からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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毎日3分テレフォンメッセージを配信しておりましたが、いつでも聞き直せるようにYouTubeにも公開致します。
これからもどうぞよろしくお願い致します♪

2021年03月

メシヤの受難と勝利

テーマは 『 メシヤの受難と勝利 』 です

【イザヤ書53章1-12節】

私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現れたのか。

彼は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。

彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。

まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。

しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。

私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。

彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。

しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。

彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行わず、その口に欺きはなかったが。

しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。

彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。

それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。


イザヤ書53章は、メシヤであるイエス・キリストの受難の預言が 一番具体的に書かれてあります。


イエス・キリストが受けた受難を思いながら読むと、説明が要らないほど具体的です。

そのままでもメッセージになります。


この預言は メシヤが来られる700年前に預言されましたが、まるで現場を見ているようです。



メシヤが地上に来られた目的は一つだけでした。

罪人である人間を贖うために 自分が贖いのいけにえになるためでした。


誰も予想出来ない神の計画でした。

聞いても理解する者はいませんでした。



人々は神が示したメシヤではなく、自分たちが考えたメシヤを待っていました。

人間が期待するメシヤとは ヒーローのような存在で、突然現れて悪人たちを一瞬に打ち破って困った自分たちを助けてくれる力があり、格好良いメシヤでした。


ですから似ても似つかないイエスという人が自分のことをメシヤと言ったので疑い、拒否しました。


田舎出身で、学歴もなく、貧しく、みすぼらしく、見とれるような姿も、輝きも、見栄えもしない人をメシヤとして信じることは無理でした。

期待を裏切ることなので拒否しました。


奇跡を行ってもそれはサタンの力だと言い、メシヤと認めず、苦しめ、十字架につけて殺しました。






人々を惹きつけるヒーローのような姿で来たら良いのに、なぜ神はみすぼらしい姿のメシヤを遣わしたのでしょうか。


神は、人が見た目を重視することを知っていました。

目の欲があるからです。


ですから敢えてメシヤを、人目を惹くような姿ではなく、信仰がないと信じることが出来ない姿、神のことばを正しく知らないと受け入れることが出来ない姿にしました。


メシヤは人気を得るためのヒーローではなく、罪人たちを救うために犠牲のいけにえになる小羊としての働きをするために来られました。



自分自身を徹底的に低くした理由は、私たちへの愛でしたが、人々の目にはその愛が見えませんでした。


外見だけを見てつまずきました。

今も十字架のキリストをそのような目で見る人々が大勢います。


ですからペテロはこのように注意を与えました。


【第1ペテロ3章3-4節】

あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、

むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。


イエス様の内面を見た人はメシヤとして受け入れます。

主の成長の過程や生涯、そして主が受けた受難とみことばによって見るならば、救い主であることが分かります。


キリストが受けた苦難はすべて、罪を犯した私たちのためでした。


【イザヤ書53章8節】

しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。


【第1ペテロ2章24節】

そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。


罪を犯した人間は、罪の代価を払わないと永遠の死です。


しかし、人間には罪の代価を払うものを持っていないです。


ですからキリストが来られ、ひどい苦しみを受けながら十字架にかかり、血を流して私たちの代わりに罪の代価を払って下さいました。

それを知って自分の罪を告白し、主からの救いの恵みを求める人は罪赦されます。


【マタイの福音書20章28節】

人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」





サタンは人間が罪のまま死んで永遠に滅びることを願っています。

しかし神は 人々を愛するので、すべての人が罪から救われることを願ってキリストを通して、罪の代価を払って、救いの道を完成しました。



完成された救いのわざを信仰で信じるならば、永遠のいのちがある神の御国に招き入れられますが、罪のまま死ぬならば、永遠に地獄で苦しみながら罪の代価を払わないといけないです。


救いの恵みはずっと続くことはないです。

サタンもそれを知って、人間が救われないように不信仰の心を与えています。


死んだら無になることは絶対にないです。


キリスト教は、自分の行いによって天国に入るために頑張るのではないです。


いくら良い行いをしても罪は消えないです。


キリストによって すでに完成された救いのわざを 信仰によって受け入れる時に 罪赦され、キリストの恵みによって天国に入ります。


みなさんは救われていますか?

それとも  まだですか。


救いを受けてほしいです。


アーメン (・∀・)


2021.3.28
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十字架を負う人生

テーマは 『 十字架を負う人生 』 です

【マタイの福音書16章24節】

それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。


イエス様は人生の最後に十字架を負ったのではなく、天から下って来た時から すでに十字架を負いました。


そして十字架の道をずっと歩み、十字架にかかって地上での生涯を終えました。

ずっと十字架を負った人生でした。


力もなく権威もなかったからではないです。



だれよりも聖く、誰よりも霊的権威があり、誰よりも偉大な方でした。


神が一番評価する人生は十字架を負う人生です。

それはイエス様が歩んだ人生であるからです。



人々は十字架を負う人生を かわいそうな人生だと思いますが、主は十字架のない人生が一番かわいそうな人生だと言われます。


なぜなら、その人は神と何の関係もないからです。

そして十字架がもたらす祝福がまったくない人だからです。




イエス様は十字架を負う人生を生きるために、まず自分を捨てました




イエス様が捨てた “自分” とはどんな姿ですか?

―― 神という自分です。


【ピリピ2章6-7節】

キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、

ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。


私たちが十字架の人生を歩むために捨てるべき “自分” とはどんな姿ですか?

―― それは古い自分です。


古い自分では十字架の人生を歩むことは出来ないです。

古い自分がそれを嫌がるからです。



どうやってそれを捨てることができるでしょうか?

次の通りにすると捨てることが出来ます。


【ガラテヤ2章20節】

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。


古い人は高慢で、世を愛し、仕えるよりも 仕えられるのを好みます。


イエス様には悪いものがなく、最高の身分である神を捨てたので、人間に仕えることが出来ました。


私たちはそれとは違い、悪い自分を捨てる時に十字架の人生を歩むことが出来ます。



神から人の子になったイエス様は、人々にいつも仕えていました。

罪人の罪を厳しく攻めたのではなく、罪人の悔い改めの声を聞いて 彼らを救い出しました。



小さいこと、些細なことでも無視せずに助けました。

人の痛み、苦しみに共感し、あわれんで下さいました。


他人の重荷を負って下さいました。

受け入れ、忍耐し、慰めました。



【詩篇68編19節】

ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。


イエス様は自分を捨てたので、人々に対しても とても謙遜でした。

謙遜はこのような姿です。


【マタイの福音書20章26-28節】

あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。

あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。

人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」


イエス様は父なる神のみことば通りの人生を歩みました。

ですから十字架で贖いの業を完成することが出来ました。



十字架の人生は神のみことばに従って歩む人生です。


ペテロが 十字架を負わないように主を止めた時に、主はとても厳しい言葉でこのように言いました。

「下がれ、サタン。あなたはわたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」



サタンは、私たちに辛い十字架を負わないで、気楽に生きるように勧めます。

そのように邪魔をします。


イエス様は私たちに “自分の十字架を負ってついて来なさい” と命令しておられます。

それが御心に従う道、いのちを得る道、栄光を受ける道だからです。



全世界を手に入れても、永遠のいのちがないならば、多くの財産が何になるでしょうか?


私たちにいのちを与えるために イエス様は十字架を負いました。

私たちは、その命を得るために自分の十字架を負ってイエス様に従います。


アーメン (・∀・)


2021.3.21
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神の深い愛を経験しよう

テーマは 『 神の深い愛を経験しよう 』 です

【第1ヨハネ4章9-11節】

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。

クリスチャンが神の愛が何かを知らないならば、信仰に対して何も知らないのと同じです。


なぜなら神は愛だからです。

神を信じる信仰とは、神を愛することです。


他人から恋人関係になるのは、2人が恋に落ちた時からです。

1人だけ愛しているならば、それは片思いの愛であり、恋人にはなっていないです。



神は愛で、私たちを愛しています。

それだけでは私たちが神の愛を知ることは出来ないです。


私たちが主のように自分をささげるまでは 神の愛を知ることが出来ないです。


神から愛されている実感がないと思っているならば、自分が神を愛していないことです。




愛は火のように熱く、死のようにまた真剣です。


1人の女性を愛した2人の男性が、その女性を得るために命を懸けて決闘したことは昔から聞いています。

それほど愛に最高の価値を置いた若い世代がいました。


もちろん今も愛に命を懸けている者もいると思います。



人々がこの世で不満、苦しみ、悲しみの中で生きている理由は、自分たちに対する神の愛がどれほど大きくて素晴らしいかを知らないからです。


雅歌8章6-7節にある愛です。

愛がどんなに強いものであるかを見せてあります。



【雅歌8章6-7節】

私を封印のようにあなたの心臓の上に、封印のようにあなたの腕につけてください。愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しいからです。その炎は火の炎、すさまじい炎です。

大水もその愛を消すことができません。洪水も押し流すことができません。もし、人が愛を得ようとして、自分の財産をことごとく与えても、ただのさげすみしか得られません。


人間が先に神を愛したことは一度もありません。

神が先に私たちを愛しました。


私たちが罪の中で神に敵対しているのに、それでも愛し続けておられるのが神です。



使徒パウロは、神の愛がどれほど熱い愛かを経験した人でした。


神の教会をつぶし、聖徒たちを激しく迫害したのに、神は怒りではなく、愛の手を彼に差し伸べました。

パウロはその愛を受け入れました。


そして自分も命を懸けて主を愛しました。

ですから神の愛を経験し、このように語りました。



【ローマ8章38-39節】

私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、

高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。


父なる神の愛は、ひとり子イエス・キリストを世に遣わし 十字架につけて、その血で私たちを救い出した “血の愛” です。


すなわちその愛は、キリストの死に現れました。

キリストはなだめの供え物として来られました。


私たちの罪のために いけにえとしてキリストがささげられたことを軽く考えてはいけないです。


そこには命を懸けた愛があるからです。






レビ記の中にいけにえとして ほふられる家畜が どんなにひどい目に会うのかを考えるならば、神の愛、キリストの十字架、罪の赦しが どれほどすごいものであるかを実感することが出来ます。


神にとって一番の苦しみは、人々が神の熱い愛に対して反応しないことです。



神の愛が熱い分、その愛をいつまでも無視する人に対しては、神の怒りが同じくらい燃えることも知らないといけないです。


律法の中で一番大切な戒めが次の箇所です。


【マタイの福音書22章37節】

そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』


私たちの中に 少しでも愛があるのは、私たちの心に神の愛が先に感動を与えて下さったからです。


十字架を見上げて主の愛を深く考えるならば、私たちに対する神の愛の大きさに圧倒されて、神を愛せずにはおられなくなります。



神様よりも大きな愛を体験したことがありますか?

神よりも大きな愛を持っている者は存在しません。


本当のクリスチャンは 神の愛に感動して、愛のとりこになって神だけを愛して生きることを決心した人です。



暗闇の中で滅びに向かって歩んでいる者たちを目覚めさせたのも神の愛です。

神の愛を深く知ることが何よりも大切です。


主の御座に近づく者は、もっと主の愛を知ることが出来ます。

主は私たちだけを見て愛して下さいました。


ですから、私たちも神しかいないかのように生きると、毎日 主の深い愛を経験しながら生きることが出来ます。



神への熱い愛も、隣人に対する愛の行為もない人生は、むなしく喜びもないです。


神の愛を経験してみて下さい。

経験すると信仰、生き方、人生、死に対する考え方がすべて変わります。


そしてその愛で本当に心が満たされていきます。


アーメン .。゚+.(・∀・)゚+.゚


2021.3.14
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神様がいないように感じられる時に

テーマは 『 神様がいないように感じられる時に 』 です


神様の言葉が直接聞けない、神様の姿を目で見ることができない。

そのため、『神様が本当に一緒にいてくださるのか』、『こんな辛い時に神様は私を助けようとしてくださるのか』、『私のために本当にすべてを益として働かせてくださるのか』、そのように不安に感じる時はありませんか?


神様の声が直接聞こえたら良いのに。

神様、イエス様を直接目で見られたら良いのに。

神様はどこにいるのだろうか。



聖書はすべて神様、イエス様について書かれていますが、実は一つだけ神様が全く登場しない本があります。


神様の言葉が直接出ていなければ、神様を表す言葉自体出てこない。

それでも神様がそこにいらっしゃるということを感じられる本です。


それはエステル記です。






今日はエステル記の話を見ていきましょう。

エステル記全体をざっとまとめて見ていきましょう。


【エステル記1章1節】

アハシュエロスの時代のこと―このアハシュエロスは、ホドからクシュまで百二十七州を治めていた―


ペルシヤ帝国(今のイラン)のアハシュエロス王の時代(B.C.485-464年)でした。


それ以前、B.C.586年に エルサレムがバビロニアに滅ぼされ、バビロンで捕囚となり、その後、B.C.538年にユダヤ人がユダヤの地に戻るよう勅令が出ましたが、案外そのままバビロニア地方や、ペルシヤ地方に残ったユダヤ人が多かったのです。

ユダヤ人はその異国の地に住んでいました。



歴史から見ると、アハシュエロス王は独裁的で、金銭を愛し、暴君でした。


決して、良い王様という訳ではなく、自分が気に入らなければ、何でも思った通りにしてしまうような人でした。

もともと彼には奥さんとして王妃ワシュティがいましたが、自分の思い通りにしてくれなかったのに腹を立て、退けました。


その代わりに、多くの王妃候補の中から王妃として迎えられたのがエステルでした。

エステルは両親が亡くなっており、モルデカイが叔父でしたが、エステルを自分の子どもとして育てました。


このモルデカイはエステルに、エステルの身分、つまりユダヤ人であることは隠すように教え育てました。


モルデカイ自身もシュシャンの城にいて、エステルが王妃になった後も エステルの様子をいつもそばで見守っていました。


ここで、アガグ人であり、ユダヤ人の敵であるハマンが出てきます。

アガグは、元々アマレク人の王であり、つまりはユダヤ人の敵でありました。


第1サムエル記15章で、サウル王がアマレク人を討ちましたが、彼はすべてを聖絶せよ、という神様の命令に背き、アガグを生け捕りにし、結局はそれをきっかけに神様はサウルを王から退け、ダビデを選びました。






ハマンの話に戻りますが、このハマンは王に気に入られて、王はハマンをすべての首長たちの上に置きました。


【エステル記3章1-2節】

この出来事の後、アハシュエロス王は、アガグ人ハメダタの子ハマンを重んじ、彼を昇進させて、その席を、彼とともにいるすべての首長たちの上に置いた。

それで、王の門のところにいる王の家来たちはみな、ハマンに対してひざをかがめてひれ伏した。王が彼についてこのように命じたからである。しかし、モルデカイはひざもかがめず、ひれ伏そうともしなかった。


ユダヤ人であり、神様を信じるモルデカイは、ハマンにひざをかがめず、ひれ伏すこともありませんでした。


それに怒ったハマンは、モルデカイだけではなく、モルデカイの民族、つまりユダヤ人を全員殺す計画を企て、王を説得し、その命令を実際に出しました。


【エステル記3章13-15節】

書簡は急使によって王のすべての州へ送られた。それには、第十二の月、すなわちアダルの月の十三日の一日のうちに、若い者も年寄りも、子どもも女も、すべてのユダヤ人を根絶やしにし、殺害し、滅ぼし、彼らの家財をかすめ奪えとあった。

各州に法令として発布される文書の写しが、この日の準備のために、すべての民族に公示された。

急使は王の命令によって急いで出て行った。この法令はシュシャンの城でも発布された。このとき、王とハマンは酒をくみかわしていたが、シュシャンの町は混乱に陥った。


つまりは、これから約1年後に、すべてのユダヤ人が虐殺されるという命令でした。

モルデカイはもちろん、それを聞いたユダヤ人はみな激しく悲しみ、荒布をまとって灰をかぶり、嘆きました。


モルデカイはエステルにこのことを伝言で送り、また、「彼女が王のところに行って、自分の民族のために王にあわれみを求めるように」頼みました。


それに対して、エステルは王に死刑に処せられるかも知れないという返事をしました。


【エステル記4章13-14節】

モルデカイはエステルに返事を送って言った。「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。

もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」


モルデカイは、エステルに何とかするように頼みつつも、たとえエステルが行動を起こさなかったとしても、別のところから救いがあると信じていたのです。


自分が思っている方法と違ったとしても、きっと他の形で必ず救いがあると、神様が救ってくださることを信じていたのです。


【エステル記4章15-16節】

エステルはモルデカイに返事を送って言った。

「行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」


ここで、エステルは自分の民のために、行動を取ることにしました。


でも、エステル記での本当のヒーローはエステルではありません。

それは、聖書自体が教えてくれています。


実は、旧約聖書はよく読むと非常に精巧に作られていて、韻を踏んでいたり、多くはサンドイッチのような作りをしていたりします。


つまりは、同じような出来事、同じような言葉が繰り返され、サンドイッチのよう形で組まれ、その真ん中に一番伝えたいことや、話の核心が詰まってあります。


【例】

A

  B

    C

       D ←こちらがその話の中で中心となる部分

    C’

  B’

A’


実は、エステル記も同じような作りになっていて、これに当てはめていくと、中心に来る箇所は “6章” なのです。


これは、エステルが実際に動きを取り始めた後に起きた話の部分です。


5章で、エステルは王とハマンを呼び、宴会を設けました。

その時は、特にユダヤ人のことや、王の命令については、何も言わず、代わりに次の日にもう一度同じ宴会をするから、二人とも来てほしいと告げました。


そこで、本当のヒーローが現れる6章が始まるのです。

6章を実際に読んでみてください。


【エステル記6章1-14節】

その夜、王は眠れなかったので、記録の書、年代記を持って来るように命じ、王の前でそれを読ませた。

その中に、入口を守っていた王のふたりの宦官ビグタナとテレシュが、アハシュエロス王を殺そうとしていることをモルデカイが報告した、と書かれてあるのが見つかった。

そこで王は尋ねた。「このために、栄誉とか昇進とか、何かモルデカイにしたか。」王に仕える若い者たちは答えた。「彼には何もしていません。」

王は言った。「庭にいるのはだれか。」ちょうど、ハマンが、モルデカイのために準備した柱に彼をかけることを王に上奏しようと、王宮の外庭に入って来たところであった。

王に仕える若い者たちは彼に言った。「今、庭に立っているのはハマンです。」王は言った。「ここに通せ。」

ハマンが入って来たので、王は彼に言った。「王が栄誉を与えたいと思う者には、どうしたらよかろう。」そのとき、ハマンは心のうちで思った。「王が栄誉を与えたいと思われる者は、私以外にだれがあろう。」

そこでハマンは王に言った。「王が栄誉を与えたいと思われる人のためには、

王が着ておられた王服を持って来させ、また、王の乗られた馬を、その頭に王冠をつけて引いて来させてください。

その王服と馬を、貴族である王の首長のひとりの手に渡し、王が栄誉を与えたいと思われる人に王服を着させ、その人を馬に乗せて、町の広場に導かせ、その前で『王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである』と、ふれさせてください。」

すると、王はハマンに言った。「あなたが言ったとおりに、すぐ王服と馬を取って来て、王の門のところにすわっているユダヤ人モルデカイにそうしなさい。あなたの言ったことを一つもたがえてはならない。」

それで、ハマンは王服と馬を取って来て、モルデカイに着せ、彼を馬に乗せて町の広場に導き、その前で「王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである」と叫んだ。

それからモルデカイは王の門に戻ったが、ハマンは嘆いて、頭をおおい、急いで家に帰った。

そして、ハマンは自分の身に起こった一部始終を妻ゼレシュとすべての友人たちに話した。すると、彼の知恵のある者たちと、妻ゼレシュは彼に言った。「あなたはモルデカイに負けかけておいでですが、このモルデカイが、ユダヤ民族のひとりであるなら、あなたはもう彼に勝つことはできません。きっと、あなたは彼に負けるでしょう。」

彼らがまだハマンと話しているうちに、王の宦官たちがやって来て、ハマンを急がせ、エステルの設けた宴会に連れて行った。


ここで働かれたのが神様でした。

神様はその本番の祝宴の前日、王に眠りを与えず、モルデカイが行ったことを王の耳に聞かせ、彼の心を動かしました。


もし宴会を1日遅らせていなかったら、もし神様が王を眠らせずに、モルデカイの記録を読まずに そのことを思い出していなかったら、エステルがユダヤ人やモルデカイが殺されるという命令を聞いても、きっと良い反応はしなかったでしょう。



しかし、ここで神様が働かれて、モルデカイに栄誉を上げたから、その後の二日目の宴会でエステルが王に、ハマンの企みによって、ユダヤ人であるモルデカイ、エステルも含めたすべてのユダヤ人が殺される予定であることを伝え、それを取り消してもらうことができたのです。


自分がもらおうとした栄誉は、かえって自分が恨んでいたモルデカイが受け、ハマンは むしろそのモルデカイの栄誉を受ける際に、まるでモルデカイのしもべのように、モルデカイの馬を引き、町の広場でモルデカイの栄誉を大声で伝えました。

また、モルデカイを殺そうとしたハマンの家に立てた柱に、むしろハマンがかけられて殺されることになりました。



その後、ユダヤ人の虐殺の命令を取り消し、むしろユダヤ人の敵を殺すことができる命令を発しました。

ユダヤ人の敵、また、ユダヤ人を迫害する者、ハマンの10人の子が代わりに虐殺されました。


神様は、神の民を祝福する者を祝福し、のろう者をのろいます。


それは、アブラハムに与えた約束をずっと守られている神様の姿であり、神様は神様の民のために働かれ、すべてを益にしてくださいます。


一言も神様の存在や言葉について ここでは述べられていませんが、私たちには見えていないそのところで神様は働かれています。



エステルが王に助けを求める前に、神様が王の心を変え、神様の民であるユダヤ人をのろい、殺そうとしたハマンに、神様が代わりに復讐をしてくださったのです。


私たちの目には神様が働かれていないように思える時でも、神様は裏ですべて働かれているのです。


本当のヒーローは、神様なのです。


私たちは神様がこのように、見えないところでも、直接私たちに言葉で語りかけない時であったとしても、私たちのために、働かれていること、すべてを益としてくださることを知るべきなのです。


今もし あなたが辛い環境にあったとしても、苦しみがあったとしても、このように何もしていないのに殺されそうになったユダヤ人を助けてくださる神様が、あなたのことも今見ておられ、あなたが見ていないところでも あなたのために、あなたを救い、助けるために働かれておられるのです。






また、私たちはただそれを知って、「神様が働かれるのだな」と思うだけではなく、私自身もどうすべきなのか、モルデカイとエステルの姿からも学びましょう。


まずは、モルデカイのように「助けと救いが起こること」を信じることです。


4章14節であるように、エステルが行動を起こさなかったとしても、きっと別のところから救いが起こるという、人を信じて期待するのではなく、神様への絶対的信頼と信仰を持つことです。


また、エステルのように実際に行動を起こし、神様がすべてを益にしてくださることを信じて、ゆだねることです。


エステルは、モルデカイの言葉のように、何も行動を起こさないこともできました。

しかし、エステルは死ぬかも知れないということを承知の上で、信じて、実際に行動を起こしました。


なぜ自分がその時に、そこで王国にいたのか、王妃になったのか、それを考え、自分がすべきことをしたのです。



私たちはいずれ神様の前で、「自分がしたこと」の責任を取ることになります。

ここで併せて覚えておくべきことは、「私たちがその時に取るべき行動をしなかったこと」に対しても、その責任は問われるのです。


神様はその時、その場所に、必要があり計画があって、私たちを置いている時があります。

その時に、私たちがすべきことを実際にするかどうかは私たち次第です。



たとえ、私たちが行動を取らなかったとしても、神様は、他の人や他の手段を使って救いや、その計画を成し遂げられます。


ただし、私たちが行動を起こさなければ、その行動を起こさなかった私たちに責任が降りかかります。

行動をしたことに対して、責任を取るのはあたりまえですが、逆に行動をしなかったことに対しても責任を取ることになるのです。



例えば、あなたの周りに救われるべき人がいて、あなたに救いを伝えるチャンスがあるとして、そこであなたが救いを伝えなかったとしても、もし神様の救いの計画があればその人はどこかで誰かによって救われるかも知れません。


ただし、御言葉を伝えなかったことに対して、沈黙を守ったことに対して、私たちはその代価を払わないといけなくなるでしょう。



目の前で困っている人がいて、その人を助けるかどうかもあなた次第です。


あなたが助けなかったとしても、神様のあわれみがその人にある時は、神様があなた以外を使って助けを送ってくださいますが、その場で助けなかったあなたは、行動を起こさなかったことに対して責任を取る必要があるのです。


私たちが行動を起こさないといけない時、その時は、神様を信頼して大胆に行動を起こすことです。



神様はいつも私たちを見えないところでも支えてくださり、働いてくださっていて、すべてを益に変えてくださるのです。


神様が必ず助けと救いを与えてくださることを信じて、今日も大胆に行動に移していきましょう。


アーメン (・∀・)つ


2021.3.7
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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