テーマは 『 死の陰の谷はどこなのか 』 です
【詩篇23篇4節】
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
詩篇23篇は、聖書の中で最も愛用されている箇所の一つですが、1節から6節まで全部暗記している人も多いと思います。
今はどのようになっているかは分かりませんが、アメリカの多くの兵士たちが戦争に行く時は 詩篇23篇を書いた紙をポケットに入れて戦場へ行ったと聞きました。
不安と恐れがある時に きっと慰めと力を受けたと思います。
4節に書かれている “死の陰の谷” とはダビデにとってどのような環境だったと思いますか?
私たちは “死” という言葉に反応して「死ぬほど辛い環境」を思い浮かべると思います。
生きるか死ぬか分からない環境の中で、必死に神に叫んでいる姿を想像するでしょう。
アメリカの兵士たちも死と隣り合わせの戦場で戦っていたので、詩篇23篇が慰めになったと思います。
ダビデも数々の戦いがあり、そこで守られたので、自分たちも守られると信じていたと思います。
死は人間にとって最大の恐れであり、最大の敵です。
この死は人間の罪から始まりました。
ですから、環境が厳しかったり、絶望的な中にいるので、そこが “死の谷” ということではないです。
人間が罪を犯して神との関係に問題が生じた時が、人生の一番恐ろしい死の谷であることに気付かなければなりません。
新約聖書でイエス様が 死の道といのちの道について話しました。
【マタイの福音書7章13-14節】
狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。
いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。
主のことばによれば、狭く険しくて辛い道が死の道ではなく、そこはいのちの道でした。
そして広くて楽な道が祝福の道、いのちの道に見えますが、実は“死に至る道”でした。
私たちはダビデにとって死の谷がどこだったのかを知ることで、自分たちの人生でも どこが死の谷であるかを確認し、そこでどのようするかを学びたいと思います。
ガテのツィケラグの谷がダビデにとって死の谷でした
【第1サムエル記21章10-15節】
ダビデはその日、すぐにサウルからのがれ、ガテの王アキシュのところへ行った。
するとアキシュの家来たちがアキシュに言った。「この人は、あの国の王ダビデではありませんか。みなが踊りながら、『サウルは千を打ち、ダビデは万を打った』と言って歌っていたのは、この人のことではありませんか。」
ダビデは、このことばを気にして、ガテの王アキシュを非常に恐れた。
それでダビデは彼らの前で気が違ったかのようにふるまい、捕らえられて狂ったふりをし、門のとびらに傷をつけたり、ひげによだれを流したりした。
アキシュは家来たちに言った。「おい、おまえたちも見るように、この男は気が狂っている。なぜ、私のところに連れて来たのか。
私に気の狂った者が足りないとでもいうのか。私の前で狂っているのを見せるために、この男を連れて来るとは。この男を私の家に入れようとでもいうのか。」
ガテとはペリシテの国のことです。
ペリシテは5人の王がいる連合国です。そして ガテはイスラエルと国境を共にする国で、お互いの民が行き来したりもしました。
しかしいつも戦っている敵国でもありました。
当時、無名のダビデを一躍有名にした戦いがゴリヤテとの戦いでしたが、そのゴリヤテはペリシテ人でした。
そのダビデがサウルを恐れ、その追跡を避けて逃げたのが敵国であるガテで、そこでもダビデは人を恐れて気が狂ったふりをしました。
ダビデはこの時、どのような心境だったでしょうか。
彼が神を恐れ、神に頼っていた時には巨人ゴリヤテも倒しましたが、人を恐れた時には、心が不安になり、猫の前のねずみ状態で、いのちを守ろうと醜い姿を見せ、人々の物笑いになりました。
自分も恥をかき、神にも恥をかかせました。
そこからダビデは死の谷に足を踏み入れました。
ダビデはそれからアドラムの洞穴に避難しましたが、そこにイスラエルから色々な人が集まって来ました。
問題を抱えた人たちもいれば、戦いに強い勇士たちもいて、600人までに増えました。
以前は1人だったダビデが600人の部下を抱えたので不安と恐れが消えたでしょうか。
彼は相変わらずサウル1人を恐れていました。その時の告白が次の箇所です。
【第1サムエル記27章1節】
「私はいつか、いまに、サウルの手によって滅ぼされるだろう。ペリシテ人の地にのがれるよりほかに道はない。そうすれば、サウルは、私をイスラエルの領土内で、くまなく捜すのをあきらめるであろう。こうして私は彼の手からのがれよう。」
このように思って、再びアキシュ王の所へ行き 安全に住む場所をお願いしました。
アキシュ王も策略家であるので、ダビデと600人を受け入れ、ツィケラグの谷を与えました。
そこでダビデは1年4か月も住むことになります。
サウルは二度とダビデを追うことはしなかったですが、ダビデはそこで何をしたでしょうか。
アキシュ王はダビデを自分の護衛長に任命しました。
“次期イスラエルの王になる” と神から言われたダビデが、敵国であるペリシテの王アキシュの護衛長として働いている姿は本当に情けない姿だと思いませんか。
ダビデにとって肉体的には ある意味安全でした。
そこにいればサウルから逃げる必要もありません。
しかし現実は 神と共に歩みながら、神に仕える姿ではなく、サタンに仕える姿になっていました。
彼は自分の思いで広い道・楽な道を選びました。
ダビデはそこでサウルから苦しめられることなく1年4か月も楽な生活を送っていました。
しかしそこにいる時の彼は、神への1つの賛歌も 信仰の詩も残すことはありませんでした。
ダビデがペリシテの王に仕えたことは人を喜ばせることであって、神を喜ばせることではありませんでした。
肉体は楽でしたが、彼の心は楽ではありません。
その場所で神を礼拝することはありませんでした。
いくら肉体が楽でも、神を礼拝出来ず、神に仕えることが出来ないならば そこが地獄です。
地獄は苦しい場所よりも、神と断絶されたところが地獄です。
その地獄が “死の陰の谷” です。
福音を伝えた為にむち打たれ、牢獄に入れられたパウロとシラスが真夜中に神を賛美し祈りをささげた時に 主がそこに共におられました。
牢獄であっても、主がおられるならばそこが天国です。
自分の肉体を喜ばせ、楽をさせるために礼拝も平気に休んだりするならば、自分がいま死の谷を歩いていることに気付かないといけないです。
広い道、楽な道はいのちの道ではなく、死の道であると 主がはっきりと言われたからです。
ダビデは死の谷で多くの問題にぶつかることになりました。
同族であるイスラエル人とも戦わなければならない場面もあり、家族や財産も全部奪われ、仲間に石打ちにされそうにもなりました。
神様の憐れみと助けがなかったならば、ダビデはイスラエル人から一番憎まれる人になって殺されていたと思います。
自分から死の谷に入りましたので、死にそうなことが起こります。
彼がそこから助け出されたのは神の恵みでした。
ですからダビデは詩篇23篇でそのことを告白しました。
色々な出来事を通して やっと自分がとんでもない所にいることに気付き、神に立ち返ることになりました。
楽な道、広い道を求めてはいけないのは、そこが地獄へとつながる入口だからです。
神が導く道ならば安全ですが、自分の肉の思いから考え出した道は誘惑が多いですし、そこが死の谷になります。
ダビデにとって死の谷はサタンの罠に落ちた所
それはある日起きました。
【第2サムエル11章2-4節】
ある夕暮れ時、ダビデは床から起き上がり、王宮の屋上を歩いていると、ひとりの女が、からだを洗っているのが屋上から見えた。その女は非常に美しかった。
ダビデは人をやって、その女について調べたところ、「あれはヘテ人ウリヤの妻で、エリアムの娘バテ・シェバではありませんか」との報告を受けた。
ダビデは使いの者をやって、その女を召し入れた。女が彼のところに来たので、彼はその女と寝た。―― その女は月のものの汚れをきよめていた―― それから女は自分の家へ帰った。
その時、国は戦争中でしたが、ダビデ王は軍隊を送り出して、自分は遅くまで寝ていて夕暮れにやっと起きました。
ここで彼の生活も霊的状態も怠けていることがすごく分かります。
【マタイの福音書26章41節】
誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。
このように主が言われるには意味があります。
いつも信じる者を誘惑しようとサタンが待ち構えているからです。
ダビデは油断していました。
神を経験し、また神は彼を祝福しました。
ですから自分が誘惑に陥るとは考えていなかったです。
しかしサタンは休まず誘惑、罠、策略をつねに考えながらチャンスを狙います。
そして霊的に油断しているダビデを一人の美しい女を通して誘惑しました。
油断していたダビデはあっという間にその誘惑に陥りました。
彼は王宮の屋上から、死の谷に転落しました。
そこから彼の長い地獄生活が始まりました。
女が妊娠してしまい、それを隠ぺいするために様々な策略を試しましたが失敗に終わり、ウリヤが殺されるように仕向け、ウリヤは死にました。
その後、バテ・シェバを自分の妻にしましたが、それは主のことばをさげすむことであり、とても悪いことでした。
生まれた子は死にましたし、家庭に多くの災いが起こりました。
ダビデがそのような罪を犯していた時には、神を呼んだことはなく、神の前に出ることすら出来ませんでした。
もし神が彼を見捨てたならば、彼はどうなっていたでしょうか。
しかし、この時も彼を死の谷から救い出したのは神様でした。
預言者を通して彼を戒め、罪を赦したと宣言しました。
彼自身のあやまちによって二度も死の陰の谷を歩きましたが、神の憐れみと赦しによってそこから救い出されました。
広い道で自分の欲に従って歩み、自分の欲望を満たしても、それが神なしの人生であるならば、その先はいばらの道が待ち構えていることを知らなければなりません。
本当の死の谷は神のみこころにそむいて歩く道、自分の肉の欲望に従う道、神がいなくても平気と思いながら進む道です。それが本当に怖い道です。
生活が苦しくても、問題が大きくても神に求めるならば、神はそのことで死ぬことがないように助けて下さいます。
しかし広い道、楽な道で楽しいと思いながら歩き、私は大丈夫だと思っている人は自分がいつ つまずくかわかりません。
気楽に歩くその人が一番危ない人です。
なぜなら自分が永遠の死の谷を歩いていることを知らないからです。
いま楽な道だからと安心していますか?
私は大丈夫だと油断していませんか?
誘惑を祝福と勘違いしていませんか?
神抜きでも何の問題もないことを喜んでいますか?
ダビデが通った死の谷をみて考えて下さい。
ヽ(TдT)ノ
2015.8.30
聖日礼拝メッセージ
八戸ノ里キリスト教会
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すべての事について…感謝❤
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