からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


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2016年02月

信仰の試練

テーマは 『 信仰の試練 』 です

【ヤコブ1章2-4節】

私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。

信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。

その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。

【ヤコブ1章12-14節】

試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。

だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。

人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。

今回は “信仰の試練” に対して 神の言葉を伝えます。


本文の中には何度も “試練や誘惑” という言葉が書かれていますが、よく読んでいくと それぞれ意味が違うので、そのことを理解する必要があります。


信仰には “試練” がつきものです。

試練に会って、「どうして私に?」と思うのではなく、「来るべきものが来たのか」と肯定的に捉えることが必要です。


なぜならば、その試練が悪いものではないからです。


どのような意味があるのかを学びます。




・私たちを完全な者にするための試練




ヤコブ1章2-4節に出てくる試練は、“私たちを鍛錬するため” の試練です。


聖書に出てくる信仰の人たちは、皆 この試練を受けました。
これは、鍛錬のためのテストです。


代表的な人物はアブラハムです。

創世記22章にアブラハムが受けた試練がありました。
それは神から来た試練でした。


【創世記22章1-3節】

これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた。神は彼に、「アブラハムよ」と呼びかけられると、彼は、「はい。ここにおります」と答えた。

神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」

ある日、突然ふりかかった とんでもない試練でした。

アブラハムへの信仰のテストでした。


自分の思いを優先するならば、神に従うことが出来ません。

親として愛する自分の子どもを殺すことは出来ません。


しかし 信仰で考えるならば、どんなことであれ 神に従うことが優先です。


信仰のテストは (自分の思いではなく)信仰を選ぶならば、すぐに正解を出せます。
(神から)言われた通りに従えば 問題がないです。


どちらが正解か と迷う必要もありません。

しかし肉の思いで悩むと さらに苦しくなり、神と戦うようになり、だんだんと心が不信仰に傾くので、最後には不正解を選ぶようになります。


アブラハムはどうでしたか?

それまでも神の言葉に従って歩んで来たアブラハムは、今回も信仰による決断しかしませんでした。


すぐに支度をして翌朝早く 示された場所に向かい、イサクを言われた通りに全焼のいけにえとしてささげようとしました。

その瞬間、「アブラハム。アブラハム」と彼を呼ぶ御使いの声がありました。


初めは「アブラハムよ」と呼びかけましたが、次は「アブラハム。アブラハム」と呼びかけ、緊迫したようにも聞こえます。

アブラハムが刀を取って自分の子を殺そうとしたのが あまりにも本気だったからだと思います。


アブラハムは前回と変わらない答えでした。
「はい。ここにおります。」

御使いは次のように仰せられました。


【創世記22章12節】

「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」

信仰の試練は、神が第一なのかをテストします。

神が一番でないならば、その信仰は 神が喜ぶ信仰ではないです。


その人にとって “一番” になっているものが(その人にとっての)神であり、それは偶像の神です。

そのような人は偶像崇拝をしており、信仰は “形だけ” です。


ですから、試練を与えてテストをすると分かってきます。

人間はいつも変わるので、時々試練を与えてテストをする必要があります。


この信仰の試練によく耐える人は ますます信仰が強くなり、さらに神を愛し、神を恐れる人になります。


だんだんと信仰のレベルが上がっていき、強度が強くなります。


アブラハムは この試練に耐えたので、“信仰の父” になりました。

このような試練は、私たちを成長させ、豊かにし、完全な者にさせます。




・イエスを信じることによって来る試練




ヤコブ1章12節のみことばです。

『試練に耐える人は幸いです。』


ここでの試練は “苦難、患難、迫害など” です。


試練を持ってくるのは神ではなく、悪魔です。

神に敵対する悪い勢力を悪魔が使って試練を与えます。


キリスト教は長い間 迫害を受けました。

新約聖書が書かれた時代は 激しい迫害がありました。

その時代に一番迫害と試練にあったのは、使徒パウロでした。



【第2コリント1章8-9節】

兄弟たちよ。私たちがアジヤで会った苦しみについて、ぜひ知っておいてください。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危くなり、

ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。

主の弟子たちは、試練に対してとても肯定的な思いで受け取っていました。


その試練によってイエス様の苦難にあずかる者になったことを喜びましたし、その試練によって肉の思いが砕かれ、もはや肉に頼る者ではなく、神に頼る者になることを期待しました。


ペテロもそのように試練を捉えていました。


【第1ペテロ1章6-7節】

そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。いまは、しばらくの間、さまざまの試練の中で、悲しまなければならないのですが、

あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、イエス・キリストの現れのときに称賛と光栄と栄誉になることがわかります。

この試練は悪い者たちによって受ける試練ですが、神はそれを善に変えて下さいます。


その試練に信徒が忍耐して 信仰を守り通す時に、素晴らしい報いを与えて下さいます。


それはいのちの冠で、最も価値ある報いです。


ですから、試練が来た時に 喜んで受け入れないといけないです。

それによって大きな報いが与えられるからです。





・私たちを倒そうとする誘惑




これは ヤコブ1章13-15節にある誘惑です。

この誘惑は 神から来るものではないので絶対受けてはならないです。

これはサタンが私たちを悪に誘う誘惑です。


今の日本では迫害は ほとんどないですが、この誘惑はたくさんあります。


激しい迫害に耐えた人でも この誘惑に負ける人がいます。

サタンが アダムとエバを倒したのは、まさに この “誘惑” でした。


目の欲、肉の欲を刺激しました。

刺激されたエバが善悪の木を見ると どうなったでしょうか。


【創世記3章6節】

そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。

誘惑に負けた姿です。

誘惑された時に すぐさまサタンを追い出さないで、好奇心で見るならば 必ず誘惑に負けます。

見た瞬間に心にある欲が目覚めて誘惑と結びつき 罪を生み出します。


誘惑は罪を犯させるためにサタンが仕掛けた罠です。


それに引っかかると必ず罪を犯します。


立派な信仰を持っていたダビデが倒れたのも、1人の女を見て誘惑されたからです。

目の欲に揺れた時に サタンを追い出せば良かったのに、それをせず女を連れて来させたので、そこから信仰が転落していき、そのことでダビデがどれほど辛い日々を送るようになったか分かりません。


誘惑は本当に気を付けないといけないです。
サタンは欲につけ込みます。



女の欲があるならば 女で誘惑します。

名誉、地位、情など色々な誘惑のパターンがあります。


自分が持っている欲はすべてサタンの標的になります。


この誘惑に負けないためには2つの方法があります。

神の武具を身に着けて誘惑が来た時に戦うことです。

サタンを追い出します。


誘惑されると罪を犯すので神は血を流すまでは戦いなさいと言いました。


いつも神の武具を身に着けて警戒することです。


そして自分の中にある様々な欲を打ち砕いて捨てることです。

それには霊的訓練が必要です。
知識ではなく実践です。


自分の欲と戦い、試練の中で実践をすることです。

自分の中にある欲を捨てないと いつまでもサタンは誘惑を止めません。


ですから自分がしんどくなり、誘惑と欲に疲れ果ててしまいます。


霊的訓練で内側にある欲を取り除かないといけないです。

生きている限り、信仰の試練はあります。


試練があって当たり前と思って下さい。

しかし それは悪いものではなく、私たちに必要であることを認識して、逃げず、文句を言わず、耐え抜いて勝利して下さい。

そうすると必ず成長しますし、神からも良い報いを受けます。
(・∀・)つ

2016.2.28
聖日礼拝メッセージ

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悪魔との戦い方

テーマは 『 悪魔との戦い方 』 です

【ヤコブ書4章7節】

ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。

先週は 「悪魔の正体と策略」 に対して学びました。


悪魔は軽く考えてはいけない、決して弱い存在ではないです。

そのことをまず しっかりとわきまえましょう。


「使徒の働き」 を読んでみると分かります。

使徒パウロが命じると 悪魔は出て行きました。

それを見たユダヤの祭司長の7人の息子たちが、悪霊につかれている者に向かって主イエスの名をとなえました。


【使徒の働き19章12-16節】

「パウロの宣べ伝えているイエスによって、おまえたちに命じる」

このように言ってみましたが、次のように悪霊が答えました。


「自分はイエスを知っているし、パウロもよく知っている。けれどおまえたちは何者だ」

そして、悪魔は 彼らに飛びかかり、2人の者を押しつけて、みなを打ち負かしたので、彼らは裸にされ、傷を負って逃げだしました。


悪魔は相手を見抜いています。

勝てる人と負ける人を見ただけで分かります。


悪魔は人間より はるかに力があるので、人間をまったく恐れません。


むしろ人間を支配して、自分の奴隷にし、“世の支配者” として君臨しています。


3階建ての家で例えるならば、1階は人間、2階は悪魔、3階は神様が住んでいます。

神様が 1番力があります。

次に力があるのは悪魔で、最後が人間です。


ですから、悪魔に勝つためにはどうしたらよいか、力ある神に戦い方を教えてもらうことです。


そして私たちが3階に引っ越しをし、神と共に住むことです。


聖書には 悪魔の策略もありますが、神の勝利の秘策も色々と紹介されています。


今回は避けられない悪魔との戦い方を主のことばから学びます。




・神に従って悪魔に立ち向かう




悪魔は “私たちが神と共にいる時、神に従っている時” に私たちを攻撃しても勝利することは出来ません。


なぜなら悪魔は、私たち人間のことは全く恐れないですが、神には勝てないので 神を恐れています。

神の前では(悪魔は)逃げ去ります。


私たちがいつも神と共にいて、神に従うと、神は私たちに悪魔を追い出す権威を授けて 悪魔に勝利出来るようにして下さいます。


すると悪魔は、その権威の前に思うように働くことが出来ず、私たちが “主の名” によって追い出すと悪魔は出て行きます。


パウロはその権威があったので、悪魔を追い出しましたが、その権威がない者が追い出した時に、反対に悪魔の攻撃を受けて 自分たちが悪魔から逃げ去りました。


ですから神は “神に従って、悪魔に立ち向かいなさい” と命じました。

権威もなく、1人で戦うと悪魔からひどい目に遭います。


悪魔との戦いは、ネット世界のゲームの戦いではなく、実際の戦いです。


サタンが1番標的にするのは、“クリスチャンでありながら 神に従わない人、神と共に歩まない人” です。


その人たちは神を信じているのに、いつまで経っても悪魔から自由にされず支配されています。


その人たちは悪魔の言うことはよく聞いても、神の言うことには聞かず、死んだ信仰状態です。

悪魔に支配されているので、生まれ変わったとは言えない状態です。



イエス様は「私の中にとどまりなさい。私を離れては何も出来ない。」と言われました。


悪魔との戦いに勝ちたいならば、主の中にとどまりながら、主に従うことが最も大切です。


悪魔は強いですし、数も とても多いです。

次々と攻撃をしかけますので、神の中が一番安全な場所です。


サムソンもダビデも主と共にいて、従った時は強い敵に勝利しましたが、欲望に心が取られた時にサタンがしかけた罠に引っ掛かり、罪を犯し、サタンに勝利をもたらしました。


彼らが悔い改め主に立ち返った時に、再びサタンに勝利することが出来ました。


ですから悪魔に立ち向かうためには、いつも主に従って主の中にとどまることが必要です。




・神のすべての武具を身に着ける




【エペソ6章10-17節】

終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。

悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。

私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。

ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。

では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、

足には平和の福音の備えをはきなさい。

これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。

救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。

神は “キリストの兵士” として召された聖徒たちが、霊的戦いで勝利出来るように “神の武具” を用意して下さいました。


霊的戦いをする聖徒たちは、必ず神の武具を着ないといけないのに、この武具があることすら知らないクリスチャンが多いです。

みことばは知っていても、着ていない人が多いです。


その人たちは何を持って悪魔と戦っているでしょうか?
肉の力で戦っているでしょうか?それとも、大声が武器でしょうか?


人と人、国と国の戦いには 目に見える武器が必要ですが、(目には見えない)霊的存在である悪魔との戦いには 神から言われた “神のすべての武具” が必要です。


神の武具には、神の力と守り、恵みがありますので、それによって戦うならば、勝利は間違いないです。


サタンにいつもやられている人は、神の武具がない “裸の状態” で出て行くのでサタンの捕虜にされてしまいます。

そして神が助けてくれなかったので、「すべては神様のせいです」と神に文句を言います。

これは とんでもないことです。


裸で手ぶらの状態で 神の指示も無視して敵の前に出るならば、物笑いです。

それでは あっという間にサタンの奴隷にされてしまいます。


神の武具を 【ローマ13章12節】 では、「光の武具」と言っていますし、【第2コリント6章7節】 では「義の武器」と言われています。


闇である悪魔は 光には勝てませんし、不義である悪魔は 義の前では勝利出来ません。






また、神のすべての武具に何があるのかを学びます。


腰には “真理の帯” です。

真理は、世の価値観・偽りから私たちを守ります。


この世ではサタンが蒔いた価値観にあふれています。

そのほとんどが真理に逆らう価値観です。


ですから(この世は)神に敵対しながら生きています。


世の価値観に勝つためには、真理による価値観と行動が強力な武器になります。


胸当ては 急所を守る役割をしますが、“正義の胸当て” は、神の言葉に忠実に従うことで着けることが出来ますし、その胸当てはサタンの惑わしの火矢から守ってくれます。


福音の履き物は“ 福音を伝えること” で、サタンの勢力を打ち破ります。

信仰の大盾は、“主の力を信頼して、敵の攻撃を防ぐことも攻撃する” ことも出来ます。


また信仰は “世に勝つ力” です。


救いのかぶとは、“救いを確信すること”で、大胆に戦うことが出来ます。

神の救いが確信できないとサタンとの戦いに恐れが出て、勝つことが出来ません。


手には聖霊が与えて下さった みことばの剣をしっかり握って “悪魔を攻撃” します。




・祈りによって戦う




【エペソ6章18節】

すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。

兵士がどんなに完全武装していても 眠っているならば、あっという間に敵にやられてしまいます。


聖書は、目を覚まして御霊によって祈るように命令しています。

それは敵がいつ攻撃するか分からないからです。

“祈り” によって神の守りと恵みを受けることが出来ます。


霊的戦いは激しいので、勝つためには神の助け、守り、恵みが必要です。


イエス様も 十字架を前にして、ゲッセマネの園で汗が血のしずくになるまで祈ったので、悪魔との激しい戦いに勝利することが出来ました。


イエス様が弟子たちには「誘惑に陥らないように目を覚まして祈りなさい」と何度も言いましたが、誰も祈らず眠ってしまったので戦いに敗れ、イエス様を裏切り、散々な目に遭いました。


“祈り” がどんなに重要な戦いの武器になるかは、このことで弟子たちはすごく分かりました。

その後は祈りに専念する弟子たちになりました。


また、悪霊に取りつかれた少年が来た時に 弟子たちだけで悪霊を追い出そうとしましたが、出来ませんでした。

しかしイエス様が来て悪霊を追い出しました。


そこで弟子たちは「なぜ自分たちはそれが出来なかったのか」と主に聞きました。

その時も主は、悪霊を追い出すために “祈りが必要であること” を教えました。


【マルコの福音書9章29節】

「この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出せるものではありません。」

普段から祈りがしっかり出来ている人は、サタンとの戦いに強いです。

自分に力があるからではなく、祈りによって神に頼り、神の助けと恵みを受けるからです。


サタンとの戦いはますます強く巧妙になります。


戦いを恐れるのではなく、神の中にとどまること、神に従うこと、神のすべての武具を身に着けること、そして目を覚まして 絶えず祈ることで、勝利出来ますので、後は大胆に悪魔に立ち向かいましょう。
( ̄‥ ̄)=3

2016.2.21
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
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地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
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金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
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悪魔の正体と策略

テーマは 『 悪魔の正体と策略 』 です

【第1ペテロ5章8-9節】

身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。

堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。

聖書には神の存在だけでなく、悪魔の存在も現れています。


そして、悪霊が 人間や人間世界に及ぼす悪い影響に対しても詳しく教えています。


イエス様も悪魔と戦いました。

そして 私たちもこの悪魔と戦うように言われました。


この教会では、いつも霊的戦いをしていますが、ますます悪魔の働きが強くなっているので、身を慎み、目を覚ますために さらにしっかりと悪魔の正体と策略に対して学びます。




悪魔の正体



悪魔には様々な姿があるので、それによって呼ばれる名前も違います。


聖書の中にある名前だけでも、20以上はあります。

  • 暁の子
  • 明けの明星
  • 悪魔
  • サタン
  • ベルゼブル
  • 悪い者
  • 人殺し
  • 偽り者
  • 世を支配する者
  • この世の神
  • ベリアル
  • 空中の権威を持つ支配者
  • 暗闇の世界の支配者
  • 誘惑者
  • 死の力を持つ者
  • 底知れぬ所の御使い
  • アバドン
  • 大きな赤い竜
  • 古いへび
  • 全世界を惑わす者、訴えている者

などがあります。


聞いただけでも悪者の姿が想像出来ます。

悪魔は アダムとエバを堕落させ、彼らの祝福を盗み、神との関係を壊し、死をもたらした悪い存在です。

そして今も同じことを人間や世界にしています。


悪魔が堕落した天使であることは、クリスチャンならば知っています。

霊の存在であり、霊の世界に対してはとても詳しいです。


霊の世界は 架空の世界ではなく、“現実よりもリアルな世界” です。


すべてのものは 霊の世界から始まりました。

物質の世界は、後から創造されました。


神が遣わす御使いは聖徒に仕える霊ですが、悪魔は聖徒たちを攻撃する悪の働きをします。


(悪魔は)死の力をもって人々と世界を支配する、暗やみの支配者です。

軽く見てはならない存在です。

策略家であり、世界でどんな悪でも平気に行う存在で仲間がたくさんいます。




悪魔の働き



今日の本文にあるのが悪魔の働きです。


ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら歩き回っています。

活発な働きを全世界でしています。

戦争もテロも事件も、悪魔の働きによるものがほとんどです。


獅子が獲物を捜すのは 食い尽くすためで、その手にかかれば、いのちが危険です。

イエス様が語ったことばが、ヨハネの福音書にありますが、これは悪霊の働きを見せてあります。


【ヨハネの福音書10章10節】

盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。

人殺しが計画的に人を殺すように、悪魔も計画的に人を狙って働きをします。

悪魔は今も激しく神に敵対するために活動しています。


そのために教会を攻撃し、信徒たちを誘惑し、あらゆる手段を使って人々が救われないように妨害します。


神様とは反対のことをするのが 悪魔の働きです。

悪魔は働きのために緻密な作戦や策略を立てて実行します。


この策略を聖徒たちは知らないといけないです。


信じてない人たちはサタンの支配下にあるので、いつでもサタンは好きなように出来ます。



サタンは、豊かに祝福することも出来ますし、成功させることも出来ます。
しかしサタンは 彼らのたましいを手に入れてあるので、最終的には地獄に突き落とします。


そして、その結末に大喜びする恐ろしい悪魔です。


聖徒を落とすためには霊的戦いが必要なので、悪魔は、神に敵対する時には 巧妙な策略を立てます。


多くのクリスチャンたちが サタンに対して無知で、霊的戦いに対しても知らないのでほとんど悪魔が勝利しますね。


クリスチャンたちは教会に通っているだけで満足し、世の人と変わらない霊的状態です。


霊の目も耳も開いていなく、ラオデキヤ教会のような状態がとても多いです。


サタンから見たらありがたい状態で、とても働きやすい環境です。




悪魔の策略



実際に悪魔に長い間 仕えていた人から聞きました。

びっくりするような内容が色々ありました。


悪魔に対しても、その策略に対しても何も知らないクリスチャンが多過ぎることは怖いことです。


聖徒が “キリストの兵士” と呼ばれるように、悪魔にも “悪魔の兵士” と呼ばれる者たちがいます。


彼らはすごい策略を持って、キリストの兵士たちを攻撃して勝利しています。

ものすごい力を持ってありますし、とても熱心です。


しかしキリストの兵士たちの多くは 寝ていて、サタンの捕虜にされてしまいました。

サタンに悩まされています。


悪魔の策略は、まず地域に呪文や呪術をかけてイエス・キリストの真理が入らないように妨害します。

その地域に貧困、病気、淫乱、暴力、麻薬の霊などを送って、その霊が地域を支配するようにします。


世界や地域を見ると よく分かります。


日本もその霊に強く支配されているので、福音が入らないです。

偶像が盛んです。


神の命令で、初めて八戸ノ里に来た時も、強いサタンの力を感じて、恐れと不安が出たので道端に立ったまま祈りをしましたが、体が震えた記憶があります。


そして教会開拓をしたくない思いが出ました。

しかし神の命令があったので開拓をして 今に至りました。






2年前に神様が夢でこの地域を支配しているサタンの陣地をはっきりと見せて下さり、人々が霊的にサタンに捕えられ縛られていることを見ました。

そのことをはっきり覚えています。

サタンの働きがどれほど強いかを見せて下さいました。


アルコール、ギャンブル、麻薬、スマホ中毒など、中毒と呼ばれる状態は99.99%サタンの働きです。


サタンは最初 (その人に)“一回だけ”と誘惑をします。

そして快楽を与えます。


それがまだ弱い時は抜け出ることも出来ますが、中毒にかかると自分の意思では もはや無理です。


それはサタンに完全に支配されてあるので、そこから抜けることは 本人の意志では不可能で、霊的戦いが必要であり、神の助けが必要です。


悪魔は、人々の心に 自分たち(悪魔)を神のように信じる心を入れ、真理に対しては疑いを入れて 真理を信じないようにし、十字架を否定するようにします。


たとえ信じたとしても十字架から分離させるために、真理が悟れないように攻撃します。

人は救われた瞬間から戦いが始まります。
それはサタンとの戦争です。


救われた人には、“神の目的と使命” がありますが、サタンはその目的と使命を私たちから取り除こうとします。

そこからサタンとの戦争が始まり、サタンが激しく攻撃してきますが、多くの人はそれを神様のせいにします。


悪いことが起こると すべて神様のせいにして、誰もそれをサタンのせいにはしないです。

教会の外にいる人も教会の中にいる人も同じことを言います。


病気、苦難、貧困、出世が出来ないことなど、人生で起こる様々な問題を 全て神様のせいにします。
これは間違いです。


誰もサタンの仕業と思わず、神のせいにして神を攻撃するので 人々は神から離れ、サタンの存在には気付かないので サタンは自由に好きなことが出来ます。


それがサタンの巧みな策略です。

神のせいにして神から離れさせる作戦です。


長く教会に通っていても真理を悟ってないならば、(真理を悟らないように)サタンによって覆いが掛けられています。


そして形だけの信仰にさせます。
多くのクリスチャンが “名ばかりのクリスチャン” です。


真理を悟り、真理によって自由にされ、キリストの兵士として戦って勝利している人は少ないのが残念です。


サタンは、人の弱点をよく研究しているので、弱い所を誘惑し集中的に攻撃します。


すると その攻撃で、ほとんどの人は誘惑されてしまいます。

誘惑されないために必要なのが霊的訓練です。


罪と肉の欲と戦って勝利するためには、自分の肉を打ち叩かないといけないです。


それが霊的訓練です。

肉のものがあればあるほど、悪魔がそこを誘惑し攻撃します。






教会の中で働く悪魔の策略には、何があるでしょうか?


一つ(一致)にならないように、“分離の霊” を入れます。


この霊が働くと 妬みや高慢、非難、悪口、不満が出て来て、愛し合う代わりに分裂、分派が起こります。

そして愛の交わりが出来なくなります。

信仰状態が悪くなり、人々は救われなくなります。


また“惑わしの霊” を入れて、真理から離れるようにして偽りを信じさせ、信仰を堕落させます。


そして“メッセージを使う策略” もあります。

教会が人々に、幸せと恵みだけをメッセージするように仕向けます。


これは信徒たちにアメだけを食べさせることです。


人々が教会に来る時には “罪、呪い、問題、サタンの縛り、病気、悩み” などを持って来ます。


その時に必要なのは、そこから自由にさせることです。

捕らわれた人には解放を、囚人には釈放を告げ、悲しむ者には慰めを、病人にはいやしの働きをしたのがイエス様でした。


幸せと恵みのメッセージだけでは、そこから自由になることは出来ないです。

まず悔い改めさせ、悪霊を追い出し、癒しを行って自由にさせる必要がありますが、それをしないで恵みのメッセージだけを伝え、何も起こらないようにするのもサタンの策略です。


サタンは その働きが教会で出来ないようにして、人々がいつまでも縛られたまま自由が何かも分からず、幸せと恵みだけを求めるようにします。


たましいの状態を何も変わらないようにします。
そこが悪魔の狙いです。


人は霊的手術が必要であり、罪からの自由が必要です。


個人の領域での悪魔の策略は、私たちの “ことばと感情” を使います。

絶えず否定的なことば、非難のことば、悪いことば、攻撃的なことばを使うようにします。

ことばはそのまま種となって実を結びます。


家庭の中の不和の一番の原因も “ことば” です。


間違えた一つの行動よりも、それを非難する言葉のほうが圧倒的に多く、サタンはそれを使って人間関係や家庭を破壊します。

否定的で非難のことばを一番たくさん使っている人が 一番サタンに支配されています。


その口は悪魔が出入りする門です。

サタンは その人が言った通りに悪いことをします。


それはサタンに “しなさい” と命令するのと同じです。

自分のことばで全てを失うこともあります。


そしていつも怒ってイライラする人も、サタンに大いに用いられています。

その悪い感情で空気を汚します。


自分の体にも毒を蒔くので、いつかは病気になりますね。


サタンは、信徒の心に疑い、不信仰、恐れ、憂鬱な思いを入れます。

それによって平安を盗みます。


これらは神から来るものではないことを知って、騙されずにサタンとの戦いをしないといけないです。


次回は 「サタンとの戦い方」 に対して学びます。
( ̄ー ̄)


2016.2.14
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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私のたましいが神を待ち望む理由

テーマは 『 私のたましいが神を待ち望む理由 』 です

【詩篇62編1-12節】

私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。

神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私は決して、ゆるがされない。

おまえたちは、いつまでひとりの人を襲うのか。おまえたちはこぞって打ち殺そうとしている。あたかも、傾いた城壁が、ぐらつく石垣のように。

まことに、彼らは彼を高い地位から突き落とそうとたくらんでいる。彼らは偽りを好み、口では祝福し、心の中ではのろう。

私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の望みは神から来るからだ。

神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私はゆるがされることはない。

私の救いと、私の栄光は、神にかかっている。私の力の岩と避け所は、神のうちにある。

民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である。

まことに、身分の低い人々は、むなしく、高い人々は、偽りだ。はかりにかけると、彼らは上に上がる。彼らを合わせても、息より軽い。

圧政にたよるな。略奪にむなしい望みをかけるな。富はふえても、それに心を留めるな。

神は、一度告げられた。二度、私はそれを聞いた。力は、神のものであることを。

主よ。恵みも、あなたのものです。あなたは、そのしわざに応じて、人に報いられます。

2月5日、熱海発大島行きの高速ジェット船が クジラと衝突し、海上を漂流していましたが、海上保安部の巡視船が救助に向かって彼らを助けました。


74人が乗っていましたが、全員無事に助けることが出来ました。

クジラとぶつかって船がダメージを受けて漂流し始めましたが すぐに助けを求めたので助かりました。


最近ギリシャのエーゲ海では難民船が次々と漂流したり、沈んだりして多くの人々がいのちを落としています。


彼らがいのちを落としたのは、漂流しても助けを求めるところがなかったからです。

ですから、船に1つでも問題が起きてしまうと 助かることもなく、悲惨な結果に繋がってしまいます。
とても気の毒です。


助けを求めるところがあれば、多くの人が助かったと思います。


それを見ても、助けを求めるところがあるのと ないのとでは天と地ほどの差があります。

それで生死が決まってしまいます。


人生の海上で漂っている時に、助けを求めるところがある人は 本当に幸いです。


本文は、助けを求める所があったダビデの告白です。


助けを求めた後は、助けが来るまで じっと待つ姿が見られます。

これこそ神にすべてをゆだねている姿です。


さらにダビデは、自分がなぜ黙って、ただ神を待ち望むかについて語っています。




・すべての救いは 自分が待ち望む神から来る




この救いは、自分のいのちを狙う者からの救いはもちろん、たましいの救い、絶望からの救い、悪者からの救い、苦しみや患難からの救い、病気や痛みからの救いなども含まれた “すべての救い” です。


私たちが信じる神は “唯一の救い主” であるからです。


世界にはたくさんの宗教があり、「それぞれに救いがある」 と言いますが、まことの救いは、イエス様から来ることを知らないといけないです。


【使徒の働き4章12節】

この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、 私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」

主は私たちの救い主です。

ですから苦しみに会った時には、人間的な方法や思いで救いを得ようとするのではなく、初めから絶対的な信頼を この神に置いて神に助けを求めることです。


これが救われる一番の近道です。

神様にすべての状況を話して 神の助けが来るまで神を待ち望むことです。


この詩篇を書いたダビデも、そのようにしていつも救い出されました。


彼は 救いを神に求めた後は、自分の信仰を次のように告白しながら保っていました。


【詩篇62編1-2節】

私の救いは神から来る。

神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私は決して、ゆるがされない。



・すべての望みは 自分が待ち望む神にある




人間には様々な希望があります。

救いへの希望もあれば、叶えたい夢もあります。


しかし、人間の欲望が入った希望は むなしく終わることが多いです。


世にあるすべてのものを欲しいままに手に入れ、欲望をすべて満たしたソロモン王が告白したことばを聞いてみましょう。


【伝道者の書で1章14節】

私は、日の下で行われたすべてのわざを見たが、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。

欲望から出た人間的な望みは消えて行くものです。

自分の欲望によって 永遠の喜びと満足を与えることはないですが、聖徒が持っている望みは それとは違います。


聖徒にある “望み” とはなんでしょうか?


【箴言10章28節】

正しい者の望みは喜びであり、悪者の期待は消えうせる。

これは、消えることのない喜びです。


【箴言14章32節】

悪者は自分の悪によって打ち倒され、正しい者は、自分の死の中にものがれ場がある。

正しい者は、たとえ死の瞬間でも 神に信頼しているので、永遠のいのちへの希望があります。

“死者の復活” という望みがあります。


この望みほど素晴らしい望みはありません。

これは神の恵みによって与えられる望みです。


【詩篇62編7節】

私の救いと、私の栄光は、神にかかっている。私の力の岩と避け所は、神のうちにある。

この言葉は 私が辛かった時や、死にそうだった時、そして先が見えなかった時に、本当に力と希望を与えたことばでした。


よく このみことばを告白していました。

望みを抱いて忍耐しました。


他にも支えになったことばがあるので紹介します。


【詩篇68編19節】

ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。

【詩篇118編17節】

私は死ぬことなく、かえって生き、そして主のわざを語りつげよう。

【ローマ5章5節】

この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

これらのことばを信じ、望みを持って神を待ち望みました。

そして大変な時期を乗り越えました。


ダビデ自身 いつもそのように助け出されました。


【詩篇62編8節】

民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である。

このように勧めています。




・神が一番安全な避け所であるから神をただ待ち望む




これから起こるかも知れない人生の苦難や嵐のための避け所を 必死で造ろうとするのが人間ですね。


財産、人間関係、地位など色々あります。


“それさえあれば助かる、何とかなる” と思いながら頼ります。

しかしそれは不完全であるので、一時的な避け所に過ぎません。


私たちには、安全で決して揺るがされない避け所が必要です。


神の中ほど安全な避け所はありません。


【詩篇63編7-8節】

あなたは私の助けでした。御翼の陰で、私は喜び歌います。

私のたましいは、あなたにすがり、あなたの右の手は、私をささえてくださいます。

これは、彼がユダの荒野にいた時の告白ですが、避け所である神の中にいる姿です。


神に仕えていたすべての信仰の人たちも苦しみや迫害の中で似たような告白をしました。



【イザヤ書25章4節】

あなたは弱っている者のとりで、貧しい者の悩みのときのとりで、あらしのときの避け所、暑さを避ける陰となられたからです。横暴な者たちの息は、壁に吹きつけるあらしのようだからです。

【エレミヤ書17章17節】

私を恐れさせないでください。あなたは、わざわいの日の、私の身の避け所です。

“神を 自分の一番安全な避け所” と思う聖徒になりましょう。


神に向かって人生の航路を固定しましょう。


なぜなら、神様だけが 私たちの人生に救いを与え、望みを与え、安全な避け所であるからです。


たとえ嵐にぶつかることがあっても主が助けて下さいます。



【詩篇107編27-31節】

彼らは酔った人のようによろめき、ふらついて分別が乱れた。

この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から連れ出された。

主があらしを静めると、波はないだ。

波がないだので彼らは喜んだ。そして主は、彼らをその望む港に導かれた。

彼らは、主の恵みと、人の子らへの奇しいわざを主に感謝せよ。

(・∀・) アーメン

2016.2.7
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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