テーマは『 神様の恵みの雨を求めよ 』です。

【ゼカリヤ書10章1節】

わかりやすいように書くならば、次のようになります。
「春には主に雨を降らせてくださいと求めなさい。主はいなびかりを作り、夕立を降らせ、
すべての人々に畑の野菜を与える方である。」

パレスチナ地方では10月中旬~11月に種を蒔き、その時に降る雨は「先の雨」と言い、
3月~4月は穀物が実を結ぶ時期で、良い実を結ぶには「後の雨」が必要であります。
イスラエルの民達は「先の雨」と「後の雨」が、その時期に適切に降るので
神様の特別な恵みであると考えています。

畑にはどんな物を育てるにしても、必ず適切な時期に適切な量の雨が降らなければ、
それは全てダメになります。

【申命記11章13-17節】

天を開くとは・・・私たちに「恵みを与える」
天が閉ざされるとは・・・私たちの「恵みが無くなる」 ということであります。

神様を信じる、信じないに関わらず、人は神様の恵みによって生きているのです。

神様との関係が悪い人には、神様の特別な恵みは流されないです。
「恵みが無いなぁ」と思う時は、神様のせいではないです。
自分自身を調べなければならないです。

【エレミヤ書5章23-25節】

原因は私たちの方にあるということであります。

【ヤコブ5章7節】

信徒にとって「先の雨」と「後の雨」は何でしょうか?
先の雨・・・救われた時に、神様から受けた恵みです。(命の種)
後の雨・・・成長していく為の恵みです。

私たちは「後の雨」に対する期待(願い)が乏しいです。
先の雨を受けてそれで満足して、あとは自分の方法や思いで生きようとしています。
それで自分は信仰生活をしていると勘違いをしています。

【マタイ5章45節】

自分の力に頼って生きることほど、愚かなことはありません。
自分たちが健康で生きている時は何も思わなかったことも、
身体の1箇所でも不調になると身動きがとれなくなります。
このことで「自分の力では生きていないんだ」ということがわかります。

神様の恵みによって私たちが日々生きていることを自覚しなければならないです。
祈るということは、神様から恵みが流れてくるということを認める行為であり、
自分は神様に頼らないと生きていけない存在だということが祈りであります。

祈りをするということは、準備をするということであります。
≪恵みをもらえる相応しい心の状態にしておきなさい。≫
「神様の時に恵みの雨を降らせてください。」

私たちは神様に恵みを求めるだけで、自分の信仰生活をないがしろにする場合が多いです。
恵みを受ける準備が出来ている人に神様は恵みを与えてくださいます。
そして、それは一番良い時に与えてくださる神様であります。

【レビ記26章4節】

【詩篇68編9節】

【ヨエル書2章23-24節】

◎今週実行することは、「恵みの雨を求めよ」です。
自分の力に頼らないで、毎朝 神様にその日その日に必要な恵みを祈ってください。
どこへ行くにしても、相手の不注意で自分も事故にまき込まれる事もあります。
昨日、健康だったから今日も健康ということでもありません。
「身体を守ってください。」など具体的に祈ってください。人間関係・家庭・職場・学校etcです。 (・◇・)ゞ

2012.6.3
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

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