からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


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2018年06月

神に願った二つの事

テーマは 『 神に願った二つの事 』 です

【箴言30章7-9節】

二つのことをあなたにお願いします。私が死なないうちに、それをかなえてください。

不真実と偽りとを私から遠ざけてください。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください。

私が食べ飽きて、あなたを否み、「主とはだれだ」と言わないために。また、私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために。

貴重な真理を学ぶためには、神のことばを聞くことが一番です。

次に、神と深い交わりをした信仰の人々の姿勢から学ぶことです。


本文はアグルの祈りですが、祈りの内容から神への信仰の姿勢を学ぶことが出来ます。

アグルが願った二つのことで、私たちは真理を学ぶことが出来ます。



神のみこころにふさわしく生きることを願う




それは物質的なものよりは、精神的なものに より大きな価値を置いていることがわかります。


【箴言30章8節】

不真実と偽りとを私から遠ざけてください。

このように願いました。

不真実と偽りは、永遠に価値のないものを求めて生きる時に出て来るものです。


むなしい心で生きると、人間は不真実な者になりますし、自分の利益ばかり求めると 相手に嘘をつきます。


それによって罪が生まれ、神の御心にふさわしく生きることが出来ないです。


神を自分の主人として いつも思って生きる人は、神のみこころにふさわしく生きることを第一に求めます。




神を敬い、神に栄光をささげる人生を願う




【箴言30章8-9節】

貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください。

私が食べ飽きて、あなたを否み、「主とはだれだ」と言わないために。また、私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために。

アグルは、富と貧しさから来る誘惑とつまずき、危険性を知っていましたので、それに自分か引っかかることがないように祈りました。


富を得ることは悪いことではないですが、誘惑と危険性がたくさんあります。



まずは物質の豊かさによって高慢になりやすく、自分に恵みを与えた神を忘れやすいです。


すでにこの危険性に対して神は警告しました。


【申命記8章12-14節】

あなたが食べて満ち足り、りっぱな家を建てて住み、

あなたの牛や羊の群れがふえ、金銀が増し、あなたの所有物がみな増し加わり、

あなたの心が高ぶり、あなたの神、主を忘れる、そういうことがないように。

【申命記8章17節】

あなたは心のうちで、「この私の力、私の手の力が、この富を築き上げたのだ」と言わないように気をつけなさい。

豊かになると過去の苦しかったことを忘れて 高慢になりやすいですし、小さいことへの感謝も忘れてしまいます。






また貧しい者は、貧しさのために他人を騙したり盗んだりして罪を犯し、罰を受けて神の御名を汚すことがあります。

または貧しさのために神につぶやき、つまずいたりすることもあります。


貧しさの中でずっと生きると、神に敵対する人々から嘲られることがあります。


ですから、日々の糧が与えられるように神に祈ることです。


また貧しい生活の中で落胆して悲しい顔つきで生きるのではなく、希望をもって熱心に働いて立ち上がるように努力も必要です。



アグルはこれらのことを知っていたので、富や貧しさで神を敬い、神に栄光をささげる生活に支障が出ないように神に願いました。


富と貧しさによって神を忘れることもあれば、信仰生活がなまぬるくなる傾向もあります。


ですから私たちも、アグルがそれらを警戒して神に願ったように 自分たちも警戒し、神に願うことが必要です。


人間は環境の支配を受ける存在です。

環境の変化によって腐敗し堕落し、罪を犯し、高慢になり、神を忘れることは いくらでも起こります。


ですから、いつも神が喜ぶことが何かを考え、御心にふさわしく生きることを心掛けなければなりません。
(*゚∀゚)っ


2018.6.24
聖日礼拝メッセージ

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惑わしの霊に惑わされた人とは

テーマは 『 惑わしの霊に惑わされた人とは 』 です

【第2テサロニケ2章3、9-12節】

だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないからです。


不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、

また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行われます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。

それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。

それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。

終わりの時代の特徴の一つは、サタンが教会の中に惑わしの霊を送り、多くの者が惑わされ、その人たちによって背教が起こることです。


しかし惑わされた人たち、惑わされた教会の悲劇は、それに気付いていないです。

惑わされることは、“ すべてのことが明白にされたにも関わらず、目と耳がふさがれて、事実を悟ることが出来ない” ことです。


教会が惑わされていることは、すでに神のさばきが その教会に臨んであることです。


信じる者が惑わされると、心が頑なになり、目と耳がふさがれるので、自分の罪を悟ることも、真理を悟ることも難しくなります。


その状態のままでいくならば、それがさばきです。

滅びの中にそのまま置かれることが裁きです。


教会でも、惑わしの霊が働くと真理とは関係ないこと、神とは関係ないことが平気に行われます。

非真理を まるで真理のように伝えます。

そして、いつの間にか真理ではなく、人間の教えを教えるところもあります。


信徒たちも あまりそのことを気にすることもないです。


“悔い改めなさい” ということばが、教会で語られてなくても、それを問題ないと考えたりもします。

それは惑わされて目と耳がふさがれている状態です。


ですから、イエス様は よく「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われました。


背教は教会の中から起こります。

すでに背教が始まっているのに、それに気付いていない場合が多いです。






律法学者やパリサイ人は、神に敵対しながらも、自分たちは誰よりも敬虔で、信仰深く、神に喜ばれていると思っていました。

そのようなことが今の時代さらに起こってあります。


覆いがあるので気付かないのです。

“惑わし” という覆いがあるために、目が見えず、耳も聞こえません。


ある特定の思想や理念が骨まで染みて洗脳された人は、自分の思想と理念を守るために、真理であってもそれを蹴ってしまいます。


イエス様が真理を語っても 彼らは真理を悟らず、敵意をもって主を非難しました。

その姿を見たイエス様は、彼らに対して「わざわいだ。目の見えぬ手引きども。」
また「目の見えぬ者たち。」と言いました。

さらに次の箇所では、


【マタイの福音書23章13節】

わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは人々から天の御国をさえぎっているのです。目分も入らず、入ろうとしている人々をも入らせません。

惑わされた者がやっていることは 主が喜ぶことではなく、サタンが喜ぶことをします。


惑わされた人は みことばの知識がないから惑わされたでしょうか。


―― そうではないです。

たくさんの知識があっても惑わされる人がいます。


なぜ神のことばの知識があるのに惑わされたでしょうか?

惑わされやすい人の姿があります。


人を恐れ、人から認められたいと願っている人 が惑わされやすいです。


パリサイ人にも見られた姿です。

今も人を恐れ、人から認められたい思いが強いならば、牧師であっても信徒であっても惑わされます。


それを見て、サタンは惑わしの霊を送り、人々を惑わし、あらゆる不思議なことや奇跡も行います。

それによって人々は惑わされます。


また、苦難を嫌がる人々も惑わされやすいです。


苦難が嫌だから妥協して信仰から退きます。


惑わされた人たちは、自分で愚かなことをしていても、また背教の状態になっていても悟っていません。


惑わしの霊が人の霊を支配するので、その人たちは世の流れに抵抗なく従います。

そして善を悪と言い、悪を善と言います。

正しい分別が出来なくなります。


神が真理を通して罪だと言うのに、それを否定して罪ではないと言う人は 惑わされた人です。


大衆文化、政治、社会、教育、宗教など すべての面にそのような傾向があるならば、自分の中に惑わしの霊が働いている証拠です。


すべてを神の視覚で、神の基準で測ってみるならば、自分が惑わされているか いないかを判断することが出来ます。


神が悪と言ったならばそれは悪ですし、善と言ったものは善です。


世の中の常識とは違っても、神のことばが真理です。


それを曲げている人は惑わしの霊が働いてあります。






聖書には麦と毒麦のたとえ、羊とヤギのたとえがあります。

信じる人の中で、惑わされた人と惑わされてない人を分けます。


自ら信仰があると自慢しても、惑わされた人は主とは関係ない人です。


本当に主との関係が良い人は何も考えず、何の疑いもなく世の思想や価値観、風潮を受け入れず、必ず真理の物差しで霊的分別をします。


しかし人や環境、問題などに振り回されやすい人は、正しい霊的知識も乏しいので、真理の物差しで判断するよりは 周りの意見や自分の思い、自分の価値基準で分別するので、そこで惑わしの霊が働きます。


惑わしの霊は エデンの園でもアダムとエバを惑わし、今も信じる人々を惑わすために様々な策略をもって働いています。


その様子も主が教えて下さいました。

主のことばに目を開き、耳を開いて下さい。


「私は大丈夫だ」 と思うことが一番危ないです。

自分を信頼し過ぎるからです。


【イザヤ書9章16節】

この民の指導者は迷わす者となり、彼らに導かれる者は惑わされる。

【マタイの福音書24章11節】

また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。

【マタイの福音書24章24節】

にせキリスト、にせ預言者たちが現れて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。

アーメン (  ̄っ ̄)

2018.6.10
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必ず代価を払うようになる

テーマは 『 必ず代価を払うようになる 』 です

【マタイの福音書13章18-23節】

ですから、種蒔きのたとえを聞きなさい。

御国の言葉を聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。

また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。

しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間、そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。

また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。

ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」

本文の種まきのたとえは知っていると思います。

今日は「必ず代価を払うようになる」とテーマを決めました。


良い実を結んだ人とは関係なく、良い実を結ばなかった人に対するメッセージです。


畑は、人の心を現してあります。

四つあるので四つのタイプの人が出て来ます。


その中で良い実を結んだ畑は一つだけで、ほかは悪い実を結びました。

良い実がない人は、すべて悪い実を結んだことになってあります。

良い実を期待したのに、期待する実がないことは主の目に悪い者です。


良い実を結んでいない三つのタイプの人は「時を逃した人」と言えます。

神が与えた恵みの時をすべて逃した人と言えます。


良い実を結んだ人は「時を知り、時を生かした人」です。



私たちの人生は与えられた時間だけです。

その中ですべきことをしなければなりません。


実を結んでいない三つのタイプの人の共通点は「時を逃した人たち」ですが、
彼らはどのような時を逃したでしょうか?






  • 悔い改める時があったのに 悔い改めをせず時を逃しました

  • 愛する時があったのに、愛することをせず時を逃しました

  • 赦す時があったのに、赦さずに時を逃しました

  • 福音を伝える時があったのに、福音を伝えませんでした

  • 聖霊によって祈る時があったのに、祈りをしませんでした


なぜ時を逃してしまったでしょうか?

問題は彼らの心にありました。


心によって 神との関係、人との関係、環境も信仰も結ぶ実も変わってきます。


どんなに良いものでも 悪い心の中に入れると、悪いものになってしまいます。

悪い心で良い実を結ぶことは絶対に出来ないです。


私たちの心に傷と苦い根と憎しみ、妬み、争い、劣等感、被害意識、偽り、淫乱、つぶやきなどあらゆる汚いものが満たされてあると、それは悪い心で、そこから聖い信仰も良い実も出ることはないです。


主は最初から「自分を捨てなさい。」と言われました。

このような悪い心を捨てなさいという意味です。


まずは捨てることです。

捨てないならば、その心に愛と聖である主は住むことが出来ません。


悔い改めることは、心にある汚いものを捨てることです。

汚い所に良いものを入れても、悪いものに染まってしまいます。


十字架の前に出て、自分を否定することは、自分の心の中を空っぽにすることです。


肉の思い、偏見、汚い思いを捨てて空っぽにするならば、主はそこに主の愛と赦しと恵みを入れて下さいます。


心に悪いものを貯めた状態で信仰生活をするならば、救いの完成に至ることはありません。





悪霊の例を挙げます。


悪霊はイエス様のことをよく知っていました。

そしてみことばもよく知っていましたし、恐れていました。

「あなたこそ神の子です。」とも言いました。


(悪霊は)救われたでしょうか?

―― 救われていないです。


なぜでしょうか?

悪霊は絶対に悔い改めないからです。


そして自分の過ちも知らないし、愛さず、赦さず、相変わらず自分の悪い思いが要求するまま行動します。

悪い実しか結んでいないです。


ですから永遠の滅びしか残されてないです。



もし自分で信仰があると言い、賜物を使って働いたと言っても、心の中に悪い思いを持ったままなら、救われていない悪霊と同じ扱いを受けるようになります。


神が与えた時を逃し、すべきこともせず、自分の思いのままに生きた人たちに 神は代価を払わせます。


良い実を結んだ人は、すでに主が十字架で代価を払って下さったので払う必要がありません。


しかし悪い実を結んだ人たちに対しては厳しい代価を払わせます。

死んだ後に必ず代価を払わせますが、生きている時にも代価を払う時があります。


次の箇所は代価を払う姿です。


【マタイの福音書7章19節】

良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。

【マタイの福音書7章22-23節】

その日には大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇跡をたくさん行ったではありませんか。』

しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』

【ヨハネの黙示録20章13-15節】

海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行いに応じてさばかれた。

それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。

いのちの書に名の記されていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。

これからの時代でも代価を払う時が来ます。

今は終わりの時代です。


終わりの時代に定められてあるのは、携挙と7年の大患難、そして主の再臨と裁きです。


三つのタイプの人たちは、残念ながら携挙されません。

地上に残されて大患難を受けます。


ノアの時代のように箱舟の戸が閉められた後に、外に残されて大洪水でいのちを落としました。


主と携挙された人たちは 婚礼の祝宴に入りますが、祝宴の戸が閉められて外に残された人たちは、大患難の中で代価を払わなければなりません。


キリストの苦難の十字架によって もたらされた永遠のいのちと救いを軽く考え、ないがしろにした代価を払わないといけないです。


大患難の中で耐えられるでしょうか?

火のような試練の中での信仰生活はほぼ無理です。


結局サタンの奴隷にされ、サタンが受ける同じ扱いを受けます。


時が少ししか残されていません。

時を知り、時を生かしますか?


それとも時を逃して自分の思いのままに生きますか?


今は決断の時です。 ( -д-)ノ


2018.6.3
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