からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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2015年05月

苦難の時に何をするのか

テーマは 『 苦難の時に何をするのか 』 です

【ヨナ書2章1-10節】

ヨナは魚の腹の中から、彼の神、主に祈って、

言った。「私が苦しみの中から主にお願いすると、主は答えてくださいました。 私がよみの腹の中から叫ぶと、あなたは私の声を聞いてくださいました。

あなたは私を海の真ん中の深みに投げ込まれました。潮の流れが私を囲み、あなたの波と大波がみな、私の上を越えて行きました。

私は言った。『私はあなたの目の前から追われました。しかし、もう一度、私はあなたの聖なる宮を仰ぎ見たいのです」と。

水は、私ののどを締めつけ、深淵は私を取り囲み、海草は私の頭にからみつきました。

私は山々の根元まで下り、地のかんぬきがいつまでも私の上にありました。しかし、私の神、主よ。あなたは私のいのちを穴から引き上げてくださいました。

私のたましいが私のうちに衰え果てたとき、私は主を思い出しました。私の祈りはあなたに、あなたの聖なる宮に届きました。

むなしい偶像に心を留める者は、自分への恵みを捨てます。

しかし、私は、感謝の声をあげて、あなたにいけにえをささげ、私の誓いを果たしましょう。救いは主のものです。」

主は、魚に命じ、ヨナを陸地に吐き出させた。

本文には、ヨナという人物が出てきます。
ヨナは預言者です。

この時、彼はどこにいるでしょうか。
魚の腹の中という有り得ない場所にいます。

なぜ彼はそのような場所にいて、ありえない苦しみを受けているのでしょうか。


実際彼が受けている苦しみは、死よりも辛い苦しみかも知れません。

私たちがもし同じ状況の中にいるならば、「なぜあの時に死ななかったのか。死んだ方がましだ。」という思いになります。


なぜなら、息が出来ないことによる肉体の苦しみがひどいからです。
水に溺れている状況なので、まともに息が出来ないです。

肉体の苦しみの中で 痛みがあることも辛いですが、息が出来ない苦しみも相当辛いです。


また、体の身動きがとれない苦しみもとても辛いです。

そして精神的にもかなり辛い状況でした。それは自分が人間世界から隔離されてしまったからです。


地球上での海と陸の割合は7:3です。

昨年失踪したマレーシア航空機が海に消えたと言われて、今も捜索していますが、まったく見付かっていない状況です。

(陸ではなく海の中だと)分かって探しても 見付からないほど広くて深い海という環境が、さらに絶望を大きくします。そこは救助される期待すら出来ない場所です。


霊的には自分が神様から受けた使命を拒んだことで自分の身に降りかかった試練なので、霊的にも追い込まれた状況でした。

『あの時、主の命令通りにニネベに行って神のメッセージを伝えればこんなことにはならなかったのに』 という後悔と神との関係が断絶され霊的にも絶望的でした。

神の命令に不従順した罪の刑罰として海に投げ出されたヨナはすべてに追い込まれていました。


生きているのか死んでいるのかが分からないような状況です。
生きるのも死ぬのも両方しんどい状態でした。

叫んでも自分の声が誰にも届かないですし、自分がそこにいることを誰も知らないことも最大の苦しみでした。

あらゆる面からも、ヨナの状況は最悪であることは間違いないです。


多くの人は状況をみて怯え、諦め、完全に絶望し、死を選ぶことが多いです。

また ある人は、死ぬ選択すら出来ずに生き地獄の中で生きています。

しかし苦難はその時に何をするかによって解決されるか、苦難が続くかに分かれます。



ヨナの神への不従順は私たちが学んではいけないことですが、生き地獄の苦難の中で 彼が選んだ方法は私たちが学ばなければなりません。

それは祈りでした。
祈り以外に彼に出来ることは残されていませんでした。


身動きが取れなくても、息が出来なくても、闇の中にいても、誰も助ける人が周りにいなくても、そこで唯一出来ることは “祈り” であることをヨナが見せてくれました。




救いの神を思い出した




罪に対して厳しくさばく神であることを ヨナは身をもって体験している最中ですが、その苦しみの中で、救いの神を求めました。


自分に必要な助けだけを求めたのではなく、神自身を求めました。

深い海の中、魚の腹の中から生き返ることは、ヨナの力では不可能でしたので、あらゆる苦難から救い出して下さる主を見上げました。

苦難の時は、何よりも主を求めることです。
神は私たちがどこで叫んでもその声を聞くことが出来るお方です。


さらに主が 自分を救い出してくださると信じて感謝と希望の祈りを捧げました。

私たちは、いつ感謝の祈りをしますか。
解決された後でしょうか?それは信仰による感謝ではないです。

それは当たり前の感謝です。

信仰による感謝は、苦難の中で祈り始めた時から捧げます。



ヨナは9節で感謝の祈りをしました。


【ヨナ書2章9節】

しかし、私は、感謝の声をあげて、あなたにいけにえをささげ、私の誓いを果たしましょう。救いは主のものです。」

感謝と希望の祈りは神への礼拝です。

偶像へのむなしい礼拝ではなく、生きておられる神への礼拝です。神は礼拝を受け入れて下さるお方です。


【ヨナ書2章7節】

私のたましいが私のうちに衰え果てたとき、私は主を思い出しました。私の祈りはあなたに、あなたの聖なる宮に届きました。

どんなに絶望的な状況の中でも 最後まで信仰を捨てず、神の臨在を求め、神が救い出して下さることを信じて感謝を捧げることは、主を礼拝する姿です。


【詩篇107篇10-16節】

やみと死の陰に座す者、悩みと鉄のかせとに縛られている者、

彼らは、神のことばに逆らい、いと高き方のさとしを侮ったのである。

それゆえ主は苦役をもって彼らの心を低くされた。彼らはよろけたが、だれも助けなかった。

この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から救われた。

主は彼らをやみと死の陰から連れ出し、彼らのかせを打ち砕かれた。

彼らは、主の恵みと、人の子らへの奇しいわざを主に感謝せよ。

まことに主は青銅のとびらを打ち砕き、鉄のかんぬきを粉々に砕かれた。

聖書は苦難の時に主を求め、神が彼らに救いの手を差し伸べた事実がたくさんありますので、それを信じて神を求めることを勧めます。




悔い改めの祈りをした




人間は罪を知らないから罪を犯すのではなく、知っていながらも 罪の誘惑に弱い者であるので、次から次へと罪を犯します。

悔い改めが必要のない日はあるでしょうか。
「今日私は何一つ罪を犯していない」と言える人がいますか?


主のことばから はみ出た行動はいくらでも自分たちにはあります。

“罪から来る報酬は死” であることに変わりはないです。


しかし神様は罪人が罪の中に留まって死ぬことを願わないので、悔い改める者に恵みと救いを用意しておられます。


神の命令に不従順して神から刑罰を受けているヨナに対しても神はすぐに彼を死なせず、魚の腹の中に入れたのは悔い改めるチャンスを与えたことでした。

悔い改めのチャンスは主のあわれみです。主の恵みです。悔い改めのチャンスは助かるチャンスでもあります。


ヨナにとっても助かる道は、悔い改める道しか残されていませんでした。

きっと涙を流しながら三日間 心の中で泣き叫んで祈ったでしょう。

息苦しくて声を出すことが出来ないので、声なき声で叫んだことでしょう。


「私が悪かったです。もう2度と主に逆らいません。私の罪を赦して下さい。ここから助けて下さるならば言う事を聞いてニネベに行って主のことばを伝えます。」と誓いを立てながら悔い改めの祈りをしたでしょう。


悔い改めの祈りほど神に早く届く祈りはないと思います。

それは、なぜだと思いますか。


多くの願いの祈りは、神様を変えてでも自分の願いを押し付けて、欲しいものを手に入れたい思いがあります。

しかし、悔い改めは 祈る人自身が変わらないと出来ないことなので、その祈りをする人自身が変わったので神様が喜び、その祈りに早く答えて下さいます。


ヨナも苦難の中で変わりました。
罪の恐ろしさが分かり、自分の愚かさにも気付きました。

そして罪を捨てて、神に立ち返りました。

救いの神が救うことが出来るように 神を呼ぶ者になりました。


悔い改めていない者を助けたとしても、その人たちは神様を侮ります。

「誰が助けてくれと頼んだのか。ほっといてくれ。」と言います。


しかし悔い改めた人は、主の助けと救いに心からの感謝が出てきます。

神様は悔い改めるヨナを見て、救いの手を差し伸べました。魚の中から彼が生還出来るように恵みを与えました。

悔い改めたことによってヨナは再び太陽の光を見ることができ、自由に息をすること、そして体を動かすことが出来るようになりました。

絶望から希望に移されました。そして再び主の働きが出来るようになりました。

もしヨナに祈りがなかったならば、聖書に「ヨナ書」は存在しなかったですし、ヨナが誰なのかも私たちは分かりません。


イエス様も悔い改めの祈りがもたらす祝福について次のように教えて下さいました。


【ルカの福音書18章13-14節】

「ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』

あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」

聖徒たちにとって、祈りは必須です。それは祈りによって神との会話が成立するからです。

祈りを通して神様と交わりをし、霊的呼吸をします。

しかしすべての祈りが神様と通じるものでもないです。


悔い改めの祈り、神を求める祈り、神を信じて感謝と希望を持って祈る時、苦難の時に救いの神を切に求める祈りをする時に、主は救いの手を、救いの道を開いて下さいます。

それならば何でも聞いて下さいますかと質問する人がいますが、それを確認して祈るのではなく、 神をただ信頼して祈ることが大切です。


目に見えなくても、しるしがなくても、何も確認が出来なくても 今も働いておられる神がおられることを信じて、本人が必死に祈り求めることです。すべてを懸けて助けを求めます。


祈りを他人任せにする人がいますが、そうするとその人自身の苦難は根本的に解決出来ないです。

それはその本人の問題なので、神様はその人を待っておられます。

長い間、絶望と落胆の中にいる人がいるならば、それは未だに悔い改めていない自分の罪の為ではないのかを考えてみて下さい。

そしてヨナのようにやってみて下さい。
ヽ(TдT)ノ

2015.5.31
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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聖霊による変化

テーマは 『 聖霊による変化 』 です

【使徒の働き2章14-18節】

そこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。「ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住むすべての人々。あなたがたに知っていただきたいことがあります。どうか、私のことばに耳を貸してください。

今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔っているのではありません。

これは、預言者ヨエルによって語られた事です。

『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。

その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。

イエス様が天に帰られた後の最大の出来事は、何と言っても聖霊が下ったことですが、それに気付いていない人がとても多いですね。

キリストが誕生した時も、世の人々はそれに気付きませんでした。

何も起こっていないかのように普段の生活をしていました。


ですからキリストが活躍した時も、自分たちとは無関係だと思いましたし、今も無関係だと思っている人がどれほど多いか分かりません。

それは自分の魂が救われるチャンスを逃していることを意味しています。

地上ではキリストと無関係であっても特に問題はないですが、それが問題になるのは死後です。


死後には神のさばきがあり、それによって永遠のいのちか 永遠の滅びかを受けますが、その時にキリストが大いに関係してきます。


キリストを信じたか信じなかったかによって行き先が変わります。

ですから生きている時に信じる必要があります。






また、聖霊はどうでしょうか。

クリスチャンは聖霊を受けても受けなくても良いでしょうか。


答えは、受けなければなりません。
なぜなら、“受けなさい” とイエス様が命じたからです。


【使徒の働き1章4-5節】

彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。

ヨハネは水でパプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」


【使徒の働き1章8節】

しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

この言葉は、弟子たちだけに与えられた言葉でしょうか。

そうではなく、信じるすべての人は聖霊を受けなければなりません。

しかし それを知らない人が多いですし、また 受けなくても良いと言う人もいます。


当時もたくさんの人が主のことばを聞きましたが、実際にエルサレムに留まりながら父の約束を信じた人は120名ほどしかいませんでした。

彼らは全員で心を合わせ、祈りに専念していました。
そして10日後のペンテコステの日に初めて人々に聖霊が下りました。


120名ほどが受けた聖霊は、初めての不思議な経験でしたが、それによって彼らは大きく変わりました。


聖霊によってどのような変化が起きたでしょうか?




1.他国のことば(異言)で話しだした




私たちは外国語は習わないと理解することも話すことも出来ません。

何年間 習ってもうまく話せないのが外国語です。
英語を幼稚園から大学まで習っても まともに話せない人がほとんどです。


それなのに、どこの国の言葉かも分からず 聖霊が語らせるまま話し出したので、集まった人々はそれを見てびっくりしました。


私の知り合いの女性の牧師先生は若い頃、ナンパをしようと付きまとって来た男の人に困り、何かを言おうとして口を開くと中国語が勝手に出てきて、それを聞いた男の人が「何だ、外国人か」と言いながら去って行ったと聞いたことがあります。


聖霊を受けた人たちが祈りの時に使う異言は、聖霊が語らせることばです。

自分にとって未知の言葉なので意味は分かりませんが、異言で祈ることは素晴らしいことです。


なぜならば 次のように書いているからです。


【第1コリント14章2節】

異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話すのです。というのは、だれも聞いていないのに、自分の霊で奥義を話すからです。


【第1コリント14章4節】

異言を話す者は自分の徳を高めますが


【第1コリント14章14節】

もし私が異言で祈るなら、私の霊は祈るが、私の知性は実を結ばないのです。


【第1コリント14章22節】

それで、異言は信者のためのしるしではなく、不信者のためのしるしです。

このように異言は神に話す言葉であり、自分の徳を高めますし、また不信者へのしるしであるので、パウロは「私はあなたがたがみな異言を話すことを望んでいます」と語 りました。


異言がまだ話せない人は、異言が話せるように聖霊に求めて下さい。
私も聖霊様に求めて受けました。





2.霊的に強くされ、大胆な者に変化した




“聖霊が望むと力を受ける”と語ったように 皆に力が与えられ、霊的に強くなり、大胆な者になりました。


以前は人を恐れて、イエス様を3度も知らないと言ったペテロの変えられた姿を見て下さい。
まるで別人のように変わりました。

環境や、人、権力を恐れていたペテロでしたが、大勢の前で大胆に即興で説教をする姿に人々は驚きました。


世の中で一番強い人は勇士ではなく、力士でもなく、聖霊充満な人です。

なぜならば、この人たちは 人や環境、サタンや権力、迫害や死も恐れないからです。


弟子たち全員は殉教しましたが、彼らはどこでも大胆な者でした。
聖霊が彼らの中に力を入れたからです。


【第2テモテ1章7-8節】

神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。

ですから、あなたは、私たちの主をあかしすることや、私が主の囚人であることを恥じてはいけません。むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。

いつも何かを恐れ、自信がなく、消極的であるならば、いつも聖霊に満たされるように祈って下さい。


「強くあれ。雄々しくあれ」と主が命じておられます。





3.自己中心的な人から、神中心の人に変化された




自己中心であることは聖書に基づく考えではなく、自分の考え・知識・経験が 自分の価値観や行動の動機となります。


イエス様と共にいた時の弟子たちの姿を思い出して下さい。

霊的な人は1人もいませんでした。

イエス様の傍で3年間訓練されても、それぞれ自分が一番偉いと思っていましたし、出世することを夢見ていました。


相変わらず“自分”が世界の中心にいました。
それが、主が捕えられ十字架の事件が起きた時に明らかにされました。

皆がイエス様に背を向けました。
自分を捨て、自分の十字架を負って、主に従うことが出来ませんでした。


しかし皆が聖霊によって180度変わりました。

自分のために生きる者はいなくなり、主のために生きる者に変わりました。


【ピリピ1章21節】

私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。




4.みことばの悟りが与えられ、確信ある信仰に変わる




以前ペテロは、みことばに対してあまり分かりませんでしたし、イエス様から話を聞いても間違った解釈をしていましたが、聖霊を受けた後 その場で立って旧約聖書の言葉を正確に理解し、立派な説教が出来ました。

それには人々もびっくりしました。

そして人々がどのような間違いをしているのか、はっきりと指摘が出来るほどキリスト教の教理に対して正確に理解することが出来ました。


これによって信仰もみことばの上にしっかりと立つようになり、それからは真っ直ぐに進むことが出来ました。


聖霊の助けなしに神の言葉に対する悟りを得ることは難しいです。

自分勝手に解釈をして、悟りを得たという人もいますが、本当に悟りを得るためには聖霊の力と助けが必要です。


無学なペテロがこのように立派な説教がいきなり出来たのは 彼の力ではなく、すべて聖霊のよるものです。





5.使命を果たすことが出来る




弟子たちの例を挙げるならば、彼らが選ばれた時に言われたのは「あなた方を人間を取る漁師にしてあげよう。」でした。

すなわち魂を勝ち取るのが彼らの使命でした。

しかし聖霊が下るまでの姿は人間を取る漁師ではなく、再び魚を取る漁師に戻って行きました。


聖霊によって使命から離れていた彼らが使命を取り戻しました。
ですから福音が世界に広がるようになりました。それは聖霊が彼らを使命に目覚めさせて下さったからです。


そして彼らには証人としての使命もありました。
証人とは見たもの、聞いたものを隠さず ありのままを伝えることです。


自分のことを話すのではなく、イエス・キリストはこのような方でしたと証言をすることです。

彼らは聖霊に満たされた後、すぐに人々の前に証人の働きを始めました。



このように聖霊は人々を新しく変えて下さいます。

生ぬるい者ではなく、形式的な信仰生活ではなく、今回話したような変化を人々にもたらします。

それらのすべての変化は聖霊なしで得られることは不可能です。


弱いクリスチャン、名ばかりのクリスチャン、証人として働いたこともないならば、聖霊に対して無関心であるか、自分から勝手に聖霊と縁を切ったかです。


もし弟子たちのように変わりたいならば、何よりも聖霊に満たされることを求めて下さい。


聖霊なしの信仰生活は、ガソリンの入っていない車に乗っている人と同じです。

変化もなく、いつも同じ所に留まっている車の様です。

求めるすべての人に聖霊を注いで下さいますので、聖霊を受けて力強い信仰生活、実を結ぶ信仰生活をしましょう。
(。・ω・)ノ゙

2015.5.24
ペンテコステ礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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神なしの人生と、神にある人生

※本日は教会イベントの為、礼拝はショートメッセージでしたので、
13日に行われた「水曜礼拝・聖書の学び」を載せました。


テーマは 『 神なしの人生と、神にある人生 』 です

【伝道者の書1章2-3節】

空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。

伝道者の書を開くと いきなりこの言葉が出てくるので、多くの人は戸惑うと思います。
この書は人生のむなしさを語る書だと思う人が多いでしょう。

まるで虚無主義者が書いたもののように見えますし、哲学書にも見えると思います。


しかし「伝道者の書」は、“人間がどのように真の幸せを追求できるか”がテーマです。

そして神なしの人生が いかにむなしいかを語っています。

生と死を真剣に考える人ならば、この伝道者の書で悟りを得ることが出来ます。


今回は「神なしの人生と神にある人生」の差が いかに大きいかを比較しながら恵みを受けたいと思います。




労苦に対して





【伝道者の書1章3節】

日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。


【伝道者の書2章18節】

私は、日の下で骨折ったいっさいの労苦を憎んだ。後継者のために残さなければならないからである。

“日の下”という用語は 物理的な空間の意味ではなく、神様は天に、人間は地上に住むという考えから出た表現です。

神様との関係が断絶され、罪によって汚れた地上で、短い人生を送りながら労苦しても、すべてむなしいということです。

地上のものに目標を定めて汗を流し 労苦をしても、永遠にそれが続くわけではありません。


しかし神様との関係が回復し、神様の中で生きる人たちは何が違うのでしょうか。


【ピリピ1章6節】

あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。

主にあるすべての労苦に対して、主は良い実が結ばれるように助けて下さるだけではなく、さらに良い実に対して報いも与えて下さいます。

神の国においても、素晴らしい報いを受けます。



【第1コリント15章58節】

ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。


労苦した聖徒には「義の冠、いのちの冠、栄光の冠」などが用意されています。




新しいものに対して





【伝道者の書1章9節】

昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは一つもない。

むなしく無意味で、満足のない人生を根本的に変える 新しいものはないことを語っています。

ある人たちは色々な最新のものを見せながら、「これは新しいものではないか」と反論しますが、多くのものは既にあったものを新しく発展させて作ったものです。


しかし主にある者はこのように変わります。


【第2コリント5章17節】

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

神との関係、自分の所属、身分、行き先、死からいのちへと、何もかもが新しくなりました。

自分の力ではなく、神様の一方的な恵みによって新しくされ、それまでなかった祝福を受けるようになります。


神は創造主で、今も創造の働きをしておられます。




死に対して





【伝道者の書6章12節】

だれが知ろうか。影のように過ごすむなしいつかのまの人生で、何が人のために善であるかを。だれが人に告げることができようか。彼の後に、日の下で何が起こるかを。


【伝道者の書9章3節】

同じ結末がすべての人に来るということ、これは日の下で行われるすべての事のうちで最も悪い。だから、人の子らの心は悪に満ち、生きている間、その心には狂気が満ち、それから後、死人のところに行く。

日の下にいる人間は死ぬしかない存在です。

罪を犯した人間が、避けることが出来ない1つの定めは「死」です。
そして死後の「裁き」です。


【ヘブル9章27節】

そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように。

たとえ人間が、神の摂理に従順することを拒みながら生きていたとしても、死の摂理に対しては従順するしかない弱い存在であること、そして神に頼らない人生は、まるで実態のない影のように むなしく去って行くということを伝えています。


しかし神にある者には素晴らしい約束があります。


【ヨハネの福音書3章16節】

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

 

キリストを信じる者の肉体も 地上では死を迎えますが、(キリストにあって)罪赦された人は裁きにあわず、永遠のいのちを受けて生きるようになります。


【ヨハネの黙示録20章12-15節】

また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。

海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行いに応じてさばかれた。

それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。

いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。

この時、自分の不信仰をいくら嘆いても、時遅しです。

今も多くの人々が自分の力や財産、知識、偶像に頼りながら生活をしています。


ある人は、真の神に頼って生きる者を弱い者だと言ってバカにしたりしますが、いつか神の前に立った時には 誰が知恵ある者で、誰が愚か者であるのかが明確にされます。




快楽について





【伝道者の書8章15節】

私は快楽を賛美する。日の下では、食べて、飲んで、楽しむよりほかに、人にとって良いことはない。これは、日の下で、神が人に与える一生の間に、その労苦に添えてくださるものだ。

この言葉は、快楽を勧めているのではないです。


日の下で行なわれる様々なことや矛盾に対して、私たちは全て理解しているわけではありません。

その中で失望したり、諦めるのではなく、神様が与えて下さった人生を 意味ある人生にすること、そして楽しく生きることも必要です。


ただ肉体の快楽というよりも、労苦に対する喜びを味わうことです。

ですが、その快楽も一時的なものです。


しかし主にある者には違う喜びがあります。


【ピリピ2章13節】

神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。

これは主の外にいる人には説明しても分からないと思います。


しかし主にある人は、快楽に勝る喜びを 主の働きの中で感じることができます。
私自身もその快楽に勝る喜びを主にあって発見することが出来ました。




悟りに対して





【伝道者の書8章17節】

すべては神のみわざであることがわかった。人は日の下で行われるみわざを見きわめることはできない。人は労苦して捜し求めても、見いだすことはない。知恵ある者が知っていると思っても、見きわめることはできない。

神様から特別な知恵を授かったソロモンでさえ、神のみわざを全て知ることは出来ないと告白しました。


いくら人間に知恵があっても、人間として超えることが出来ない限界があることを ここでもはっきりと伝えています。

これが主にあってはどのように変わるでしょうか。


【第1コリント13章12節】

今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。

預言や啓示によって 今も主にある人々には、主を知らない人々よりも多くの部分で悟りが与えられていますが、いつか私たちが完全に悟る日が来ることがとても楽しみです。




人間としては予測不可能な時と機会に対して





【伝道者の書9章11-12節】

私は再び、日の下を見たが、競争は足の早い人のものではなく、戦いは勇士のものではなく、またパンは知恵ある人のものではなく、また富は悟りのある人のものではなく、愛顧は知識のある人のものではないことがわかった。すべての人が時と機会に出会うからだ。

しかも、人は自分の時を知らない。悪い網にかかった魚のように、わなにかかった鳥のように、人の子らもまた、わざわいの時が突然彼らを襲うと、それにかかってしまう。

日の下で行われる全てのことが、人間の常識の中の理解できる範囲で論理的に行われることはありません。


優勝は間違いないと思われていた選手が脱落し、意外な選手が優勝することもよくあることですし、才能や能力があると必ず成功するとも限らないです。

その人たちが失敗する姿を見ることによって、人生の成功や失敗は その人自身の能力や人格、才能や努力だけで決まるのではなく、人間の判断を超えた神の主権が働いているので、人間は主権者である神を恐れなければなりません。

災いや災害は、どんなに科学が進んでいても、いつどこで何が起こるか人間には分かりません。


不確実な現実の前で、人間はむなしさを感じますが、その中で、謙遜な心を持って自分の人生が主の主権の下にあることを認めて生きなければならないことを教えています。


神が人間に対して絶対的主権者であることを教える言葉があります。


【第1コリント1章26-29節】

兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。

しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。

また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。

これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。



老年を迎えた時に




世俗的な価値観を持っている人は、神のさばきがあるとは思っていないので、老年になってもそれに対して何の準備をすることもなく、ただ自分の価値観によって自分の人生の決算をするだけです。

幸せであったのか、不幸であったのか――。


しかし神のさばきは、昔も今も変わらない神様の主権によって行われます。
それに対して伝道者の書12章では警告を与えています。


人生は 長く生きることやスピードではなく、方向が大切です。
自分の思うままに生きたり、すべてを手に入れて満足しても、その方向が間違っているならば、すべてはむなしく終わってしまいます。


【伝道者の書12章1節】

あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。

そして神を恐れることと 神の命令を守ることを勧めました。


【伝道者の書12章13-14節】

結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。

神は善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。

「伝道者の書」の結論は、虚無主義でも運命論でもなく、神を知らない人生、神のいない人生がどんなにむなしく無益であるかを教えています。


神なしの知恵、労苦、人生の目的、成功、欲望、名声、権力、富などは何になるでしょうか。
結論はすべてがむなしいです。


特に老年に必要な知恵は 神を恐れ、神の命令を守ることです。

神様の前に立つ日が近いからです。


伝道者の書は、ソロモン王が老年になって人生を振り返りながら悟ったことを教えています。

すべてのものを手に入れ、あらゆるものを楽しんだ者が語ることばでありますので、受ける教訓があります。
Σ(・ω・ノ)ノ

2015.5.13
水曜礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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聖書にある模範的な良い家庭

テーマは 『 聖書にある模範的な良い家庭 』 です

【使徒の働き10章1-2節】

さて、カイザリヤにコルネリオという人がいて、イタリヤ隊という部隊の百人隊長であった。

彼は敬虔な人で、全家族とともに神を恐れかしこみ、ユダヤの人々に多くの施しをなし、いつも神に祈りをしていたが、

今日は母の日です。

6月21日は父の日ですね。生んで育ててくれた両親に感謝しましょう。


親子の間にも色々あります。
親として生きることも難しいですし、子どもとして生きることも難しいです。

相手の悪いところを探すと 親にも子どもにも色々出てきますが、感謝出来るところを探すならば それも色々出てくると思います。


聖書には多くの家庭が出てきます。

問題だらけの家庭もあれば、模範的な良い家庭もあります。


今回は、模範的な良い家庭には何があるのかを調べてみたいと思います。




1.コルネリオの家庭




コルネリオの家庭は 軍人の家庭でした。

“軍人”と言えば 強くて堅いイメージがありますが、家庭の中でも軍隊式ではないかと思ってしまいます。

実際にそのような家庭が多く、1人の命令によって家族が動きます。
支配的なので家庭の中に 穏やかな空気があまり流れないと思います。


しかし、コルネリオの家庭にはそのようなことが全くありませんでした。


コルネリオは敬虔な人で、家族みんなも敬虔なクリスチャンでした。

神を恐れかしこみ、神様の命令に家族が従っていました。
家族1人1人がいつも神に祈り、また多くの施しもしました。


信仰の一致があり、良いことに協力的で 家族が集まると きっと神様の話題が一番多かったことでしょう。

施しのために喜んで財産を使いました。


それは誰も欲張りな者がいなかったので、それが可能でした。
どれほどお金で争う家庭が多いでしょう。

家族全員が神への信仰と良い施しで一致することは素晴らしいことです。

そこには争いがなく、いつも平安があるので幸せな家庭です。




2.アブラハムの家庭




“信仰の先祖”と呼ばれるアブラハムの家庭の特徴は「神の導きへの従順」です。

まずは アブラハム本人が神様に従順しました。


【ヘブル11章8節】

信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。

そして後に 「息子イサクをささげなさい」と言われた時にも神様に従いました。


妻サラも、アブラハムのことを “主” と呼びながら、アブラハムが神の命令に従った時に、それに反対することも止めることも、また文句を言うこともなく黙って従いました。

そのような両親を見て育ったイサクは、お父さんが神の命令を守るために、自分(イサク)をいけにえとしてささげようとした時に反抗もせず、黙って従いました。


自分は従わないのに、「子供に従いなさい」と言うのは効き目がないです。

両親が神に従う姿だけを見て育ったイサクは、自分がいけにえになるのが当然だと思ったでしょう。



いくら親であっても、言葉と行動が一致しないと信用されないですし、子どもは親につまずきます。




3.ザカリヤの家庭




ザカリヤとエリサベツの家庭を見てみましょう。


【ルカの福音書1章5-7節】

ユダヤの王ヘロデの時に、アビヤの組の者でザカリヤという祭司がいた。彼の妻はアロンの子孫で、名をエリサベツといった。

ふたりとも、神の御前に正しく、主のすべての戒めと定めを落ち度なく踏み行っていた。

エリサベツは不妊の女だったので、彼らには子がなく、ふたりとももう年をとっていた。

神に仕える祭司として模範的な家庭でした。


子どもが出来ない辛さがあったと思います。
とくにエリサベツは不妊の女性でしたので、責任を感じてもっと辛かったと思います。

しかし神様につぶやくこともせず、熱心に神様に仕えました。

苦しみの中でも主に仕える姿を 神様が見て祝福しました。


それは子どもが与えられる祝福でした。それも普通の子ではなく、特別な使命のある子でした。

神殿に入って主に仕えていた時に、主の使いが現れて、彼に啓示しました。


【ルカの福音書1章13-17節】

御使いは彼に言った。「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。

その子はあなたにとって喜びとなり楽しみとなり、多くの人もその誕生を喜びます。

彼は主の御前にすぐれた者となるからです。彼は、ぶどう酒も強い酒も飲まず、また母の胎内にあるときから聖霊に満たされ、

そしてイスラエルの多くの子らを、彼らの神である主に立ち返らせます。

彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、父たちの心を子どもたちに向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、こうして、整えられた民を主のために用意するのです。」

キリストが来られる前に、道を備える働きをする人が必要でしたが、その人が生まれる家庭を主は探していました。

そして選ばれたのがザカリヤの家庭でした。


本来ならば絶対に選ばれることのない家庭です。

しかし特別な働きであるので、それにふさわしい家庭を神が捜し求めて ザカリヤの家庭が選ばれました。

人から見たら有り得ない神様の選択です。


不妊の女性で、年もとっていましたので不可能な状態でした。

しかし神様ですから、そのことは何の問題にもなりませんでした。


そしてバプテスマのヨハネが生まれました。
両親は彼を立派な働き人に育てました。


歴史の中でも立派な働きをした人物を調べると、両親とも敬虔なクリスチャンが多いです。






アメリカの歴史の中でもっとも偉大な影響を与えたジョナサン・エドワードという人物がいます。


彼は主を熱く愛する信仰ある女性と結婚して、新婚初期から徹底的にキリスト教の原理に従って家庭を築きました。

同時期にニューイングランドで共に育った友達のマックス・ジュクは信仰が全くない生活が乱れた女性と結婚し、彼自身もやがて信仰を捨て、だんだん悪くなっていきました。


ある人が、この2人の家系を調べました。
その子孫たちは果たしてどうなったでしょうか。当時、調べた内容です。

エドワードには617名の子孫がいて、大学の総長が12名、医者60名、聖職者100名、軍隊将校75名、弁護士100名、判事30名、公務員80名、下院議員3名、上院議員1名、副大統領1名、ジャーナリスト80名でした。


マックス・ジュクには1292名の子孫がいました。

幼児期に死んだ子が309名、乞食が310名、障害者が440名、売春婦が50名、泥棒が60名、殺人者が70名、あとは目立つ働きもしていない53名がいました。


もちろんこれは極端な例かも知れないですが、良い信仰の家庭とキリストが離れた家庭の差を知ることが出来ます。


家庭の中に信仰の原理がしっかりしているならば、その家庭は良い家庭です。

愛と清さと祈りと従順がある家庭が信仰の家庭です。


死海の海は受けるだけで、他の場所に流さないので死海になりました。


受けるだけで流すことを知らない個人や家庭は、死海のように生命力を失ってしまいます。


また自分の家庭の幸せだけを追求しても、神様が本来求めている幸せな家庭生活を味わうことが出来ません。

つぶやきと不平不満、憎しみや誤解はサタンが私たちを倒そうとする策略です。

それに騙されて家族を傷つけ、家庭が破壊されるようにするのが良いでしょうか。


それとも許し、理解し、愛するのが良いでしょうか。その家庭には主が共におられます。


完璧な家庭は世の中には存在しません。問題も葛藤もあります。

しかし、それに対してどのように取り組むのかによって変わってきます。

問題に対して責め合うのか、祈るかによって結果は変わります。


喧嘩をするのか理解をするのか、ありのまま受け入れるか非難して拒否するかによっても全く違います。


何よりも、家族の中でも(やってもらうことが) “当たり前” と思うのではなく、感謝の心を持ちましょう。


お互いに助け合っているので、親はこどもを愛し、子どもも親を愛しましょう。

「愛する」というのは相手が嫌なことをしないことです。


【マタイの福音書7章12節】

それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり、預言者です。

自分にしてもらいたいことを相手に要求するのではなく、(自分から相手に)してあげることが愛です。

「愛するならば何でもしてくれよ。」というのは愛が何なのかを分かっていないです。


親だからしてあげて当たり前ではないです。子どもだからしてもらう権利もないです。

親は親としての役割があり、子どもは子どもとしての役割があります。


それをする時に家庭の秩序が立ちます。平和になり、お互いを尊敬するようになります。

家庭の中でも相手に要求ばかりをするので争いが絶えないです。


今回は聖書に出てくる3つの家庭しか見ていないですが、他にも模範的な家庭があります。

聖書を読みながら自分の家庭と何が違うのかを学んで下さい。


自分が学び、変わる時に家庭も変わります。平安で幸せな家庭こそが地上での天国です。
.。゚+.(・∀・)゚+.゚

2015.5.10
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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感動を与える人

テーマは 『 感動を与える人 』 です

【使徒の働き9章36-42節】

ヨッパにタビタ(ギリシヤ語に訳せば、ドルカス)という女の弟子がいた。この女は、多くの良いわざと施しをしていた。

ところが、そのころ彼女は病気になって死に、人々はその遺体を洗って、屋上の間に置いた。

ルダはヨッパに近かったので、弟子たちは、べテロがそこにいると聞いて、人をふたり彼のところへ送って、「すぐに来てください」と頼んだ。

そこでペテロは立って、いっしょに出かけた。ペテロが到着すると、彼らは屋上の間に案内した。やもめたちはみな泣きながら、彼のそばに来て、ドルカスが一緒にいたころ作ってくれた下着や上着の数々を見せるのであった。

ペテロはみなの者を外に出し、ひざまずいて祈った。そしてその遺体のほうを向いて、「タビタ。起きなさい」と言った。すると彼女は目をあけ、ペテロを見て起き上がった。

そこで、ペテロは手を貸して彼女を立たせた。そして聖徒たちとやもめたちとを呼んで、生きている彼女を見せた。

このことがヨッパ中に知れ渡り、多くの人々が主を信じた。

皆さんは最近、誰かに感動を与えたことはありますか。
また誰かに感動させられたことがありますか。

“感動” は私たちの人生において とても大切なエッセンスで、私たちを幸せにさせるものです。


先日、感動したことがありました。
韓国にいる知り合いの牧師からのメールでした。

ネパールの大きな地震でたくさんの被害がありました。

現地で宣教師をしている知り合いの牧師家族が、たまたま健康診断のため韓国に帰国していた時に 地震が起きました。

現地の信徒たちとはまったく連絡が取れません。
それで、その宣教師家族は色々な予定を全てキャンセルし、「今、ネパールに戻る準備をしている」との報告でした。

そして、その宣教師に献金を送ったとの内容でした。そうしたら他の人たちも献金を捧げていました。
食べ物もなく何もないので、市民も皆 街を離れている中で、戻るということは感動的な姿です。


自分のことだけを考えるならば、戻らないと思いますが、信徒たちのことが心配で戻りました。
魂を愛する心に感動しました。


ニュースを見てもあまり感動的な話はないです。
ですから 私はYouTubeで感動的な映像を探してよく観ています。それを観ながら感動し泣くことが多いです。

悲しい涙よりは感動の涙です。共感する涙です。
それを見ると励まされたり、幸せな気分になったり、また学んだりします。


また小さい感動がどれほど人を幸せにするかも学びました。


5月はこどもの日があり、母の日もあります。
そして5連休中に家族や親族、友人などと共に時間を過ごす人もたくさんいると思います。

再会による多くの感動があると思います。


昨日はメッセージを準備する前に、『戦争に派遣されていたアメリカの軍人たちが家族と再会する』という映像を見て、とても感動し涙が出ました。

その再会はすべてサプライズで、突然帰って来たパパや夫や息子の姿をみて、全員泣きながら抱き合っていました。

戦場は危険がいっぱいあるので、生きて帰るだけでも、家族には最高の感動であり、一番のプレゼントです。

母親たちが一番泣きながら喜んでいました。いつも こどもに対する心配がありますね。
ですから感動も大きいです。軍人たちが手ぶらで帰ってきても、みんな幸せいっぱいでした。


ある調査機関で大学生1000名を対象に「一番受けたいプレゼンは何か?」を調査すると、1位が「感動」でした。
物ではありません。

多くの人々が、感動に飢え渇いています。
豊かで便利な世の中になりましたが、人間関係が薄くなり、愛や憐れみの心もなくなり、関心もなくなって感動することも減ったと思います。

ですから豊かになればなるほど、幸せ度は 反対に低くなります。


イエス様は偉大な救いの計画を持ってその働きをしましたが、会う人々に感動も与えた方でした。
私たちを愛し幸せになってほしいと誰よりも願っていました。

罪人と呼ばれた人たち、やもめや孤児、弱い者たちが、「主の関心と憐れみ、愛と恵み」に感動しました。

イエス様の温かい言葉やその態度で感動し、それを見て学んだ弟子たちもそのように感動を与える人になりました。


私たち主を信じる者たちは今どうでしょうか。

イエス様や弟子たちのように人に感動を与える人でしょうか、それとも迷惑をかけ人に嫌がられているでしょうか。

そのことを考えながら、メッセージを聞いてほしいです。






今回読んだ箇所にはタビタという女性の弟子が出てきます。
ドルカスの名前で呼ぶ人がクリスチャンの中では多いので、今回はドルカスの名前で話します。

彼女は弟子としてどんな人生を送ったでしょうか。
一言で言うならば「人に感動を与えた人」でした。


当時の社会は女性の地位が低く、活躍する場もあまりありませんでした。

しかし彼女は自分に与えられた賜物と 人を愛する心で、苦しい立場にいる多くのやもめたちを助けていました。

やもめたちがドルカスの死を悲しんで泣いている姿を見ても、ドルカスが人にどれほど多くの感動を与えていたのかが分かります。

そしてその人たちに愛されていたことも分かります。その死をみんな惜しんでいました。
ドルカスがしたことは決して大きなことではありませんでした。


不思議なことに、人は大きなことではそれほど感動を受けないですが、小さな親切や小さいことに対してとても感動しやすいです。


なぜかと言えば、大きなことは力がある人にしか出来ないので、自分とは無関係に思われ共感しにくいですが、小さなことは日々の生活の中で感じることが多いので、共感しやすく、まるで自分のことのように思われます。

またそれが自分の身に起きた時にはさらに感動は大きくなります。


人生の三大主題は「人生、人、愛」であると言われています。

人間はそれに一番関心があります。その部分で感動を受けると人は幸せを感じます。

ドルカスの行動で人々はそのすべてを感じたことでしょう。
希望のない人たちが、他人の親切な行為によって絶望から解放され、希望を取り戻しました。

受けることを期待し、(受けるのが)当たり前のように思う人には 感動の心はないです。
たったこれくらいで という冷えた心があります。


しかし感動は、どんなに小さいことに対しても、開かれた心と感謝の心がある時に生まれてきます。

やもめたちはドルカスの良いわざと施しに感謝し感動しました。
ですから作ってもらった下着や上着を全部持ってきて泣きながら、彼女の死を悲しんでいました。


この姿も感動的です。もし私が死んだドルカスであるならば、彼女たちの姿にすごく感動したと思います。
≪大したこともしていないのに、こんなに喜んでくれているとは――≫


感動を与える人と感動する人。私たちは両方が必要です。

人は感動すると、自分も同じことをしたくなります。感動の力は決して無視できない力です。

神様は私たちに人間を取る漁師になりなさいと命令しました。


自分には特別な力もないし、口下手だから出来ないと思うのではなく、ドルカスのように人に感動を与える時に、立派な弟子としての働きが出来ます。それは人間を取る力になります。


ドルカスの親切と施しによって多くのやもめたちがイエス様を信じました。






韓国の駅前で路傍伝道する教会の人たちがいました。

大きな声で賛美をするので、うるさくてそれをよく思わない人たちがいて、その人たちが不満を言いました。
そうしたら路傍伝道する人たちは「信じないと地獄に行くのであなたたちのためにやっています。」と言いました。


皆さんは この言葉をどう思いますか?
これでは相手にますます反感を買うだけです。相手の立場に何の配慮もありません。

「うるさくて申し訳ないです。」とまず相手の気持ちを理解しないといけないですね。
そして不快感を与えないように工夫しないといけないです。

魂を救いたい熱い思いがあるならば、相手が感動するような行動をしないと効果がないです。


弟子としてのドルカスは感動を与えることで、人々に良い影響を与えました。
イエス様がなさった方法でやりました。


【マタイの福音書5章44-45節】

しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。

それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。


敵を憎み、迫害する者に対して敵対するならば、彼らに何の感動や影響も与えることはできません。

私たちが もし敵を愛し、迫害する者のために祈るならば、その人たちにはそれがどのような姿に映るでしょうか。
きっと最初は理解出来ないでしょう。愚かな者に見えるでしょう。

しかし後には、彼らたちとは違う 敬虔な姿として感動されます。
実際そのような人たちを見てクリスチャンになった人は歴史の中にたくさんあります。その証もたくさん聞きました。


ですからイエス様は魂の救いのためにも、感動を与える人になるように語っておられます。




新郎新婦の誓いのことば




最近あるアメリカ人の結婚式の映像を見てとても感動しました。
今までの結婚式の中で一番感動的でした。美男美女でした。それだけではなく、とても清さを感じました。

一番の感動は2人が相手に語る「誓いのことば」でした。
司会者に答える形式ではなく、自分たちが用意したものを相手の目を見て話しました。

その内容が素晴らしかったです。2人ともクリスチャンです。世界一幸せに見えました。


≪ 新郎の誓いのことば ≫

「ステファニー。あなたは神からの贈り物で、私が長く待ち望んだ約束です。

あなたの中で私は私の魂が望む魂のパートナーを見つけました。

あなたは私の人生に太陽の光のようで、多くの愛と喜びの光を照らします。


私たちが結婚式を挙げる今日、私はあなたを一生愛し、尊く思い、恋い慕うことを約束します。

私はあなたの中でいつも最善のものだけを見、神があなたに与えた才能が美しく花咲くように助けます。

私はあなたを大切にもてなし、仕え、あなたの平安を私自身の平安よりもまず求めます。

私はふたりの中で愛を育てて行きますし、キリストの花嫁に対する愛と同じ愛をあなたに捧げます。


私はあなたの人格を尊び、尊敬の光で満たし、神とあなたに献身します。

私は家族を力と憐れみで導きます。あなたは私の愛、パートナー、最高の友です。

あなたは私が夢見たすべての望みです。

未来にどんなことがあっても私たちは毎日一緒にいます。それが一番大切です。


あなたと共にいる毎日が私の人生で一番最高の日です。私は何事も恐れずあなたを愛します。

そして私はこの愛が私の生涯でたった一度の愛である事実を忘れません。

どんな難関があっても、私の働きにどんな挑戦があっても、いつも一致を追及します。

私はあなたを私の心を超えて、神様とあなただけが留まる魂の中で愛します。私は永遠にあなたのものです。」





それに対して美しい花嫁は次のように誓いました。


≪ 花嫁の誓いのことば ≫

「マシュー(マタイ)。あなたの名前は神の贈り物の意味です。あなたは本当に神が与えて下さった贈り物です。

私はあなたが特別な男子であることがわかりました。あなたは本当のジェントルマンです。

あなたは私のいのちで、安全な場所です。


あなたは私を完全な者に感じさせ、理解されていると感じさせる愛を与えています。

あなたが長い間待ち望みながら夢見た結婚式に私が生涯守る約束をささげます。

私はあなたを恐れずに愛します。あなたの胸の中であふれる幸せを見つけるでしょう。

あなたと共に働き、手をとって夫と妻として神様に仕えます。


あなたの長点と弱点すべてを愛することは神が私に与えた特権です。共に成長し、変わり、あなたから学びます。

あなたを支え、私たちの家庭の幸せと福祉を一番重要に考えます。

私はいつもあなたの今の姿とあなたの未来の姿を尊敬し尊く思います。

私は絶えず愉快に愛し、楽しい笑い声が家庭に満ち溢れるようにすることを誓います。

わたしはあなたの無二の友、最高の友になっていつもあなたを励まします。


あなたの目標と才能を大切に思います。

私は霊感と利己的ではない愛を私たちの心の中心に置き、尊く思うことを誓います。

あなたは私を自由にさせます。私自身の歌を歌える自由を与えます。

私もまたあなたがあなたの歌を歌えるように助けることを誓います。


最後にあなたの心を私の心の中にいつも保ちます。

あなたが行くところには私も行き、あなたがとどまるところに私もまたとどまります。

あなたはわたしのものであり、わたしの真実な愛です。」






みなさんはこのような結婚の誓いのことばを聞いたことがありますか?

また、結婚式で2人はお互いの足を洗ってあげました。

本当に美しい結婚式でした。結婚式の前に新郎は友達みんなと神に真剣に祈っていました。
すべてに感動しました。


そこで思ったことは この内容をイエス様に対しての愛の告白にしても良いなと思いました。

夫婦ならば、もう一度自分たちに何が欠けているのかを見直したら良いと思います。

若い2人でしたが、結婚に対する考えは神様の教えに沿ったもので素晴らしかったです。

神の前での真剣さも見えました。涙を浮かべながら誓っていました。集まったみんなも感動していました。


相手に何かを要求するのではなく、相手に自分を捧げる姿でした。
相手を変えるのではなく、自分が変わっていくという誓いでした。

自分が変わらないと周りの人に感動を与えることは出来ません。
自分は変わらないで文句ばかり言いながら、周りの人を責めるならば、それは醜い姿です。


それでは人を得るどころか、人を失っていきます。私たちは人を得る者にならないといけないです。

そのためにも人に感動を与えることはとても大切です。

自分が今まで人に与えた感動はどのようなものですか。また、どういうことで感動をしたでしょうか。

あまり記憶にないならば、これから小さな感動を与える人になって下さい。


ドルカスは、感動を受けた人たちの彼女を惜しむ心を見た神様によって、もう一度いのちをもらって生き返りました。これはすごい祝福です。

たとえ生き返らなくても感動を受けた人々はいつまでも心の中で思い続けるでしょう。

私たちもそのような人になりましょう。
(⌒-⌒)

2015.5.3
聖日礼拝メッセージ

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