テーマは『 神様と人間の関係の為に来られたイエス様 』です。
【使徒の働き20章35節】
私たちは与えるより、受ける方が良いと思いますが、イエス様は逆のことを言われています。
そしてイエス様はそれを実行されました。
私たちは主に対して何かを与えましたか?
献金でしょうか? ――それは違います。
人間は生まれた時は裸であり、何も持っていません。
与えられないと生きていけないのが人間であります。
すべて神様から与えられたものですが、正しい人間に必要なものを与える為に、
イエス様は人の姿になって来られました。
目に見えるものは価値がなく、錆びて古くなっていきます。
イエス様のものは、努力して与えられるものではありません。
受けているのに「受けていません」というクリスチャンが多くいます。
なぜかというと、それらのものは全て「 目に見えるものを言っている 」からです。
すでに与えられている神様からの恵みに気付いて感謝をしましょう。
神様と人間の関係を良くする為に、イエス様が来られましたが、人間は心が頑なであり
神様に対しても頑なな心があります。神様から造られた人間が神様を必要ないと言います。
【エペソ2章14節】
仲介者(イエス様)が必要です。争いなさいとは一言も言っていません。
暗闇の中にいる人類のところへイエス様は来られましたが、
救われる前は、暗闇の心が私たちの中にありました。しかし救われてからは光の子となりました。
【エペソ5章8節】
人間として生きているのに何の為に生きているのかわからない。
どこが道なのかわからないので道を示してくださいました。
贖いの恵みはなぜ必要でしょうか?
【創世記3章16-19節】
人間には労苦・のろいがあります。人間以外に被造物にもあります。嘆く人生に人間はなりました。
【マルコ10章45節】(人の子=キリスト)
イエス様の命 → 人間の罪を贖いました。
イエス様を信じると、恵みによって罪が赦されます。永遠の命が与えられます。
【エペソ2章1節】、【ヨハネ6章51節】
本当のパンのことではないです。
霊的に開かれていないと、霊的なことばを聞いても肉的なもので解釈をしてしまいます。
信じること、受け入れること = パンを食べること
人は 「 ないです。」 と言いながら、亡くなる時にたくさんの物を蓄えていることがわかります。
残された人が大変な作業をします。
イエス様は何一つありませんでした。与えるためだけに来られました。
いつでも恵みを与えるイエス様です。(´∀`*)
2011.12.25
聖日礼拝メッセージ
八戸ノ里キリスト教会
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