からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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2021年04月

私たちは神様の建物、畑

テーマは 『 私たちは神様の建物、畑 』 です


今回は “教会とは何か、教会に仕える主のしもべや、教会生活が どうあるべきか” を見ていきましょう。

第1コリント3章を見ていきますが、その前にまず、コリントの教会がその当時どのような教会であったかを見ていきます。



コリント教会の始まりは 使徒18章に書かれており、AD50の初め、パウロが2回目の宣教旅行の際に、コリントを訪れて宣教し、プリスキラとアクラと一緒に18ヶ月間も住みながらコリントの教会を建てました。


パウロはそこでユダヤ人から迫害を受け、のちにシリヤに向けて出発するためにコリントを出ました。

その後、アポロがコリントに到着して、その教会に仕えていました。

実際にアポロの姿を見てみましょう。


【使徒の働き18章24-28節】

さて、アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた。

この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった。

彼は会堂で大胆に話し始めた。それを聞いていたプリスキラとアクラは、彼を招き入れて、神の道をもっと正確に彼に説明した。

そして、アポロがアカヤへ渡りたいと思っていたので、兄弟たちは彼を励まし、そこの弟子たちに、彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。彼はそこに着くと、すでに恵みによって信者になっていた人たちを大いに助けた。

彼は聖書によって、イエスがキリストであることを証明して、力強く、公然とユダヤ人たちを論破したからである。


コリントの教会は 教会を初めに建てたパウロや、その後のアポロのメッセージによって霊的に成長していました。


コリントという町は ギリシャにあり、都会で、成功している人々が多かったのですが、コリントの教会には社会的に低い地位の人も多く、もちろん高い地位の人もいました。

約1世紀の間ローマの植民地であったため、ローマの影響も受けていました。



また、ギリシャの文化では英雄をまるで神のように扱い、神のように仕えていた文化もありました。

コリントの教会の姿について見ていきましょう。


【第1コリント 1章4-9節】

私は、キリスト・イエスによってあなたがたに与えられた神の恵みのゆえに、あなたがたのことをいつも神に感謝しています。

というのは、あなたがたは、ことばといい、知識といい、すべてにおいて、キリストにあって豊かな者とされたからです。

それは、キリストについてのあかしが、あなたがたの中で確かになったからで、

その結果、あなたがたはどんな賜物にも欠けるところがなく、また、熱心に私たちの主イエス・キリストの現れを待っています。

主も、あなたがたを、私たちの主イエス・キリストの日に責められるところのない者として、最後まで堅く保ってくださいます。

神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました。


パウロの言葉によると、コリント教会はことばや、知識、すべてにおいて、キリストにあって豊かな者になったこと、また、賜物も欠けることなくあること、熱心に主イエスの現れを待っている信仰深い姿がありました。


これだけを見ると、成長していて霊的にもしっかりしていると思うかも知れません。

しかし、一つそのコリント教会に大きな問題があったのです。


【第1コリント 1章10-12節】

さて、兄弟たち。私は、私たちの主イエス・キリストの御名によって、あなたがたにお願いします。どうか、みなが一致して、仲間割れすることなく、同じ心、同じ判断を完全に保ってください。

実はあなたがたのことをクロエの家の者から知らされました。兄弟たち。あなたがたの間には争いがあるそうで、

あなたがたはめいめいに、「私はパウロにつく」「私はアポロに」「私はケパに」「私はキリストにつく」と言っているということです。


コリント教会の中で、人々は信仰を持って育ちながらも、徐々に人々の中で「私はパウロの方がいいな、パウロが元々この教会を建てたし」

「私はアポロの方がいい。メッセージが力強いし、うまいし。」

「いや、わたしはケパ、ペテロが良い。」

「いや、それなら私はキリストだけについていく。」という声を上がり始めました。



教会に集い、みことばを聞き、霊的にも成長していきながらも、気づけば少しずつ「私はあの人がいい、この人がいい」と「どの人が良いか」と論争を始め、分裂が起き始めたのです。


それに対して、パウロは第1コリント3章で詳しく述べています。


【第1コリント 3章1-17節】

さて、兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するようには話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。

私はあなたがたには乳を与えて、堅い食物を与えませんでした。あなたがたには、まだ無理だったからです。実は、今でもまだ無理なのです。

あなたがたは、まだ肉に属しているからです。あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなたがたは肉に属しているのではありませんか。そして、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。

ある人が、「私はパウロにつく」と言えば、別の人は、「私はアポロに」と言う。そういうことでは、あなたがたは、ただの人たちではありませんか。

アポロとは何でしょう。パウロとは何でしょう。あなたがたが信仰に入るために用いられたしもべであって、主がおのおのに授けられたとおりのことをしたのです。

私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。

それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。

植える者と水を注ぐ者は、一つですが、それぞれ自分自身の働きに従って自分自身の報酬を受けるのです。

私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。

与えられた神の恵みによって、私は賢い建築家のように、土台を据えました。そして、ほかの人がその上に家を建てています。しかし、どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければなりません。

というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。

もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、

各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現れ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。

もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。

もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。

あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。

もし、だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です。


ここでは人々がアポロの方についていく、パウロの方についていくと分裂している様子が書かれています。


本来は ただの人であるこのアポロやパウロを、気づけば神様よりも大切にし、重要視している姿が人々の中で見られました。



それについて、パウロは二つの例を使って私たちに教えています。




畑と建物のたとえ




まずは、畑の例えです。

初めに教会という種を植えたのはパウロであり、その種が育つために水を注いだのはアポロですが、実際にそれを育てて成長させたのは神様です。


いくら私たちが畑に種をたくさん蒔いて、水をたくさんやったとしても、太陽の光がなければ育ちません。

太陽の光は私たちが作り出すことは出来ず、神様の恵みによって与えられるものです。


神様の恵みなしに、教会が成長することはないのです。



神様と共に生き、神様の恵みがない教会に、いくら人がたくさんいても、素晴らしい指導者がいたとしても、それは成長しない死んだ教会です。


私たちが大切にすべきなのは、植える者でもなく、水を注ぐ者でもなく、それを成長させてくださる神様ご自身です。


私たちが大切にし、またいつも教会の中で中心に置くべきは神様なのです。






次にもう一つの例えとして、建物が挙げられています。


建築家は、オーナーに依頼されてそのオーナーの希望通りに建物を建てますが、その建物自体は建築家のものではなく、オーナーのものです。


建築家パウロは、オーナーである神様にコリントの教会を建てるように言われて、しっかりイエス・キリストという土台の上に教会を建てましたが、その教会自体は神様のものであり、パウロのものではありません。


すべては神様のものであるのにも関わらず、それをまるで建築家のパウロや、その建物を維持している管理人のアポロの方を重要視していました。



いつの間にか、神様を求めにくるはずの教会で、神様よりも人を見るようになりました。

それで どの人の方が良いのかと、意見が割れ、口論になったり、もめたりしていますが、それは本来間違った姿なのです。


教会はキリストが土台になっており、教会自体も神様のものであり、そのオーナーである神様に私たちは会いに行くのです。


また、どんな建物になっているのか、ちゃんとオーナーが言ったとおりに建物を建てているかどうかを判断するのは、オーナー自身であり、建物自身ではないのです。



もし建築家である神のしもべが、オーナーである神様の言う通りにしっかり教会を建てないのならば、イエス様が再び来られる日にすべて明らかになり、神様が判断をし、裁きを下されます。


それは私たち人間がその人がどうなのかを判断するのではなく、神様が判断することなのです。






それでは、私たちがすべきことは何でしょうか?


それは私たちが何者であるのか、また神様と私たちの関係をしっかり理解して生きることです。


【第1コリント3章9節】

私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。


【第1コリント3章16節】

あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。


私たちは神様の畑、建物であり、神様の神殿そのものです。

また、神の御霊、つまり聖霊様が私たちの中に宿っておられます。


私たちが自覚すべきは、私たち自身が神様の教会になっていることであり、私たち自身が神様のものであるということです。



聖霊様が私たちの中に生きているのであれば、人を中心とした肉的な者として生きるのではなく、神様を中心とした聖霊と歩む霊的な者として歩まないといけません。


教会は、人中心ではなく、人を求めに来るのでもなく、私たちの父でありオーナーである神様を求めに来るべきです。



もし人を求めて 人のために来るのならば、肉の者として集まることになり、教会とは言えず、ただの人の集まりに過ぎません。


しかし、神様のものとして、聖霊様が宿っているものとして集まるのが神の教会です。


神様ご自身を求める時、頼り祈り求める時に神様は、私たちの想像をはるかに超えて私たちを成長させてくださり、祝福してくださり、守ってくださいます。



神様は教会をご自身のものとして建てました。


また、そこに集う信徒たちは神様の教会そのものであり、神様のものであります。

教会を成長させたのも神様です。



神様はこれからも私たちに、神様のものとして、神様を求め、いつも神様を中心に礼拝を捧げ、教会で交わりを持ち、成長することを願っております。


それは私たちにとっても恵みのあることなのです。

これからも成長させてくださる神様と共に、神様のものとして教会生活を続けていきましょう!


アーメン (*・ω・)ノ


2021.4.18
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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永遠の刑罰に入る人と永遠のいのちに入る人

テーマは 『 永遠の刑罰に入る人と永遠のいのちに入る人 』 です

【マタイの福音書25章46節】

こうして、この人たちは永遠の刑罰に入り、正しい人たちは永遠のいのちに入るのです。」


マタイの福音書25章では 『天の御国に入る人、入れない人』、すなわち、『永遠の刑罰を受ける人、永遠のいのちに入る人』 に関する内容があります。


神はすべての人が救われて、天の御国に入ってほしいと願っています。


またイエス様はこのようにも言われました。

「私の父の家には、住まいがたくさんあります」と。


しかし天の御国は聖なる場所、永遠のいのちがある場所なので、それにふさわしい人が入ります。

そして、そこに入れない人は恐ろしい場所、永遠の刑罰がある場所に入ります。


25章の内容をよく読んでみると、信じる人と信じない人の区別ではなく、信じている人の中でも二つに分かれること、すなわちみんなが天の御国に入るわけではないことが書かれてあります。


イエス様を信じるという人が聞かないといけない内容です。

三つのたとえが語られました。




目を覚まして準備した人と、準備出来なかった人




それぞれがともしびを持って、花婿を出迎える十人の娘のたとえです。

五人は愚かで、五人は賢かったです。


五人はともしびは持っていましたが、油の用意が出来なかったので、花婿が来た時に慌てて油を買いに行き、その間に婚礼の祝宴が始まり、戸が閉められました。


しかし賢い五人の娘は、しっかりと準備をして花婿を待っていたので、すぐに祝宴の場所に入りました。


目を覚まして準備出来た人は永遠のいのちに入りますが、準備出来なかった人は永遠の刑罰に入ります。




役に立つしもべと、役に立たないしもべ




神様は私たちに賜物を与え、主の働きをさせています。


しかしその賜物を使って良い働きをして実を結ぶ人もいれば、その賜物を使わず、働きをしない人もいます。

神が私たちを選んだ目的は次の通りです。


【ヨハネ福音書15章16節】

あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。


神は私たちに結ばれた実を与えるのではなく、実を結ぶチャンスを与えます。


私たちが実を結ぶと、主に取り上げられるのではなく、それが私たちの祝福になります。



神は怠け者を祝福する方ではなく、神のものを用いて忠実に働くしもべを祝福する方です。

役に立ったしもべに語られたことばです。


「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」


役に立たなかったしもべにも語りました。


「役に立たぬしもべは、外の暗やみに追い出しなさい。そこで泣いて歯ぎしりするのです。」

永遠の刑罰が彼らを待っていました。




善行を行った人と行わなかった人




行いのない信仰、正しいことをしなかったこと、主のみこころを行わなかったことは、不信仰の行動です。

不信仰は死んだ信仰です。


良い行いは信仰ある証拠です。


羊とヤギの決め手は、善行を行ったか、行わなかったかで決められました。

羊として認められた人が行った善行です。


「あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、

わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。」


彼らに対する主の祝福のことばは「さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。」


ヤギになった人はこのような人でした。


「おまえたちは、わたしが空腹であったとき、食べる物をくれず、渇いていたときにも飲ませず、

わたしが旅人であったときにも泊まらせず、裸であったときにも着る物をくれず、病気のときや牢にいたときにもたずねてくれなかった。」


そして彼らに対して、「のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火に入れ。」と呪いました。


永遠のいのちに入った人は特別なことをした人ではありません。


主を愛し、主の再臨を待ち望み、自分に与えられた働きを黙々と行い、困った人を見ると手を差し伸べました。


目立つこともしていないですが、主はその人たちをよく知っています。

そして必ず永遠のいのちがある御国に入れて下さいます。



しかし、呪われて永遠の刑罰に入った人たちを見ると、特に悪を行ったわけでもないです。

普通に信仰生活をしていましたし、自分は天国に入ると思っていた人たちでした。


しかし裁きの時にとんでもないことが彼らに起こります。

なぜそうなるでしょうか?



御霊に満たされた信仰生活ではなく、知識による信仰生活、主から与えられた使命に関心もなく何もしなかった人、そして困った人に対しても無関心だった人であったからです。


それはイエス様に似た姿ではないです。

イエス様に見習わないといけないのに、見習っていなかったです。


信仰生活を飾りのようにつけて、実を結ぶことがなかったので厳しくさばかれます。



私たちに与えられた時間は主のみこころを行う時間として与えられています。


その時間を無駄にしてはいけないです。

決算の時が来るからです。


アーメン (。・ω・)ノ゙


2021.4.11
聖日礼拝メッセージ

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勝利した主

テーマは 『 勝利した主 』 です

【ローマ8章37節】

しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。


今日は 死からよみがえった主を礼拝する 『イースター』 です。


復活は圧倒的な勝利を宣言するものです。

復活によって神を冒涜する者ではなく、神の子であることを公に証明しました。



主の勝利は、主を信じる者の勝利です。

主は、信じる者にも圧倒的な勝利を与えます。


主がどのようなことに勝利したのかを今回は伝えます。




サタン、悪魔との戦いで勝利しました




活動の初めからサタンとの戦いがありました。

40日間 断食した後に、悪魔の甘い誘惑がありました。


それは十字架の道を妨害する誘惑でした。



十字架の苦難は、辛いものなのでサタンから来たものと思う人が多いですが、それは神の計画であって、サタンの計画ではないです。

サタンは十字架にかからないように多くの誘惑をしました。


しかし主は すべての誘惑を退け、サタンの計画には従わず、神の計画である十字架にかかって「完了した。」と宣言しました。

それは勝利の宣言でした。


サタンは、主が救い主ではなく、偉大な人間として生きることを願いました。



しかし主は、人間を罪から贖う救い主になることを選び、十字架の道を選びました。


神の計画を正しく知って、その計画に従う時に私たちもサタンに勝利することが出来ます。




死の力に勝利しました




死の力はサタンが持っている一番強い武器です。

罪からの報酬は死です。


どの人間も、サタンの最強の武器である死の力を打ち破ることが出来ないです。


ですからすべての人間は、死の武器の前にひざまずき 死にます。

死は、罪を犯した人間に下るのろいであり刑罰です。



しかし主は、死の力を打ち破り、よみがえりました。


サタンの最強の武器である死よりも 強い武器である “いのち” が主にはあります。

死人を生き返らせるものがあるならば、死を恐れる必要はないです。


復活のいのちは、信じる者に永遠のいのちを与えるという約束が 嘘ではないことを証明しました。



死で終わったならば、永遠のいのちの約束は無効ですが、復活が起きたので有効になります。


信じる者は死を恐れる必要がないです。

いつか永遠のいのちがある体に私たちもよみがえるからです。




主の勝利は自分自身に対する勝利です




十字架を前に主は激しく祈りました。

「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」と三度も祈りながら自分自身と戦いました。



世にある最大の敵は、外にあるのではなく 自分自身です。

絶えず自分の中から出てくる肉の思い、人間的な思いがあります。


自分を優先したい思い、楽な道を歩みたい思い、何もしたくない怠ける心、快楽を求める思いなどが絶えず出て来ます。

その戦いで失敗することが一番多いです。



自身が自分の一番の敵です。

主はそれにも勝利しました。


断食後の誘惑が来た時も勝利し、最後の十字架受難の誘惑にも勝利しました。

このように勝利した主に、父なる神が与えたものは何でしょうか?


【ピリピ2章9-11節】

それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。

それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、

すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。


このように勝利した主には素晴らしい権威と祝福が与えられました。

そして勝利者につく者も その祝福と喜びを共有することが出来ます。


ハレルヤ。 v( ̄∇ ̄)v


2021.4.4
イースター礼拝メッセージ

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