からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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2017年11月

礼拝を捧げていますか

テーマは 『 礼拝を捧げていますか 』 です

ハレルヤ。

主の恵みと平安を祈ります。


皆さんは毎日、主に礼拝を捧げているでしょうか。

賛美をささげているでしょうか。


祈りをしていますか?
みことばを読んでいますか?


それをしているならば、その人は主に礼拝をささげている人です。


賛美も祈りも、主が喜ぶことです。

私たちの心を主に向けることです。


賛美をたくさん捧げると、自然に口から賛美が流れます。

それによって、いつも主に礼拝を捧げることができます。


歩きながらも賛美するならば、主に礼拝を捧げている姿です。


最近は毎日、10曲の賛美を捧げています。


1ヵ月以上それを続けています。

始めて良かったと思います。


なぜなら自分の中に賛美がとどまるようになり、自然に心の中から賛美が出るようになりました。


祈りたいのに、祈りができない時は、サタンの攻撃を受けています。

サタンが祈りを妨害しています。


その時は祈るのをやめるのではなく、賛美を大きな声で歌ってみてください。


主の前に出て、賛美を歌い続けていく時に、サタンは追い出されていきます。

そうすると祈りができる霊の状態になります。


主は賛美の中におられる方ですから、賛美の中で働いてくださいます。

救われて間もない時に、イエス様に対する感謝と嬉しい気持ちがいっぱいでした。


その時よく歌った賛美がありました。

聖歌ならば、284番です。


主イエスを想う時、私はいつも韓国語でその賛美を歌っていました。


賛美を口ずさみ、みことばをいつも口ずさむならば、
自分の心を守ることもできますし、神様が喜ぶ礼拝も捧げることができます。


アーメン v( ̄∇ ̄)v


2015.3.9
3分テレフォンメッセージ

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何を感謝するのか

テーマは 『 何を感謝するのか 』 です

【詩篇103章1-5節】

わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。

わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、

あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、

あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように新しくなる。

詩篇103編は、波乱万丈の人生を生きた ダビデ王が書いた箇所です。


103編は全部で22節ありますが、1節はこのように始まりました。


【詩篇103編1節】

わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。

そして22節は、次のことばで終わりました。


【詩篇103編22節】

主をほめたたえよ。すべて造られたものたちよ。主の治められるすべての所で。わがたましいよ。主をほめたたえよ。

これで分かるように、詩篇103編は「神の恵みに対する感謝の賛美」です。

ダビデは、どんな時にも 絶えず神に感謝の賛美をささげた人物でした。


感謝の賛美は、神がとても喜ぶいけにえなので、ささげるように言われています。


【ヘブル13章15節】

ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。

神の恵みを知っている人は誰でも、神に感謝の賛美をささげることが出来ます。

それも絶えずささげることが出来ます。


私たちは何を 神に感謝すべきでしょうか?





すでに受けた恵みに感謝すること




地上で神の恵みを受けていない人は、1人もいません。

すべての人は神が造った世界で、色々な恵みを 生まれながら受けています。


たとえ過酷な環境の中で生まれたとしても、神が最初からそのような環境にしたのではなく、良い環境だったところを人間が破壊して悪くしましたし、人間の罪と悪によって良いものを得られなくなったことが多いです。


信じる者は、“特別な恵み” を神から受けました。

本文にもあるように、


罪が赦されたこと、死から命に移され救われたこと、神の裁きの代わりにあわれと恵みと愛を受けたことに感謝しなければなりません。


そして、霊肉とも癒されたこと、サタンから解放されたことも、私たちが受けた恵みです。


このことを忘れず、絶えず神に感謝をささげることです。


感謝を忘れる時から罪が始まります。


イスラエル人が そのことを見せました。


長い間、エジプトで苦しんでいた民を 神はあわれんで、エジプトに厳しい災いを下して、イスラエル人を救い出しました。


そして追跡して来たパロとその軍勢に対しても裁きを下し、イスラエル人が無事に紅海の海を渡れるようにしました。

完全な救いでした。


その恵みを受けた直後に、モーセとイスラエル人は神に感謝の賛美をささげました。


【出エジプト記15章1-3節】

そこで、モーセとイスラエル人は、主に向かって、この歌を歌った。彼らは言った。「主に向かって私は歌おう。主は輝かしくも勝利を収められ、馬と乗り手とを海の中に投げ込まれたゆえに。

主は、私の力であり、ほめ歌である。主は、私の救いとなられた。この方こそ、わが神。私はこの方をほめたたえる。私の父の神。この方を私はあがめる。

主はいくさびと。その御名は主。

このように主が喜ぶ感謝の賛美をささげました。

しかし3日後には別の姿がありました。それは “主の恵みをすっかり忘れた姿” でした。


3日間、荒野を歩きましたが、水がなく、マラに来ましたが、その水は苦くて飲めませんでした。


すると民は次のようになりました。

民はモーセにつぶやいて、『私たちは何を飲んだら良いのですか。』と言いました。


受けた恵みのことは すっかり忘れて、現実の問題を見て つぶやきました。

これが人間の弱さであり、罪深さです。


受けた恵みをすぐに忘れることが多く、すぐ つぶやくので、「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」と言われてあります。


「受けた恵みなんか無い」という人は 大ウソつきであり、目が見えない人であり、良心が麻痺した人です。





今受けている恵みに感謝すること




現在受けている恵みに感謝するためには、満ち足りる心を伴う “敬虔” が必要です。


【第1テモテ6章6-10節】

しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。

私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。

衣食があれば、それで満足すべきです。

金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。

毎日、様々なニュースに接する度に 感謝することが多いです。


自然災害や事件、事故がない日はありません。

悲惨な目に遭った人が、特別に悪い人で 罪深いからでしょうか?


そんなことはないです。そういうことは誰にでも起こることです。

たまたま その人たちが そういう目に遭っただけで、自分たちも いつ どんな目に遭うかは誰も知らないです。


ですから、苦しみに遭っている人には 憐れみの心を持ち、いま自分が守られていることに対しては、感謝をささげないといけないです。


日々の食べ物があることが本当に感謝です。
家があることも感謝です。


トイレがあることも感謝です。
インドでは、トイレのある家が53%です。

他の貧しい国に行けば、もっとひどく トイレも水道も何もないです。


そこに生まれた人は、一杯の水でも感謝します。

それも また人々と分け合います。


快適な環境にいながら感謝しないと、本当に罰が当たりますね。


信仰の自由がある今、生きていることも感謝です。

この状況が いつ変わるか分かりません。


大きな患難がないこともすごく感謝です。


感謝できる恵みがいま存在しているのに、欲張りの心が働いて感謝出来ずにいるならば、その人は結局、悲しい末路を迎えることになります。





これから受ける恵みに感謝すること




これから受ける恵みに感謝するためには、神の約束を信じる信仰が必要です。

神の約束は保証された祝福であり、恵みです。


たとえ苦難の中にいる人でも、神の約束を知り、その約束を信じるならば 希望が出て来ます。

希望ある人は その保証された約束を信じて、苦難の中でも感謝することが出来ます。


苦難の中には、絶望だけがあるのではありません。


神は そこに “約束” という恵みを送って下さいます。


それを受け取る人は、恵みに感謝し、それによって勝利することが出来ます。

アブラハムの例を見ます。


【ヘブル11章17-19節】

信仰によって、アブラハムは、試みられたときイサクをささげました。彼は約束を与えられていましたが、自分のただひとりの子をささげたのです。

神はアブラハムに対して、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる」と言われたのですが、

彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです。これは型です。

アブラハムは約束を信じたので、イサクをささげるように 神から言われた時に、パニックになることもなく、神のことばに従順しました。


神は彼の信仰を祝福し、イサクの代わりになる一頭の雄羊を用意していました。

アブラハムは初めからそのことは知りませんでした。


祭壇の薪の上にイサクを載せ、刀を振り上げた時に 神が知らせて下さいました。


神が良いことをして下さったので、アブラハムはその場所をアドナイ・イルエ(主の山には備えがあるという意味)と名づけました。


約束に対する信仰、感謝を伴う従順があったので、神は特別な祝福を与えて下さいました。


神は特別な祝福を与えると約束して下さいました。

どのような人に与えるでしょうか?


【詩篇103編11-13節】

天が地上はるかに高いように、御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。

東が西から遠く離れているように、私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される。

父がその子をあわれむように、主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。

主を恐れる人に特別な祝福を与えます。

次の箇所にもあります。


【詩篇103編17-18節】

しかし、主の恵みは、とこしえから、とこしえまで、主を恐れる者の上にある。主の義はその子らの子に及び、

主の契約を守る者、その戒めを心に留めて、行う者に及ぶ。

そして主は主を恐れる者に恵みと憐れみとの冠をかぶらせ、一生を良いもので満たされます。


過去に受けた恵み、いま受けている恵み、これから受ける恵みに感謝する私たちになれますように。
アーメン (*´∇`*)


2017.11.19
収穫感謝礼拝メッセージ

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ルツはどんな信仰を持っていたのか

テーマは 『 ルツはどんな信仰を持っていたのか 』 です

【ルツ記1章1-18節】

さばきつかさが治めていたころ、この地にききんがあった。それで、ユダのベツレヘムの人が妻とふたりの息子を連れてモアブの野へ行き、そこに滞在することにした。

その人の名はエリメレク。妻の名はナオミ。ふたりの息子の名はマフロンとキルヨン。彼らはユダのベツレヘムの出のエフラテ人であった。彼らがモアブの野へ行き、そこにとどまっているとき、

ナオミの夫エリメレクは死に、彼女とふたりの息子があとに残された。

ふたりの息子はモアブの女を妻に迎えた。ひとりの名はオルパで、もうひとりの名はルツであった。こうして、彼らは約十年の間、そこに住んでいた。

しかし、マフロンとキルヨンのふたりもまた死んだ。こうしてナオミはふたりの子どもと夫に先立たれてしまった。

そこで、彼女は嫁たちと連れ立って、モアブの野から帰ろうとした。モアブの野でナオミは、主がご自分の民を顧みて彼らにパンを下さったと聞いたからである。

そこで、彼女はふたりの嫁といっしょに、今まで住んでいた所を出て、ユダの地へ戻るため帰途についた。

そのうちに、ナオミはふたりの嫁に、「あなたがたは、それぞれ自分の母の家へ帰りなさい。あなたがたが、なくなった者たちと私にしてくれたように、主があなたがたに恵みを賜り、

あなたがたが、それぞれ夫の家で平和な暮らしができるように主がしてくださいますように」と言った。そしてふたりに口づけしたので、彼女たちは声をあげて泣いた。

ふたりはナオミに言った。「いいえ。私たちは、あなたの民のところへあなたといっしょに帰ります。」

しかしナオミは言った。「帰りなさい。娘たち。なぜ私といっしょに行こうとするのですか。あなたがたの夫になるような息子たちが、まだ、私のお腹にいるとでもいうのですか。

帰りなさい。娘たち。さあ、行きなさい。私は年をとって、もう夫は持てません。たとい私が、自分には望みがあると思って、今晩でも夫を持ち、息子たちを産んだとしても、

それだから、あなたがたは息子たちの成人するまで待とうというのですか。だから、あなたがたは夫を持たないままでいるというのですか。娘たち。それはいけません。私をひどく苦しませるだけです。主の御手が私に下ったのですから。」

彼女たちはまた声をあげて泣き、オルパはしゅうとめに別れの口づけをしたが、ルツは彼女にすがりついていた。

ナオミは言った。「ご覧なさい。あなたの弟嫁は、自分の民とその神のところへ帰って行きました。あなたも弟嫁にならって帰りなさい。」

ルツは言った。「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。

あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。」

ナオミは、ルツが自分といっしょに行こうと堅く決心しているのを見ると、もうそれ以上は何も言わなかった。


ルツと言う人が持つ信仰が どのようにして生まれたのか、
異邦人であったルツが どのようにしてイエス様の系図に入るようになったのかを 今回は学びたいと思います。


また、ルツを通して働く神の救いの計画は何でしょうか?




ルツの信仰がどのようにして生まれたのかを
本文で知ることが出来ます




彼女が生まれ育ったモアブは、様々な神と呼ばれるものがあり、真の神を知らず、むしろ神が忌み嫌う偶像の神を熱心に信じていました。


モアブとイスラエルの関係と言えば、過去にイスラエルを呪うように モアブの王バラクが悪の力を持つバラムを呼んだこともありました。

荒野でもイスラエルの行く手を妨害したこともありました。

ですから両国は良い関係ではなく、むしろ敵対する悪い関係でした。


しかし、ルツという女性は 自分の国に移住して来たユダヤ人家族に出会い、そこの息子と結婚しました。


それまで偶像崇拝をしていたルツが、信仰ある家庭に嫁ぎました。


それによって ルツは信仰を持つようになりました。

それがルツの人生を大きく変えるきっかけになりました。



女性は結婚することで、それまでとは違う生活が始まることが多いです。

特に東洋ではさらに強いです。


嫁は、嫁ぎ先の宗教、習わしなどをそのまま受け入れなければならない 昔からの暗黙のルールがありました。

先進国ではだいぶ変わり、今は嫁の立場がもっと強くなっているところもあります。


しかしルツは結婚した時に、今まで自分が信じていたのとは違う神、違う信仰を受け入れる覚悟を決めて嫁いだと思います。


そのルツの結婚生活に、不幸なことが起こりました。

舅も旦那も義理の弟も亡くなり、三人の女性だけが残されました。

三人は弱い立場の やもめになりました。


若い二人の嫁は、旦那が死んだからと言って姑から離れて実家に帰ることも出来ない時代でした。

ですから最初、ナオミは 二人の嫁を連れてベツレヘムに戻ろうとしました。


でもナオミは考え直して、二人の嫁を自由にすることを決めました。

そしてそのことをはっきり二人の嫁に伝えました。


最初は二人の嫁もその提案にびっくりしました。

多分そういう話を周りから聞いたこともなかったと思います。


ですから戸惑い 受け入れませんでしたが、ナオミのさらなる勧めで決断しなければならなくなりました。

その結果、オルパはモアブに残ることになり、ルツは強い意思で姑と一緒に行くことにしました。






なぜルツはそのような決断をしたのでしょうか?

現実的にナオミと一緒に行くことは、ルツにとってどのような得があるでしょうか。


人間的には愚かな決断でした。

なぜかと言うと、自らいばらの道を選んだからです。
そこはどう見ても、苦難しか見えない道ですから。


姑の面倒を一生診ないといけない 誰もが選びたくない道を、彼女は自分の意思で選びました。


昔から今に至るまで嫁と姑の問題は多くの人が抱える大きな問題です。


特に東洋ではもっと深刻です。

今でも “嫁が、舅や姑の介護をすべきだ” と考える人が多いですね。


その役割をしたくないし、何で旦那が死んでからも その家族の世話を嫁がしないといけないのかと、納得いかない多くの嫁たちが、旦那が死んだ後に籍を抜いて旦那の家族と訣別する人がどんどん増えています。


介護は大変だからです。

心が優しいか、優しくないかの問題ではないですね。

いつ終わるか分からない “いばらの道” だからです。


ルツはなぜ そのような決断をしたでしょうか?

心の優しい女性だから仕方なくそのような決断をしたでしょうか。
―― そうではなかったです。


ルツは心優しい女性ですが、それが決断の根源ではなかったです。

すると何を基準にして決断したでしょうか?


彼女の決断は、人の目にはとても愚かな決断に見えます。


何のためにわざわざそんな苦しい道を選ぶのか分からないと人々が言うでしょう。


ユダヤに行けば差別も受けるし、知り合いもいないし、生活の基盤もないし、再婚できる望みもほとんどないのに、何のために行くのかとみんなは思ったでしょう。

モアブに残るのが一番良いと全員が言ったかも知れません。






もし皆さんなら、また皆さんの娘のことならば、ナオミと行くように勧めるでしょうか?

むしろ思い止まるように、必死に説得すると思います。

安定した苦労のない生活を人々は一番求めるからです。


ルツにはそういう考えがなかったでしょうか。

当然あると思います。


でも彼女は、常識的な考えで決断したのはありません。

安定した生活を一番の優先にしたわけでもありません。

人々があまり考えない “違う考え方” をしました。


多くのクリスチャンも、このような決断の時には、世の人と変わらない決断をします。


しかし ルツは、捨てるべきものと絶対捨ててはいけないもの、全部を失っても絶対失いたくないものが何かを考えました。


そして、そこに残ったものを彼女は選びました。
それは何でしょうか?


それは真の神を選ぶことであり、その神を信じる信仰を選ぶことが一番であると考えてモアブを離れ、ナオミと一緒にユダヤに行く決心をしました。


信仰がそのように導きました。

彼女の決断は、信仰から出た決断でした。

彼女のことばでわかります。


【ルツ記1章16節】

あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。

ここで神の話が出てきました。

ルツは選民の中に入ることを願っていました。



真の信仰とは何でしょうか?


自分が信じた真の神を、最後まで信じて従うことです。


「いのちの道が険しく狭い道である。」と言われた理由がそこにあります。


その道に入る人は、たくさんのものを持って入ることが出来ないです。

むしろ多くのものを犠牲にしなければならない道です。


安定した生活や家族、人々からの非難も 将来の夢も犠牲にしないといけないこともあります。

それでも良いと思う人が その いのちの道を選びます。


それが真の信仰であり、尊い決断をさせる決め手になります。






犠牲にするのは無理と思うならば、信仰の決断は出来ないです。

絶対に手放せない何かがあるならば、決断の時は それに優先権を与えてしまいます。

そして信仰は形だけの信仰になります。


神や信仰は失っても、あるものは失いたくないという思いで決断するならば、真の信仰とは言えないですね。


真の信仰は、救いに至る信仰です。


どんな時にも神への信仰、愛、献身があります。


一度手にした信仰を絶対に手放さず、神の選びにふさわしく生きようと日々励んでいます。


ルツが姑ナオミについて行ったのは、続けて神を信じるためでした。


自分の国に残るなら、まったく信仰生活が出来ないことを彼女は知っていました。

毎日 偶像崇拝する生活が根付いていたからです。

ですから そこを離れなければならなかったです。


モーセがパロの所にとどまって贅沢な生活をするより、神の民と共に苦しみを受けることを選んだのと原理は同じです。


ルツは、ナオミに自分の人生をささげたのではなく、神に自分の人生をささげました。

そして彼女が選んだ道は、未来のない絶望な道ではなく、神の祝福を受ける祝福の道でした。


これは信仰のない人には見えない道です。


生ぬるい信仰、堕落した信仰を持つ教会、信徒はいつも広い道を求め、広い道を選びます。

そして世にあるものをたくさん手に入れようとします。

教会はさらに大きい教会を目指します。


そのために、個人の生活や教会に人間の考え、方法、やり方がいっぱい入って来ます。

そして、それらを喜んで用います。


しかしそれは神が示した道ではありません。






ルツは神への正しい信仰をもって正しい道を選びました。

神の保護のもとに身を避ける人を神は喜びます。

そして神ご自身がその人を祝福します。


ルツは実際食べるものを得るために朝から晩まで苦労して働きました。

それでも彼女は喜んで働きました。


しばらくして神の憐れみと恵みが彼女に注がれ、素敵な男性ボアズを 神はルツに与え、家庭を持つようにしました。

彼女は以前よりも はるかに祝福された女性になりました。


そしてその子孫にはダビデが生まれました。

またメシアであるイエス・キリストも生まれました。

神は彼女の真の信仰に答えて下さいました。


伝説によれば、ナオミにもう一人いた嫁オルパはどのようになったでしょうか?


彼女には信仰が見られませんでした。

ですから人間的な決断をして安定した道を選びました。


やがて彼女も ある男性と結婚し、その子孫にゴリヤテがいるという話です。


後の時代に、ルツの子孫ダビデと、オルパの子孫ゴリヤテは戦い、ダビデは 神に敵対した勇士であるゴリヤテを殺しました。


一人の信仰の決断は、後の子孫までに影響を与えます。


神を選んだルツの決断が正しい決断であることは、神ご自身が証明して下さいました。


それによって異邦人がキリストの系図に載る素晴らしい祝福と永遠のいのち、神の民になる祝福、平安な家庭まで築く祝福を受けました。


彼女の信仰と決断を、愚かだと誰が言えるでしょうか?


新約聖書で、パウロは信仰の決断をした人と しなかった人の違いをこのように語りました。


【第1コリント1章18節】

十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。

【第1コリント1章23-24節】

しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、

しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。

アーメン v( ̄∇ ̄)v

2017.11.12
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家族の救いのための祈り

テーマは 『 家族の救いのための祈り 』 です


家族の中に、まだ救われていない人がいて、救いのために祈る人は多いと思います。

私自身も兄弟の中に、まだ救われていない家族がいるので、そのために祈っています。


家族が救われるために、いくつか参考になることを伝えます。



まず、伝道は主の命令であることを覚えましょう。

イエス様がクリスチャンに与えた最高の命令は伝道です。


伝道は全世界より尊いたましいを救いに導いて、永遠のいのちを得させることだからです。


自分だけ救われて、家族の救いにはまったく関心がないクリスチャンも今まで見てきました。


それは神様の命令に背くことです。


必ず家族にも伝道しなければなりません。



家族に対する私たちの目標は、神の栄光であることを知りましょう。

神様が私たちをクリスチャンにしたのは、神の栄光のためです。


神様が家族を救うのも、神の栄光のためです。



私たちは家族に対して嫌な思いがあると、「救われなくても良い」という思いまでしますが、それは自分の個人的な感情であって、神のみこころではありません。


神は誰一人、滅びることを願いません。

むしろ皆が救われることを願っています。


家族が救われることに対して、確信を持ちましょう。


家族は神の約束によって救われることがあります。


「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」


このことばを覚えましょう。





イエス様を信じたことで、ご主人から激しい迫害を受けた婦人がいました。

聖書は火の中に投げられ、出られないように髪の毛も切られ、暴力も受けました。


しかし、その婦人はそれでも台所で泣きながら、夫の救いのために祈り続けました。


ある時、その祈りが夫の心に深く刺さりました。

それから一緒に教会に行き、誰よりも熱心な信徒になり、奥さんをとても大事にする旦那に変わりました。





家族の救いのためには、絶えず祈ることが必要です。


人間の罪が、サタンの妨害があるので簡単に導かれないことも多いです。


ですから霊的戦いのための祈りも必要です。
絶えず祈ることです。




また、伝道に対する落胆は、神のみこころではありません。

落胆する人は、神のみこころを成し遂げることができません。


祈りはじめたものの、答えがすぐ無いことで、失望して祈らなくなる人も多いですが、 落胆せずに祈ることです。


家族の前に、変えられた姿を見せることです。


信仰は聞くことから始まるので、聖書のことばを家族によく語るようにしましょう。


また、聖徒たちの集まりに家族を招待することも良い方法です。

神の家族に触れることで、心が変わることがあります。


そして家庭の中でも神を礼拝してください。


家庭の中に神が働くようにするのも、家族の 救いのためです。
(・∀・)つ


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