からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


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2015年12月

今年成長しましたか

テーマは 『 今年成長しましたか 』 です

【第2ペテロ1章5-10節】

こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、

知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、

敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。

これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、あなたがたは、私たちの主イエス・キリストを知る点で、役に立たない者とか、実を結ばない者になることはありません。

これらを備えていない者は、近視眼であり、盲目であって、自分の以前の罪がきよめられたことを忘れてしまったのです。

ですから、兄弟たちよ。ますます熱心に、あなたがたの召されたことと選ばれたこととを確かなものとしなさい。これらのことを行っていれば、つまずくことなど決してありません。

今年最後の礼拝ですので、1年を振り返りながら 主から受けた恵みに感謝することは大切です。


それと共に大切なのは、主から受けた恵みを使って成長したのか、成長してどのような実を結んだのかを点検するのも大切なことです。


忠実なしもべとして、その恵みと賜物を使ったならば、1年間成長して豊かな実を結んだはずです。


今日は“1年間 成長したのか、実を結んだのか”、他人を見るのではなく、自分を見て下さい。




成長していく過程




まずは成長していく過程をみてみます。

どの部分においての成長を 神が期待するのか 5-7節にあります。


信仰から始まり、徳、知識、自制、忍耐、敬虔、兄弟愛、愛です。


自分は昨年よりも成長したと評価するならば、これらの部分において 確かに成長があったと思います。


成長した人には実が結ばれているので、本人や周りの人も確認出来ます。

“実”は目立たないのではなく、目立ちます。

その人の信仰生活や、人格、人間関係が変わります。


信仰生活を良くしようと思って努力をした人は、すべての部分において成長があったと思います。


成長は信仰から始まり、最終的な実は愛なので、愛が以前よりもあるならば、その過程にある部分でも確かに成長があります。


しかし愛の部分において変わっていないならば、その間にあるものも変化なしだと思います。


成長も、「祈れば成長出来ると思って神様に祈ったのに、成長させてくれなかった」と言う人がいますが、それは間違えた考えです。

なぜならば信仰が成長するためには 神の恵みはもちろん欠かせませんが、恵みだけで成長出来るものではありません。


いくら素晴らしいコーチが選手を育てようとしても、選手自身が真剣に努力をしないと上達出来ません。


信徒たちは救われた後は成長するために、日々肉の思いと戦いながら、努力が必要です。


神様は生ぬるい人や 何も努力しない人に恵みを注ぐのではなく、努力する人に恵みを注ぎます。

すなわち実を結ぼうとする人に、恵みの雨と栄誉と世話をします。

本文でも5節に「あらゆる努力をして」ということばがあります。


これは成長するために最善を尽くすことを意味します。

真剣に取り組まないと続けることが出来ません。


私たち人間は 楽な道を好みますし、出来ることならば怠けたいと思う心があります。

自ら汗を流して奉仕をする人は少ないです。

油断をすると、すぐに怠けてしまうのが私たちの習性です。


それらと戦いながら努力しないと成長は望めないです。

しんどくても努力を続けると、いつの間にか実が結ばれます。


みなさんも今年の年頭に色々と計画を立てたと思います。

しかし、どんなにすごい計画を立てても、努力と継続なしに達成することは出来ないです。

努力をしないと三日坊主で終わってしまいます。


聖書通読の計画はどうなりましたか。
みことばの知識は増えましたか。


人格や品性においても変化がありましたか。
自制や忍耐が出来ましたか。

愛ある者に変わりましたか。
祈りや奉仕、伝道にも力を入れましたか。




成長も実も結んでいないのは何が問題なのか




これは、まず その人の信仰生活に問題があります。

私たちにとって家庭生活も社会生活も大切ですが、最も大切な生活は 信仰生活であることを知っていますか?


信仰生活は神との関係です。
そして、いのちが懸かっています。

ですから、その意味で他のものよりも重要です。


しかし その重要性を認識せず、社会生活や家庭生活だけを重要視し、信仰生活をないがしろにすると当然のように、信仰は形だけのものになります。そこには成長もないです。

神との関係も どうでも良いと考えるので、聖霊も悲しみます。


信仰生活のためにあらゆる努力をして成長し、実を結ぶ意味すら分からないですし関心もないです。


そのような死んだ信仰、または生ぬるい信仰が1番の問題です。

生ぬるいので、神が優先ではなく、仕事、自分、家族、趣味、肉の思いが優先です。


そういう思いが強いので、信仰生活にも力がなく、神の思いよりは心配や悩み、不安、葛藤、肉の欲が常に心を支配します。


それによって心が良い地ではなく、いばらの地になってしまいます。

そこにみことばの種を蒔いても、実を結ぶことが出来ません。

みことばがないので喜びと平安がなくなり、だんだんと聖書も読めなくなり、祈りも出来なくなるので、心が砂漠のように枯れて水のない状態になります。


それで霊的状態が悪くなるので、惑わしの霊や偽りの霊など サタンが活発に働きます。

すると聖霊に導かれて歩むことが出来ず、サタンに導かれて歩むようになります。


自分の中に神が働くのか、サタンが働くのか、その分別も出来なくなり、惑わされてつまずいてしまいます。

つまずいた状態は、枝が木から離れた状態です。

枝だけでは絶対に実を結ぶこともなく、枯れてしまうと主が語りました。


折れた枝、木から離れた枝に恵みの雨は無用なので、神は恵みを注ぎません。

実を結んでいない人は、自分が神から恵みを受けた者であることを忘れています。


罪から自分を贖って下さった主の恵みを忘れて主をないがしろにしています。

立てた誓願もきっと忘れているでしょう。


恵みを忘れると熱心さがなくなり、だんだんと生ぬるくなり、感謝も消えて やる気もなくなります。


また神様への熱い思いが消えてあるならば、初めの愛から落ちている状態です。


すると神との関係も倦怠期を迎え、神が空気のような存在になります。

信仰生活がしんどくなり、どんどん神からも教会からも距離を置くようになります。

神への奉仕も負担になります。


主はそのような人をどう思うでしょうか。

役に立たない者、実を結ばない者、近視眼、盲目、恵みを忘れた者、初めの愛から落ちた者、生ぬるい者、つまずいた者とみなし 悔い改めを勧めます。


悔い改めないと大変なことになります。
サタンの餌食になってしまいます。


神からの恵みも受けることが出来なくなります。



神様が私たちに期待する姿




神様が私たちに期待するのはこのような姿です。


【ヨハネの福音書15章1-2節】

わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。

わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。


【ヨハネの福音書15章8節】

あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。

私たちが弟子として成長し、多くの実を結んで神に栄光をささげることを望んでいます。


私たちが実を結ぶためには、神の中にとどまりながら、いつも主の恵みに感謝し、熱い心で、あらゆる努力が必要です。

自分がなぜ主から救いを受け、主に選ばれたのかを日々考えながら、自分の十字架を負って主に従っていくことです。


十字架は楽ではないですが、主が共に負っておられるので主に頼ることです。

楽じゃないからと言って、自分でそれを投げ出したらいけないです。

私たちがその十字架を捨てると、主がそれを負うので、それは主を苦しめることになります。


主に栄光をささげるどころか、主を迫害することになります。

私1人くらい成長しなくても良いでしょう。
1人ぐらい実を結ばなくても教会に迷惑をかけることもないし、生活に別に問題が起こることもない と思う人がいるならば、なぜ自分がそのような人になりたいのかを、よく考えることです。


素晴らしい神様の恵みと守りと助けを受けながらも 実を結ばないことは、神様の問題ではなく、実を結ばない人の問題です。


主が私たちに恵みを与えるのは、私たちが実を結ぶためです。

神は成長して実を結ぶ人に素晴らしい約束を与えています。


【ヨハネの福音書15章7節】

あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。

努力もしない、実も結ばない人の祈りに答える義務が主にはありません。


しかし実を結ぶ人の祈りには、約束があるので答えて下さいます。
.。゚+.(・∀・)゚+.゚

2015.12.27
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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神様からの最高のプレゼント

テーマは 『 神様からの最高のプレゼント 』 です


【マタイの福音書1章23節】

「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)

以前、あるテレビ番組で見た場面が 今も記憶の中に残っていますが、アメリカのある家庭のことでした。


お父さんはアメリカ軍の海兵隊人で、イラクで戦っていました。

家にはお母さんと小さい娘が一人いました。


クリスマスになり、お母さんは娘のために 娘が欲しがっていた物をプレゼントしました。

娘はそのプレゼントをもらって大喜びでした。

その時にチャイムがなりました。


娘はプレゼントが嬉しくて、誰が来たかについてはあまり関心がありませんでした。

しかし 玄関の扉が開かれた瞬間に、小さい女の子はもらったプレゼントを投げて、玄関に走って行きました。

そこには大好きなお父さんが立っていました。

大喜びの女の子は、お父さんの胸に飛び込んで喜びの涙を流していました。


家族みんな泣き、見ていた私も泣きました。

最高のサプライズのクリスマスプレゼントでした。


それは、物とは比べものにならない、心に感動を与えるプレゼントでした。


日本でも「エイズと戦った少年の記録」という単行本で紹介されていますが、“ライアン・ホワイト” という少年の人生が多くのアメリカ人に信仰の挑戦を与えました。


ライアンは13歳の時に血友病を患って手術を受けましたが、輸血によってエイズにかかってしまいました。

自分の過ちでもなく、大人たちの不注意によって 少年の人生は死の道に追い込まれました。


しかし自分の人生が残り少ないことを知っても 彼は誰も恨まず、明るく変わらない態度で学校生活を終えました。

かえって皆にとても親切でしたし、彼を心配する両親を慰めながら楽しく暮らしました。

彼の生活は人々に知られるようになり、新聞にも載るようになりました。

彼はエイズ発症から5年が経った18歳の時に亡くなりました。


少年が亡くなる前に、お父さんと会話をした内容がキリスト教の雑誌に載りました。

「息子よ。ごめん。今はあなたに何もしてあげることがないよ。お父さんがこれ以上どんなプレゼントもあげられないことを許してね。」


「お父さん。今まで僕はたくさんのプレゼントをもらいましたが、誰もお父さんがくれたような素晴らしいプレゼントをくれた人はいなかったです。

お父さんは私が天国へ行けるチケットをプレゼントしてくれたでしょう。お父さんはイエス様を紹介してくれました。
お父さんのおかげで教会に行き、イエス様を信じ、永遠のいのちをプレゼントとしてもらいました。これ以上、偉大なプレゼントはないと思います。」


イエス様ほど偉大なプレゼントは本当にないです。

イエス様よりも素晴らしいプレゼントはないです。


もしあるというなら それは何でしょうか。

富ですか。宝石ですか。子どもですか。家族ですか。ブランドものですか。


神様は私たち人間を本当に愛しています。


ですから人間を造る前に、すべての自然や生き物を造って人間にプレゼントとして与えて下さいました。

そして人間が罪によって堕落した後も、人間に対する愛が消えたのではないです。

愛は喜んで与えます。愛する人に惜しまずプレゼントをします。


神様の人間に対する愛はこのような愛でした。


【ヨハネの福音書3章16節】

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

人間を愛した神が用意した最高のプレゼントは神のひとり子イエス様でした。


ことばだけで「愛する」と言ったのではなく、私たちのために何が一番良いプレゼントになるのかを考えた末に、用意したプレゼントがイエス様でした。


小さな女の子が 愛するパパに会った瞬間に、パパの存在が彼女には最高のプレゼントでした。


そしてエイズで死んだ少年にとっても短い人生で受けた最高のプレゼントはイエス様でした。

愛する主の所に行くので、彼は悲しむことなく、誰も恨むことなく、喜びながら主が待っておられる天国に帰られました。


天国でイエス様にあった時に どんなに彼は喜んだでしょうか。
想像するだけで嬉しくなります。


私たちが周りを見渡すと、すべてが神からのプレゼントです。

太陽の光、月の光、空気、水、花、家族など すべてが神からのプレゼントです。


でも神様はそれだけで満足せず、私たちに赦しと永遠の命と天国を与えるためにイエス様を最大のプレゼントとして私たちに与えて下さいました。

神様が遠くにいるだけなら、私たちはその愛がよくわからないと思います。


愛すると出て来る感情で一番強い感情は、“一緒にいたい” という感情です。

人間が罪を犯す前に、エデンの園でアダムとエバは神と共に歩みました。

しかし彼らが罪を犯した後に 彼らはエデンの園から追い出され、もはや神と共にいることが出来なくなり、罪によって関係が断絶されました。


それが神にとっても辛いことでした。

それで、神は(人間と)共にいたい思いで計画をしたのが、神の子キリストを人間の体にして人間と共に住むことでした。


インマヌエルの意味は、“神が私たちと共におられる” という意味ですね。

人間世界の中で人間と共にいるためにイエス様は来て下さいました。

誰の目にも主の姿が見えました。


イエス様が私たちに対する神の最高の愛のプレゼントであることを目で確認しました。


【第1ヨハネ4章9-11節】

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。

子どもが祝福されることを妬んだりする親はいません。さらに祝福され幸せになることを願います。

それは自分の子どもだからです。


神が送った素晴らしいプレゼントであるイエス様を私たちが受け入れると、神はさらなる祝福をたくさん与えて下さいます。


恵みと平安を与えて下さいます。

永遠の命はもちろんのことです。






結婚して67年になる老夫婦がいます。

韓国人ですが、旦那さんは103歳、奥さんは87歳で、二人の告白がとても素晴らしかったです。


長く一緒にいて飽きたはずなのに、妻の口から出たことばは「そばに一緒にいるだけで幸せでありがたい」と言われました。

「いなくなったらどうしましょう」と笑顔で話されました。


旦那さんは「妻は私の最高の宝物です。素晴らしい妻です。」と言われました。

どこでも夫婦一緒に出掛けます。
その夫婦にとって、お互いが最高のプレゼントです。


私たちに対する神の愛は、それ以上の愛です。
変わらない愛であり、特別な愛です。


イエス様も私たちをあまりにも愛して、肉体のままでは人々の傍にはおられないので、その次に与えたのが聖霊でした。

イエス様は天に上り、聖霊を送ると約束しましたが、その通りに聖霊が下りました。


聖霊は私たちの中におられるために来て下さいました。


【第1ヨハネ4章13節】

神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。

聖霊も神からの最高のプレゼントです。


【使徒の働き2章38節】

そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってパプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。

父なる神様は 最高のプレゼントであるイエス様を私たちに送り、イエス様も最高のプレゼントである聖霊を私たちに送って下さいました。


賜物とはプレゼントのことです。


まだイエス様を信じていない人がいるならば、悔い改めて神から最高のプレゼントを受け取って下さい。

そして 信じていても、まだ水のパプテスマ、洗礼を受けていない人は受けて下さい。


聖霊をプレゼントすると約束しました。


人生最高のプレゼントです。

受けた人だけがその素晴らしさに気付きます。


クリスマスは救い主イエス様の誕生日として祝っていますが、本当の誕生日はいつなのか誰も分かりません。

しかしそれは問題ではないです。
何日かが問題ではなく、イエス様というプレゼントが大切です。


私はこのプレゼントを既にもらいました。
もらってない人はもらって欲しいです。
(*´ -`)(´- `*)


2015.12.20
クリスマス礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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聖霊に満たされるためには

テーマは 『  聖霊に満たされるためには 』 です

【使徒の働き11章24節】

彼はりっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大ぜいの人が主に導かれた。

「使徒の働き」を読むと 主の十二弟子以外にも多くの弟子たちが素晴らしい活動をしたことが記録されてあります。

彼らは十二弟子と変わらない多くの働きをしました。


バルナバは、主の弟子になり、後に偉大な使徒になるパウロを最初に助けた人でもありました。

彼は多くの人々を主の弟子にしました。


それはイエス様から次のように言われた通りの働きをしたことを意味します。


【マタイの福音書28章19節】

それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。

立派な働きをした弟子たちに共通するものは、聖霊と信仰に満ちた姿でした。


聖霊充満な人は信仰充満な人です。
信仰充満な人は聖霊充満な人です。


信仰がない人は 弟子にはなれませんし、弟子を作ることも出来ません。

そして信仰のない人を神様が用いることもありません。


主の弟子になり、弟子を作る人たちは聖霊充満な人たちです。


聖霊に満たされないと、自分の知恵や力、自分の思いで働くので 神様が喜ぶ働きも勝利の信仰生活も出来ません。


ですから神様は、私たちに “聖霊に満たされなさい” と命じました。


聖霊は、神様が遣わして下さった神の霊です。

私たちを助け、私たちが勝利ある信仰生活が出来るように、また聖霊の力を受けて立派な働きが出来るように助けて下さいます。


信仰生活のために聖霊を受けることは当然です。

聖霊を拒否することは、神を拒否することと同じです。


神を拒否しながら どのような信仰生活を送りますか?

それは むなしい信仰生活で、自己満足に過ぎないので 神とは関係がありません。


聖霊を受けた使徒や弟子たちの働きは、すなわち聖霊による働きでした。
聖霊なしには不可能な働きです。


ですから「使徒の働き」の中に “聖霊” という言葉がたくさん書かれています。

「使徒の働き」を読みながらチェックしてみて下さい。


彼らはどのようにして聖霊に満たされたのでしょうか?

―― 聖霊に関して主が命じた言葉に彼らが従順したので 聖霊に満たされました。


主が聖霊に関して命じたことは何でしょうか。




聖霊を受けなさい





【ヨハネの福音書20章22節】

そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。

聖霊は主の霊ですから、もし私たちが主の霊を受けないと、私たちは主の者ではありません。自分の中に聖霊を受け入れることで、聖霊が自分の心の中に住みます。



【第1コリント3章16節】

あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。

そしてイエス様は次のようにも語りました。


【使徒の働き1章8節】

しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

弟子となり キリストの証人になるためには聖霊なしでは不可能です。


ですから聖霊は主のことば通り、必ず受けなければなりません。




御霊を消してはなりません




このことばは次の箇所にもあります。


【第1テサロニケ5章19節】

御霊を消してはなりません。

聖霊を消すことは、その指導を受けることを拒否し、聖書に明確に示された神のみこころに従わないで、それに逆らうことです。


御霊を消してしまうと どのような状態になるでしょうか?


1人の人物を通して 変わっていく状態を調べてみます。

イスラエルの初代王であるサウルは、当時の預言者サムエルを通して神のことばを受けました。


【第1サムエル記10章6節】

主の霊があなたの上に激しく下ると、あなたも彼らといっしょに預言して、あなたは新しい人に変えられます。

そして、すべてのことが言葉通りにサウルに起こりました。


彼は聖霊に満たされ、新しい人となり、力を受けてイスラエルの初代王になりました。

神は彼の力になって下さり、王としての働きが始まりました。


しかし しばらく経たないうちに、彼が神を求めず、人間的な思いを優先にして、神の命令を知っていながらも従わず 不従順しました。

それも1度だけではなく、度重なる彼の不従順に聖霊は彼から離れていきました。


すると悪霊がチャンスを得て、彼の心を完全に支配し、その時から彼は悩まされ、ますます悪を行う者になっていきました。

聖霊を消すことは、悪霊を自分の中に招くことになります。


人間は霊的存在なので、肉体だけで生きることは出来ないです。

聖霊に支配されるか、悪霊に支配されるか どちらかです。


聖霊に逆らいながら 聖霊充満を求めること自体間違えています。

聖霊を消す人に、聖霊充満はありえないことです。


そして聖霊と常に人格的な交わりをせず、空気の存在のように無視したり、交わりをしないと それも聖霊を消すことになります。




聖霊を悲しませてはいけません





【エペソ4章30節】

神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。

聖霊を悲しませる行為は 罪から離れず、悪いことを行うことです。


聖霊は私たちを助け、私たちが多くの良いわざを行うことを願っているのに、私たちが良いことをせず、悪いことばかりを行うならば聖霊は悲しみます。

それは聖霊との関係を壊すことになります。


罪は聖霊を悲しませる最も大きな原因になります。


聖霊は罪から離れない人とは交わりが出来ません。


聖霊を悲しませると、だんだん罪が神との間に仕切りを造り、関係が悪くなり、祈りは聞かれなくなります。


ですから聖霊に満たされたいならば、罪を悔い改めて、悪から離れ、聖霊との関係を良くしなければなりません。




御霊によって歩みなさい





【ガラテヤ5章16節】

私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。


【ガラテヤ5章25節】

もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。

御霊によって歩むことは、御霊に従順し、すべての罪を悔い改め、聖書にある主の命令に従順して生きることです。


生活全般において常に聖霊と共に歩みながら、聖霊のことばに従うと、他の肉の思いが心を支配することがないので、心の中はいつも聖霊の思いで満たされるようになります。


試合を控えた選手は、コーチや監督のことばには絶対的従順が要求されます。

もし言うことを聞かないならば、その選手はレギュラーから外されるか、試合に出ても負けます。


選手は良い成績を残すためにコーチの指導に全て従います。

どんなに過酷な訓練や暴言に 泣きながらもずっと耐えます。


人間に対しても そのように寄り添って歩むならば、自分のいのちの主、自分の人生を勝利に導こうとする聖霊によって歩むことは なおさら必要なことです。


私たちが本気で聖霊に満たされたいと願うならば、これらの条件を満たしていかなければなりません。

ある瞬間だけではなく、ずっとそれを継続していく時に、その人は聖霊充満な人になります。


その人は日々の生活で聖霊に導かれて歩みますし、主の弟子になりますし、主の弟子を作る人にもなります。

皆さんもこのようにして聖霊充満な人になりますように主の御名によってお祈りします。
(´・ω・`)


2015.12.13
聖日礼拝メッセージ

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忠実なしもべと悪いしもべ

テーマは 『 忠実なしもべと悪いしもべ 』 です

【マタイの福音書24章44-51節】

だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。

主人から、その家のしもべたちを任されて、食事時には彼らに食事をきちんと与えるような忠実な賢いしもべとは、いったいだれでしょう。

主人が帰って来たときに、そのようにしているのを見られるしもべは幸いです。

まことに、あなたがたに告げます。その主人は彼に自分の全財産を任せるようになります。

ところが、それが悪いしもべで、『主人はまだまだ帰るまい』と心の中で思い、

その仲間を打ちたたき、酒飲みたちと飲んだり食べたりし始めていると、

そのしもべの主人は、思いがけない日の思わぬ時間に帰って来ます。

そして、彼をきびしく罰して、その報いを偽善者たちと同じにするに違いありません。しもべはそこで泣いて歯ぎしりするのです。

12月は、この1年間を振り返り 感謝することには感謝し、反省することには反省しながら、1年間の歩みの整理整頓をする時です。

生活面だけではなく、信仰生活も反省が必要です。


今回は、主のしもべとしての1年がどのようであったかを振り返りながら、反省すべきものは反省し、新たな歩みをしたいと思います。


信じる者は皆 主に仕えるしもべです。

自分たちの魂を永遠の滅びから救い出して下さった主に仕えるのは当然のことです。


それも、“感謝と喜びを持って仕える” のが当然ですが、果たしてそのように生きているかどうかは1人1人 反省が必要だと思います。

本文は 同じしもべなのに、忠実なしもべもいれば 悪いしもべもいることを示しています。


そして彼らが受ける報いも全く違うことを教えています。


この1年間、自分はどのようなしもべとして仕えたのかを考えてみましょう。




忠実なしもべとはどのような人で、どのような報いを受けるのか




忠実なしもべは、時を知って用心しています。


自分が終わりの時に、選ばれたしもべであることを知り、主人の帰りを待ちながら、時間を無駄にせず、その時間にすべきことをします。


いつ主人が帰ってきても良いように、目を覚まして迎える準備をしています。

毎日毎日 主の帰りを待ち望んでいるので、その目と耳はいつも開かれています。


「主よ。早く来ないで下さい」ではなく、「主よ。早く来て下さい」と 主の再臨が1番の関心事であり、その日を待ち望んでいます。


また忠実なしもべは、任されたしもべたちに食事の時にはきちんと食事を与え、教会という共同体のために、最善の労苦と奉仕を惜しまない謙遜な働き人です。

神からの使命をないがしろにせず、心と力を尽くして従順します。


彼らの労苦と犠牲があるから 教会共同体が生きて動きます。
彼らの汗は神の汗です。

忠実なしもべは、自分だけの安逸と喜びと幸せのために生きず、主に仕え、もっとも小さい者に対しても主の愛で仕えます。


その人たちは神だけを見上げていますが、人間関係の中で様々な葛藤も もちろんあります。

時には人々から誤解されたり、嫉妬によって嫌がらせを受け、傷つく時もあります。

でも、それにつまずいて働かないことはありません。


なぜなら使命を何よりも大切に思い、主に対して忠実と誠実を尽くします。

主人がいてもいなくても 忠実な態度は変わりません。

主人の意識をもって、主人のように忠実に働きます。

使命に生き、使命で死にます。


忠実なしもべであった使徒パウロの告白を聞きたいと思います。


【ピリピ1章17-18節】

他の人たちは純真な動機からではなく、党派心をもって、キリストを宣べ伝えており、投獄されている私をさらに苦しめるつもりなのです。

すると、どういうことになりますか。つまり、見せかけであろうとも、真実であろうとも、あらゆるしかたで、キリストが宣べ伝えられているのであって、このことを私は喜んでいます。そうです、今からも喜ぶことでしょう。

自分を守ろうとするのではなく、妬みを持つのでもなく、いつでもキリストが栄光を受けることを願っています。


主のためと言いながらも、迫害や妬みなどに対して過剰反応を見せ、攻撃したり、働きをやめたりする人が多いですが、忠実な人は 人の態度や迫害や妬みなどに対して淡々とし、そのことをいちいち気にせず、むしろ働きに専念します。


また忠実な人は、自分の時間、才能、所有物などを自分のものと思わず、管理人としての自覚をもって、主のためには惜しまず使います。


いのちさえも惜しみません。

なぜなら いのちも主からいただいたものだからです。


「死に至るまで忠実でありなさい」と言われた主のことばを心に刻んで生きています。

主の力で、主のいのちと敬虔で、主の慰めと主の愛で献身的な人生を生きます。


その人たちは正しい信仰生活を送っていますし、いつも真実です。

主の栄光が現れることを第一に考え、人の益になることをいつも心掛けます。

忠実なしもべは聖霊に導かれて、主が喜ぶ働きをして、良い実を結びます。


この話を聞いて「私には無理です。忠実なしもべにはなれません」と諦めますか?

そのように言う人も、よく考えると会社では忠実な人です。

(上司から)言われた通りに「はい」、「はい」と従います。


なぜ主に対しては忠実に働くことが出来ないかをよく考えることです。



忠実なしもべに対して 主はどのような報いを与えるのか





【マタイの福音書24章47節】

その主人は彼に全財産を任せるようになります。

これは主人に信認され、地位を得ることです。
ヨセフが主人ポティファルに信用され、全財産の管理を任されたことでも分かります。


【マタイの福音書25章21節】

その主人は彼に言った。「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』

【ヨハネの黙示録2章10節】

死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。

忠実なしもべが受け取る祝福は、計り知れない祝福です。

御国を相続し、喜びと平安を受け、永遠のいのちを受け、また神に認められ、愛されます。

これほどの祝福が他にあるでしょうか?

主人を喜ばせると、そのしもべは言うまでもなく 良い報いを受け、祝福されます。




悪いしもべとはどのような人なのか




まずは、不忠実な心があります。

その人の心の動機は「主人はまだまだ帰るまい。」という思いがあり、時の分別が出来ていないです。

自分が “終わりの時代に選ばれたしもべ” である自覚が足りません。


イエス様が弟子たちに語った もう1つのことばを聞きます。


【ヨハネの福音書4章35節】

あなたがたは、『刈り入れ時が来るまでに、まだ四か月ある』と言ってはいませんか。さあ、わたしの言うことを聞きなさい。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。

今が働く時であるのに、後ですると言うしもべは怠けた悪いしもべです。

主の御心と時に対して無知であり、怠慢であり、無関心と不従順があります。

そして主の御心を行う生活ではなく、主が忌み嫌う罪の生活を送っています。


【マタイの福音書24章49節】

その仲間を打ちたたき、酒飲みたちと飲んだり食べたりし始めている

このように、しもべの働きもせず 好き勝手なことをして、自堕落な生活をしています。


自分の働きをしないだけではなく、忠実に働いている人を邪魔し、傷つけています。

そして主人の財産を、まるで自分のものであるかのように使って、主人に損をさせます。
本人は自分がしたいように生きているので、さぞ楽しいでしょう。

主人のことなど眼中になく、忠実、誠実、自制などの態度もありません。

働きに対して無関心であり、自分がしたいことだけに関心があります。


「今ではありません。後でします。今は忙しいです。今はしたいことがあります。他の人にやらせて下さい」と色々と言います。


世のことに関心が多く、神に対して無関心なことが問題です。

自分の思いが世に集中して、神のことばにも関心がありませんし、魂が眠っています。


主人の帰りを待つこともありません。

社長が目の前にいると 忠実な者のように振る舞いますが、いなくなると仕事をさぼる人と同じです。


聖霊の導きに逆らいながら、自分の肉の欲に従って歩みます。

口では信仰を言いますが、行動が伴っていないですし、自分の肉の欲の方が優先です。

ですから主から偽善者扱いを受けます。


この悪いしもべに対して、主はどのような報いを与えるでしょうか?


【マタイの福音書24章51節】

そして、彼をきびしく罰して、その報いを偽善者たちと同じにするに違いありません。しもべはそこで泣いて歯ぎしりするのです。

悪いしもべが受ける罰は、予想以上に厳しいものになります。

偽善者(パリサイ人、律法学者)と同じ運命になります。

そして言葉では表現できないほどの苦しみと絶望に投げ出されます。


【マタイの福音書22章13節】

そこで、王はしもべたちに、『あれの手足を縛って、外の暗やみに放り出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ』と言った。


【マタイの福音書25章30節】

役に立たぬしもべは、外の暗やみに追い出しなさい。そこで泣いて歯ぎしりするのです。


【ヘブル10章27節】

ただ、さばきと、逆らう人たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れながら待つよりほかはないのです。

主の働きは、暇な人や特別な人がするのではないです。

自分が救われて、神の子どもになったならば、(皆が)主のしもべになっています。


働きはそれぞれ違いますが、主にあって無職の人は1人もいません。

それなのに、無職のように神の働きに無関心であるのは問題です。


主の日が近づいています。

どのようなしもべになりたいですか?


この世でも、今さえ良ければと欲望に従って生きる人に 未来はないです。


まして、いのちの恩人である主に対して、悪い態度を取るのはどうでしょうか。

良くして下さった主に精一杯仕えるのが、恵みを受けた者のすべきことだと思います。


小さなことから忠実になることです。
そこで忠実さが身に付くようになります。


神は忠実なしもべを探しています。

「私が忠実な者になります」と言える皆さんになりますように願います。
(*・ω・)ノ

2015.12.6
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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