からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


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2019年01月

試練から勝利へと

テーマは 『 試練から勝利へと 』 です

【ヤコブ1章2節-4節】

私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。

信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。

その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。

【ヤコブ1章12節】

試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。


“試練” と聞くだけで、心が重たくなります。


試練を歓迎する人は一人もいません。

しかし、歓迎しなくても 各自の人生には 必ず試練があります。


人々は試練そのものよりも、自分がその試練に耐えられるかどうかを心配します。



試練に対しての神の教えが、今回の本文にあります。

試練に会った時に、それを喜びなさいと教えた理由は何でしょうか?


試練そのものを見た時には、それは決して良いものではないですが、“あるもの” を活かすことで 試練から勝利を得ることが出来るからです。



その “あるもの” とは、忍耐と希望です。


これは試練から勝利への過程に 必ず必要です。



試練から勝利を得る者もいれば、試練から失敗を刈り取る人もいます。

試練の中で、つぶやきと絶望だけであるならば、人生は失敗で終わってしまいます。


しかし同じ試練の中でも、忍耐と希望で貫く人は 勝利を手に入れることが出来ます。


4人の人物でそれを証明します。

ヨセフ、ダビデ、ヨブ、イエス様です。



4人とも受けた試練は、私たちが受けた試練よりも はるかに辛い試練でした。


【 ヨセフ 】

ヨセフの試練は、兄弟たちに売られて奴隷になったことでした。

それも外国へと売られました。


お父さんに特別に愛され、何一つ不自由のない生活から、一瞬にして奴隷になってしまいました。


【 ダビデ 】

ダビデは、何度も国を敵から救った英雄なのに、サウル王の嫉妬によって いのちが狙われ、何年もさまよいながら逃亡生活を続けていました。


自分の国には隠れる居場所すらありませんでした。


【 ヨブ 】

ヨブは、とても恵まれた人生を送っていましたが、ある日、津波のような大きな試練に会いました。


持っていた財産すべて、子ども10人、しもべたちまでもが 一日のうちに津波に飲み込まれたかのように消えていきました。

そしてヨブ自身も、治らない辛い病気にかかってしまいました。


自分が生まれた日を呪ったほど激しい試練に会いました。


【 イエス様 】

イエス様は恵みを与えた人々から裏切られ、侮辱され、むち打たれ十字架の上で死を遂げました。






この4人は試練の中で潰れたでしょうか?

彼らは潰れるどころか、大きな勝利を得ました。


彼らが受けた試練は、彼らを偉大な人物にし、その人生を通して神の栄光を現し、神のみこころを全うし、信仰の巨匠になり、試練の中にいる人々を 今も励ましています。


特にイエス様は 十字架の上で「完了した」と勝利宣言をしました。

何が 4人をそのように勝利へと導いたでしょうか。



彼らは試練の中で 決して弱音を吐かず、つぶやくこともせず、堕落した生活もせず、主に頼って祈りながら ひたすら忍耐しました。


そして救いの神が必ず試練から救い出して下さるという揺るがない希望を抱いていました。



それが試練を 勝利へと導く強い原動力になりました。

試練の中で勝利した者の告白が聖書には多くありますが、その中にあることばです。



【詩篇118編15-18節】

喜びと救いの声は、正しい者の幕屋のうちにある。主の右の手は力ある働きをする。

主の右の手は高く上げられ、主の右の手は力ある働きをする。

私は死ぬことなく、かえって生き、そして主のみわざを語り告げよう。

主は私をきびしく懲らしめられた。しかし、私を死に渡されなかった。

【詩篇118編21節】

私はあなたに感謝します。あなたが私に答えられ、私の救いとなられたからです。


試練の中にいますか?


救いの神を見上げて、希望をもって忍耐すれば、救いの神の力ある働きによって死ぬことなく、生きて勝利を宣言することが出来ます。

アーメン (*´∇`*)


2019.1.27
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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アブラムから学ぶ金銭管理

テーマは 『 アブラムから学ぶ金銭管理 』 です

【創世記14章17-24節】

こうして、アブラムがケドルラオメルと、彼といっしょにいた王たちとを打ち破って帰って後、ソドムの王は、王の谷と言われるシャベの谷まで、彼を迎えに出て来た。

さて、シャレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒を持って来た。彼はいと高き神の祭司であった。

彼はアブラムを祝福して言った。「祝福を受けよ。アブラム。天と地を造られた方、いと高き神より。

あなたの手に、あなたの敵を渡されたいと高き神に、誉れあれ。」アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えた。

ソドムの王はアブラムに言った。「人々は私に返し、財産はあなたが取ってください。」

しかし、アブラムはソドムの王に言った。「私は天と地を造られた方、いと高き神、主に誓う。

糸一本でも、くつひも一本でも、あなたの所有物から私は何一つ取らない。それは、あなたが、『アブラムに富ませたのは私だ』と言わないためだ。

ただ若者たちが食べてしまった物と、私といっしょに行った人々の分け前とは別だ。アネルとエシュコルとマムレには、彼らの分け前を取らせるように。」

正しい金銭管理が出来ないと 信仰生活も失敗します。

そのため聖書を通して、金銭に対する正しい教えを学ぶ必要があります。


金銭に対する悪い部分は次のことばにあります。


【第1テモテ6章9-10節】

金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる, 愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。

金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。

ですから聖徒たちは正しい金銭管理をしなければなりません。


模範的な金銭管理が出来た人物がアブラムです。

創世記14章では、まだ名前がアブラハムに変わる前ですから、アブラムの名前をそのまま使います。

アブラムは優れた金銭管理者でした。




神との関係での金銭管理




本文の18-20節には、アブラムが戦いに勝利して帰って来た時に、シャレムの王メルキゼデクが パンとぶどう酒を持って迎えました。


メルキゼデクは いと高き神の祭司でした。

彼がアブラムを祝福した後に、アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えました。


アブラムは、最初に神に十分の一をささげた人物です。


律法で十分の一のことが決まる前に、すでに十分の一をささげました。

命令されたわけでもないのに、なぜ十分の一をささげたでしょうか?


まずは神への感謝でした。



戦いでの勝利は、自分の力だけではなく 神の助けと守りがあったからなので、彼は感謝の気持ちを、十分の一をささげることで表しました。


また十分の一は、“神のものとして聖別” してささげる意味があります。


次の箇所には、十分の一は神のものであると はっきり書かれてあります。


【マラキ書3章8-10節】

人は神のものを盗むことができようか。ところが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる。しかも、あなたがたは言う。『どのようにして、私たちはあなたのものを盗んだでしょうか。』それは、十分の一と奉納物によってである。

あなたがたはのろいを受けている。あなたがたは、わたしのものを盗んでいる。この民全体が盗んでいる。

十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。―― 万軍の主は仰せられる ―― わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。

信仰の人ヤコブも、次の箇所で十分の一にふれました。


【創世記28章22節】

石の柱として立てたこの石は神の家となり、すべてあなたが私に賜る物の十分の一を必ずささげます。」

アブラムがメルキゼデクに十分の一をささげたことは、彼の祭司職を認めたことを意味します。

私たちが神にささげる十分の一は、神がすべての主権者であることを認める意味があります。




隣人関係での金銭管理




隣人との金銭トラブルが原因で起こる事件も多いです。

ですから問題が起こらないような金銭管理が必要です。


今日の本文で、ソドムの王とアブラムの会話で、アブラムの金銭管理が見えます。


創世記14章の前の部分を読んでみて下さい。

自分ならばどうするのかも考えてみて下さい。


戦利品に対して、ソドムの王はアブラムに言いました。

「人々は私に返し、財産はあなたが取ってください。」と言われた時に、

アブラムは、「私は天と地を造られた方、いと高き神、主に誓う。糸一本でも、くつひも一本でも、あなたの所有物から私は何一つ取らない。それは、あなたが、『アブラムに富ませたのは私だ』と言わないためだ。」と言いました。



アブラムは自分が労苦して得ていない物は、受け取りませんでした。

糸一本、くつひも一本ということばを使ったのは、取るに足りない些細なものを象徴しています。


すなわち他人のものに対しては常に潔白であることです。



金や物にルーズな人も多いです。


人のものを平気に取る人や、借りても返さない人、他人の物も自分の物のように使う人など、金銭に対してルーズで 他人に被害を与えることは避けなければなりません。



アブラハムは金銭に対して きちんとしていました。

妻サラが亡くなった時に、ヘテ人に墓地を売るように言ったところ、ヘテ人は墓地をアブラムに差し上げると言いました。

それに対してアブラムは、タダでもらうことを喜んだのではなく、このように言いました。


「もしあなたが許してくださるなら、私の言うことを聞き入れてください。私は畑地の代価をお払いします。どうか私から受け取って下さい。そうすれば、死んだ者をそこに葬ることができます。」



もしアブラムが タダで受けたならば、後で色々な問題が出たと思います。

差し上げた人が、後から惜しむ心が出て、「土地を返してほしい」と言われると、トラブルになります。


アブラムが買った墓地には、アブラハムも息子イサク夫婦も、孫ヤコブとその妻レアも葬られました。

お金を払ったからこそ、その後も墓地を自由に使うことが出来ました。


自分のものでない物に対しては 欲を出さず、欲しがってはいけないです。


十戒の10番目にあることばです。


【出エジプト記20章17節】

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」


金を愛した取税人 ザアカイは、イエス様に出会ってから金銭感覚が180度変わりました。

騙して他人のものを取って金持ちになった人が、イエス様に出会ってからは 次のようになりました。


【ルカの福音書19章8節】

私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」



家族や親類での金銭管理




親子、兄弟、親戚の間で、お金や財産のトラブルは ますます増えてありますね。


親子関係でも、介護は嫌がるのに、財産は欲しがる者がとても多いです。

本当に醜い姿です。他人よりもひどい姿ですね。財産を一人占めしようと企んでいる人もいます。




皆さんはどのような金銭管理をしていますか?

また、もしトラブルがあった時にはどうしますか?



アブラムが取った行動から学びます。

おいロトとの間に問題が生じました。


アブラムもロトも祝福されて持ち物が多くなり、一緒に住むには場所が狭くなりました。



家畜の牧者たちの間にも争いが起こりました。

その解決策として、アブラムはおいロトに次のような提案をしました。


【創世記13章8-9節】

「どうか私とあなたとの間、また私の牧者たちとあなたの牧者たちとの間に、争いがないようにしてくれ。私たちは、親類同士なのだから。

全地はあなたの前にあるではないか。私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう。」

アブラムは、相手に譲歩し、相手のことを優先しました。


これは一見、損しているように見えますが、長い目で見ると、決して損することはありません。

2人の結末を見ても分かります。


先にソドムを選んで行ったロトは、ソドムが滅ぼされる時に すべての財産を失いました。



アブラハムはどのようになりましたか?

アブラムのしもべの証言です。


【創世記24章35節】

主は私の主人を大いに祝福されましたので、主人は富んでおります。主は羊や牛、銀や金、男女の奴隷、らくだやろばをお与えになりました。

ロトには何も残らなかったですが、アブラムは死ぬ時まで祝福されて豊かでした。


欲張りは神からも人からも嫌われます。その結果、大切な人たちを失います。

そして人生の結末も良くないです。



お金をたくさん持っている人が幸せな人ではなく、お金が人を幸せにするのでもないです。


豊かな心を持つ人が幸せな人です。


人との関係を大切にする人が長く祝福されますし、人の益になることを先に考える人が神から祝福されます。


目先の利益に目がくらむ人になってはいけません。

神は金銭に対するテストもします。


箴言にも、レビ記の中にも、金銭に対する教えが多いので学びましょう。
アーメン (*・ω・)ノ


2019.1.20
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愛の方法

テーマは 『 愛の方法 』 です

【第1コリント12章31節】

あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。また私は、さらにまさる道を示してあげましょう。

【第1コリント13章13節】

こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。

【第1コリント14章1節】

愛を追い求めなさい。


愛することは自然に身につくことではありません。

愛することは簡単なことではありません。


愛にも色々ありますが、真の愛は 神から愛する方法を学ばないといけないです。

しかし、愛は 学ぶだけで出来ることでもありません。


聖書では私たちが愛ある者になるためには、どのようにしたら良いかを教えています。

今回はその教えを学びます。




愛の定義




【第1コリント13章4-7節】

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。

礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、

不正を喜ばずに真理を喜びます。

すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

愛のことを1番正しく教えて下さったのは、神様です。

なぜなら、神は “愛” そのものだからです。


詩人がどんなに美しいことばで愛を語っても、それが愛の定義にはなりません。



愛の神様が教えて下さった愛の定義が1番正しいです。


人々が語る愛と、神が語る愛が どれほど違うかを今のことばでも分かると思います。


甘いことばや美しいことばで表現するのが愛ではなく、私たちが望まないような姿が 神様の語る “愛” です。



人は “愛したい” という思いよりは、“愛されたい” 思いが強いので、神が語る愛に対して、積極的に愛そうという思いは起こらないと思います。


しかし本当に愛ある者になるためには、神が語る愛の形にしていかなければ、愛のない者になります。


ですから、主のことばが語る “愛” を学ばなければなりません。




愛ある人の行動




「互いに愛し合いなさい」と言われたことば通りに 愛し合っているならば、愛ある人です。


愛ある人は、光の中を歩み、つまずくことがありません。

愛ある人は、人々の多くの罪を覆います。


人の罪をバラし、裁いてつまずかせることはしません。

裁く代わりに勧め、とりなしをします。

愛には “犠牲” が伴います。



しかし愛ある人は 義務ではなく、愛があるからこそ自ら犠牲を払います。

代表的な愛の姿が、キリストの十字架の姿です。


口先だけの愛は詐欺師と同じです。

愛のことばで人を騙しているからです。


愛ある人の行動は人を感動させます。

人を生かしますし、人を変えます。




愛がないならば




【第1コリント13章1-3節】

たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。

また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。

また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。

人々は、働きの実や業績が 神様の栄光になると思って熱心に働きます。


しかし、どんなに働いて素晴らしい業績があっても、愛がないならば すべてがむなしいと主が語っておられます。


神が求める1番大切なものがないならば、神はそれを喜びませんし、認めません。


心の動機が愛でないならば、その働きは神のみこころに適う働きにはなりません。




愛ある者になるために




神が教えて下さったみことばから愛を学び、実行していくことです。


また 愛は、聖霊充満によって私たちが聖い生活を送るようになると、人を愛することが出来ます。


愛は成熟した信者の特徴です。


幼子にとって、愛はいつも受けるものだと思います。



しかし成熟した人は、愛は受けるものではなく、与えるものであることを知っています。


愛の神様から愛されている私たちも、その愛に感激して、主のことばのように愛ある者になることです。


2019.1.13
聖日礼拝メッセージ

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