からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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2017年03月

空中再臨と地上再臨

テーマは 『 空中再臨と地上再臨 』 です

【使徒の働き1章9-11節】

こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。

イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。

そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」

キリストの誕生、キリストが受けた苦難、十字架、キリストの死、そして 復活は、すでに過去に起きたことなので、キリスト者はもちろん知っていますが、未信者の中でも多くの人が知っています。


しかしキリストの再臨はどうでしょうか?

未信者の人は、ほとんど知らないと思います。


キリスト者の中では 再臨を信じて、日々 主の再臨を待ち望んでいる人もいれば、信じない人もいますし、頭では知っていますが、あまり関心もなく 準備をしない人も多いです。


しかし “再臨” は必ず起こることで、すべての終わりを意味します。


いのちと死、救いと滅び、天国と地獄 に分かれていきます。

(その時になってからでは)チャンスがないです。


再臨に対して 主ご自身が何度も語り、主の弟子たちも聖霊によって語りました。


主の再臨は二度あります。


一度だと思っている人は間違えています。

なぜならば 空中再臨と地上再臨は、“目的と再臨の時の様子” が全然違うからです。


今回は、空中再臨と地上再臨の目的と、その時の様子、そして空中再臨の時に起こる 聖徒の携挙について学びます。

携挙されるためには どうしたらよいのかも話します。


再臨の間にある様々なことは、内容が膨大なので、また別の礼拝の時に伝えます。




空中再臨の目的と主の姿、聖徒の携挙




主は、主の再臨を待ち望んでいる聖徒たちを迎えるために 空中再臨をします。


キリストは、そのことを “花婿が花嫁を迎えに行く姿” だと語りました。


主が空中再臨するので、その時に聖徒の携挙が起こります。

空中の主の所に、地上から引き上げられ、主に会います。


【マタイの福音書24章30-31節】

そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。

人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。

【第1テサロニケ4章16-17節】

主は、号令と、御使いたちのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、

次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

この時に携挙される聖徒たちにとっては、この日は 最高の喜びの日であり、祝宴の日であり、愛する主に会う最高に幸せな日になります。


結婚式に望む花嫁の姿になります。

その時に、朽ちない体に変えられ、地上を離れて永遠の御国に入ります。


(※携挙のことは、とても奥が深いので また別の日に話します)


空中再臨の時の主の様子は、大能と輝かしい栄光を帯びて雲に乗った姿です。


その時のイエス様の姿は、十字架で死んだときのような悲惨な姿ではありません。

勝利した王の王、主の主の姿です。



空中再臨の時、地上では かつてないほどの大患難が始まっています。


長い間、人間の悪に対して忍耐した神の怒りの裁きが始まっています。


信じない者、悔い改めない者、にせ預言者、サタンに従って あらゆる悪を行った者、そしてこの世と妥協し堕落した信徒、警告を無視し生ぬるい信仰で準備が出来なかった信徒たちは、地上に残されて激しい迫害を受けます。


しかし目を覚まして主の再臨を迎える準備が出来た信徒たちは、すでに引き上げられているので その苦しみを受けることはありません。




地上再臨の目的と主の様子




空中再臨の後に、地上再臨があります。

地上再臨の目的は、世界を完全に滅ぼすためです。


悔い改めることもなく 主を信じず、偶像崇拝をし、あらゆる悪を行った者に対する裁きです。


この時の主は、厳しい裁き主として来られます。

どのようなことをするのか、次の聖書のことばにあります。


【ヨハネの黙示録19章11-21節】

また、私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、「忠実また真実」と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる。

その目は燃える炎であり、その頭には多くの王冠があって、ご自身のほかだれも知らない名が書かれていた。

その方は血に染まった衣を着ていて、その名は「神のことば」と呼ばれた。

天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。

この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。

その着物にも、ももにも、「王の王、主の主」という名が書かれていた。

また私は、太陽の中にひとりの御使いが立っているのを見た。彼は大声で叫び、中天を飛ぶすべての鳥に言った。「さあ、神の大宴会に集まり、

王の肉、千人隊長の肉、勇者の肉、馬とそれに乗る者の肉、すべての自由人と奴隷、小さい者と大きい者の肉を食べよ。」

また私は、獣と地上の王たちとその軍勢が集まり、馬に乗った方とその軍勢と戦いを交えるのを見た。

すると、獣は捕らえられた。また、獣の前でしるしを行い、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝む人々とを惑わしたあのにせ預言者も、彼といっしょに捕らえられた。そして、このふたりは、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれた。

残りの者たちも、馬に乗った方の口から出る剣によって殺され、すべての鳥が、彼らの肉を飽きるほどに食べた。

この時は雲ではなく 白い馬に乗って、一人ではなく 勝利した聖徒たちと共に来られます。


【ゼカリヤ書14章3-5節】

主が出て来られる。決戦の日に戦うように、それらの国々と戦われる。

その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。オリーブ山は、その真ん中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。山の半分は北へ移り、他の半分は南へ移る。

山々の谷はアツァルにまで達するので、あなたがたは、わたしの山々の谷に逃げよう。ユダの王ウジヤの時、地震を避けて逃げたように、あなたがたは逃げよう。私の神、主が来られる。すべての聖徒たちも主とともに来る。

主が地上再臨する時が世界の終わりです。


それまでに地上では すでに多くの災難や戦争や疫病などで、多くの人々が死んでいます。


黙示録に詳しいことが全て書かれてあります。




携挙されるためにどんな準備をすべきなのか




携挙される聖徒はわずかで、多くの聖徒たちは残されると言われてあります。


信仰告白した人ならば、全員携挙されると言われることばは、事実ではありません。


目を覚まして用意していない人は残されます。

口先だけの信仰で良い実を結んでない人も残されます。


聖くなければ、だれも主を見ることは出来ません。




二重生活 (信仰と生活が別々)




生活の中に 信仰の実がなく、死んだ信仰、むなしい信仰、無価値な信仰生活をしている人は、悔い改めない限り 携挙はないです。


神の御心に適う信仰、神が認める信仰 (不平、不満、つぶやき、不安、絶望、怒り、悲しみの生活、世を愛して世に従うのではなく、


主を一番に愛すること、福音にふさわしく生きる、光と塩の生活、真実で偽りのない生活、聖別された生活、


いつも喜び、絶えず祈り、すべてに感謝する生活、主に従う生活をする、みことばに従う生活、祈りの生活、罪の悔い改め(聖さ)、罪から離れる生活、偽善を捨てる)を持って、再臨を準備する人を 主は患難の時に引き上げて下さいます。



黙示録の七つの教会のうち、五つの教会から非難と悔い改めが命じられました。


非難されていない教会に対しては、主の約束のことばがありました。

それは携挙とも思われます。


【ヨハネの黙示録3章10節】

あなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。

主のことばを守って生きている者に対して、主も守って下さると約束してくださいました。




主の再臨はとても近い




再臨の前兆に対して聖書は啓示しました。

いま すべてが成就されました。


その啓示には、イスラエルの建国、ロシアの浮上、信仰からの離脱、背教、旅行と知識の増加、新世界政府の計画、戦争や内戦などがありますが、すべて預言通りになりました。

これ以外にも様々な前兆があります。


【マタイの福音書24章42-44節】

だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。

しかし、このことは知っておきなさい。家の主人は、どろぼうが夜の何時に来ると知っていたら、目を見張っていたでしょうし、また、おめおめと自分の家に押し入られはしなかったでしょう。

だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。

空中再臨も地上再臨も 作り話ではありません。


今 世界は混乱があり、たくさんの問題があります。

以前とは違いますね。


聖徒に対する残忍な迫害もあります。

多くのクリスチャンたちは、この時代がどれほど深刻であるのかを全然知らないです。


教会は 時代を分別出来ず、沈黙しています。

再臨の話をすると、まるで異端や頭のおかしい人のように見ています。


主のことばに耳を傾け、この世を見て下さい。

主のことば通りになってあります。


信じて行動する者になりましょう。

主の再臨への準備がとても必要です。
Σヾ( ̄0 ̄;ノ

2017.3.26
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あなたの主はだれですか?

テーマは 『 あなたの 主 はだれですか? 』 です

【第1ペテロ3章15節】

むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。

神は 私たちに聞きます。

「あなたの主は誰なのか。」


私も、私自身に聞きます。

「あなたは誰を主にしたいのか?」


誰が 私の心の中の “主” になるべきでしょうか?


神の答えは「キリストを主にしなさい。」です。




なぜ “キリスト” でしょうか




キリストは、どのようなお方でしょうか?


キリストは私たちを救う方です。

私たちに慰めが必要な時に、慰めて下さる方です。


そして、私たちの心と体を いやして下さる方です。


また、私たちを罪の束縛から 解放して下さる方です。

私たちをひとみのように 守って下さる方であり、私たちのことを 私たち以上に よく知っておられる方です。


私たちにとって、一番よいものが何かを知っておられる方で、私たちに教えて下さる方です。


私たちに 世が知らない知恵を 与えて下さる方です。

私たちが行くべき道を一番よく知って導いておられる方です。


王の王、主の主です。


私は この方(イエス・キリスト)を “主” にしてから、これらすべてを体験しました。

すべてが真実でした。



この方を、“自分の心の主” にしたいと思いませんか?


口先だけで「主よ。主よ。」と言うのは、キリストを主にしている姿ではありません。


心の中で、キリストを主として崇めないといけないです。


心の中で、主として崇めることは どういうことでしょうか?

このことばを参考にして下さい。


【イザヤ書8章13節】

万軍の主、この方を、聖なる方とし、この方を、あなたがたは恐れ、この方を、あなたがたのおののきとせよ。



キリストを 心の主として崇めるならば、
私たちの人生はどのような人生になるのか




  • 神のことばを聞いて従順する人、忠実な人になる

  • キリスト者として聖なる敬虔な人になる。

  • 主のいのちが私に注がれるのでいのちあふれる人生になる。

  • 希望ある人生になる(復活、天国、罪の赦し、変わらない神の約束、報いなどを受ける。

  • 聖霊の導きを受ける人生になる。



もし 違うものが心の主になるならば、どうなるのか




≪ “私自身” が 私の主ならば ≫

・神から遠く離れた放蕩息子(ルカの福音書15章の内容)のように、孤独な人生、悲惨な人生になる


≪ 貪欲(富、名誉、権力、快楽などを愛し求める欲)が私の主ならば ≫

・いつも罪の誘惑に負けて罪の奴隷になり、堕落の人生になる


≪ サタンを主にするならば ≫

・とんでもない悪を行う者になる


イエスをお金で売った 弟子の1人であったイスカリオテ・ユダのような人、弟アベルを殺したカインのような人、平気に人を殺したり、悪を行う者、そして今もISなどテロ集団に入っているような者は、“サタン” を自分の主にしています。


自分自身が認めなくてもそうです。

そうじゃないと 人間として そのようなことが出来るでしょうか。


彼らは喜んで悪を行います。

そのような人は 皆、サタンの奴隷です。


環境が、人が、自分を変えるのではないです。

本当に自分を変えるのは、自分が “だれを自分の心の主にしたか” によって変わります。


外にあるものからは色々と影響を受けますが、自分の心の中で誰を主にするかは 他人が決めるのではなく、自分が決めることが出来ます。


自分が心の中に誰を主として崇めるかによって、私たちは(今までとは)違う人生を生きるようになります。
v( ̄∇ ̄)v


2017.3.19
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弟子になれる人と弟子になれない人

テーマは 『 弟子になれる人と弟子になれない人 』 です

【ルカの福音書9章22-27節】

そして言われた。「人の子は、必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、そして三日目にはよみがえらねばならないのです。」

イエスはみなの者に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。

人は、たとい全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の得がありましょう。

もしだれでも、わたしとわたしのことばとを恥と思うなら、人の子も、自分と父と聖なる御使いとの栄光を帯びて来るときには、そのような人のことを恥とします。

しかし、わたしは真実をあなたがたに告げます。ここに立っている人々の中には、神の国を見るまでは、決して死を味わわない者たちがいます。」

イエス様が弟子たちを選んだ理由は、もちろん弟子として育てるためでした。


イエス様が死んで三日目によみがえって、そのまま地上に残るのではなく 天に帰るので、弟子たちにはイエス様がなさった同じことをするように伝えました。


彼らにはすでに生活がありましたが、イエス様は彼らが主の弟子になることを要求しました。

そして弟子になることが どういうことかも教えました。


弟子になる人の条件は「自分を捨て、自分の十字架を負い、そして主に従うこと」です。


自分を捨てることは自己否定です。

自己否定の意味は、罪の性質の中で生きる自己中心性を捨てることです。


“罪” とは悪いことだけではなく、正しいことを知っていながらもそれをしないことです。


自分がしたいことをするために すべきことを知りながらも、しないことが多いです。


自分のものをしっかり握りしめて、それを手放さないで主に従うことは不可能です。


自分を捨てることは、悔い改めとも関連があります。

罪から立ち返り、自分の考え、価値観を変えることです。


今までのような思いのままに生きないことです。

それをむしろ捨てることです。


そして主が与えて下さった新しい使命、主が望むこと、喜ぶことを自分のすべきこととして受け入れ、日々それを目標にして目指すことです。


そのためには犠牲も払います。

それでも その道を選ぶこと、それが自分の十字架を負うことです。


日々の生活の中で、自分が喜ぶことなのか、主が喜ぶことなのか、自分の思いか 主のみこころかを選ぶ中で、主のものを選ぶ人は自分の十字架を負っている人です。


その後に、主について行きます。

自分勝手に動くのでななく、主の導きを受けて歩みます。


このような姿が弟子の姿です。






弟子になれない人もいます。


主が選んでいないからではなく、その人の態度が弟子として生きることが出来ないからです。


主は救われた人がみんな弟子になることを願っています。


弟子になれない人は、


・イエスさまに従うことが物質的な祝福を得て、栄光を受けて天国に入る道だと思っている人です。

すなわち “祝福” が目的で信じる人です。


こういう人はイエス様より、他の人より “自分” が一番重要です。


・この世の事や働きが優先で、時間が余った時にイエス様に従うと決心した人です。


決して神の国やその義を第一にしない人です。

そういう人は多くいますね。


・世に対して未練たっぷりの人は弟子にはなれません。


世を愛し、世に関心があるので、それを捨てて主に従うことは不可能に近いです。


【ルカの福音書9章61-62節】

別の人はこう言った。「主よ。あなたに従います。ただその前に、家の者にいとまごいに帰らせてください。」

するとイエスは彼に言われた。「だれでも、手を鋤(すき)につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。」

こういう人は弟子になれないと言われました。



弟子として生きることは「忠実な良いしもべ」として生きることです。

弟子にならない人は「悪いしもべ」として生きることです。


弟子になるか ならないかは、あなた次第です。
Σ(=゚ω゚=;)


2017.3.12
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感謝と奇跡

テーマは 『 感謝と奇跡 』 です

【ヨハネの福音書6章1-13節】

その後、イエスはガリラヤの湖、すなわち、テベリヤの湖の向こう岸へ行かれた。

大ぜいの人の群れがイエスにつき従っていた。それはイエスが病人たちになさっていたしるしを見たからである。

イエスは山に登り、弟子たちとともにそこにすわられた。

さて、ユダヤ人の祭りである過越が間近になっていた。

イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。

もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである。

ピリポはイエスに答えた。「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」

弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。

「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」

イエスは言われた。「人々をすわらせなさい。」その場所には草が多かった。そこで男たちはすわった。その数はおよそ五千人であった。

そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。

そして、彼らが十分食べたとき、弟子たちに言われた。「余ったパン切れを、一つもむだに捨てないように集めなさい。」

彼らは集めてみた。すると、大麦のパン五つから出て来たパン切れを、人々が食べたうえ、なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった。

みなさんは毎日祈っていますか?


祈っているならば 願いのための祈りが多いですか?

それとも、感謝するための祈りが多いですか?



神様は願いも感謝も聞いておられます。


しかし神様を最も喜ばせるのは “感謝” です。


感謝する時に、さらに強い恵みの雨が天から降ってきます。



そして、感謝の中でも さらに神が喜ぶ感謝があります。

試練の中での感謝と、小さいことに大きな感謝をささげる時に神様はとても喜びます。



いつも感謝している人を見ると、霊的にも精神的にも安定しています。

顔も笑顔です。

口から絶えず感謝のことばが出てきます。


感謝のない人を見るといつも不機嫌な顔、不満げな顔、そして文句を言います。

そこから嫌なものが流れてきます。



今年も既に2ヵ月が過ぎましたが、どれくらい感謝しましたか?


“神の恵みなしには生きていけないな” と思う出来事も色々ありました。

そういうものがあるからこそ、受けている恵みに対して感謝が出てきます。


自分がいま存在していることを神様の恵みだと思っていますか?

自分の足で歩いて来られたことを感謝しましたか?



ある大学2年生の男の人が、交通事故で脊髄を痛めて首から下がマヒしました。

動けなくなりましたが、口に棒をくわえながらパソコンで文字を入力して 友達にメールを送ります。


今は それしか出来ないです。人生が一瞬にして変わりました。

とてもかわいそうでした。


2度も交通事故にあった私から見ると、いま生きているのは すばらしい神の恵みです。

いつもそのことを思っています。






今日のテーマは、“感謝と奇跡“ の話ですが、本文には感謝と奇跡があります。


主は五つのパンと二匹の魚で、男だけで5千人、そして女と子どもを合わせると二万人くらいの人たちに食べさせました。

まさに奇跡です。


その奇跡を起こす “前” のことを 見ていきたいと思います。


主は、父なる神にまず感謝をささげました。

奇跡が起きてからの感謝ではなく、“最初から” 感謝しました。


そして感謝して分け与えた時に、みんなが食べられる分のパンと魚になりました。


主は自分の力を見せびらかすために奇跡を行ったのではないです。



この奇跡は群衆に対する ある思いから始まりました。

本文には出ていないですが、別の福音書には 次のようにあります。


【マルコの福音書6章34節】

イエスは、船から上がられると、多くの群衆をご覧になった。そして彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められた。

彼らの魂を憐れみ、まずは霊のパンを与えました。


それから次の箇所です。


【マタイの福音書15章32節】

イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。「かわいそうに、この群衆はもう三日間もわたしといっしょにいて、食べる物を持っていないのです。彼らを空腹のままで帰らせたくありません。途中で動けなくなるといけないから。」

食べ物もなく、肉体も弱ってきたことを見て、かわいそうに思い、奇跡を行って彼らを食べさせたいと主は思いました。



聖書にある奇跡を見ると、主のあわれみによって、信仰によって、必要性に応じて奇跡が起きたことが分かります。


誰かに対して憐れみの心を持って祈る時に、その祈りが聞かれることを経験していると思います。


憐れみの心がある時に、私たちの祈りも真剣な祈りになります。


親は常に子どもに対して憐れみの心を持っています。

ですから 惜しむ心がないですし 真剣です。

夫婦でも互いに憐れむ心があると、喧嘩することもなく感謝し合います。


イエス様の奇跡は、とても小さいものから始まりました。



少年が持っていた大麦のパン五つと小さい魚二匹でした。

これは貧しい人たちが食べる食事です。


このみすぼらしい小さい食べ物が主の手に載せられた時に 二万人近い人が食べた “パンの奇跡” になりました。


どんなに小さいものでも、主の手によって大きく用いられることができます。



もちろん主は、無から有を創造することも出来る方です。


神様は大きなものよりは小さいものを用いることを喜びます。


自分には小さいものしかないし、才能もないし、力もないと嘆く必要はないです。

私たちが小さいものを差し出す時に、主は喜びます。


小さいことに感謝出来ず、満足せず、大きなもの、多くのものを求める時が多いですが、私たちは小さいことに対して感謝が必要です。


小さいことも 主から与えられた “恵み” です。






マタイの福音書15章には カナン人の女性が出てきますが、彼女は小さい恵みに大きく感謝した人でした。


悪霊に取りつかれた娘の癒しを求めてイエス様の所に来て懇願しました。

しかしその時の主のことばは意外なものでした。


「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです」


女の人はそれに対して、
「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」


彼女は食卓から落ちて来るパンくずの恵みにも感謝出来る人でした。

その感謝によって奇跡が起こりました。


イエス様がパンくずの恵みではなく、その娘を悪霊から解放する奇跡を行いました。


彼女には 受ける前からすでに感謝の心がありました。

これはイエス様からもいつも見られる姿です。


パンの奇跡でも、まずパンを手に取って父なる神に感謝をささげました。

最後の晩餐の時にも、自分の体がむち打たれて死ぬことを知っていながら感謝をささげてパンを裂き、それを弟子たちに配りました。

これから起こる奇跡に感謝しました。



感謝を蒔くと、感謝なことが起こります。


受けてからの感謝も主は喜びますが、受ける前から感謝することは さらに喜びます。


そこには神の奇跡を信じる強い信仰が見られるからです。


これから みなさんもそのような感謝をしてみて下さい。

神様は小さいもの、みすぼらしいものを手に取って神に感謝をささげる人に奇跡を表します。


“不満” では奇跡は起こりません。

“感謝” では奇跡が起こります。


主の感謝でパンと魚に奇跡が起こり、人々は満腹しました。


その後に、主は弟子たちに「余ったものは一つもむだに捨てないように集めなさい。」と言われました。

なぜそうしたでしょうか?


神が私たちに恵みとして与えられたものを むだにしたり、勝手に捨てたりすることは神の恵みをさげすむ行為だからです。


それは神を無視し冒涜する姿です。


いつも “下さい、下さい” ばかり言うのではなく、与えられた恵みを大切に使うことが主の恵みを知っている人の姿です。


どんなに小さい恵みでもそうです。


神は感謝する聖徒を喜びますし、豊かな恵みと奇跡を与えて下さいます。


そして感謝する聖徒たちを サタンは倒すことが出来ません。


感謝は神と周波が合います。

しかし、不満はサタンと周波が合います。



サタンは、感謝する聖徒を誘惑して試みに会わせて倒すことが出来ないです。

すべてに対して感謝しているので隙間がないです。


神から受けた恵みを思い出してみて下さい。

そして心から感謝してみて下さい。


感謝する人の人生にこれから奇跡が起こります。
(・∀・)つ


2017.3.5
聖日礼拝メッセージ

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