からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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2015年07月

神の約束を信じたアブラハムの信仰

テーマは 『 神の約束を信じたアブラハムの信仰 』 です

【ローマ4章19-21節】

アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。

彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、

神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。

聖書から、“神のことばと信仰” を除くならば、何が残るでしょうか。

そして、それらを除いた聖書が私たちにどのような意味を残すでしょうか。
それは何の価値もないものになってしまいます。


信仰は神のことばと私たちをつなぐ役割をします。


いくら聖書が真理であり、いのちのことばだとしても、読む人に信仰がないならば聖書をどんなにたくさん読んでも、その人に聖書の価値はわかりません。


ただの一冊の本に過ぎません。


また、ある人が「自分には信仰がある」と言っても、その人の信じるものが真理のことばでないならば、その信仰はむなしいものとなり、その魂を救うことは出来ません。


アブラハムという人物は、“信仰の父”と呼ばれています。
神様は、アブラハムが見せた信仰を 良い信仰だと認めて下さいました。

それはアブラハムが神の言葉に対して信仰をもって受け止め、その信仰が最後まで生きていたからです。


アブラハムは神様を直接見たから神を信じたのでしょうか?

神を信じない多くの人は、「神を見せてくれるならば信じる」と言います。


高慢と不信仰な心で「神を見せてくれ」と言っても、神がその人に現れることはありません。

なぜなら神が認める信仰は、見て信じる信仰ではなく、見ずに神の約束を信じる信仰をよしと認めて下さるからです。


信仰がない人に神が現れるのではなく、信仰がある時に神を見ることが出来ます。

(ここで、「見る」というのは自分の肉の目で見るという事ではなく、心の目で見るということです。)


神のことばを信じる人は、心の目で神を見るようにして生きています。






アブラハムの信仰が、どのような信仰であったのかを見たいと思います。

アブラハムはある時に神の声を聞きました。それはアブラハムにとって初体験でした。


目で神を見たのではなく、聞こえてくる神のことばでした。

神から聞かされた内容はあまりにもスケールが大きくてよく理解出来ない神の一方的な約束でした。


【創世記12章1-3節】

主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。

そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。

あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」

もし皆さんがこのようなことばを聞いたならば、理解できますか。
そして神のことばを理解できないまま、すぐに従うことが出来ますか。


すぐに出来るならば、アブラハムの信仰を認めた神が、皆さんの信仰を認めて下さると思います。

しかし出来ないならば、アブラハムの信仰を見習うことです。


アブラハムは神の約束のことばを信じ、主が仰せられた通りに出かけました。
冒険するには75歳という年齢は厳しいと思います。


しかし、アブラハムは従順出来ない理由を捜したのではなく、ただ神から言われた通りに従いました。


その時のアブラハムの信仰は、神に完全に従順する信仰でした。

信仰のない人から見ると無謀な人間に見えたでしょう。
“失敗したらどうするの” と心配する声が周りから大きくなるでしょう。



すぐに心配する人は、なかなか信仰が成長しないです。神のことばよりも自分の感情に忠実だからです。

そのような人は神の言葉よりも自分がどう思うのかが一番です。
自分が安心出来たら(言葉に)従うけど 安心出来ないと、神の言葉に頼るのが苦手です。


しかし アブラハムは神のことばだけに信仰を結び付けて従順しました。

簡単そうに見えても、人々はここで失敗することが多いです。


まずは「そんなことが信じられません、そんなことが起こるはずがありません」 と勝手に神様のことばをつぶして従うことはしません。

神がせっかく語って下さったのに、どれほど多くの人々が、自分たちの不信仰で神の言葉を無視するかわかりません。


まるで神様が嘘つき、詐欺師であるかのように「信じたらダメ」 と否定します。


アブラハムは信じて大胆に出かけました。
神様が喜ぶ信仰は、従順する信仰です。


信仰ある人は、自分の頭で理解出来ず 納得できなくても、神が語ったことばが一番で、そのことばに従います。


アブラハムの信仰は、神の約束を最初から疑わない信仰でした。

最初の神の約束のことばを疑わずに受け入れたアブラハムでしたが、すぐにその信仰が認められ、すべての祝福を受けたでしょうか。


現実はどうでしたか―?

75歳で従順して出かけましたが、25年間何事も起こりませんでした。
25年は決して短い時間ではありません。


自分ならばどうするのかと考えてみて下さい。

信じた私がバカだったと自分に対して腹を立てますか?
また、神様に向かって嘘つきと文句を言いますか。


たぶん私たちならば両方やっていると思います。

しかしアブラバムは、子孫が与えられる約束を受けたにも関わらず、いつの間にか100歳になり、生産不能になり、子を持つことが不可能になったにもかからわず、アブラハムは神の約束を疑いませんでした。


これは素晴らしい信仰です。






人々は信仰よりは不信仰を選び、信仰よりは疑いを選びます。

忍耐よりは諦めて、時間を無駄にするよりは他の方法を捜します。

しかし別の方法も見つからず失望して終わる人が多いです。


沖縄に行った時、海岸にある木を見ましたが、形がちょっとおかしく、木の葉や枝が不揃いでした。

台風が多いので、暴風で枝が折れたり、葉っぱが落ちた為だと思います。


でも激しい風の中でもしっかり立っているのは、植えられた所に、必死に頑張ってしがみついて 根を深く降ろしたから倒れなかったと思います。


疑いは二心です。どうしようかと迷う心です。

根を下ろそうか、やめようかと二心で戦いますが、そのような状態では立ってはおられません。

現実の強い風で倒されてしまいます。


アブラハムは自分や妻が年取ってこどもを産む力がないことを知っていても、信仰が弱ることもなく、神の約束を疑うこともなかった理由は、アブラハムが神の無限なる力と 神は約束を守る神であることを信じたからです。


【イザヤ書55章11節】

そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。

環境に左右されたり、自分の状態に左右されたりするのは信仰の姿ではありません。


神の絶対的な力と真実さに対する完全な信頼こそ、不可能に見える状況の中でも アブラハムを苛酷な現実から守る信仰の力になっていたと思います。


信仰は力です。

環境を見て信仰が無気力症にかかる人が多いです。それは信仰の根っこが弱いからです。


アブラハムも人間的な目で見ると、大いなる民族の先祖になることは想像出来ない状況でしたが、それでも信じたので 「信仰の先祖」 と呼ばれています。

この姿は私たちが見習わないといけないです。


次々と変わる環境や状況に振り回されて信仰の無気力症に落ちるのではなく、そのような時こそ忍耐をもって神の約束を堅く信じ、耐えることです。


その姿を確信に満ちた信仰と言えます。


確信とは、疑いが入る隙間もないほどに、自分に与えられた神の約束のことばと、神は約束したものを必ず成し遂げる方であることを心の中に満たすことです。


そして日々そのことを黙想することです。

まるでそのことが当たり前であるかのように思われると、信仰の根を深く降ろしたことになるので、過酷な現実の中でも倒れることがありません。


その人たちを倒そうとするサタンの策略も失敗に終わり、さらに試練の中で信仰は強くなり、成長していきます。


見えるものにすぐ心が取られたり、疑ったり、失望すると、倒そうとするサタンに隙を与えることになります。

現実的な可能性があったり、少しでも希望がある時は、信仰を守ることがそんなに難しいことではありません。


ところが、激しい試練や不可能な状況に直面すると、私たちの信仰は病にかかり 倒れやすいですし、疑いと絶望で揺れ動いてしまいます。


しかし、そのような時でもアブラハムがしたように、神に望みを置いて、神の約束を信じ続けるならば、神は約束したことを必ず成就して下さいます。


信仰が弱いと、神から素晴らしい約束を受けても、それを無駄にしてしまうことが多いです。

しかしアブラハムのようにするならば、すべての約束を自分のものにすることが出来ます。


信仰が弱くなったと実感する時は、アブラハムの信仰をもう一度学んで下さい。


彼が教えてくれます。
( ̄‥ ̄)=3

2015.7.26
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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聖書に出てくる地域教会②

テーマは 『  聖書に出てくる地域教会② 』 です

【第2コリント8章1-5節】

さて、兄弟たち。私たちは、マケドニヤの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせようと思います。

苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。

私はあかしします。彼らは自ら進んで、力に応じ、いや力以上にささげ、

聖徒たちをささえる交わりの恵みにあずかりたいと、熱心に私たちに願ったのです。

そして、私たちの期待以上に、神のみこころに従って、まず自分自身を主にささげ、また、私たちにもゆだねてくれました。

先週に続いて、今週も 聖書に出てくる地域教会に対して伝えます。


メッセージを準備している時に、イギリスで10年間活動している宣教師の話を聞いて、本当にショックでした。


これまでに5千以上の教会が消え、多くの教会だった建物がイスラムのモスクになり、宣教の父と呼ばれたウィリアム・ケアリーを記念して建てた教会までも、今はイスラムのモスクになったという話でした。


そして、多くのクリスチャンがイスラム教に変わったと聞いてさらにショックでした。

なぜそうなったのかについては、別の機会に話したいと思います。


そして聖書に出てくる地域教会があったところのほとんどがイスラム化しました。
エルサレムにも多くのアラブ人がいて、ソロモン神殿があった場所にイスラム寺院の黄金のドームがあります。

イスラム教徒はそこで礼拝をしているので、これらの現実を見ると、とても悲しくなります。


なぜこうなってしまったのかは、クリスチャンたちに責任があり、神に責任はありません。

当時の信徒たちの信仰や活動を、今の自分たちの姿と比べると大きな差があります。


そのことに気付かないと、信仰はさらに形式的になって衰退し、いつか神に対して背を向け、場合によってはイスラム教に変わる人たちも多く出てきます。



20世紀は民主主義と共産主義の戦いがあり、そして共産主義は消えていきました。


しかし21世紀はイスラム教とキリスト教が対立する時代になります。


有力な人たちが口を揃えてそのように話していますし、実際それが始まったことも私たちは見ています。

キリスト教が優勢ではないです。
毎年2千万人のイスラム教徒が増えていると言われています。


イエス様が次のように語りました。


【マタイの福音書24章9節】

そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。

クリスチャンが迫害されることは、イスラム教の勢力が強くなることを意味します。


今もISの人たちは異教徒にイスラム教に改宗することを要求しますが、それを断ると すぐに連れ出して殺します。

既にたくさんの人々が殺されました。


ですから、私たちが本来あるべき姿に戻らないと、堕落して取り返しのつかない事になってしまいますので、今日も教会の姿を真剣に学んでいきましょう。





マケドニヤの諸教会




マケドニヤ教会は、今のマケドニヤ共和国ではなく、ギリシャ北部にあるバルカン半島の地域にある教会でした。

パウロは幻に招かれてマケドニヤに行きました。そのいきさつは、使徒の働き16章にあります。


【使徒の働き16章9節-10節】

ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するのであった。

パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤへ出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。

出かけて行った最初の町がピリピで、マケドニヤ地方にある一番大きな町でした。

マケドニヤの諸教会とは、その地域にあるピリピ教会、テサロニケ教会、べレア教会を含めて言います。


ピリピ教会は、パウロの伝道によってヨーロッパで最初に出来た教会でした。

最初に信徒になった人は、紫布の商人でルデヤという女性でした。


ピリピの看守やその家族、また献身的な女性信徒たちがその教会のメンバーでした。


マケドニヤ教会にはギリシャ人やローマ人が多くいて、ユダヤ人は少なかったです。

ピリピ教会は献身においても信仰の深さにおいても他の教会よりも優れていました。



その当時、教会は外部からも迫害がありましたし、社会の中でも不利な立場にありましたので、経済的にもとても貧しかったです。

しかしその中でもマケドニヤの諸教会は素晴らしいことをしました。


それは その極度の貧しさの中でも、ききんのために苦しんでいるエルサレムの信徒たちのために献金をささげたことでした。

それも 頼まれたからではなく、困っていることを聞いて、自ら進んで 力以上に惜しみなく捧げました。


この献金の姿勢はパウロが褒めるほどの模範的な姿でした。

信仰は献金にすごく反映されます。


信仰がある人たちは、自分が持っているものは神から与えられたものであるという認識があるので、神のみこころに従ってそれを使います。そして天に自分の宝を積み上げます。


しかし信仰が薄い人たちは、自分の物という認識が強いので、惜しむ心があり嫌々ながら捧げます。そして天よりは地上に蓄えることに熱心です。

もちろん施しにもあまり関心がないです。


献金や施しは、たくさん持っているからといって出来るのではないです。

基本的に(お金や物をたくさん)持っている人はケチな人が多いですし、施しにも消極的です。


教会でも同じことが言えます。ケチな姿勢を変えない限り、喜んですることは出来ないです。


献金や施しは、神の恵みに対する “感謝の表現” です。

神と隣人に対する愛がある人は自発的にします。
イエス・キリストの犠牲と愛の精神を現す方法として ささげものをします。


ピリピ教会は主のためだけではなく、主のしもべであるパウロのためにも何でもしてあげたいと願った教会でした。

それについてパウロは、ピリピ教会に手紙を送りました。


【ピリピ4章14-16節】

それにしても、あなたがたは、よく私と困難を分け合ってくれました。

ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、私が福音を宣べ伝え始めたころ、マケドニヤを離れて行ったときには、私の働きのために、物をやり取りしてくれた教会は、あなたがたのほかには一つもありませんでした。

テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは一度ならず二度までも物を送って、私の乏しさを補ってくれました。

それによってパウロはとても励まされたと思います。

パウロが投獄されたことで、失望したり 弱くなったりもしましたが、パウロの働きに愛をもって協力した教会でした。


そしてベレア教会に対して、次の箇所に書かれています。


【使徒の働き17章11-12節】

ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。

そのため、彼らのうちの多くの者が信仰に入った。その中にはギリシヤの貴婦人や男子も少なくなかった。

マケドニヤの諸教会から学べるのは 喜んで献金や施しをすること、また熱心にみことばを聞き、毎日聖書を調べること、教会や主のしもべに協力する姿です。


その人や教会に与えられる祝福は次の箇所にあります。


【ピリピ4章18-19節】

私は、すべての物を受けて、満ちあふれています。エパフロデトからあなたがたの贈り物を受けたので、満ち足りています。それは香ばしいかおりであって、神が喜んで受けてくださる供え物です。

また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。

主に捧げる人は主が祝福します。

しかし 主にささげることをケチる人には、主の祝福の約束は来ないです。





コリント教会




コリント教会の姿は、【コリント人への手紙】を読むと よく分かります。

聖書に出てくる教会の中でも、一番問題が多かったかも知れません。


【使徒の働き18章】に コリント教会がどのようにして出来たのかが書かれています。

パウロはコリントで、アクラとプリスキラ夫婦と一緒に働きをしました。
そこでもユダヤ人からはすごく迫害を受けましたが、多くのコリント人が救われました。


パウロは主の命令によってコリントに1年半いながら神のことばを教え続けました。
しかしコリント教会には多くの問題がありました。

それは彼らの社会背景にも問題があり、コリント人の気質にも問題がありました。


コリントは港で商業都市でした。
ローマの世俗文化が盛んでしたし、偶像崇拝、哲学的宗教、性道徳に とても乱れていました。

その中で人間関係も打算的で殺伐としていました。


キリスト教の福音を簡単に受け入れはしましたが、彼らはコリント文化の否定的な影響を清算出来ず、パウロがいる間は教会に秩序がありましたが、パウロが新しい宣教地を求めて教会を離れると、信徒たちはあらゆる誘惑や間違った教え、また罪の中に巻き込まれるようになりました。


そこで教会の中に分裂や性的罪が起こったり、聖餐式でも無節制な態度を見せました。

またパウロの使徒職に対しても疑う者たちがいました。


真理でない世のものが教会に入り、様々な問題が生まれました。

これはコリント教会だけの問題ではないですね。
偶像崇拝を長くしてきた人やそういう文化の中で育った人々は同じく直面する問題です。


日本はコリントと似たような社会です。
世俗文化や偶像崇拝が盛んであり、性道徳も乱れています。

クリスチャンになっても、それが清算出来ない人が多いです。


日常的にぶつかることが多いので つい妥協して周りの人たちと調子を合わせることが多いです。

それが本人にとっても楽です。
しかし救われた人にそれはふさわしくない姿です。


パウロは問題の多いコリント教会に対し、様々な問題について何が正しいのかを真理のことばで教えました。

第1と第2の長い手紙を送りました。


コリントの手紙を読んでみて下さい。ただ、時代背景もあるので解釈には気をつけて下さい。

手紙の最後に、パウロは 警告と勧めのことばを送りました。


【第2コリント13章5節】

あなたがたは、信仰に立っているかどうか、自分自身をためし、また吟味しなさい。それとも、あなたがたのうちにはイエス・キリストがおられることを、自分で認めないのですか。―あなたがたがそれに不適格であれば別です。―

信仰に立っているかどうかは、自分がキリストに属しているかどうかをよく調べることです。


信仰歴が長い人でも自分の中に主がおられるかどうかに対して確信が持てず疑う人たちもいます。
自分の信仰をはっきりしないといけないです。


【第2コリント13章7節】

私たちは、あなたがたがどんな悪をも行わないように神に祈っています。それによって、私たち自身の適格であることが明らかになるというのではなく、たとい私たちは不適格のように見えても、あなたがたに正しい行いをしてもらいたいためです。

悪を悔い改めて正しい行いをするように勧めています。


【第2コリント13章8節】

私たちは、真理に逆らっては何をすることもできず、真理のためなら、何でもできるのです。

真理に逆らってはいけないと警告しました。

真理に逆らうことはイエス・キリストと福音の真理に逆らうことです。


【第2コリント13章11-12節】

終わりに、兄弟たち。喜びなさい。完全な者になりなさい。慰めを受けなさい。一つ心になりなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神はあなたがたとともにいてくださいます。

聖なる口づけをもって、互いにあいさつをかわしなさい。すべての聖徒たちが、あなたがたによろしくと言っています。

まだ教会の分裂の傷を完全に克服していないコリント教会に対して、教会の一致と聖徒の交わりを希望してパウロは聖徒たちを激励しました。

これらの警告と勧めのことばは、コリント教会だけに向けられるものではありません。


自分の中でも悔い改めて立ち返らなければならないものはないのかを考えることです。


今は悔い改めのチャンスです。赦しを受けるチャンスです。

また、初心に帰る時です。信仰を新しくするチャンスです。


教会の姿は自分たちの姿でもあります。

良いものは取り入れ、直すべきところは直していきましょう。
( -д-)ノ

2015.7.19
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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聖書に出てくる地域教会①

テーマは 『  聖書に出てくる地域教会① 』 です

【使徒の働き8章1節】

サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。

聖書に出てくる地域教会に対して、今回と次回の2回にわたってメッセージを伝えたいと思います。


ヨハネの黙示録に出てくるアジアの七つの教会に対してはよく聞きますが、それ以外の教会もありますので、今回は七つの教会以外の教会はどのような教会であったのかをみて、自分たちの教会も良い所は学びたいと思います。


イギリスに留学中の韓国留学生たちが、宣教師と教会を探していました。

イギリスには古くから大きな教会がたくさんありますが、
彼らが使わない時間に教会を借りようと思い、ロンドンにある多くの教会を訪ねました。


すると、すべての教会の責任者たちから まず最初に聞かれたことは、“賃貸料としていくら支払うのか?”でした。


なぜ皆が同じ事を聞くのか、だんだんと不思議な気がして来ました。

どうして教会がお金のことを先に聞くのかと思い、その理由を聞きました。


そうしたら、どこの教会も貧しいので冷暖房を使うことが難しく、もし冷暖房を使用するならお金が必要である為、お金のことを先に聞いたと言われました。


教会の建物は立派ですが、信徒は年寄りばかりで 前から2列目まで人が座り、その後ろは空席状態でした。

イギリスは18世紀から19世紀にかけて信徒が多く、世界的に有名な説教者たちも多かったです。

スポルジョンの教会には6千人の座席があり、世界中に宣教師たちも送りました。


しかし、今はどこの教会も人が少ないので、以前のような輝きは完全に消えてしまいました。



反対にイスラム教を信じる人がすごく増えて、教会の建物までイスラム教が買い占め、建物はそのままで、十字架だけを取り除き、そこにイスラム教のシンボルである三日月を飾っています。

三日月は発展を意味します。


モスクに違和感を持っているヨーロッパ人が多いので、教会を買ってそのようにすると 周りの人がモスクだと気付かず、教会だと思っているようです。


イスラム教徒は世界で4人に1人です。
日本でも外国人を含めて11万人のイスラム教徒がいます。お金の力でどんどん浸透しています。


このような時代ですので、教会がしっかりしないと 後でとんでもないことが現実に起こります。


リバイバルした時代の教会の姿が聖書に出てくるので、それを学んで初心に戻らないと、すべての教会が衰退すると思います。


信徒の数が増えるのもリバイバルですが、霊的に強くならないと サタンやこの世に潰されてしまいます。


ですから、その時代の教会の姿をしっかりと学び、受け入れるべきものは受け入れたいです。
今、とても弱さを感じていますので、教会が変わって欲しいと思います。


これから初代教会の姿をみていきます。




エルサレム教会




エルサレム教会は聖霊降臨の後に最初に出来た教会で、霊的に一番強い教会でした。

教会の指導者たちが主の弟子たちでした。


【使徒の働き2章40-47節】

ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って彼らに勧めた。

そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。

そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。

そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われた。

信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。

そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。

そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、

神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。

特徴としては、聖霊の働きが活発で 多くの奇跡が起きたこと、そして主のことばに対する全き従順、信徒たちの深い交わり、霊的祝福を何よりも求めた教会でした。


そして評判の良い教会でしたので、毎日救われる人がたくさんいて、爆発的なリバイバルがありました。

しかしこのような状態は長く続きませんでした。

サタンによる激しい迫害が始まり、それによって使徒たち以外はエルサレムに留まることが出来ず、諸地方に散らされていきました。


散らされた人たちは、ただ逃げたのではなく、みことばを宣べながら巡り歩きました。

そして彼らが行く町に奇跡が起こり、大きな喜びが起こりました。


しかし迫害によって使徒ヤコブが殉教し、他の使徒たちも苦難を受け、多くの信徒たちも苦難や殉教をしましたが、その中でも彼らは喜んでいました。


最強の教会でした。


それが出来たのは、信徒たちが聖霊に満たされ、みことばに満たされ、伝道に熱い思いを持っており、神の国とその義とを第一に求めたからです。


これは心を神に向ける時に可能ですので、私たちが学ぶべき姿です。


形式的な信仰生活では、迫害にすぐ倒されてしまいます。

そのような信仰生活では聖霊に満たされることも、従順することも、使命に燃えることも出来ません。


私たちにはこれが足りないと思います。
形式的で生ぬるい信仰がとても多いので、悔い改めが必要です。




アンテオケ教会




次はアンテオケ教会の姿です。


【使徒の働き11章25-26節】

バルナバはサウロを捜しにタルソへ行き、

彼に会って、アンテオケに連れて来た。そして、まる一年の間、彼らは教会に集まり、大ぜいの人たちを教えた。弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。

アンテオケはローマ帝國で、ローマ、アレクサンドリアに続いて 3番目に大きな都市で人口は50万人いました。


アンテオケ教会に初めて異邦人伝道の基地が設置され、バルナバとサウロ(=パウロ)がそこで人々を教えました。

ここは異邦人教会の中心地であり、宣教基地でした。


この時、初めてキリスト者と呼ばれたということは、キリスト教がユダヤ教とは完全に区別された新しい宗教であると認められたことを意味します。

それまでユダヤ人は、キリストを信じる者を “ナザレ人”や“ガリラヤ人”と呼んでいました。


アンテオケ教会は、断食と祈りをしながら聖霊の導きを受けて、正式にバルナバとサウロを宣教師として派遣しました。

そしてこの教会は 愛がある教会で、ユダヤにいる信徒たちがききんのために困っている知らせを聞くと、それぞれの力に応じて救援物資を送りました。


アンテオケ教会は霊的に成長し、数においても大きく成長した教会でした。

教えられたみことばをよく守り、よく祈り、愛の労苦があったのでリバイバルしました。


数は多くても霊的に弱い教会も多いですが、アンテオケ教会はバランスの取れた教会でした。




カイザリヤ教会




カイザリヤ教会に対しては知らない人も多いと思います。

カイザリヤは地中海に面した所にありますが、ここはエルサレム教会の執事であったピリポの故郷でした。


ピリポはエルサレム教会で最初に選ばれた7人執事の1人でした。

その時に選ばれた執事の条件は、「御霊と信仰と知恵に満ち、評判が良いこと」でしたが、7人の中で一番活躍したのはピリポでした。


彼の活躍は使徒の働き8章に書かれていますが、たくさんの奇跡を行い、誰よりも伝道に熱心で、至る所で福音を伝えました。


【使徒の働き8章40節】

それからピリポはアゾトに現れ、すべての町々を通って福音を宣べ伝え、カイザリヤに行った。

自分の故郷へ行って教会を設立しました。

私たちもこの姿勢を学ぶべきです。
直接私たちが行けないならば、自分の故郷に教会が出来るように祈ることです。


日本人はキリスト教に対して興味がなく、無関心な人がとても多いです。


しかしキリストを信じている人は、その人たちに関心を持って自分たちの故郷にも教会が出来るように祈ることです。


教会がないと、たとえ救われたとしても礼拝する場所がないので困ります。

私たちはピリポのように、執事でも このような立派な働きが出来ることを知って挑戦することです。


牧師だけが教会を建てるのではなく、信徒たちも出来ます。
熱心に伝道したら教会が建ちます。


神戸教会は魂が救われてから出来た教会でしたし、私も信徒の時に教会を開拓しました。


熱心に伝道する信徒がいると、教会はリバイバルしますし、伝道しないとリバイバルはないです。


伝道して下さい。たましいにみことばを伝えて下さい。
そうすると聖霊が働きます。




ローマ教会




伝承によれば、最初 ローマに福音を伝えたのは、バルナバと言われています。


この教会は、ローマ帝國の最大都市であるローマに出来た教会でした。

人口が80万人もいる大きな都市でした。

皇帝が存在し、多くの神殿がありましたし、帝國らしいあらゆる設備が整った大都会でした。


ローマ教会の構成は、ユダヤ人と異邦人が混ざっていましたが、異邦人の方が多かったです。


ユダヤ人と異邦人が一緒にいることで、教会の中には様々な摩擦がありました。

間違えた律法主義信仰を持ったユダヤ人と、それとは反対のキリストにある自由を強調する異邦人の間で意見の衝突がありました。


ローマ書は キリスト教の教理が一番書かれていますが、それは教会の問題点を解決するためにパウロが、救いや信仰、律法、キリスト者の生活全般に対して詳しく教えました。


ローマ教会だけではなく、異邦人がいる教会では同じ問題がありましたので、代表的存在であるローマ教会に教理を伝えました。

ローマ教会は地理的な面もありますが、異邦人教会の代表的な存在になっていきました。


ネロ皇帝は自分でローマ市に火をつけておきながら、その犯人がキリスト教徒であるとして大迫害を加え、焼き殺しました。

また何人かの皇帝によって激しい迫害があり、信徒たちは地下に潜るようになりましたし、その迫害の中で多くのキリスト教徒が殉教し、ペテロもパウロも殉教しました。


それでも信徒たちは信仰を捨てることをせず、命を懸けました。

やがてキリスト教はローマ帝國で認められるようになりました。


ローマ教会をカトリック教会の始まりと思っている人がいますが、それは大きな間違いです。
なぜならば、カトリック教会に初代ローマ教会のような姿はありません。

(初代教会は)ペテロを法王にしたこともないですし、巨大な権力も富も持ちませんでした。


ローマ教会の信徒たちは、信仰のために貧しくなり、権力にも妥協せず、迫害され殺されていきました。

それはカトリック教会とはまったく違う姿でした。似ても似つかない姿です。






これからの時代は、世の権力と富と他の宗教との戦いが激しくなる時代になります。


すでに韓国でもイスラム教が学校の中でも、色々なところでぶつかっています。

とても怖い時代になってきました。


私たちは、聖書にある教会が それらの戦いの中で生き残ったことを見ながら、信仰を強め、聖霊に満たされ、みことばに堅く立って、ますます愛し合い、助け合わないと教会はだんだん衰退して消えていきます。


「この教会が潰れたら、他の教会に行けば良い」と思うのは、神も教会をも愛していない姿です。


ますます主のために良い働きが出来る教会になるように、力を合わせないといけないです。


信徒が教会に無関心であるならば、未信者よりも悪い姿です。


初代教会はとても霊的に強い教会で、神の言葉に対しても よく聞き従順していました。
そして迫害にもよく耐えました。


主の再臨が近づいているので、私たちは目を覚まして、神の働きにも力を入れて、教会を強め、魂に対しても関心を持ってみことばを伝え、それぞれが出来ることをしていきましょう。


この世の流れがとても不気味です。
イスラム勢力は拡大してきています。


クリスチャンとして生きにくい時代になっています。

生ぬるい教会では飲み込まれてしまいます。


生ぬるい信仰では妥協して名ばかりの信仰になり、迫害があると“主を知らない”と言います。


必ずその時代が来ますので、危機感をもって信仰生活をしましょう。
(・◇・)ゞ


2015.7.12
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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祝福の価値基準

テーマは 『 祝福の価値基準 』 です

【マタイの福音書5章3-12節】

心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。

悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。

柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。

義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。

あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。

心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。

平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。

義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。

わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。

喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々はそのように迫害したのです。

聖書が提示する祝福の概念は、旧約時代と新約時代は同じではないです。


旧約時代での祝福は目に見える物質的な祝福でした。

アブラハムもヤコブも神に祝福されて、あらゆる面で豊かになりました。敬虔なヨブも一番の富豪でした。


旧約聖書での祝福の概念が書かれた箇所は【申命記28章1-13節】です。

その中で11-12節に書かれている祝福は次のとおりです。


【申命記28章11-12節】

主が、あなたに与えるとあなたの先祖たちに誓われたその地で、主は、あなたの身から生まれる者や家畜の産むものや地の産物を、豊かに恵んで下さる。

主は、その恵みの倉、天を開き、時にかなって雨をあなたの地に与え、あなたのすべての手のわざを祝福される。それであなたは多くの国々に貸すであろうが、借りることはない。

しかし新約時代になると、それがおもに霊的祝福へと変わりました。


今日のみことばがそれをはっきりと見せてあります。

さらに次の箇所のことばもそれを裏付けます。


【エペソ1章3節】

私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。

神様がこのように祝福の価値基準を変えたならば、私たちも祝福に対する価値観を変えなければなりません。


旧約時代の価値観で見ると、イエス様が語る祝福の価値が分からなくなります。


また、正しい祝福の価値基準を持たないと混乱が生じ、そこに世俗主義が浸透してきます。

そして神の御心に対する概念も崩れ、神様に対して正しい祈りすら出来なくなります。


“いくら祈っても祝福して下さらない”と文句を言うようになります。

私も以前そのような者でしたので、そのことで失敗したことがあります。
お金や健康などが一番の祝福と思っていたので神様にたくさん不満を漏らした時がありました。


その後、神様から色々と訓練されて、自分の価値観が変わっていきました。


間違えた祝福の価値基準が教会や個人に入ってくると、極端な禁欲主義になったり、富を悪と思ったり、質素に生きることが敬虔であるかのように思ったり、またその反対に 金持ちになってたくさんの献金をするのが神の祝福で、貧乏は呪いであると決めつけたりと、聖書の本質からかけ離れてしまいます。


実際に 貧乏でも敬虔なクリスチャンとして生きた人もいれば、金持ちでも呪われた人生を生きた人もいます。


ですから私たちは、聖書が教える正しい祝福の価値基準を知ることで “本当の祝福” を求めることが出来ますし、また神様から祝福された時に その価値を知っているので感謝することができます。






マタイの福音書5章はイエス様が語った『山上の垂訓 (さんじょうのすいくん)』として とても有名な箇所です。


どのような人が祝福されるか、そして その人たちが受けた祝福の中身も教えています。

主が教えた8つの祝福は すべて霊的祝福で、永遠に価値のある祝福です。


これはイエス・キリストを自分の救い主、王として迎え入れた人だけが受けることが出来る祝福です。


キリストにあって天国の民になった人に神が与える祝福です。
それは天にある霊的祝福ですので、キリストの外にいる人が得られる祝福ではありません。


人として地上に来られたイエス様が悪魔の試みにあう場面が【マタイの福音書4章】にありますが、悪魔は次のような誘惑をしました。
それは世の人々が切に求めているような祝福でした。


【マタイの福音書4章8-10節】

「今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、

言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたにさしあげましょう。」

イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ』と書いてある。」

その誘惑に主は勝利しましたが、多くの人が、またクリスチャンもこの誘惑に負けて、神を裏切り、悪魔にひれ伏して拝み、この世の富、権力、人気、名誉を得ます。


ハリウッドスターの多くがそれらのものを手に入れるために自分の魂をサタンに売ったと公然と話しているのを聞きました。そして実際 彼らは魂を売って世の祝福を得ました。

それは たましいの安売りに過ぎないですが、それでも欲しいものを手に入れるためにそうしました。


「後のことはどうでもいい。今さえ良ければ」と彼らは思っています。
彼らだけではなく、もっと多くの人々がそのようにしています。


目に見える祝福だけに執着すると、そのように平気に悪魔にひれ伏します。


「キリストを信じたら祝福されます」と福音を伝える時によく言いますが、その祝福を世的なものと関連して伝えると後で色々と問題が生じます。


信じたのにお金も入って来ないし、健康にもなっていないし、仕事もうまくいかないし、別に何も祝福されていないと言って、信仰をやめたり、文句を言ったりします。

また自分が求めているものをくれるならば、たとえそれが悪魔から来たものであっても構わないと思って簡単に拝むようになります。


キリストが伝える祝福の価値観が、この世の祝福の価値観と違うことを知らないと、同じようなことがクリスチャンの中でも起こりやすいです。






主が話した8つの祝福は、どのような祝福よりも価値があり、それは神様との関係の中で得られるものです。

天の御国を相続し、主に慰められ、霊的に満ち足りる祝福、主の恵み、主の憐れみなど特別に価値ある祝福を受けます。


使徒パウロは主イエスに出会った後に、この祝福を受けてから、祝福の価値観が大きく変わったことを明確に告白しました。


【ピリピ3章7-8節】

しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。

それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。

これは、世のものは もう要らないという意味ではありません。

この世でも必要な祝福はたくさんあります。


ただ、今までは知らなかった価値あるものを見つけたので、自分の祝福の価値基準が変わったことを意味します。

何が一番の祝福で価値あるものかが分かりました。


イエス様が天国のたとえで話したことを参考にすると、さらに理解が出来ます。


【マタイの福音書13章44-46節】

天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。

また、天の御国は、良い真珠を捜している商人のようなものです。

すばらしい値うちの真珠を一つ見つけた者は、行って持ち物を全部売り払ってそれを買ってしまいます。

イエス様がマタイの福音書5章で “こういう人が幸いです” と言われた人たちは、価値ある宝と真珠を見つけた人たちであり、霊的祝福に気付いた人たちです。


今までは目に見える部分の祝福だけを求めていた人たちが、隠されていた宝を見つけて大喜びでそれを手に入れました。




どのような人たちが 霊的祝福を見つけやすいでしょうか




  • 自分が主の前には罪人で無能な人間であることに気付いた人
  • 主の前に謙遜になった人

  • いつも信仰をもって神の前に生きる人
  • 自分を捨てて主に従っていく人

  • 毎日神の恵みを求めながら、天にあこがれて天を目指して生きる人
  • いつも主を賛美する人

  • 子どものような純粋な心で主を慕い求める人
  • 小さいことにも感謝する人

この人たちは霊的祝福の価値を知っているので切に求めます。


主が語る霊的祝福の価値を知らない人に対して、主は次のように語りました。


【マタイの福音書7章6節】

聖なるものを犬に与えてはいけません。また豚の前に、真珠を投げてはなりません。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたを引き裂くでしょうから。

霊的祝福は、誰もが知っている祝福ではありません。


ほとんどの人は、その祝福に無関心です。
何を食べようか、何を飲もうか、何を着るかに一番関心があります。


しかし本当の祝福と幸せは、“物”ではなく、内面が満たされる時に、霊的に祝福される時だと知っている人は それを求めて主の前に来ます。


その祝福をイエス様が持っておられるからです。


みなさんはその祝福が一番の祝福であることに気付いていますか。
そして求めていますか。また、すでに受けていますか。


自分の財産目録を今一度調べてみて下さい。

一番の宝は何でしょうか。それはいつまで続くものでしょうか。


それが自分のいのちよりも価値あるものでしょうか。
(((( ;゚д゚)))

2015.7.5
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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