章17-18節】

聖書には信仰の奥義が教えてあります。それを通して私たちが何を学ぶのかが大切であります。
今は10月なので収穫の時期です。特に果物を育てている人たちは猫の手を借りたい程、とても忙しい時です。
汗をかきながら収穫しますが、すごく大変だと思います。
夏の時期に汗を流して、苦労しながら育てた果物の木からたくさんの実をとる時に農夫たちはたくさんの
祝福を受けます。

私たちが実を結ぶまでの過程は色々と苦労があります。
忍耐しながら良い実を結んで行く人たちは満ち足りた人生を歩みます。

実に対する教訓の中で一番に見たいものがあります。実を通してその人を知ることができます。
誰かのことを知りたいならば、その人がどんな実を結んであるのか、それを見ればわかると思います。

― 唇(言葉) ――――――――――――――――――

【マタイ7章16節】

心の中に色んな思いが詰まってくると、それが下に流れるだけではないです。
詰まった思いは、口を通して言葉になって外に現れてきます。
悪い思いがいっぱい詰まった人たちは、良い言葉が語れないです。
もし良い言葉を語ったとしても、それは嘘であります。
嘘はしばらく経つと見抜けることができます。反射的に、とっさに出てくる言葉があります。
それを見ると、この人はこういう考えなんだということが言葉を通して知ることができます。

人間の言葉は軽く考えてはいけないです。その言葉で自分の運命が変わることもたくさんあります。

【箴言12章14節】

良い言葉や正しい言葉を使うと その人に良い実がなります。
普段使っている言葉で自分が他人にどう見られているのか、
外見は気にして飾ることができても言葉に対しては私たちは気を付けないです。

悪い心からは、悪い言葉が出てきます。
神様は使う言葉に対して無関心ではないです。使う言葉によって必ず裁きがあります。
それは「唇と行動の実」で、これらは神様が全て記録しています。

外では言葉を気を付けることができても、家族の間で使っている言葉でその人の人格が丸出しにされます。
自分が使っている言葉は必ず自分に振りかかってくることであります。

クリスチャンは聖徒にふさわしい言葉を使いなさいと神様が語ってあります。

【へブル書13章15節】

一日中、賛美を歌うことではないです。神様に感謝を捧げ、神様のことを褒め称える言葉がたくさんあります。
希望があり、恵みの言葉は聖徒たちにふさわしい言葉です。
自分が使う言葉に徹底する必要があります。

言葉は自分の耳より他人の耳に先に入っていきます。
私たちは他人に向けて言葉を語りますのでもし自分で言った言葉を忘れてしまったとしても、
相手は覚えています。

― 行動の実 ―――――――――――――――――――

言葉は嘘を付くことが出来ますが、行動は自制することが出来ないです。
自然とその人の思いのままに行動へ移っていきます。
表情を見てもすぐにわかります。
その人に信仰があるか、ないかも行動を見てわかります。

神様に対してどんなに犠牲を払っても一生懸命する人に対し、神様は恵みを与えないはずがないです。
妨害や問題があった時に、どうやってそれを乗り越えて行くのかを考え、
そして乗り越えた時に信仰が成長します。乗り越えるとさらに良い事があるので、それには価値があります。

私たちが一歩退くならば、持っている恵みまでも取られてしまいます。
常に乗り越えることを考えます。考えていくと解決するあらゆる方法が出てきます。

信仰の実は神様を喜ばせます。

【コロサイ1章10節】

信仰とは、神様を信じ、イエス様を信じ、そして主の心に適った歩みをするのが信仰生活であります。
教会に来ることが信仰生活ではないです。
どこへ行っても神様を信じて主に適った歩みをする。これが生きている歩みであります。
そうすると、その人達はどんどん成長していきます。
成長していく者は必ず実が結ばれていきます。

自分の人生を通して、正しい信仰と態度をもって生きる人、
神様のみこころに一致するように努力しながら生きている人たちは、ぶどうの木についた枝のように
神様から恵みを受け、命を受け、そしてどんどん実を結んでいきます。

人間が造られた目的は、神様に栄光を捧げるために造られました。
ですから、私たちは神様の心を満足させなければならないです。

栄光を捧げる者として期待をしたのに、その者が反対に恥をかかせる。
その者が何一つ実を結ばない。これほど神様にとって悲しいことはないです。
小さい事でも繰り返しやっていくならば、実を結んでいきます。

――――信仰の実を結ぶために聖書箇所を伝えていきます――――― 

普段、このような生活をずっとしていくならば、どんどんイエス様の姿に似ていきます。

【ピリピ2章15節】、【Ⅱコリント1章12節】、【Ⅱペテロ2章9節】、【Ⅰテサロニケ4章9節】、【Ⅰペテロ5章5節】、
【マタイ5章8節】、【ローマ16章19節】、【へブル12章14節】、【テトス2章14節】、【ヤコブ5章7-8節】、
【へブル13章2節】、【へブル13章5節】、【Ⅰコリント15章58節】、【申命記6章5節】

これを全て紙に書いて貼ってください。常にカバンに入れて持ち歩いてください。
何も考えずに今まで通りに生きるのではなく、常にみことばを読みながら、
一歩ずつでも「今日はこれをやってみよう」と行動すると、皆さん自身の内側から変わっていきます。

― 世の実 ――――――――――――――――――――

「死」を結びます。

【ローマ6章21節】

世の中の全てではないです。信仰の実に対して、正面から対立するもの。
汚れているもの、つまずかせるもの、否定的なもの、偽りのもの。こういう物を「世の実」と言います。

(世の実は)持っていても自分にとって何一つ良いものをもたらさないです。

クリスチャンがどういう生活をしたら「世の実」を結ぶでしょうか。
イエス様が例えをされた「道ばたの心」は、クリスチャンの姿であります。

【マタイ13章19節】

悟りがない。(心が固く閉ざされたことであります。)みこころを受け入れない心であります。
どんなに神様の言葉を聞いても、1つも悟りません。
(心に)蒔かれるのは、悟った言葉だけが蒔かれるのです。

世の実を結ぶ前兆があります。
それは心の中に多くの思い煩いがある人は、どんどん心の中に神様のものではないものが入ってきて、
心を頑なにしていきます。
世に対する思い煩いであります。(明日に対する、お金に対する、健康に対する、人間に対する思い煩い)
こういうものがたくさんあると、みことばが蒔かれなくなります。

【ルカ21章34節】

聖霊充満では沈み込むことはないです。聖霊充満は鷲のように上に昇る力があります。
しかし地面に吸い込まれるように、心の中が沈み込んでいる時に聖霊充満の実が結ばれることは不可能です。

【ルカ14章18-20節】

福音に逆らって生きる姿であります。
世のことに関心があって世に縛られている人たちは、結局は世の実を結んでいきます。
自分が今していること、それによって自分が後で蒔いたものを刈り取っていきます。
このようなクリスチャンは不信仰な人になり、死の実を結んでいきます。

生きている時はチャンスがあります。悔い改めもできます。
生きているということは常に希望があるということであります。

【マタイ21章43節】

異邦人でも神の国の実を結ぶ者たち。神の国はその人たちに与えられます。 .゚+.(・∀・)゚+.゚

2012.10.7
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■