からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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2021年06月

イエス様が教える祈り方

テーマは 『 イエス様が教える祈り方 』 です


今日はお祈りについて考えていきましょう。

みなさんは普段お祈りをされているかと思いますが、そもそもお祈りとは何でしょうか?


普段のお祈りを一度振り返ってみてください。


「神様、この問題があります。解決してください。」「神様、病気を癒してください。」「祝福してください。」など色々な願いを持ってお祈りをした方が多いのではないでしょうか。



確かに私たちが必要なものがある時に必要なことを求めて祈ることや、神様に助けを求めることは悪いことではありません。

聖書でも、「求めなさい、そうすれば与えられます」という御言葉もありますし、お願いすること自体は悪くないのです。



しかし、もし そればかりになってしまっている場合は少し注意が必要です。


『お祈り=神様にお願いごとをする』、要求の時間になっているからです。

これは本来のお祈りの意味とは少し異なってきます。


聖書には、イエス様が直接私たちに「こう祈ったらいいよ」と教えてくださっている箇所があります。



主の祈りですが、これは主が教えてくれた祈りであり、本当は弟子たち、私たちがどのように祈るべきかの模範の祈りです。

弟子たちの祈り、私たちの祈りです。


そのイエス様直伝の祈り方について詳しく見ていきながら、自分の普段のお祈りと比べつつ、どのように違うのか、足りない部分がどこか、また、実際にどのようにお祈りすればいいのかを学んでいきましょう。






【マタイの福音書6章7-15節】

また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。

だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。

だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。

御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。

私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。

私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。

私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕

もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。

しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。


主の祈りを具体的に見ていく前にまず7-8節を見ていきましょう。


【マタイの福音書6章7-8節】

また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。

だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。


異邦人、特にその当時のギリシャ人は、ギリシャの神々に祈る時に その神々の名前をたくさん挙げながら、どれかには聞かれるだろうと思い、祈っていました。


だからこそ、同じ祈りを何回もただ繰り返していました。

でもこれは神様が私たちに求める祈りの姿ではありません。


長い祈りをすると聞かれるという考えではなく、どのような気持ちで祈るのか、祈りをどのように捉えているのかが大事なのです。


何も深く考えずにとりあえず長く祈ろう、繰り返して祈ればいつか聞いてくれると思って、呪文のように何度も唱える必要はないのです。



神様は唯一無二の私たちの神様であり、私たちが必要なものはすべてすでにご存じであり、私たちの祈りにも耳を傾けられています。


大切なのは、お祈りの長さではなくて、お祈りに対する私たちの姿勢なのです。


一つ気をつけたいのは、長い祈りが悪いという訳ではないです。


意味もなくただ繰り返す祈りが不要なだけであって、神様としっかり交わりをしながら祈りが長くなるのはもちろん大丈夫なのです。

イエス様も一晩中祈ることもありました。



ポイントは、意味のない言葉を長く並べるのではなく、お父さんに話すように意味のある言葉を会話として、話していくことです。


長く話さなくても、何回も繰り返さなくても、天におられる父、神様に伝わる祈りがこのイエス様が教えてくれた祈りなのです。



この主の祈りで大切なポイントの一つが、ここで出てくる主語は「私」ではなく、「私たち」になっていることです。

お祈りは、自分のためだけではなく、周りにいる人、兄弟姉妹も含めて、みんなのためでもあるのです。


イエス様もよくお祈りの中で、人のため、また、私たちのために祈っておられました。


私たちも自分のためではなく、周りの人のために祈るべきです。






それでは、一節ずつ見ていきましょう。


だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。


私たちの神様は天におられますが、私たちの父なのです。

私たちと親しい関係であり、家族としての深いつながりがあります。


この天におられる私たちのお父さんは誰よりも私たちのことを気にかけ、関心を持ち、いつも私たちとの交わりを大切に、会話を大切に考えられています。


イエス様もこの地におられた時、いつも天におられる父、神様に対して呼びかけ、お祈りをしていました。

いつもコミュニケーションを取りながら、父の意思が、御心がなされるようにいつもお祈りしていました。



私たちもイエス様がされたように、天におられる私たちのお父さんにお祈りを通して話をするのです。

お祈りはお父さんとの親子の会話です。


そのお父さんに、初めに祈るのが神様の御名をあがめることです。

神様の御名を聖なるものとしてあがめること、つまり、神様の聖なる御名を尊敬し礼拝することです。


お祈りはまず天におられるお父さんに話しかけ、お父さんを尊敬し、礼拝することから始まります。






御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。


この御国は、これから終わりの時代を経て、来る新しい天の御国のことです。


神様が元々造られた完璧で平和な、愛があり、神様との交わりがいつもあったエデンの園をもう一度造り変えられます。

その新しい神様の御国が来るように、神様にその御国を送ってくださるように祈るべきです。


その御国では、私たちが今経験している苦しみや、痛み、罪、あらゆる悪いものはなく、すべて神様が造られた美しいものと神様との直接交わりができる場所なのです。

その御国が来るように祈るべきです。



また、御心の天になるごとく地にでも行われますように、は もちろん神様の意思が、御心が今のこの地でもなるようにということでもありますが、ただ神様だけがそのようにするのではなく、私たち自身もその神様の御心の通りに歩み、神様の御心を実行する者になることが大切です。


それは、神様だけではなく、私たちの日頃の行いのことも指します。

天ではすべて神様の御心がそのまま完全に行われています。



しかし、地ではその御心を行わないように邪魔をするものがいます。

その邪魔する者が働くことのできないよう、どんなことがあったとしても、神様の御心の方がなされるようにお祈りすることです。






私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。


日ごとの糧=日用の糧=その日(来る日)に必要なもの。
英語では“daily bread”で、マナと同じです。


エジプトを出る時に、天からマナが降ってきて神様がその日一日一日に必要な食糧を与えて、それで人々は毎日を生きていました。

自分が食べる分以上に蓄えようとしても、腐ってしまって食べることができませんでした。


なぜでしょうか?

それは、神様がその日その日に必要なものを備えてくださるからです。


一日一日その日に必要なものを祈り、与えられていくことで、神様が私たちに日々必要なものを与えてくださっているということを覚え、神様に頼って生きているということを実感しながら生きることができるのです。



もし神様が必要なものをすべて私たちに与えて、一生困らないとなってしまったら、きっと神様から与えられたことも忘れ、感謝も忘れ、自分勝手に生きる者になると思います。

日々神様によって生かされている経験ができなくなります。


本当はすべて神様が私たちに必要なものを備えて与えてくださっているのです。



神様は私たちが必要なものはすべてご存知です。

また、それもすべて備えてくださる方なのです。


だからこそ、続きの箇所でもあるように、明日のことは明日が心配するから、その日に必要なものを求めて生きることです。


その時々に必要なものは神様が与えてくださる。

神様にその時々に必要なものを求めてお祈りすることです。


祈りは私たちの欲のため、欲を満たすためにあるのではありません。

私たちの欲のためではなく、必要のために祈っていきましょう。






私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。

もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。

しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。」


負い目=借り、借金

ユダヤ人は、罪=debt(借金)として捉えていました。


罪は代価を支払って返さなければならないものです。

私たちが神様に逆らい、神様の御心ではないことを行って罪を犯す時、私たちは神様に借金を作っているのです。


その借金である罪、負いめのために、罪の赦しを神様に求めないといけません。

しかし、その前に、まず私たちは 私たちに悪いことをした人を赦さなければなりません。



人を赦さずに『自分だけ赦してもらおう』は神様が望まれることではないのです。


人のことをどうしても許せないと思う人は、神様からの赦しを経験していない可能性があります。


つまり、イエス様を信じて、罪を赦されて救われたと思ってはいますが、実はまだ救われておらず、神様の赦しを経験していない人です。



私たちが犯してきた罪、その代価の大きさを悟った人、そして それをイエス様が十字架の上で代わりに支払ってくださったこと、その赦し、恵みの大きさに悟った人。

その人は、他の人が何か悪いことをしたとしても、その人のことを赦すことができます。


なぜならば、神様がそれよりも私たちの大きな罪、神様に対して歯向かい、犯した罪さえも赦してくださったその恵みの大きさを知っているからです。



「我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく我らの罪をもゆるしたまえ」と祈る時、私たちは まず周りの人々のことを赦しているのか、赦していない人はいないかを探り、もしいれば まずその人のことを赦し、そして神様に私たちの罪も赦してもらうように祈っていきましょう。






私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン〕


試みに会わない=罪を犯さないようにする

罪を犯す時は、私たちが試みに会っている時です。


誘惑を受ける時や、自分の弱い部分に対してのサタンからの攻撃を受ける時、それに打ち勝つか、負けて罪を犯すかのどちらかの結果になります。



しかし、この試みにそもそも会わないように祈ること、たとえ試みに会ってしまったとしても その試みの中で負けたり、誘惑に陥ってしまったりしないように祈ることが大切です。


また、悪、つまりサタンやサタンからの攻撃、災害も含めて私たちを苦しめるものから救い出されるように、お祈りすべきです。


神様は苦しみの中で必ず脱出の道を与えてくださる神様です。

聖書でも患難があるとはっきり書かれていますが、その患難や迫害から救い出されるように、神様の助けを呼び求めるべきです。


神様は助けを求める時に答えてくれる神様だからです。



ちなみに、最後の “〔  〕” 部分は、聖書が複写されていた初期の頃にはなかった部分だと言われています。


しかし、その当時、お祈りを捧げる時はいつも最後にこのような主へ栄光を返す頌栄、つまり締めのお祈りがありました。

習慣として当たり前にしていたことなので、元々は書かれていなかったようですが、後世のために付け足したようです。


ここはそのまま、あるものだと思って取り扱っていきましょう。



お祈りの最後は、いつも神様にすべての栄光を返すことです。

神様が主権を持っておられることを認めることです。


この主の祈りをまとめると、「上から下に」つまり「天から地」の順番で、神様への礼拝から始まり、次に私たちの身の回りのこと、罪の赦しを祈って、最後は神様に栄光を返すことです。


お祈りはこのように天におられるお父さんである神様と、地にいる私たちの大切なコミュニケーションなのです。

今日も神様と交わりをしていきましょう!

アーメン (。・ω・)ノ゙


2021.6.13
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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主を愛せずにはおられない理由

テーマは 『 主を愛せずにはおられない理由 』 です

【マタイの福音書25章40節】

すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』

主を知らない人は、主とは無関係です。


彼らは言います。

「主とは誰なんだ。そんな者は知らない。」と言います。


しかし主に出会って、人生が大きく変わった人ならば、主の存在は何ものにも代えがたい存在になります。

愛さずにはおられない存在です。



聖書に出て来る人物の中で、主に出会って人生が大きく変わった人たちがいました。

その中には主が言われた「最も小さい者たち」がいました。


“最も小さい者” とは どのような人のことでしょうか?


空腹な者、着る物がない人、住むところがない人ですか。

彼らは小さい者と言うより、貧しい者と言えます。



本当に小さい者が誰なのかを学びたいと思います。


そして、主が 彼らにどのように接したのか、これが大切です。

それを知らないと、私たちは小さい者をつまずかせてしまいます。


主がどんなに偉大な方で、語ることばが立派であっても、それだけで、小さい者たちが素直に主を信じることはないです。


自分が直接 主に出会って、そこで感じたものがあるので彼らは変わりました。






●ザアカイ

民族の血を吸って金持ちになった取税人ザアカイに対して 主が見せた態度、
彼の名を呼んで、その家に泊まらなかったならば、彼は主が遠い所からわざわざ来られたとしても主を信じて変わることはなかったと思います。


人々から「あの人は罪人のところに行って客となった。」と文句を言われても、イエス様は最も小さい者であるザアカイを見つけて彼を救いました。


ザアカイはあまりにも嬉しくて自分の財産を手放して主を受け入れました。



●姦淫の場で捕らえられた女

姦淫の場で捕らえられた女は、石を手にした律法学者とパリサイ人たちに連れられてイエス様の所に来ました。


彼女は自分の死を悟って恐怖心で震えていたと思います。

人々の手にある石を見たからです。


彼女は殺される寸前でした。

罪を犯した現場で捕らえられたので、逃げることも出来ませんでした。

律法によって死刑の刑罰を受けなければなりませんでした。


この時、主の目には彼女が最も小さい者に見えました。


イエス様は誰よりも大きな愛を持っている方ですが、目の前にいる女を助け出さなかったならば、女にとってイエス様は愛の神ではなく、刑罰を与える怖い神の印象しか受けなかったと思います。


イエス様は彼女を助ける行動に出ました。


主は人を死なせるために来られたのではなく、生かすために来られましたので、彼女を赦しました。


死からいのちを得た彼女にとって イエス様はいのちの恩人であり、罪を赦す神、愛の神であることを知りました。

主を愛さずにはおられない者になりました。



●ラザロ

死んだラザロやその家族のために見せた主の涙で、人々は主が彼らをどれほど愛していたのかを知りました。






愛の神と言われても自分が体験しないと、素直に その愛を信じることは出来ないです。


ゲッセマネの園で、汗が血のしずくになるまで ひれ伏して「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」と祈りました。


それがなかったならば、主が墓から復活したとしても、信じる者が、主が歩んだ道について行くことは難しいです。



主は最も小さい者たちに関心を見せ、彼らが主の愛に触れるようにしました。

主にある救いと恵みを受けるようにしました。


そして彼らが新しい人生を生きるようにして下さいました。



もし 主が高い所におられるなら、最も小さい者たちにとっては雲の上の存在なので、一生 主に触れることはないと思います。

主の救いも 恵みも 愛も受けることはないと諦めると思います。



しかし、主は最も低いところに来て下さいました。

そして私たちも、主のように 最も小さい者に関心をもって欲しいと願っておられます。


私たちも 最も小さい者の1人であったことを思い出しましょう。


【ヘブル4章14-15節】

さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。

私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。

アーメン (・∀・)

2021.6.6
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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