からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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2016年08月

初めの愛を回復するために

テーマは 『 初めの愛を回復するために 』 です

【ヨハネの黙示録2章4-5節】

しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。

それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその所から取りはずしてしまおう。

信仰生活にも定期的に点検が必要です。


なぜなら、問題があるならば早くそれを直していかないと知らぬ間に重い病気にかかって大変なことになるからです。

放置していいものと放置してはいけないものがあります。


信仰生活が無気力、無感覚になり、喜びも平安もなく、新しく実が結ばれることもなく、信仰生活そのものがしんどく、神との関係も遠くなったような気がするならば、何よりも自分とイエス様との間に問題が生じたことに気付くことです。


信仰生活のほとんどの問題は、自分と主との関係に異変が起きたからです。


それを解決して信仰を立て直していかなければなりません。



今日のことばも 本人が気付いたのではなく、主からの診断でした。


初めの愛から離れただけで 主との関係に大きな問題が生じました。

主が非難したことはそれが罪だからです。


罪じゃないと(神様が)非難することも、悔い改めなさいと言うこともありません。


信仰が回復してほしいので “悔い改めなさい” と言われました。


どのように初めの愛を回復出来るかを今日は学びます。




◎失われた初めの愛を悔い改める




初めの愛がある状態は、すべてにおいて心も思いも尽くして主と共に歩みます。

それが一番の関心で重要なことだからです。


その時は主と共にいることがとても楽しいです。

教会に行くのもとても楽しいですし、聞く耳も開かれています。


しかし、ある時から主を忘れて生活する時間が増え始め、他のことで忙しくなります。


サタンは私たちを誘惑する者ですが、あらゆる方法を使って私たちをイエス様のいない忙しい生活に導きます。


そのことに気付かせず、主との時間を減らしていきます。


心ではイエス様との時間を持つことの大切さを知っていますが、だんだんと他のことで忙しくなり、主のために時間を使わなくなります。
ここから問題が生じます。


【ヨハネの福音書15章6節】

だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。

イエス様にずっと とどまることが大切なのに、とどまる時間が少なくなっていきます。

他のことに心が取られたり、他のことで忙しくするようにサタンは働きます。


イエス様と分離されていると 不幸になることもよく知っているのに、仕事に縛られたり、時には自分の快楽を求めて主との交わりをおろそかにします。


生活も守っていかないといけないからと人を喜ばせたり、自分を守るためにだんだん主に対して関心が無くなっていきます。

すると主と共に過ごす時間が減るために主を失ってしまいます。


主との間に様々なものが入り込んできます。

すると信仰生活がだんだん義務的になり、つまらなくなり、喜びも無くなってきます。


それを立て直すためには悔い改めが必要です。


どこから落ちたのかを思い出して、要らないものを捨てて時間を作って神の前に出て、その方と会話をしなければなりません。


主と再び愛し合うには ずっと主から目を離さず、会話を増やさないといけないです。


すると私たちの心に主の平安、愛、いのち、力が臨むようになります。

主に対して、教会に対して、とりなしに対して、奉仕に対して無関心になったことは愛で反応していないことです。


初めの愛を回復するためには、必ず “無関心” が罪であることを悟って、無関心を捨て、主を見上げなければなりません。

面と向かってイエス様に敵対するより、主の心を痛めつけるのは主に対する無関心です。


必ず私たちはこの罪を悔い改めないといけないです。

悔い改めないと、たとえ生きているとされても死んだ状態です。

すなわち霊的死です。




◎避けたくなる十字架を負う




イエス様に従いたいならば、弟子になりたいならば、成長したいならば、自分の十字架を負わなければなりません。


イエス様は私たちを愛する心で十字架を負ってカルバリの丘に上って行きました。

その主が私たちに自分の十字架を負ってついて来なさいと言われました。


私たちが十字架を負うならば 主が共に負って下さいます。

イエス様自身が先に十字架を負いましたので、十字架の痛みを知っておられます。


主が共に負って下さらないと、私たちが倒れるので 主が共に負って下さいます。


しかし私たちは十字架を負いたくないので十字架を避けようとします。
これが主への愛が冷めるきっかけになります。


十字架を避けて楽な道を歩みたい欲望が 私たちの中にあります。

この欲望は、主から来たものではなく、サタンから来たものに気付かないといけないです。


イエス様が十字架の死を話した時に、ペテロはすぐさまイエス様を止めました。

「そんなことがあってはいけない」と。

そして十字架を負わないように勧めました。


すると主は「下がれ。サタン。」と厳しく言いました。


今も私たちに十字架を負ってはいけないと誘惑をするのはサタンです。


「楽な道を歩んだら良い。苦難はイヤだろう。重い十字架は負わなくていい。避けたらいい。」と、まるで 私たちの味方のように親切に言います。


これは甘い誘惑です。

主はそれとは違って「自分の十字架を負って私に従いなさい。」と言われました。


十字架を負うことは私たちにとって良いことです。

私たちが地上で主のために十字架を負うと、その十字架は天国への喜びに変わります。


十字架を負うことは永遠の命にかかわる重要なことです。


サタンはそれを知っています。

サタンは、十字架を負いたくないすべての人を、自分の所(地獄)に連れて行きます。


そこには十字架の苦しみと比べられない苦しみが待っています。


サタンは私たちが十字架の道を歩まないように、あらゆる手段を使います。

私たちが永遠の命も永遠の喜びも受けてほしくないからです。


主が私たちの十字架を共に負ってくださるので、私たちはその中で以前は味わったことのない霊の喜びを感じることが出来ます。


主が与えてくださる十字架には、必ず慰めと助けがあります。


その方の愛と助けを信じないと 十字架を負う気がなくなり、十字架が耐えられない苦しみに感じられます。

そうなると本当にみじめな状態になります。


十字架が来た時は「主よ。感謝します。受け入れられるように恵みを下さい。十字架を負って喜んで耐えられるように恵みを与えて下さい。」と祈り求めることです。


苦難は、主と深い交わりが出来るチャンスでもあります。

苦難の時に、私たちは主しか頼れる所がないからです。


十字架の中には豊かな実があり、栄光があります。

十字架の中に勝利と復活があります。


産みの苦しみなしに新しい命の誕生がないのと同じです。


十字架は、私のたましいを この地上から解放して天国に導く有益をもたらします。




◎勝利を与える主の力に頼ること




私たちは自分の怠けさと罪との霊的戦いをしなければなりません。

勝利に戦いはつきものです。


「面倒くさいから今のままでいいんじゃないか?」と思う人に勝利はないです。


このままではいけないと思いながらも 悩むだけで何もせず、後回しにする人は どんどん信仰が弱くなり、無気力になっていきます。
そしてサタンに支配されます。


イエス様もサタンとの激しい戦いをして勝利しました。


ですから、私たちにも勝利出来る力を与えて下さいます。

力を与えたいと願っておられます。


私たちが毎日主の名を呼び、主に頼るならば、その力を得ることが出来ます。


主は私たちを贖う方、助ける方、力を与える方です。

それに対する信頼が必要です。


私たちが主の中にとどまり、主の弟子になるならば、私たちの人生の中に命と豊かな実を結ぶように働いて下さいます。


勝利は主の中にとどまる時だけです。

イエス様は何よりも私たちが主と共にいることを願っています。

そして私たちの愛を願っています。


弟子たちは自分だけの力では勝利することは出来ませんでした。


しかし一日中イエス様のことを考え、主を愛し、主の愛から離れなかったので、自分たちの心を守ることが出来ましたし、信仰を守ることも出来、主を裏切ることもありませんでした。


自分が毎日、主の中にとどまっているのか、主を愛しているのか、主のために犠牲を払う準備が出来ているのか、負うべき十字架を負っているのか、主に対して関心があるのかなど点検してみて下さい。


そして一つ一つ悔い改めながら立て直して下さい。

私たちが自分の中にある問題点に気付いて、主との静かな時間の中で主の前に出て行くならば解決されていきます。

主の前に出ない限り、ますます状態は悪くなっていきます。


主のことばのようにやってみて下さい。
(・◇・)ゞ

2016.8.28
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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失敗から学ぶ

テーマは 『 失敗から学ぶ 』 です

ハレルヤ。

今日も主の守りと平安がありますように祈ります。


失敗や過ちを犯したことがない人間は、1人もいないと思います。

完璧主義者は失敗がないでしょうか?
世の中に完璧な人間など存在しないので、それは そう思っている人の錯覚だと思います。


何の基準で自分を完璧主義者だと自任するでしょうか。

私たちはむしろ「私は弱くて、惨めで、失敗の多い人間である」と認めましょう。


それが本来の人間の姿です。

選ばれて神の働きをしたすべての人たちにも失敗がありました。

それを見て、私たちは失敗しても良いんだと思うのではなく、なぜそういう失敗があったのかを調べることです。


人の失敗を見て、同じことをする人は愚か者です。


しかし、失敗から学ぶ者は、同じ失敗はしないです。

警戒して自分を守るからです。


イスラエルの初代大祭司はアロンでした。

モーセの兄で、神様は彼に大切な働きを任せました。


礼拝をつかさどる大祭司の働きで、神の前で仕える働きでした。

しかし、彼がやってしまった大きな過ちがありました。


【出エジプト記32章3-4節】

そこで、民はみな、その耳にある金の耳輪をはずして、アロンのところに持って来た。

彼がそれを、彼らの手から受け取り、のみで型を造り、鋳物の子牛にした。彼らは、「イスラエルよ。これがあなたをエジプトの地から連れ上ったあなたの神だ」と言った。

なぜ、このようなとんでもない大きな過ちを アロンは犯したでしょうか。

発端は、民からの要求でした。


モーセが神に会うため山に入り、帰ってくるのが遅くなった時に、民はアロンの所に来て「私たちに先立つ神を造ってください。モーセというものがどうなったのか私たちにはわからないから。」

民の態度はとても横柄でした。


たくさんの神の奇跡を見たにも関わらず、また散々モーセの世話になったにも関わらず、簡単に背を向けました。

しかし、一番の失敗はアロンの態度でした。


指導者が民の犯罪の要求に対して受け入れることは、その民に呪いを受けさせることになります。


強く断って彼らの罪を指摘しないといけないのに、自分の立場と利益のために要求を受け入れました。

人を恐れると罠にかかります。


神の義は、いのちを懸けても守る価値がありますが、アロンは民の要求を断ることが出来ず、神の義を捨てて、みことばに反することを行いました。

そして、神が禁じている最も忌み嫌う偶像を造りました。

祭壇を築き、「明日は主への祭である」と、自ら率先して偶像崇拝を導きました。


しかし、そのことで神の怒りが彼らの上に激しく注がれるようになりました。


私たち神を信じる者は、神だけを信じ、神だけに仕えることです。

神の民は、神の民らしく、神のことば通りに生きることを悟って、社会的雰囲気や環境の要求のために神のことばに逆らう罪の道から離れなければなりません。


また人を恐れるのではなく、神を恐れて、失敗や過ちを犯すことがないようにしましょう。
( -д-)ノ

2016.1.22
3分テレフォンメッセージ

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信仰はどのように働くのか

テーマは 『 信仰はどのように働くのか 』 です


【ヘブル11章1-3節】

信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。

昔の人々はこの信仰によって称賛されました。

信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えないものからできたのではないことを悟るのです。

一般的に 《信仰は何か》 と質問すると、「神様を信じること」と答える人が一番多いですね。


《信仰を持つと どうなりますか》 と質問すると、「天国に行く。」 「祈ったら願いが叶えられる。」と答える人が多いです。

みなさんはどう思いますか。


今回は信仰を持ったら、その信仰がどのように働くのかを学びたいと思います。




◎神の約束と神の力に対する確信が出てくる




1節に “保証と確信” という言葉がありますが、信仰があると、この二つのものが出てきます。


聖書は神の約束のことばであふれています。

理解出来ない部分もありますが、信仰を持つと そのすべてに対して疑いではなく、確信が出てきます。


もし皆さんが、信用も信頼も出来ない人と約束したならば、その約束が実行されるまで何度も不安になったり、思い煩ったりすると思います。

「約束は保証する」と言われても、信用出来ず 疑うと思います。


相手が信じられない不信仰は そのように疑い、不安、思い煩いをもたらしますが、信仰は反対に信頼、平安、確信をもたらします。

保証すると言われなくても不思議と保証されたと信じることが出来ます。


信仰は神の約束に対しても必ずそうなると確信出来ます。確信は、信じて疑わないことです。


信仰とは、五感で感じなくても、神の言葉に対する確信によって神がおられること、神がすべてを造ったこと、神が今も働いていること、神には力があって不可能がないこと、天国も地獄もあることなどを全部信じられますし、確信します。


信仰がないと何一つ確信できないです。

信仰がないと、聖書は ただの物語に過ぎないと思ってしまいます。


世界と人間の創造や奇跡の内容も信じられず、事実として受け入れることが出来ないです。


ですから、次のように言われます。


【ヘブル11章6節】

信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。



◎信仰によって神の摂理、みこころやみわざを悟ることが出来る




信仰がない時は神の存在、神のみこころ、神の救いの計画、キリストの十字架に対して全くの無知です。

すなわち悟ることが出来ないです。


悟りは、厳しい修行や瞑想で得るものではなく、神によって開かれる知恵です。


悟りが与えられないと、特に神のみことばとみこころを知ることは出来ません。

見えない世界や神に対して知りたくて、人間は必死に修行したり、想像力を生かして理解しようとします。


そして自分に悟りが与えられたと言って、人に勝手な教えをしたり、宗教を作ったりしますが、それらのもので真の神を知ることは出来ません。


しかし、神の言葉を聞いて正しい信仰を持つと 神の存在、神の計画、みこころ、神のみわざに対して悟ることが出来ます。


悟りの霊によって聖書の世界、霊の世界、神の世界が開かれていきます。

一気に全部開かれるわけではないですが、神の存在に対しては一気に信仰が出て来ます。


頭で理解するのではなく、心で信じるようになります。

これは神からの不思議な恵みです。


博士も悟れないのに、無学な人が悟ることは 神の世界ではよくあることです。


【へブル11章3節】

信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。

このようにありますが、これは見える世界が、目に見えない神のことばによって造られたことを意味します。


信仰があると 神の救いの計画、主の十字架、御国、世の終わりやさばきなどを悟ることが出来ますが、信仰がないならば聖書を読んでも神のみこころを悟ることは出来ません。


聖書を読む人は多いと思いますが、どんなに読んでも信仰を持たない人もいますが、わずかなことばを聞いても 信仰を持つ人がいます。


なぜなのかはよく分からないですが、これも神の一方的な恵みだと信じています。




◎信仰は神の約束のことばの上で働く




信仰の始まりも土台も すべて神の約束のことばです。

アブラハムの信仰はどのように働いたでしょうか。


【ヘブル11章8節】

信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。

アブラハムの信仰の行動は、神から約束のことばを聞いて、それに従って行動しました。

自分の計画でも人の勧めでもありませんでした。

神は彼が行動出来るように約束を与えました。


【創世記12章1-3節】

主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。

そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。

あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」

信仰ある人はこのように神の約束のことばの上で行動します。

すると主の御心のままに生きることが出来ます。


自分の考えや知識や経験、計画で動くのは信仰ではありません。
それは信仰とは無関係です。


神の言葉によって動くのが信仰です。


信仰が 神の約束と自分を結びつけます。

信仰は神の約束のことばと深く関係します。




◎信仰はキリストを一番大切にする




【へブル11章26節】

彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです。

これはモーセの信仰の姿ですが、モーセは自分が置かれた環境の中でとどまったならば、パロの娘の養子として権力、名誉、富、贅沢な生活すべてを手に入れることが出来ました。


しかし、そのすべてを失うことを知っていながらも、モーセはキリストを選びました。

イスラエルの民と共に苦労しましたが、彼はキリストから得られるものに注目して キリストを選びました。

パウロも同じでした。


【ピリピ3章7-8節】

しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。

それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。

キリストをすべてにまさる方として尊敬できるのも信仰によります。




◎信仰が働くと 大きな試練にも迫害にも耐えることが出来る




【ヘブル11章35-38節】

女たちは、死んだ者をよみがえらせていただきました。またほかの人たちは、さらにすぐれたよみがえりを得るために、釈放されることを願わないで拷問を受けました。

また、ほかの人の人たちは、あざけられ、むちで打たれ、さらに鎖につながれ、牢に入れられるめに会い、

また、石で打たれ、試みを受け、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊ややぎの皮を着て歩き回り、乏しくなり、悩まされ、苦しめられ、

――この世は彼らにふさわしい所ではありませんでした――荒野と山とほら穴と地の穴とをさまよいました。

信仰がないと主のための小さい苦難にも耐えることが出来ません。


信仰がある人は苦難の中でも希望を持ちます。

(その人たちは)神が 神を愛する者のために備えておられるものを見ています。


聖徒が受け継ぐものがどのように栄光に富んだものかを知っているので、それが忍耐出来る力を与えます。


たとえ殉教しても主から様々な冠を受け、神がおられる天国で永遠に住むことを知っているので、死をも恐れません。


信仰がないと主のゆえに受ける試練に耐えられません。

しかし信仰があれば 自分を捨て、自分の十字架を負って主に従うことが出来ます。


信仰がどのように働くかを知れば、もっと信仰を生かすことが出来ます。


“自分は信仰がある” と言っても、今回のことばのように 信仰を働かせることがないならば、その信仰が何になるでしょうか。

中味のない形式的な信仰で終わってしまいます。


そのような姿に対して主から言われることばは「信仰の薄い者だ」です。

しかし弟子たちが信仰を働かせるようになってからは、そのことばは言わなくなりました。


たとえ今、「信仰の薄い者だ。」と言われている人でも、その信仰を働かせるならば、信仰は強くなりますし、その信仰で主を喜ばせることが出来ます。


そして信仰を持っている人も、その信仰によって多くの恵みを受けることが出来ます。
(*・ω・)ノ


2016.8.14
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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新しい人として生きていますか

テーマは 『 新しい人として生きていますか 』 です

【第1テモテ1章5節】

この命令は、きよい心と正しい良心と偽りのない信仰とから出て来る愛を、目標としています。

キリストの血潮によって罪赦され、聖霊によって生まれ変わった人を “新しい人”と呼びます。

新しい人にふさわしいのは当然新しい生き方です。


皆さんは新しい人ですか?
そして、いま新しい生き方をしていますか?


今日のテーマは「新しい人として生きていますか」です。


まずは新しい人の身分と、それにふさわしく生きることの内容を聖書で調べます。




・新しい人とその生き方




新しい人は以前とは違う状態に変わったことを次のことばが説明してあります。


【第1ペテロ2章9-12節】

しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。

あなたがたは、以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、以前はあわれみを受けない者であったのに、今はあわれみを受けた者です。

愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり、寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。

異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい。そうすれば、彼らは、何かのことであなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのそのりっぱな行いを見て、おとずれの日に神をほめたたえるようになります。

新しい人は神のあわれみを受けて、神に選ばれた者であり、祭司として神に仕え、罪赦され聖なる者になり、神のものになった人です。


古い人とはまったく違う状態になりました。


人の知恵や力によるものではなく、すべて神のみわざと力によって新しくされました。

肉体が変わったのではなく、その人の魂や身分が変わりました。


ですから新しくなった人は 肉に従って歩むのではなく、御霊の導きと神のことばに従って歩まなければなりません。


そのために必要なのが 新しい生き方を学ぶことです。

新しい生き方を学ばずに 新しい人として生きることは出来ないです。


信じた後でも何も変わらず以前と同じ生き方をする人が多いですが、それは問題です。

それは古い人のままで生きている姿です。


新しい生き方で歩もうとする時に、それを邪魔する強い敵に私たちはすぐ遭遇しますが、それは外部の敵ではなく、自分の中に長く住みついた “肉の欲” です。


これが なかなか消えません。

また、自分でもこれに執着して 何もせず礼拝出席や奉仕だけで信仰生活をしようとします。

クリスチャンの中で一番多いタイプです。


救われたのに、相変わらず広い道を歩んでいますし、間違えた教えをする牧師たちは さらにその道を広げて信徒たちが古い人の姿のまま生きるようにさせています。


「救われた人はそんな事を気にせずに自由に生きたら良い」と甘い言葉をかけます。

これが最悪のサタンの策略です。


神からのことばは 次のように言われています。


【第1ペテロ2章11節】

たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。

古い人の中にあるものは肉の欲です。


古い人は、肉の欲に従って歩みました。

それが何の問題でもありませんでした。

肉の欲がないと成功しないし、金持ちにならないし、祝福もされないと教えられたので、肉の欲があることが自然体だと考えていました。






しかし新しい人に “肉の欲” は癌細胞のように危険です。


私たちを再び罪の中に引き込もうとする誘惑であり、魂を汚すものであり、世に関心を持たせ、神から引き離そうとするものです。


せっかく新しく生まれ変わったのに、古い人に再び転落する恐ろしい誘惑なので警戒が必要です。


この肉の欲を遠ざけるために必要なのが、神のことば、きよい心、正しい良心と偽りのない信仰です。


私たちの内面が それらのもので満たされないと、以前からの古い生き方を変えることは出来ません。

古い人の時は 肉の欲を誘惑とは思っていなく、“それくらい皆もやっているから“ と嘘や不義なやり方で自分の利益を先に求めていました。


しかし新しい人になった後に そのやり方をすると、私たちの中にある良心は騒ぎ出します。


「そんなことして良いの?」と胸騒ぎがします。

また、心の中におられる聖霊様が悲しみます。


「聖霊を悲しませてはならない。」と言われたのは、私たちが霊的に無感覚になって 不義を行う時に、神様は私たちを見て心を痛めるからです。

良心が麻痺されると嘘をついても不義を行っても心があまり痛くないです。


良心の声よりは、利益のために少々のことは言い訳をして平気にやります。

しかし新しい人の道徳観、倫理観、生き方は そのレベルであってはいけないです。


主が主の祈りの中で教えて下さった祈りの中に次のことばがあります。


【マタイの福音書6章13節】

私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。

と、ありますが、これが「たましいに戦いをいどむ肉の欲を避けなさい。」という言葉と繋がりがあります。


私たちが一番試みにあっている部分が “肉の欲” です。

口では「主よ。主よ」と言うのに、心にある主人は肉の欲です。


世を愛し、金銭を愛する心がある人が 一番誘惑に弱く、一番惑わされやすいです。


その人たちは良心までも麻痺されています。




・肉の欲の危険性




【第1テモテ4章1-2節】

しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。

それは、うそつきどもの偽善によるものです。彼らは良心が麻痺しており、

この言葉のように、肉の欲には “惑わしの霊と悪霊の教え” が入りやすく、もし入ると、この世と妥協して自分の利益を優先するので良心が汚れ、悔い改めすら出来ないように心が麻痺していきます。


麻痺とは “無感覚” になったことを意味します。不義を行っても悲しくも苦しくもならないです。

反対に「何が悪いの?」と開き直ります。


パウロのことばを聞きます。


【使徒の働き20章33節】

私は、人の金銀や衣服をむさぼったことはありません。

サムエルのことばも聞きます。


【第1サムエル記12章3-5節】

さあ、今、主の前、油そそがれた者の前で、私を訴えなさい。私はだれかの牛を取っただろうか。だれかのろばを取っただろうか。だれかを苦しめ、だれかを迫害しただろうか。だれかの手からわいろを取って自分の目をくらましただろうか。もしそうなら、私はあなたがたにお返しする。」

彼らは言った。「あなたは私たちを苦しめたことも、迫害したことも、人の手から何かを取ったこともありません。」

そこでサムエルは彼らに言った。「あなたがたが私の手に何も見いださなかったことについては、きょう、あなたがたの間で主が証人であり、主に油そそがれた者が証人である。」すると彼らは言った。「その方が証人です。」

二人のことばで明らかになったのは、神のことばをしっかり守りながら生きていることと、人の前でも自分の良心にとがめがない生き方をしていました。


しかし外側は敬虔に見えるパリサイ人たちに対して、主は彼らを “偽善者” と呼び、次のように語りました。


【マタイの福音書23章28節】

おまえたちも外側は人に正しく見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。

神の子どもたちが 不法なやり方で利益を得たり、他人に被害を与えたり、嘘を言ったりすると、正義と公義の神様が 自分の子どもがそのような生き方をしているのを いつまでも黙って見ているわけがありません。




・神は神の子どもたちに何を願っているのか




【ミカ書6章8節】

主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。

“公義” とは「律法にかなった正しい行動」です。

公義を行うことが良いことで、神が喜ぶことです。


肉の欲のために、罪に足を一歩でも踏み入れると 私たちは一つの罪だけではなく、律法全体を犯すものになります。

箴言のことばを三つ開きます。


【箴言1章19節】

利得をむさぼる者の道はすべてこのようだ。こうして、持ち主のいのちを取り去ってしまう。

【箴言20章10節】

「異なる二種類のおもり、異なる二種類の枡、そのどちらも主に忌みきらわれる。

【箴言20章17節】

だまし取ったパンはうまい。しかし、後にはその口はじゃりでいっぱいになる。

政治家たちのことを思い出してみて下さい。

自分の利益のためにわいろを取ったり、支出をごまかしたりして職を失い、恥をかき、反対にもっと大きなお金を失くしたりもします。


もしクリスチャンである私たちがそれと似たようなことをすると、誰よりも聖霊が悲しみます。


新しい人の自覚をもって生きることは、楽ではなく反対にしんどいです。

生き方を修正することはとても難しいし疲れます。


戦いも楽ではありません。負ける時が多いです。

それで「昔の方が楽だったのに」と思います。


しかし新しい人として生きるためには、嫌でも肉の欲を遠ざけないといけないです。


肉の欲と戦いもせず、好きなように生きると それは古い人のまま生きることを選んだことになるので、神の子どもとして生きることを辞めたことになります。

きっといつか後悔するでしょう。


戦いに負けることがあったとしても あきらめず、神の言葉の基準や良心のとがめがない生き方を選びましょう。


私たちが信仰を持ったのは、新しい人として生きるためです。

神の愛を受けたので、自分も神を愛して生きることを選びました。


ですから神を愛することをやめると、信仰生活は維持できないです。

信仰生活はみことばの上に立ち、神を愛し、新しい生き方をすることです。


古い人は、十字架の上でキリストと共につけられて死んだことを再確認して 新しい生き方を実行していきましょう。
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2016.8.7
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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