からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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2016年09月

聖徒だけが持つ特権

テーマは 『 聖徒だけが持つ特権 』 です

【ヘブル4章16節】

ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

“特権” とは特定の人、身分、階級に与えられている、他に優越した権利です。


特権を持つ人は良い待遇を受けることも多いです。

月に何度も飛行機に乗りますが、飛行機一つにしてもダイヤモンドカードを持っている人は優先的に乗れますし、荷物の制限もなく、ラウンジも自由に使えます。

もし自分が持っている特権を知らないならば、その権利を使うことも知らないので、もったいないです。


聖徒である皆さんは “聖徒だけが持つ特権” が何かを知っていますか?


聖徒が持つ 特権も義務も責任も知らないで信仰生活する人が実に多いです。

そして特権を使ってはいますが、それが特権と思わずに使っています。


今回は聖徒だけが持つ特権に対して学びます。




神の御座に近づける特権




これを特権と思わない人が多いですが、これは聖徒だけが持つ特権です。


たとえば安倍総理は日本の総理ですが、いつでも皆さんが会いたいと思う時に会えますか?

たぶん会うのは無理です。


認められる何かがある場合は別だと思いますが、それは簡単ではありません。

しかし安倍さんの子どもならば、家で自由に会うことが出来ますし、別のところでも許可をもらうのは難しくないですね。


神は世界で一人の神ですが、人間が会いたいと言って いつでも会えるでしょうか。
―― 会えないです。


しかし神に贖われて、神の子になると立場が変わります。


聖徒には、神がいつでも神の御座に近づくことが出来る特権を与えておられます。


“キリスト” によって神と和解させられ、神の子になったので、その特権を得ています。


【ヨハネの福音書14章6節】

イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。

聖徒は、“道” であるイエス様を信じる者なので、キリストも その人のことを知っていて、その道を通って父なる神の前に行ける許可を与えておられます。


「イエスの血で神の前に、イエスの血で父の前に一歩ずつ進む。」

このような賛美があるように、父なる神の前に行ける特権は イエス様によって与えられた素晴らしい特権です。


旧約時代は神の臨在がある聖所には、任命された祭司以外は誰も入ることが出来ませんでした。

しかし新約時代の聖徒たちは、神の臨在の中に入ることが出来ます。


死んだら もっと神は近くにおられます。



【ヨハネの黙示録4章4節】

また、御座の回りに二十四の座があった。これらの座には、白い衣を着て、金の冠を頭にかぶった二十四人の長老たちがすわっていた。

聖徒にとって、神は 決して遠く離れて近づくことも出来ない神ではなく、いつでも近づくことが出来ます。




永遠のいのちがもらえる特権





【ヨハネの福音書3章36節】

御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。

“永遠のいのち” ほど価値あるものは 世には存在しません。


金持ちの青年が主の所に来て、永遠の命を得るためには何をしたら良いのかと イエス様に聞きました。

イエス様は、「財産を売って貧しい者に与えてから、私について来なさい」 と言われましたが、金持ちは財産を手放すことが出来ないので、そのまま帰り、2度と帰ってくることはありませんでした。


永遠のいのちは、主に従ってくる聖徒たちに与えられます。

永遠の命はあまりにも高価なので金で買えるようなものではなく、キリストを信じて神の子になった者が、特権として受けられものです。


永遠のいのちは “死とは無縁” です。

それを持っている人は聖徒だけです。


聖徒をやめたら、もはや永遠のいのちは自分のものにはなりません。




祈りが答えられる特権




聖徒の祈りに聞いて下さる方がおられます。

私たちの霊の父である “神様” です。


この世には自分を神と呼ぶ人間がいて、それを信じる者も多いです。


「統一教会」や「神の教会」という異端も、教祖が “人間” なのに、自分自身を神と呼び、それに従う者も(その人物のことを)神と信じています。

(その教祖は)2人とも死にましたが、未だに死人を神と思ってそこから離れません。


中身を見ると教祖が彼らの祈りを聞いて祝福したのではなく、人々が教祖の願いや要求を聞いて、自分たちのもので教祖を満たしていました。


サタンが目をくらませると、悟りがなく盲目的になるので、騙されて利用されるだけです。


人間を神と信じるのも、偶像の神を造って願いを叶えて下さい と祈るのも同じです。



【イザヤ書44章9-11節】

偶像を造る者はみな、むなしい。彼らの慕うものは何の役にも立たない。彼らの仕えるものは、見ることもできず、知ることもできない。彼らはただ恥を見るだけだ。

だれが、いったい、何の役にも立たない神を造り、偶像を鋳たのだろうか。

見よ。その信徒たちはみな、恥を見る。それを細工した者が人間にすぎないからだ。彼らはみな集まり、立つがよい。彼らはおののいて共に恥を見る。

ですから、彼らが自分の神に祈っても それはむなしく恥を見るだけですが、聖徒たちの祈りは むなしくなることも、恥をかくこともありません。


聞いて答えて下さる神がおられるからです。

聖書には祈りの答えがいっぱいです。


神は喜んで聖徒たちの祈りを聞き、答えて下さいます。

祈らないと特権を使わないことですので損をします。




復活の特権





【第1コリント15章43-44節】

卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、

血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。

復活は永遠のいのちの始まりです。

イエス・キリストがよみがえられたことで、この特権が聖徒にも与えられました。


私たちも、いつかキリストと同じ体になります。

時間や空間の制約、そして朽ちることもない体に復活するのは聖徒だけの特権です。


信じないものは永遠の死ですが、聖徒は永遠に死の支配を受けることがなく、キリストのように死の力を打ち破って復活します。


自分が死んで復活することは、今はどのようなものか想像も出来ませんが、その日には喜び踊る者になると思います。




天国に入る特権




天国は聖徒たちのために主が備えて下さった場所です。

聖徒以外の人は、入ることが許されない場所です。


そこは神がおられる場所で、神が聖徒と共に永遠に住む場所です。

死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない場所です。


信じない人は、どんなに入りたくても入ることが出来ません。


入りたいならば生きている時に、罪を悔い改めて、イエス様を 自分の救い主として心に迎え入れ、聖徒になれば入れます。

天国はお金があるから、良いことたくさんしたから、立派な人だから入れるのではなく、信仰で入る国です。


神を信じて、天国を信じて入る準備をした人が入る所です。

自分を聖徒と思っても、準備出来てない人は入れないです。


天国のたとえで使われた “10人の花嫁の姿” を思い出して下さい。

10人の花嫁は、花婿である主を待ち続けていました。


賢い5人の花嫁はいつ花婿である主が来られても迎えられるように、ともしびと油の備えをしました。


しかし愚かな5人の花嫁は、花婿がいつ来るかもわからないのに、ともしびだけを準備し、油の用意はしていなかったです。

花婿が来るのが遅くなり、今にも ともしびが消えそうになりました。


それで油を買いに行っている間に 花婿が来られて、そこにいた賢い5人の花嫁だけが結婚式場に入りました。

油を買いに行った愚かな5人の花嫁の姿は哀れでした。

彼女たちの様子を次の箇所で見ます。


【マタイの福音書25章11-12節】

そのあとで、ほかの娘たちも来て、『ご主人さま、ご主人さま。あけてください』と言った。

しかし、彼は答えて、『確かなところ、私はあなたがたを知りません』と言った。

天国に入ることが出来ず、外の暗やみに置かれてしまいました。


せっかく天国に入る “特権” があったのに、その場にいなかったために、特権が無効になってしまいました。


その特権が認められず、残念な姿でした。

このようになって、聖徒の特権を失う者も実に多いです。


“目をさまして、身を慎み、用意していなさい” と言われた通りにしている聖徒が、天国に入り、言われてもそのようにしていない聖徒は、特権を使うことが出来ません。

世を愛して放蕩生活をしている人に、“天国の扉” は開かれません。


聖徒として準備した人は、問題なく天国に入ります。


このように聖徒としてどのような特権があるかを知り、いつ それを使うかを知って使う人が賢い聖徒です。

神が与えて下さった特権としての祝福をすべて自分のものにしていきましょう。

(・◇・)ゞ

2016.9.25
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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キリスト者の生活

テーマは 『 キリスト者の生活 』 です

【ローマ12章1-2節】

そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

キリスト者の生活に対して、皆さんはどのように考えているでしょうか。

日曜日には教会に行き、聖書を読んだり、祈ったりすることだと思いますか。


ある人たちは “イエス様を信じている” と言いながらも、これらのことすらしない人もいます。


果たしてイエス様が その人を“(イエス様を)信じる人”として認めて下さるでしょうか?

そのことをよく考えることです。


ある先生から聞いた話ですが、ある教会の執事に会って話を聞いたら、その人ははっきりと「私はキリストを信じてないです」と言われました。

その話を聞いてびっくりはしましたが、正直に言ってくれたので まだ望みがあると思ったことを話してくれました。


その人はまだ信じていないので、いつかは信じる望みがありますが、信じていると言いながらも 死んだクリスチャンは、自分自身に騙されているので これが問題です。


本当に信じている人は どのような生活をする時に、主が認めて下さるでしょうか。




神に自分自身をささげる




今日のことばにあるように、“自分の体を神に受け入れられる聖い供えものとしてささげなさい” と言われました。


パウロはこの状態を別のことばでも表現しました。


【第1コリント6章19-20節】

あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。

あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。

すなわち救われた人は 自分のからだに対する権利がなく、権利を持っているのはイエス様です。


ですから、自分の体を 自分の快楽や好きなように使うのではなく、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すために使うことです。


いつも “私のからだは私のものではない、神の栄光のために存在するんだ。“ と思うことです。


神の栄光を現す時に、私たちは神に 自分自身を聖い供えものとして自分をささげることが出来ます。




心の一新によって自分を変える




人は変わってからキリストを信じるのではないです。


伝道してみると、ある人は「自分は罪が多いから今は無理です。」と言います。

そして「まともな人間になってから信じます」と言われます。


それは順番が違いますね。

健康な者が医者は要らないように、正しい者には救い主も要らないです。


主は罪人を救うために来ましたので、罪人を招いておられます。


罪人はそれに応じれば良いです。
その人を主は救います。


しかし、それからは私たちが変わる番です。

キリストから恵みを受け、キリストに属する者になった人は、新しい生き方を始めないといけないです。


私たちは立場が変わると、それに合わせていきます。

学生から社会人になると服装、時間の使い方、人間関係、生活パターンなど すべてが変わり、それに適応していきますね。

結婚したらまた独身生活とは違う生き方をしないといけないです。

それに人は合わせていきます。


神を信じたらどうなりますか?


それからは 私たちが神に合わせていかなければなりません。

ですから日曜日でも教会に来て、神を礼拝しないといけないです。
これが信じる者の生活ですから。


主のことばを聞いて神の御心を分別して、それに従って行く時に 私たちはキリスト者の生き方が出来ます。




神の恵みによって異なった賜物を受けるのでそれを使う




【ローマ12章6-8節】

私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。

奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。

勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んでそれをしなさい。

神は私たちが神の栄光を現す体にするために、私たちが持っているものを使うのではなく、(神が)必要な賜物を与えてそれをもって 私たちが神のために働くようにしておられます。


ですから “自分は何の才能もないから主のために働くことが出来ない” というのは間違えています。


神が その人を何かに使いたいと思う時には、その人にふさわしい賜物を与えます。

そして、それを道具として使うことを願っておられます。


自分がその賜物をもらったかどうかは目で確認できるものではなく、実際働きを始めると現れます。


モーセを神が選んだ時に何度も自分は口下手と言いながら使命を断ろうとしました。


しかし後の彼の姿を見ると、どこに口下手の姿が見えるでしょうか?

神が彼の口にことばを与えて下さったので、何の問題もなく民の指導者として働くことが出来ました。




上にある権威に服従する




【ローマ13章1節】

人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたのです。

キリスト者の国家への服従を教えています。

地上で神から権威が与えられた政治家の中に、神に敵対する人もたくさんいます。


神の教会も信徒も迫害する者も多いですが、神は 悪い者にも目的があって使うために立ててあります。

歴史を見ると分かります。


神は、キリスト者が神が立てた権威と秩序に従うことを命じました。

イエス様さえも地上の権威に従いました。


もしその権威が神に敵対するように命じるならば、私たちは彼らよりもさらに高い権威を持っておられる神の権威に従わないといけないです。




人を愛する者になる




【ローマ13章8節】

だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことについては別です。他の人を愛する者は、律法を完全に守っているのです。

神を信じる者は律法を守らなくても良いということではないです。

反対に律法を完成させないといけないです。

信じる者が神の言葉を大切にすることは当たり前です。


神の口から出る言葉で生きることが救われた人の生活です。


たくさんある みことばを、どうやって守ることが出来るでしょうか?

簡単な方法を主が教えて下さいました。


【マタイの福音書22章36-40節】

「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」

そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』

これがたいせつな第一の戒めです。

『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。

律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。

愛一つで律法を完成することが出来ます。


愛は相手の益になることを先に求めるからです。

愛は相手に害を与えません。むしろ相手が喜ぶことをします。

愛は相手に惜しまず与えます。




平和に役立つことをする




【ローマ14章19節】

そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。

この二つのことは、人にも社会にも教会でも 徳を高めることです。


主が地上に来られたのは 自分のためではなく、人間のためでした。

世の光、世の塩の働きは、このように徳を高める時に真価が現れます。


自分のことしか考えないのはサタンの子であることを覚えましょう。

助け合うことが平和を作ることです。




互いに同じ思いを持つものになる




【ローマ15章5節】

どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。

キリストにあって同じ思いを持つ必要があるのは、共に神に栄光をささげるためです。


主の働きをする中で分裂、分派、妬み、高慢などがあると神の栄光が現れません。


それはサタンが喜ぶ姿です。

ですからパウロは一致のためにこう考えました。


【第1コリント3章4-9節】

ある人が、「私はパウロにつく」と言えば、別の人は、「私はアポロに」と言う。そういうことでは、あなたがたは、ただの人たちではありませんか。

アポロとは何でしょう。パウロとは何でしょう。あなたがたが信仰に入るために用いられたしもべであって、主がおのおのに授けられたとおりのことをしたのです。

私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。

それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。

植える者と水を注ぐ者は、一つですが、それぞれ自分自身の働きに従って自分自身の報酬を受けるのです。

私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。

キリスト者としての生活がどういうものであるのか、自覚が出来たでしょうか?


毎日認識して生活に適用して下さい。
v( ̄∇ ̄)v

2016.9.18
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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五つの教会が受けた主からの非難と対策

テーマは 『 五つの教会が受けた主からの非難と対策 』 です

【ヨハネの黙示録1章10ー11節】

私は、主の日に御霊に感じ、私のうしろにラッパの音のような大きな声を聞いた。

その声はこう言った。「あなたの見ることを巻き物にしるして、七つの教会、すなわち、エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィア、ラオデキヤに送りなさい。」

先週は 七つの教会の中で、主からほめ言葉をもらった六つの教会を学びましたが、今回は七つの教会の中で、非難を受けた教会が五つもありましたので、どの部分が非難されたのか。


そして、それを変えるために、どのような対策を主から受けたのかを学びます。




◎ エペソ教会




【ヨハネの黙示録2章4ー5節】

しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。

それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。

この教会の問題は、初めの愛から離れたことでした。


他のすべてが良かっただけにこの部分は残念であります。

しかしこのような教会がたくさんあるのも事実です。


なぜ初めの愛から離れてしまったでしょうか。

奉仕や活動ばかりに心が向いてしまって、いつの間にかキリストとの交わりが減り、キリストへの関心も減り、ないがしろになってしまいました。


家庭で例えるならば、家族のために仕事を熱心にするのは良いですが、時間がなくて家族と話す時間も 共に食事する時間もなく 愛し合う時間もないことです。

家庭に一番必要なものが抜けていきます。


それによって すれ違いが生じ、心が離れていきます。


教会に多くの行事があるのを主が喜ぶでしょうか。

それに忙しくて、神とゆっくり交わる時間も 聖徒同士ゆっくり交わる時間もないのが主の願うことでしょうか?
―― そうではないです。


初めは自分たちの心がキリストで満たされていたのに、ある時から無関心になりはじめたのは、主が“どこから落ちたのかを思い出しなさい” と、対策を教えて下さいました。

そして “悔い改めなさい” と語ってくださいました。


自分たちの心が再びキリストに満たされ、キリストと新たな関係を結んで初めて 悔い改めたことになります。


主が一番願うのは“主を愛すること”です。


奉仕ではなく、イベントでもないです。

まずは主を愛し、主の栄光のために働くことです。


いまエペソ教会は存在しません。

エペソ教会があった地域から数キロ以内に教会は存在していなく、イスラムが支配しています。

キリストが燭台を取り外してしまいました。
悲しいことです。




◎ ペルガモ教会




【ヨハネの黙示録2章14ー16節】

しかし、あなたには少しばかり非難すべきことがある。あなたのうちに、バラムの教えを奉じている人々がいる。バラムはバラクに教えて、イスラエルの人々の前に、つまずきの石を置き、偶像の神にささげた物を食べさせ、また不品行を行わせた。

それと同じように、あなたのところにもニコライ派の教えを奉じている人々がいる。

だから、悔い改めなさい。もしそうしないなら、わたしは、すぐにあなたのところに行き、わたしの口の剣をもって彼らと戦おう。

バラムは旧約聖書に出てくる にせ預言者で、イスラエル民族をつまずかせた預言者でした。


神は彼がしようとしたことを止めたので、最初はそれに従いましたが、結局 後で彼はイスラエル民族が神に罪を犯すようにたくらみ、イスラエル民族はそれに引っかかりました。

バラムの教えとは、不道徳と偶像崇拝へ導く教えでした。


多くの哲学も教会の中に入り、教会の中に教理というものも出来てしまいました。

非真理に対しては、真理であり 両刃の鋭い剣である “主のことば” で戦わないといけないです。


この時期に異教の多くの教えが教会に入りました。

多くの異教徒の教えが入ると、教会はどうなってしまうでしょうか?


カトリックがやっていることは、聖書にないことですが、それらのものが生まれました。

死人のための祈り、十字架を拝むことや聖人やマリア崇拝、裁きに対する間違った教えなどがあります。


このような混ぜ物で、教会は堕落していきます。




◎ テアテラ教会




【ヨハネの黙示録2章20ー23節】

しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは、イゼベルという女をなすがままにさせている。この女は、預言者だと自称しているが、わたしのしもべたちを教えて誤りに導き、不品行を行わせ、偶像の神にささげた物を食べさせている。

わたしは悔い改める機会を与えたが、この女は不品行を悔い改めようとしない。

見よ。わたしは、この女を病の床に投げ込もう。また、この女と姦淫を行う者たちも、この女の行いを離れて悔い改めなければ、大きな患難の中に投げ込もう。

また、わたしは、この女の子どもたちをも死病によって殺す。こうして全教会は、わたしが人の思いと心を探る者であることを知るようになる。また、わたしは、あなたがたの行いに応じてひとりひとりに報いよう。

非難されたことは、イゼベルという にせ預言者の働きを許したことでした。


旧約時代のイゼベルは残忍な殺人者であり、異教徒でイスラエルの中でバアル崇拝を大々的に行った人物でした。

にせ預言者イザベルも、不義の偶像崇拝を教えていました。

そして決して悔い改めませんでした。


にせ預言者は サタンの霊に完全に支配されて、教会を内部から潰す働きをしますし、信徒たちを惑わして地獄に落とす策略で活動しますので、その者が受ける罰は サタンが受ける罰と同じです。


光の天使のように変装し、神から来たメッセージだと言いますが、中身はオオカミです。

それに騙されないことがとても大切です。

それに従う者は真理から離れて行きます。




◎ サルデス教会




【ヨハネの黙示録3章1ー3節】

また、サルデスにある教会の御使いに書き送れ。『神の七つの御霊、および七つの星を持つ方がこう言われる。わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、生きているとされているが、実は死んでいる。

目をさましなさい。そして死にかけているほかの人たちを力づけなさい。わたしは、あなたの行いが、わたしの神の御前に全うされたとは見ていない。

だから、あなたがどのように受け、また聞いたのかを思い出しなさい。それを堅く守り、また悔い改めなさい。もし、目をさまさなければ、わたしは盗人のように来る。あなたには、わたしがいつあなたのところに来るか、決してわからない。

“生きているようにされているが、実は死んでいる教会” とは、どのような教会でしょうか。

真理ではないものと妥協する教会のことです。


御言葉に従って信仰生活をするのではなく、様々な教理や形にとらえられた “形” だけの教会です。

名ばかりの教会で、そこには いのちも主の臨在もありません。


どんなにたくさんの人や活動があったとしても、それが主の心に適っていないならば 主はそれを神の働きではなく、人の働きと見ます。

すなわち神とは何の関係もないということです。


このような姿も、多くの教会の中で見られる姿です。

真理に戻り、神が喜ぶことをしないといけないです。




◎ ラオデキヤ教会




【ヨハネの黙示録3章15ー19節】

「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。

このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。

あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。

わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精錬された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現さないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。

わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。

無関心、なまぬるく無気力が彼らの姿でした。


見た目は何一つ乏しいものがないように見えました。

しかし彼らの霊の状態は みじめで、哀れで、貧しく、盲目で、裸でした。


神聖な部分がなく、教会が世俗化されてしまいました。

クリスチャンと言いながら、重要なキリスト教理を軽く考え、世の価値観で生きる人、反キリスト的な思想で生きている人、御霊に従うよりは肉に従うことを好む人たちがたくさんいる教会です。


それが当たり前のような教会で、悔い改めることもない教会です。


【第2テモテ3章5節】

見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。

主から指摘された悪い部分を直すこともなく、放置するならば、それが癌細胞のように広がって命取りになります。


主がいない建物だけの教会、いのちのない死体のような信徒たちになってしまいます。


悔い改めることが一番の対策であることを主が教えて下さいました。
。゚(゚´Д`゚)゜。

2016.9.11
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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七つの教会へのメッセージ(ほめられたところ)

テーマは 『 七つの教会へのメッセージ(ほめられたところ) 』 です

【ヨハネの黙示録1章19ー20節】

そこで、あなたの見た事、今ある事、この後に起こる事を書きしるせ。

わたしの右の手の中に見えた七つの星と、七つの金の燭台について、その秘められた意味を言えば、七つの星は七つの教会の御使いたち、七つの燭台は七つの教会である。

黙示録は、キリスト教に対するローマの迫害が厳しかった ネロ皇帝の時代に記録されました。


主の弟子であるヨハネも迫害され、パトモスという島で囚人生活を送っていた時に、イエス様から啓示を受けて黙示録を記録しました。

様々な啓示を受けましたが、最初に聞いたのは 教会に対する主のことばでした。


教会に対する神様の関心が どれほど強いかを知ることが出来ます。


黙示録を記録した時の教会は、成長期を越えて迫害の中で衰退期にさしかかっていました。

教会は “キリストのからだ” で、主はそれぞれの教会の状態をすべて知っておられます。


ですから主は、教会に向けて ほめ言葉、非難のことば、悔い改めのことば、裁きの警告、そして報いなどについて語りました。

イエス様の犠牲と勝利は受け入れましたが、霊的成長と真実さに欠けた人たちに向けて語りました。



今回は、七つの教会に対して 主がどのようなほめことばを語ったのかを学んでいきます。

その中で、残念ながらラオデキヤ教会だけは ほめられなかったので、六つの教会だけを挙げていきます。


どのような教会が “良い教会” で、どのような教会が “悪い教会” かは、自分勝手に判断するのではなく、黙示録にある七つの教会を参考にすると、正しい判断が出来ると思います。


キリストの再臨を待ち望んでいる私たちが、どのような姿で待つべきかを主のメッセージで知ることが出来ます。




◎ エペソ教会



【黙示録2章2ー3節】

わたしは、あなたの行いとあなたの労苦と忍耐を知っている。また、あなたが、悪い者たちをがまんすることができず、使徒と自称しているが実はそうでない者たちをためして、その偽りを見抜いたことも知っている。

あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。

悪い者、にせ使徒たちが 教会の中に浸透したのは、教会を内部から混乱させ、惑わすための “サタンの策略” でした。


正しい信仰を持っていないと惑わされます。

しかし 幸いにも、エペソ教会の信徒たちは 彼らの偽りを見抜いて、悪い者たちの悪行を許さず、間違えた教えに惑わされませんでした。


そして外から来る迫害にも よく耐えて信仰を守っていました。

積極的に神を求め、教えられた神のことばを守っていたので、主からほめられました。


エペソには、アルテミス神殿があるので 宗教の中心地でもありましたが、その中でもキリストを信じて信仰を守っていました。

主に対して誠実な教会でした。


テモテはパウロに任命され、エペソ教会の牧会者になりました。




◎ スミルナ教会



【黙示録2章9節】

「わたしは、あなたの苦しみと貧しさとを知っている。――しかしあなたは実際は富んでいる――またユダヤ人だと自称しているが、実はそうでなく、かえってサタンの会衆である人たちから、ののしられていることも知っている。

スミルナ教会は 皇帝崇拝を強要するローマの勢力と律法主義を掲げて、キリスト教を迫害するユダヤ人たちから迫害を受けました。


ですから政治的、宗教的、社会的、経済的に深刻な迫害がありました。

信徒たちは貧しく苦しかったですが、信仰だけは変質されることがなく、よく信仰を守っていました。


世にあるものを捨てて主を選び、霊的富が豊かな教会でした。


この教会は、 “殉教の教会” としても有名でした。

立派な指導者も数多く養成しました。


その教会の指導者の1人・ポリュカルポスのことばは有名です。

彼を捕えた総督は彼に「誓え。そうしたら赦してやる。キリストをのろえ。」と言いましたが、ポリュカルポスは 次のように答えました。


「86年間、私はキリストに仕えてきた。キリストは一度も私を裏切らなかった。私を救って下さった王を、私はどうしてのろえようか。」

そのことで彼は 火をつけられ殺されました。




◎ ベルガモ教会



【黙示録2章13節】

「わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。しかしあなたは、わたしの名を堅く保って、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住むあなたがたのところで殺されたときでも、わたしに対する信仰を捨てなかった。

主が “サタンの王座がある” というほど、この都市は偶像崇拝が盛んな地域でした。

そこにあるベルガモ教会は異教徒からいのちを狙われたりしました。


苦難と殉教の危機の中でも信仰を守りました。


そして忠実な証人アンデパスが殉教しましたが、彼は皇帝崇拝を拒んだために逮捕され、熱によって真っ赤になった青銅の牛の上に乗せられて焼き殺されました。


残忍なやり方で彼を殺しました。

それでも信徒たちは信仰を守っていました。




◎ テアテラ教会



【黙示録2章19節】

「わたしは、あなたの行いとあなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を知っており、また、あなたの近ごろの行いが初めの行いにまさっていることも知っている。

テアテラ市は偶像崇拝と淫乱が多い、堕落した文化がある都市でした。


その中でも テアテラ教会は、信仰、希望、愛がある教会でした。


特に愛の実践がありました。

もちろんこの教会の中でも、非難される行動をした信徒たちはいました。


しかし、ある信徒たちは 信じた時よりも信仰も行いもさらによくなっていました。

主はそれをほめました。


エペソ教会は初めの愛から離れてしまいましたが、テアテラ教会の信徒たちは信仰、希望、愛をさらに大きくしていきました。


成長することは、実を結んでいく姿ですから 主に褒められました。

そして、悔い改めもある教会でした。




◎ サルデス教会



【黙示録3章4節】

しかし、サルデスには、その衣を汚さなかった者が幾人かいる。彼らは白い衣を着て、わたしとともに歩む。彼らはそれにふさわしい者だからである。

衣は 身分を現わす象徴的なことばです。

汚されることは、“罪に染まったこと” を意味します。


ですから衣を汚さなかったことは「キリスト者としての名誉を汚さなかった。」
すなわち、信仰の純潔を守ったことを意味します。


実際この教会には、信仰の純粋性を守ることが出来ず、世の風潮や罪の誘惑に妥協して淫行を行い、信仰までも汚れてしまった人が多かったですが、その中でも数少ない人だけが罪から自分を汚すまいと思って 主と共に歩み、そのことで主からほめられました。




◎ フィラデルフィア教会



【黙示録3章8節】

「わたしは、あなたの行いを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。

少しばかりの力は、タラントのたとえにありますが、少ないタラントしかもらってないにもかかわらず、主に対して忠実でした。


彼らは 主を愛していましたので、最後まで主のことばを守りましたし、世の富の誘惑や名誉、武力にも屈することなく信仰を守り通しました。


キリストのためにすべてを捨てた信徒たちでした。

この教会は主の心に適った教会でした。


このように主は、一つ一つ教会に対して正しい診断をして下さいました。


私たちが良い信徒、良い教会になるためには、主が何をほめたのかを知り、それを目指したら良い信徒、良い教会になります。
(*´∇`*)

2016.9.4
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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