からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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2015年04月

神の人とはどのような人か

テーマは 『 神の人とはどのような人か 』 です

【ダニエル書3章16-18節】

シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴはネブカデネザル王に言った。「私たちはこのことについて、あなたにお答えする必要はありません。

もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。

しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」

“神の人”と聞いたら 皆さんはどのような人を想像しますか。

近寄りがたい雰囲気で、雲の上の存在のような人で、威厳がある人だと思いますか?
また、見た目で分かるような人だと思っていますか。

日本のキリスト教の思想家であった内村鑑三は「外なる人は平凡な人になりなさい。しかし内なる人は特別な人になりなさい。」と言いました。

どこにでもいそうな平凡な人になりなさい、と。
“平凡な先生、平凡な主婦、平凡な会社員、平凡な農夫”


私たちは“平凡”と聞くと、あまり良い印象がありません。

しかし、神が見ておられる内なる人は、“特別な人になりなさい”は聖書を読んでみても納得が出来ます。


イエス様の外なる人は平凡な大工でした。
公の場で活動を始める前の30年間はまったく人々に知られていなく、平凡な人生を送っていました。
しかしイエス様の内なる人は神の御子でした。

今の時代は見える部分(外見)にすごく力を入れて外見を飾ることで 自分を特別な者に見せたいようですが、それをしたからといって特別な人になることはありません。


その人の内側に特別なものがある時に特別な人になります。

神の人と呼ばれる人々もよく見ると外なる人は平凡な人たちでした。しかし内側には特別なものがありました。

神の人とは 神が認め、神に喜ばれる人のことです。


その人の内側には、何があるのかを今回学びたいと思います。




1.信仰によって神の御心だけを求める




本文の若者3人は、いのちの危険に直面しました。
王が造った金の像を拝まない者は、ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる命令が王から下されました。

人々はその命令に従って金の像を拝みましたが、神を信じていた3人はその命令には従いませんでした。

一度だけ拝めば死ぬことはありませんが、神に対して信仰深い彼らは神の命令に反する偶像崇拝はしたくありませんでした。


しかし それは自分たちのいのちに関わることになりました。一度きりの人生、彼らはまだ若いです。

王の前に呼ばれた3人が王に対して話した言葉の中で、すべてを神のみこころに任せる信仰を見ることが出来ます。そこには何の迷いもありませんでした。


【イザヤ書55章8節】

「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。―― 主の御告げ ――

ここに書かれているように、初めから神のみこころは私たちの思いとは違うことを知り、私たちの思いを貫くのではなく、神のみこころがなるように祈る姿勢が神の人の中にはあります。


この3人の中にも、神の人の姿勢がありました。
神に従うことでいのちの危険にさらされています。

しかし、そのことで主に何も要求しませんでした。
“助けてもらっても、助けてもらわなくても、神に対する信頼は変わりません”という姿勢が彼らに見られました。


祈りをかなえて下さるからという理由で神様を信じるだけであるならば、それは他の神々を信じる人の信仰と変わりがありません。


多くのクリスチャンは神様が自分の祈りを聞いて下さるので願いをもって祈ります。
そして神様が自分の味方であると信じています。自分が祈り求めた通りに神様は答えて下さると信じています。

しかし祈った後の現実が自分の願い通りにならないと「神様が私の祈りを聞き、私の味方なのにどうして祈った通りにならないですか。」と不平を言ってつまずきます。


例えば病気にかかったとします。

医者にもかかりますが、私たちはクリスチャンなので当然のように癒しを求めて神様に祈ります。でもなかなか癒されず、ますます悪くなったとします。

そこで「主が癒し主であり こんなに祈っているのに、なぜ治してくださらないのですか?」と訴えます。

本人や とりなしをする人々も同じ思いになりますが、癒しを求めたからといって すべての人が癒されるとは限りません。


1人1人に対する神のみこころは全て違います。
癒しを求めて、癒されることもあれば、死んで神様の所に帰るのがみこころの場合もあります。

本人が死ぬのが神のみこころであるならば、それを喜んで受け入れるのが神の人たちにはありますが、神のみこころに関心がなく、みこころを求めない人は神に文句を言ったり、信仰を捨てたりします。


本文の若者3人は神を信じる者として、みことばを守るためにいのちがかかっても金の像を拝みませんでした。

彼らは死にたくはなかったと思います。その時、神様は沈黙していました。
しかし彼らはみことばに立ちました。信仰を守ったことは神様が喜ぶことでした。


彼らは神様には力があり、自分たちの信仰を見て助けてくださるという信頼もありました。
しかしそれがすべてではありませんでした。

神様がたとえ自分たちを死なせても、そのみこころに従うと決心し金の像に拝むことを拒否しました。


そして その後、彼らは火の中に投げ込まれました。

自分たちの願いや思いを捨てて完全に神のみこころに従いました。

これが神の人たちの中にある特別な信仰です。これは完全に神様に信頼する姿です。


沈黙していた神様は火の中に入った彼らの真ん中に現れました。それは信仰が勝利した瞬間でした。

そして彼らの神は偉大な神であることを証明し、彼らももちろん助かりました。


神の人には勝利があるのみです。神が彼らに勝利を与えて下さいます。

この世の基準では愚かに見えるかもしれませんが、神の目には彼らが勝利者です。




2.神様と通じるものがあり、自分を通して神様を表現する




まずはイエス様の姿を思い出しましょう。
人間の姿で来られましたが、人々が見たのは神の姿でした。


なぜならイエス様のことばを聞いて、人々は神の権威を感じたからです。

病人を癒す姿を見ても神の姿、人を愛する姿を見ても神様を見ました。

主のことばによれば「わたしは父の中に、父はわたしの中に」がポイントです。
父の中にいつもおられるので、自分を通して父なる神を表現することが出来ました。


神様は目には見えませんが、力や不思議なわざや奇跡などあらゆる方法を通してご自身を表現して下さいました。

それをそのまま神の人たちは表現しています。
ですから人々は、その人たちの姿を見て「この人の中には神の霊がある」と言います。

力あるわざや奇跡、知恵を見て みんなはそのように感じました。


神様は私たちに「神になれ」とは言いません。
しかし あなたを通して神が表現されるようにしなさい、と言われました。

神様の栄光が現れるようにしなさい というのがその意味です。


イエス様の中にいる人たちは、その人の中から光が出てきます。そこにキリストの人格が出てきます。

自分の行動が悪魔的な人も多いです。
憎しみ、恨み、妬み、悪い思いなどが心にいっぱいある人は自分自身を通して悪魔を表現しています。


どう見ても、そこに神様がいるようには見えません。

そういう人たちには悪魔がいるんだとはっきりと分かります。

神の人は死に至るまで自分を通して神が表現され、神が栄光を受けるような生き方をします。


ですから悪から離れ、いつまでも自分の肉の思いや欲をみことばに従わせます。
神の栄光を表すことは自分を通して神を表現することです。




3.神の人は 神様、神の国、霊的なことに一番関心がある




その人たちにとって上にあるものを求め、そして神を慕い求めることは いのちにもまさります。


【ローマ書8章5節】

肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。

すなわち神の人は御霊に属することをひたすら考えながら生きています。


天に属するものをひたすら求めながら生きる人は、目を天に向けて生きているので、御国に属する者になりますが、地上のことだけに関心がある人は、結局は地に属しているので自滅していきます。

上にある天を目指して生きる人は上に上がっていきますが、地に関心があり、地に属する人は地の下にある地獄に進んでいます。


神様はこのように生きる人を神の人と認め、特別な思いと愛をもって愛し、その人には多くの素晴らしい報いを用意しておられます。

立派な神の人として生きたパウロは地上を離れる時が近づいたことを知って次のように語りました。


【Ⅱテモテ4章6-8節】

私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時がすでに来ました。

私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。

今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。

時の流れがとても速いです。
あっという間に地上での生活は終わります。もれなくこの世を去って行かなければなりません。

私たちはどこに帰りますか。どこで永遠の時間を過ごす予定でしょうか。

今日の歩みがその行き先を決めます。


神の人のように生きるならば、その人は天に向けてまっすぐ歩く人です。

しかし世を愛し、そこにしか関心がない人は下り道を歩んでいます。


今どこを歩いているのか確かめて下さい。
滅びの道ではなく、神の人たちのようにいのちの道を歩む者が幸いな人です。
(・∀・)

2015.4.12
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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復活は事実です

テーマは 『 復活は事実 』 です

【マタイの福音書28章1-8節】

さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を見に来た。

すると、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである。

その顔は、いなずまのように輝き、その衣は雪のように白かった。

番兵たちは、御使いを見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。

すると、御使いは女たちに言った。「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。

ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。

ですから急いで行って、お弟子たちにこのことを知らせなさい。イエスが死人の中からよみがえられたこと、そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれ、あなたがたは、そ こで、お会いできるということです。では、これだけはお伝えしました。」

そこで、彼女たちは、恐ろしくはあったが大喜びで、急いで墓を離れ、弟子たちに知らせに走って行った。

主が十字架にかかった時は街中の人々が集まり、主が死んでいく姿を見ていました。

それは、その日の一番大きなニュースだったと思います。
新聞ならば一面に載った記事だったと思います。


大祭司やパリサイ人、総督や軍人、一般の人たちまでも関わった事件でした。


復活は人々の目につかない時に起こりました。

安息日が終わり、週の初めの明け方でした。明け方は まだ人が活動する時間ではありませんし、朝早い時間に墓参りへ訪れる人もいません。


そのような時に復活は起こりました。
主が十字架にかかっていた時には、御使いは一度も見えませんでした。

大声で「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と言っても、神様や御使いは何の反応もありませんでした。


人々は自分を救えないイエスを見て嘲笑いました。
「やはりメシヤではなかった。普通の人じゃないか。」と思いました。

しかし、これで終わりではないことが、キリストが神である証明となります。

何よりも復活こそが神である証明です。


死んで終わりであるならば、ただの人です。ナザレ人イエスが死んだだけのことです。

しかし復活があるので 人間ではなく神であることが証明されました。

そしてその復活は事実です。
また、それは何によって証明されたでしょうか。今回、それを検証します。




1.主イエスの預言の的中




事前に何度も「死んで葬られ、三日目によみがえる」と主は話しましたが、その通りになりました。

墓に入ったことは完全に死んだことを意味しますが、そこから自ら出て来ました。

御使いが石を転がす前には すでによみがえっていて墓の中にはいなく、墓の外にいました。
そして生きている姿を人々に見せました。


イエス様は公の場で活動していた時に、すでに死んでいた人を三人も生き返らせたことがありました。

ナインという町に主が行かれた時に、やもめの一人息子が死んでかつぎ出されるところを見ました。

その母親を見てかわいそうに思い、棺に手をかけて「青年よ。あなたに言う。起きなさい」と言うと その死人は起き上がりました。
それを見て人々は恐れを抱き、神を崇めました。


今度は会堂管理者ヤイロの12歳になる一人娘が死にました。

主はその娘のところへ行き、娘の手を取って「子どもよ。起きなさい」と叫びました。
すると娘の霊が戻って来て娘は起き上がりました。


ラザロも死んで墓に入って四日目になりましたが、主は墓の前に行って「ラザロよ。出て来なさい。」と大声で叫ばれました。

すると 死んでいたラザロが生き返って墓から出て来ました。


この三人を生き返らせたことでも、すでに主は自分が話したことばに対して証明して見せました。

ラザロのお姉さんであるマルタに「あなたの兄弟はよみがえります」と主は言いました。


そして「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」と言った後に、墓の所へ行ってラザロを生き返らせました。

これらは主がいのちの主権者であることを表した出来事です。
そしてご自身も死からよみがえることを前もって はっきりと見せた出来事でした。




2. 数人の番兵たちが復活の目撃者




彼ら(番兵)は主の味方ではありません。

彼らは祭司長やパリサイ人たちがピラトの所へ行って、弟子たちがイエスの遺体を盗むことがないようにと頼まれたことで ピラトが出した兵士たちでした。

そして兵士たちはイエスを鞭打ち、十字架につけ、復活を信じない者でした。


しかし 突然大きな地震が起こり、主の使いが天から降りて来て、墓の石を動かす姿などを見て震え上がり死人のようになってしまいました。

夢ではなく現実に自分たちの目で はっきりと見たので恐れおののきました。


そして祭司長たちの所に行って、起こったことを全部報告しました。

その報告を受けた祭司長たちの対応を見ても復活が事実であることが証明されました。


【マタイの福音書28章11-14節】

女たちが行き着かないうちに、もう、数人の番兵が都に来て、起こったことを全部、祭司長たちに報告した。

そこで、祭司長たちは民の長老たちとともに集まって協議し、兵士たちに多額の金を与えて、

こう言った。「『夜、私たちが眠っている間に、弟子たちがやって来て、イエスを盗んで行った』と言うのだ。

もし、このことが総督の耳に入っても、私たちがうまく説得して、あなたがたには心配をかけないようにするから。」

と言いました。


目撃者にうそを言わせるために多額の金を払うことは、復活が事実であったことを証明するものになります。

十字架につけた者たちも驚かせたのが主の復活でした。




3.主の弟子たちが主の復活の証人




墓を見に来たマグダラのマリヤや他のマリヤが 誰もいない墓や御使いのことばで驚き、それからすぐにイエス様に会い、主は彼女たちに「おはよう」と声をかけまし た。

彼女たちは大喜びでした。それから主の弟子たちが次々と主に会いました。

何度も主に会ったので誰も復活を疑う者はいませんでした。


疑っていたトマスも後に自分の不信仰を恥ずかしく思いました。




4.500人以上の兄弟たちが同時に復活の主に会う




目撃者が多くなればなるほど、それは事実として認められます。


【第1コリント15章6節】

その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。

これらのことで人々は復活を当然のことのように受け入れました。

聖書の後半部分を読んでも復活に対して異議を申し立てる者はいませんでした。


祭司長たちも後で弟子たちを迫害しても、キリストの復活はうそだとは言えませんでした。




5.主を迫害したパウロが復活の主に会って回心した




パウロの回心は、本人はもちろん誰も予想ができなかったことでした。

彼は誰よりも熱心にキリストを伝える者を迫害し、教会を荒らした者でした。


パウロがダマスコに行って キリストを信じる者たちを縛り上げる目的で進んで行く時に、突然 天からの光で彼は地面に倒れました。

そして声が聞こえてきました。
「サウロ。サウロ。なぜわたしを迫害するのか」 「主よ。あなたはどなたですか。」 「わたしはあなたが迫害しているイエスである。」


これによって彼は完全に別人になってしまいました。

いくら主のことばを聞いたり、復活の話を聞いても堅く心が閉ざされていた過激派の彼が一瞬にして心が変わり、主の弟子になりました。

そして誰よりも多くの働きをした使徒になりました。

自分が直接目撃したり、体験することが一番影響力が強いです。






もし 今もキリストの復活が信じられないとか、作り話だという人がいるならば、聖書をよく読み、また歴史もよく調べたら良いと思います。読まずに知らないままで否定する人は愚か者です。

確認もせず否定するのはよくないことです。よく調べてから判断することを勧めます。


私たちの罪を贖うために、人間と同じ姿になるしかなかったイエス様でしたが、十字架の死によって贖いの働きを完成しましたので、本来の神の姿に戻るためによみがえりました。

そして、いのちの主として 私たちにも復活のいのちを与えて下さると約束して下さいました。

私たちに起こる復活の姿はこれです。


【第1コリント15章42-44節】

死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、

卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ 、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、

血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。

聖徒の復活もすべて主によって与えられる最高の祝福です。


よみがえられたイエス様に心から感謝します。
.。゚+.(・∀・)゚+.゚

2015.4.5
イースター礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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神様が私たちに伝えたい警告です
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

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目的別みことば

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