からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


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2015年02月

キリスト教とイスラム教の違い

【ヨハネの福音書3章16-21節】

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。

御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。

そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行いが悪かったからである。

悪いことをする者は光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。

しかし、真理を行う者は、光のほうに来る。その行いが神にあってなされたことが明らかにされるためである。

イスラム諸国やイスラム教に対しては毎日聞いていますが、その内容はニュースでもあまり教えないので、今日は正しく学びたいと思います。


イスラム国が「キリスト教との宗教戦争」と勝手に言い出して戦いを挑んでいますが、 彼らの姿がイスラム教を代表しているのではありません。

先入観だけでイスラム教を誤解するのではなく、彼らが信じている宗教とキリスト教とは何が違うのかを知ることが大切です。


現在、約12億人のムスリムが存在するとされています。
それは世界人口の約5分の1に相当します。

そしてその数は増加しています。


いずれはキリスト教を抜き、世界最大数の教徒をかかえる宗教となる見込みです。




創始者について



<イスラム教>

ムハンマド :
彼は40歳の時に、メッカの近郊にあるヒラー山の洞窟で、大天使ジブリール(ガブリエル)から預言者として選ばれ、それから23年の間、断続的に啓示を受けたという。


<キリスト教>

イェス・キリスト :
旧約聖書で預言されたメシアであり、聖霊によって神の子として生まれる。


【ルカの福音書1章26-33節】

ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。

この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。

御使いは、入って来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」

しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。

すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。

ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。

その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。

彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」



信仰の対象



<イスラム教>

アッラー(神:唯一絶対神を指す言葉・・・イスラム教によればアッラーはキリスト教とユダヤ教が信じる神と同じ神。 アラビア語を母国語として使うキリスト者は神さまをアッラーと呼ぶ。


<キリスト教>

父なる神、イェス、聖霊(三位一体の唯一神)


【Ⅰテモテ2章5節】

神は唯一です。また神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イェスです。




聖典



<イスラム教>

コーラン(イスラム教徒はモーセ5書[ 創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記 ]、詩編、イエス・キリストの福音書を信じる。しかし自分たちが信じるコーランが優先と主張する)


<キリスト教>

旧約聖書、新約聖書




信仰の規範



<イスラム教>

信仰告白: “アッラーの他に神なし。 ムハンマドはアッラーの使徒なり。”という言葉を唱える。

ムスリムは日に5度の礼拝の度にこの言葉を唱え、不動の信仰心を養う。

イスラム教は1日5回の礼拝、年に一度の断食(ラマダン期間)、巡礼、ザカート(慈善)が義務となっている。


<キリスト教>

信仰告白:

【ローマ書10章9-10節】

なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。

人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。




罪と救いに対して



<イスラム教>

イスラム教規範を厳格に守ることと、救いは自分の努力で得られると教える。


<キリスト教>

主の名によって罪を悔い改めるならば許される。

救いは自分の罪を悔い改め、キリストを自分の救い主として信じて受け入れる時に神の恵みによって救われる。

自分の努力や律法を守ることでは救われない。




教理の相違点



-神様について-

キリスト教とイスラム教で共通する神は全知全能、主権者である。

しかし違う点は、アッラーは人格を持っている神でも、愛の神でも、恵みの神でもなく、さばきの神、怒りの神である。




-聖書について-

イスラム教徒は聖書が神から来た聖典とは認めるが、自分たちが嫌うところが出ると拒否する。

聖書の内容でコーランと一致するものは真理と言うが、違うと聖書が歪曲されたと言う。




-天国と地獄について-

<イスラム教>

終末論においても、やがて世界の終末が訪れ、神による最後の審判を経て、天国または地獄に行くことは同じであるが、イスラム教はアッラーとムハンマドに従った人は天国へ行くが、イスラム教に反対した人は地獄の刑罰を受けるという。

アッラーと預言者は信じたが自分が犯した罪が贖われず死んだ人はしばらくは地獄に行くが一定期間刑罰を受けた後にアッラーの慈悲によって解放されて天国に入ると教える。


<キリスト教>

【ヨハネの黙示録20章11-15節】

また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。

また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。 死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。

海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行いに応じてさばかれた。

それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。

いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。

【Ⅰヨハネ5章20節】

しかし、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。
 

2015.2.22
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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シベリア地獄の叫び声

~ YouTubeに公開されている動画を掲載致します ~

次の話は、実際にフィンランド新聞 『 Ammenusastia 』 に掲載された記事の内容です。



字幕の日本語訳は下記をご覧ください


1970年末、旧ソ連のシベリアの地で、地下油田を探していたアザコプ博士の油田探知チームが、地下23kmのところで穴を開けていたところ、ドリルが急に空回りし始めた。

それは広い空間や洞窟に到達したという信号だった。


温度計は(華氏)℉2000まで上がった。

“たぶん溶岩に触れたかも”と推測した。

私たちはすぐ下から出る機械騒音を探知するためにマイクを入れてみた。

最初は機械騒音から出る音だと思った。
しかし調整して再び聞いた時、すべての疑いは消えた。

私たちが聞いたのは機械騒音ではなく、苦しんでいる人々の悲鳴の声だった。

その声は1人の悲鳴ではなく、数百万人の悲鳴の声だった。



~ 実際に録音された音 ~ (動画で流れる音をお聞きください)



“私たちは、私たちが地獄の門を通過する穴を開けたと確信した。”

私の国(旧ソ連)では、もともと宗教の自由がなかったので、私は天国も地獄もあるとは信じられませんでした。

しかしその日、不思議なことを目撃した私ははっきりと天国と地獄を信じるようになりました。


「 からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。
そんなものより、たましいもからだも ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。 」



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私の癒し主イエス様

テーマは 『 私の癒し主イエス様 』 です

【マルコの福音書5章24-34節】

そこで、イエスは彼といっしょに出かけられたが、多くの群衆がイエスについて来て、イエスに押し迫った。

ところで、十二年の間長血をわずらっている女がいた。

この女は多くの医者からひどいめに会わされて、自分の持ち物をみな使い果たしてしまったが、何のかいもなく、かえって悪くなる一方であった。

彼女は、イエスのことを耳にして、群衆の中に紛れ込み、うしろから、イエスの着物にさわった。

「お着物にさわることでもできれば、きっと直る」と考えていたからである。

すると、すぐに、血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことを、 からだに感じた。

イエスも、すぐに、自分のうちから力が外に出て行ったことに気づいて、群衆の中を振り向いて、「だれがわたしの着物に さわったのですか」と言われた。

そこで弟子たちはイエスに言った。「群衆があなたに押し迫っているのをご覧になっていて、 それでも『だれがわたしにさわったのか』とおっしゃるのですか。」

イエスは、それをした人を知ろうとして、見回しておられた。

女は恐れおののき、自分の身に起こった事を知り、イエスの前に出てひれ伏し、イエスに真実を余すところなく打ち明けた。

そこで、イエスは彼女にこう言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」

長血の女の癒しは、この箇所だけではなく マタイの福音書、ルカの福音書にも出てきます。

3つの福音書に出て来るということは、私たちに重要なメッセージを伝えていると思います。


まずは、12年間 長血をわずらっていた女の人を見たいと思います。

12年間はとても長い時間です。
肉体の苦しみは言うまでもないですが、精神的な苦しみはそれ以上だと思います。

皆さんが彼女の立場になって考えてみてください。


1日の痛みだけでも苦しみが大きいのに、それが12年間です。

彼女には、やるべきことは全てやりましたが、何一つ報われませんでした。

頼りにしていた多くの医者からひどい目に会わされて、自分の持ち物をみな使い果たしてしまいましたが、何のかいもなく、かえって悪くなる一方でした。

残ったものは挫折感と痛みと心の深い傷でした。そして社会生活も出来なくなりました。

それ以上、何もすることもなく希望は消えていきました。

これは多くの人間の姿を現してありますが、自分たちの姿かも知れません。


見た目は何も問題がないように見える人がたくさんいます。
人間関係もよく健康で、家族にも恵まれ、仕事もうまくいくならば、その人は本当に何も問題がないように見えます。

しかし、内面に問題を抱えている人は意外と多いです。

劣等感で苦しむ人、鬱で苦しむ人、自分の性格や習慣で悩んでいる人、妬みや殺意、怒り、さまざまな欲、心の傷、依存症などで苦しんでいる人がとても多いです。

周りの人に言うことも出来ず、1人で悩んでいます。


自分の内面の問題を人に話すことに対して、ためらう人は自分で抱えて日々苦しんでいます。

どのように直したら良いのか分からず、そのままにしておくと心の中は苦しみ、痛みが増していき、悪いものならば、それによって心が腐っていきます。

肉体の病気によって苦しむ人よりも、これらの内面の問題によって苦しむ人の方が 現代は多いかも知れません。

特に若い人は、体は健康なのに 心に抱えているさまざまな問題によって苦しむ人がとても多いです。

それによって自分の人生を失っていく人たちがいます。


長血の女の人も病気で、何もかも全て失ってしまいました。

その女の耳に入ってきた情報がありましたが、それは彼女にとって必要な情報でした。

“イエスという人がすべての病を癒し、死んだ人も生き返らせる”ということを聞いて会いに出かけました。


人々で溢れている所に入って行くのは、彼女にとって とても大変なことでした。
しかし、彼女は自分の傷の痛みをもって勇気を出してイエス様の方に近づきました。

彼女はただ近付いたのではありません。


「お着物にさわることでもできれば、きっと直る」という信仰を持ちました。
これは大きな信仰です。


なぜなら、それまで彼女は自分の病気を直すため、ワラにでもすがりたいという思いで多くの医者の所へ行きましたが、直るどころか さらに悪くなった状況の中でも お着物にさわることができればと思うことはすごい信仰です。

医者でもないイエス様に対する強い信頼でした。


彼女は最後の希望をイエス様に懸けました。これがとても重要なことです。

病院で何もできず、状態がさらに悪くなると人々は諦めて死ぬしか方法がないと思って諦めます。

また、周りの人も「あの人はそのまま死ぬだろう」と思って黙って見るだけです。

または「そのうち直るかも知れない」と無関心になっていきます。
これは正しいことでしょうか?―― そうではないです。


病気の人も周りの人も1つすべきことがあります。次の箇所です。


【ヤコブ5章14-16節】

あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。

信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。

ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。

なぜ医者を呼ぶようにと言わずに、教会の長老 すなわち教会の代表者を招くようにと言ったのでしょうか?

これは医者が要らないという意味ではなく、優先順位のことを語っています。
医者を呼ぶ前に、 まず神様を求めることを私たちに教えています。


多くの人が問題にぶつかったり、病気になったりすると、神様の中で解決策を探すのではなく、まず世の中で解決策を必死に探してから、すべての希望がなくなった後にやっと神様を求めることが多いです。

それが問題であります。


まずは神様に助けを求めることです。
本人はもちろんですが、周りの信仰を持っている人も癒しのために神様に力を合わせてとりなしをすることです。


オリーブ油というものが出てきますが、古代社会ではそれらのものを治療のために使ったことはありました。

聖書の中で良きサマリヤ人のたとえがありますが、強盗に襲われて半殺しにされ倒れた人を見つけたサマリヤ人は その人に近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで包帯をし、介抱してあげました。

ここではオリーブ油は神の恵みを象徴しています。


神のことばに従って祈る時に、神の恵みが注がれます。 癒されるために必要なのは、神に信頼する信仰です。


医者に頼っても医者も人間ですから限界があります。

苦しみの中で夜通し泣いても何の解決にもなりませんし、人に訴えても何もしてもらえることがありません。

悩んでも何も良いことがありません。


重要なのは、必死に神を求めて祈っているかです。クリスチャンにとって これはとても大切なことです。

癒す力がある神様、力ある神様を無視して 力もない人間に助けを求めることが神の御心に適っているでしょうか。


神様は助けと癒しを求めて主のところに来る人を喜びます。


その人たちに神様はどのようにしたでしょうか。長血をわずらった女の人に何が起こったでしょうか。

着物に触った途端に、すぐに血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことも彼女自身の身体に感じ、
そしてイエス様も自分のうちから力が出て行ったことを感じました。

イエス様は彼女の信仰を見て、彼女の信仰による行動を喜びました。

そして彼女に対して「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」と優しく語って下さいました。


イエス様は彼女の肉体の病気だけではなく、心の病も癒し、そして主の家族としても受け入れ、救いを与えて下さいました。

この癒しは イエス様1人だけで出来たのではありません。
彼女の勇気と、イエス様に対する信頼がなかったならば、彼女は決して癒されなかったでしょう。

聖書のほかの箇所でも同じようなことがありました。


【マルコの福音書6章55-56節】

そのあたりをくまなく走り回り、イエスがおられると聞いた場所へ、病人を床に載せて運んで来た。

イエスが入って行かれると、村でも町でも部落でも、人々は病人たちを広場に寝かせ、そして、せめて、イエスの着物の端にでもさわらせてくださるようにと願った。そして、さわった人々はみな、いやされた。

癒しを求めている人々の必死な姿と彼らの信仰をここで見ることができます。

少しだけ祈ってから「こんなに祈っているのに、なぜ癒してくださらないのですか?」と文句を言うクリスチャンが多いです。

悩む時間は長いですが、祈る時間はほとんどありません。


「イエス様の着物をさわることでも出来ればきっと直る」という信仰を持ったこともなく、祈っても何も変わらないという不信仰だけは強いです。

「神様は何もしてくれないから祈らない」と言う人もいます。

残念ながら、そのような人は神様がどんなに力が強く、癒し主であっても自分の不信仰のために癒されることはありません。

イエス様が癒された長血の女の人にはっきりと「あなたの信仰があなたを直したのです」と言ったからです。


次の箇所にも癒しの内容があります。


【マタイの福音書9章27-30節】

イエスがそこを出て、道を通って行かれると、ふたりの盲人が大声で、「ダビデの子よ。私たちをあわれんでください」と叫びながらついて来た。

家に入られると、その盲人たちはみもとにやって来た。イエスが「わたしにそんなことができると信じるのか」と言われると、彼らは「そうです。主よ」と言った。

そこで、イエスは彼らの目にさわって、「あなたがたの信仰のとおりになれ」と言われた。

すると、彼らの目があいた。イエスは彼らをきびしく 戒めて、「決してだれにも知られないように気をつけなさい」と言われた。

私たちの信仰と祈りがイエス様の癒しの力と1つになる時に奇跡が起こります。

「何でも癒してくれますか?どれくらい祈ったら良いですか?」と聞く必要はありません。

癒された人たちは、そういうことをイエス様に聞くことはしないです。


結果がどうなるのか、いつになるのかということに心が取られるのではなく、「きっと直る」という信仰が必要です。

自分が癒されたいならば「イエス様の着物にでもさわりたい」と必死に思いながら、「主よ。私をあわれんで下さい」と叫び続けることです。

「どうでもいい」と思う人に、主は力を現わすことはできません。
その人の不信仰がイエス様の力を拒否するからです。


主が癒し主であることは誰も否定できません。


【マタイの福音書9章35節】

それから、イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやされた。

イエス様の御前に身体の病気、心の病気、傷の診断書を持っていき癒してもらい、心も体も健やかな者になることを主の御名によって願います。
(*´∇`*)

2015.2.15
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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霊的戦いにおいてのサタンの策略

テーマは 『 霊的戦いにおいてのサタンの策略 』 です

【エペソ6章11-12節】

悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。

私たちの格闘は血肉に対する ものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。

今、世界中の人々が注目し、毎日ニュースに出ない日がないのは「イスラム国」です。
日本人の人質が殺されたことによって、さらに身近なニュースになってしまいました。

歴史上、もっとも残忍で残酷なテロリスト集団と言われています。


彼らは平気で人を殺していますし、占領した地域では公開処刑を日常的に行うなど住民を恐怖によって支配しています。

彼らは 人間の命を虫けらのように扱っています。
それをやっているイスラム国の戦闘員たちは以前からそんな者たちだったのでしょうか?

それは違います。
外国からの若者も多数いますが、彼らはそれまで人を殺したことがない人たちがほとんどだと思います。


それが現在は、人を殺すのをまるで楽しむかのように残忍であるのはどのように説明したら良いでしょうか?

私たちは目に見える人間だけで評価してはいけません。


その背後で何が動いているのか 気付かなければなりません。


聖書では神の存在も教えていますが、サタンや悪霊の存在も教えています。
神のみわざも教えていますが、サタンの策略や活動も教えています。


クリスチャンはこのことに対して詳しく知らなければなりません。


【ホセア書4章6節】

わたしの民は知識がないので滅ぼされる。

このように書かれているのに、無知によって人を殺すこともありますし、自分が滅ぼされることもあります。


イエス様のことは知っていても、悪魔に対して知らないクリスチャンもたくさんいます。

ここの教会では そのことを教えているので皆さんは既に知っています。


しかしそのことを教えない教会が多いです。牧師がそのことを知らないからです。


最初の人間であったアダムとエバもサタンに騙されて罪を犯しました。

サタンがいなかったら罪は犯さなかったと思います。


イエス様の十二弟子の1人であったイスカリオテ・ユダの心はなぜ変わってしまったのでしょうか?


【ヨハネの福音書13章2節】

夕食の間のことであった。悪魔はすでにシモンの子イスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとする思いを入れていたが、

サタンが入れる思いは罪の思いです。
殺意の思い、騙す思い、汚れた思い、偽りの思い、裏切りの思い、淫乱な思いなどを入れます。

クリスチャンでもこれを知らない人が多いです。


ただ「自分が悪いからそういうことを思うんだ」と言って、自分を責めたりしますが、実はそのような思いを私たちに入れるのはサタンです。

サタンはとても巧妙で狡猾です。
まるで それらの思いが、その人自身から出たかのように思わせます。

そのことによって自分(サタン)に敵対しないようにし、さらに働きます。


今、イスラム国の戦闘員を見ると、無理やり脅かされてやっている人もいますが、自ら志願した人たちのほとんどはサタンが残忍に人を殺す思いなどを入れて 自分たちの目的のために利用しています。


彼らがやっていることを見て、人間的だと思いますか?―― それはとても悪魔的です。


私たちはサタンがどのように私たちに接近してくるのかを知らなければなりません。

その策略を知る必要があります。
サタンに騙されず、またサタンと戦うためにも しっかりと学ばなければなりません。




①サタンは私たちに悪い思いを入れる




多くの人が、これが悪い思いとは知らず、受け入れてしまう思いがあります。

それは“恐れ”です。
なぜイスラム国が残忍な殺し方をする映像を次々と流すと思いますか?

また なぜ支配地域で公開処刑をしたり遺体を放置したりするのか分かりますか?


それは人々に恐れを入れるためです。

「この人たちはとても恐い存在だ。立ち向かえない。」という恐れの思いを入れて支配するためです。

不安になると人間の心の中には恐れの思いが出てきます。

そして(サタンは人々の心に)神様に対する疑いの思いを入れます。
「神様が存在するならば、なぜこんなに惨いことが起こるのか。」 または「神様がいるならば、なぜあなたを守らなかったのか?信じる必要があるのか?」という不信仰や疑いの思いを入れます。


これに私たちは騙されてはいけません。


【Ⅱテモテ1章7節】

神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。

そして「恐れるな。強くあれ、雄々しくあれ。わたしがあなたとともにいるから」と語っておられます。




②サタンは人々を通して私たちを妨げる




私たちは誰と親しくしているのかを調べないといけないです。

親しい者が自分に対して罪を犯すように誘惑しているのかどうか、もし平気に罪を犯す者がいるならば、関係を切ることが大切です。


人々を通して間違えた教えを受ける時もあります。間違えた教えの中には惑わしの霊が働きます。


私が日本に来て、それほど経っていない時に若い日本人女性が親切にしてくれました。

そして私を教会に連れて行ってくれましたが、そこは統一教会でした。


もし私が韓国にいた時に統一教会の正体を知らないでいたならば、今ごろ統一教会の信者となって、とんでもないことになっていたと思います。

私はそこは行きたくなかったので、その人との関係を断ちました。

その後 何度も家に訪ねてきましたが、居留守にしていました。


家族を遣ってもサタンが働くので気をつけなければなりません。信仰から離れるように迫害します。




③サタンは直接私たちを攻撃したり邪魔をする




多くの場合、病気で攻撃をします。

ヨブがひどい攻撃にあいました。足の裏から頭の頂まで、すなわち体全体に悪性の腫物が出て、かゆくてかゆくて土器のかけらを取って自分の身をかきました。

言葉では表現できないほど辛かったと思います。


激しいサタンの攻撃でした。
突然、体の調子が悪くなったりする時に、それがサタンから来る場合があります。




④サタンはマスメディアを通して私たちを攻撃する




サタンはTV、映画、ネット、YouTubeなどを最大限に活用します。
今、イスラム国はこれを1番最大に用いています。

ゲームを見ても、すごく暴力的なものが多く、悪魔的なものもたくさんあります。


日本でも問題になってきたのが「人を殺してみたかった」という欲に負けて、実際に人を殺した事件がありました。

女の子がそのような恐ろしいことをしました。
小さい頃から目にした多くのものにどれほど残酷な場面がたくさんあったでしょうか。


日本では子ども向けにたくさんのアニメが作られていますが、悪魔やモンスターが全部可愛いキャラクターに作られて、皆に大人気です。これはサタンの勝利です。


悪魔が恐い存在ではなく、親しみやすい存在になってしまいました。
これはサタンの策略ですが、誰もこれに気付いていません。


ドラマやマスコミを巧みに使って、どれほど人々を誘惑するか分かりません。
目の欲、肉の欲をますます大きくさせていきます。

世を愛するように仕向けます。または世の流れに従うように誘惑します。


悪いことなのに、皆がやると まるでそれが常識であるかのように、人々の判断を鈍くさせます。




⑤サタンは偶像や迷信を通して攻撃する




TVや雑誌などによく出てくる「今日の運勢」などを使って、サタンは人々を支配します。


占いやおみくじ、運が良くなると言って売られる物なども日本にはよくあります。

昔からの伝統と言われるものの中にも、サタンの策略がとても多く隠されていますので、よく調べてみないといけないです。

それらのものによって、私たちの中に汚れた思いや惑わしの霊が入り、私たちの霊を汚します。


これらのサタンの策略に対して、私たちは何もせずに ただ見るだけで良いでしょうか?

神様は、サタンと戦う方法を明確に語ってくださいました。





①悪魔の策略に対して立ち向かい、神のすべての武具を身に着ける




神の武具は、信仰や行動によって着けることができます。

私たちはサタンが悪い思いを入れられないように心を守り、思いを守り、また偽りや不義を捨てて正しく信仰生活をし、日々 神のことばを受け入れ、真理の道を歩む時に 全身に神の武具を着けることができます。




②権威ある主の御名でサタンと戦う




【マルコの福音書16章17節】

信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、

イエスの御名には力があります。

主の御名を使うことができる人はイエス様を信じる者全員です。

悪魔は私たちの力で追い出すことは出来ません。


悪魔が恐れるのは、私たちではなく神様であり、神の御名、神のみことばを恐れます。

神には 悪魔たちが勝てない力と権威があるからです。


イエス様がサタンと戦う時も、みことばを使いました。

私たちもみことばやイエス様の御名を使って戦う時にサタンが出ていきます。




③主の血にも強い力がある



自分を守るためにも「主よ。血潮で私を覆い守ってください。これから戦います。」と血潮を求めます。

そして敵にも主の血潮をかけます。これが攻撃の武器になります。


私たちの戦いは目に見えないサタンとの戦いでありますので、これらのことを みことば通りに信仰によってしなければなりません。


サタンは今 世界で強く働いています。
世の終わりに向けて戦いが始まっています。

イスラム国だけでなく、周りの国々の人の中にも憎しみ、殺意、復讐の思いを入れて殺し合っています。


自分の策略に人々が巻き込まれているので、サタンは大いに喜んでいます。

私たちはサタンの働きをよく見なければなりません。

神のことばによって時代もよく見分けなければなりません。


そして何より自分の中にサタンがどんな策略をもって働いているのかを調べなければなりません。

それを見つけたなら、それに立ち向かわないといけないです。


何もせずにいればサタンに支配されてしまいます。

そうしたら自分の人生がどのようになるのかを考えてみてください。
(;´Д`)


2015.2.8
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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聖書にある繁栄の原則

テーマは 『 聖書にある繁栄の原則 』 です

【詩篇122篇9節】

私たちの神、主の家のために、私は、おまえの繁栄を求めよう。



繁栄の原理





【創世記26章12-13節】

イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。主が彼を祝福してくださったのである。

こうして、この人は富み、ますます栄えて、非常に裕福になった

新聞を読んでもテレビを見てもネットを読んでも経済的な困難や問題に対する内容がとても多いです。

イサクが生きた時代もそうでした。その地にききんがあって彼はそこに住む事が出来ず生きる場所を探して見つけたのがペリシテの地でした。

ペリシテ人は外国人の労働者にいい仕事場やいい土地を与えることはしませんでした。
しかし神様が祝福した時に、その年に百倍の収穫を得ました。

百万円を投資して一年で1億円を稼いだことになります。聖書で神様は30倍、60倍、100倍祝福すると語りました。

聖書によれば神と共に歩んだ人、神の繁栄の原理に従って生きた人々は環境を超越して繁栄を経験しましたし、それは今も変わりがありません。


【創世記13章2節】

アブラムは家畜と銀と金とに非常に富んでいた。

モーセの祝福は次の箇所です。

【申命記34章7節】

モーセが死んだときは百二十歳であったが、彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった。

ヨブの祝福は次の箇所です。

【ヨブ記42章12節】

主はヨブの前の半生よりあとの半生をもっと祝福された。それで彼は羊一万四千頭、らくだ六千頭、牛一千くびき、雌ろば一千頭を持つことになった。


ヨブは一度 無一文になりましたが、神に感謝して従ってっきたので、以前よりも2倍の祝福が与えられました。

神様から繁栄の祝福を受けて金持ちになった人たちの心が変質して神様を失望させた事が多いですが、もし神様の祝福を受けて神様が喜ぶように使うなら すべきことはたくさんあります。


世の富が邪悪な者たちに集められ、この世を腐敗させ、罪を犯させ、人々に悪い影響を与えることに使われることがいいですか?それとも世の富が神の人々に与えられ良いことのために使われるのがいいですか?
当然少しでも良い所に使われるのがいいです。


聖書では信じる者達に清く貧しく生きるように語ってないです。
私たちが祝福を与える神様から祝福を受けて繁栄することを主は願っておられます。




繁栄適用




聖書の繁栄原理は永遠に変わりません。しかしその原理を適用する方法はいつも変わります。
原理が“真理”という衣を着ているなら、方法は“時代”という衣を着ています。

真理が永遠であるように原理も永遠です。しかし時代が変わるように繁栄を適用する方法はいつも変わります。


たとえば伝道することは神の御心であり私たちは伝道しなければなりません。

昔は路傍伝道をすると人々が集まって話を聞きました。
しかし今はどうですか?

都会の生活は忙しくて足を止めてじっくり聞く人はほとんどいません。
チラシをたくさん配ってもそんなに効果がありません。


時代にあう方法を見つけてしなければならないのに昔のやり方に縛られている人々や教会も多いです。

誰かがやった方法を真似するのは難しくありません。
しかし新しい方法や道を作るのはとても難しいことです。


繁栄する人々は繁栄の原理を新しい方法で適用する知恵があります。

繁栄した人たちはすでに繁栄した人たちから繁栄の原理を学んでその原理を自分自身に適用するのに卓越した人たちです。

時代の状況把握が早く、それに合うまったく新しい方法を作り出します。
神様は信仰の人々にはそのような創造の力を与えます。


新しい服を着なければならないのに古い服を脱ぐ事を恐れている人が多いです。

ですからイェス様は“新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れなければなりません。”と語って下さいました。

スティーブ・ジョブズ氏など創造する人は勇気があります。他人と衝突することもありますが、人の評価を気にしません。


周りの人は頭の中でアイデアは浮かびますが、そこで止まります。
しかし繁栄意識がある人は実行します。失敗を恐れず、大胆に新しいことに挑戦します。


私たちは先入観や恐れなど自分の中にある古い考えを捨てなければなりません。


クリスチャンは古いものに縛られてはいけません。




繁栄意識




とても辛い状況の中でも、これ以上辛くならないから“よかった”と言う人、“大丈夫です、感謝です。”といつも言う人には繁栄意識があります。

繁栄意識は神様が人間に与えた権利です。
エデンの園でアダムが生き物につける名はみな、それがその名となりました。

神様はことばでこの世を創造し、その創造の作業をアダムにもさせてアダムが名をつけるとその通りにしました。


アダムの子孫である私たちにもことばで創造する力が与えられてあります。

繁栄や成功はある特別な人だけが持ってある秘訣ではありません。

すべてが栄える人はことばで“繁栄”を叫び、繁栄を創造するから繁栄します。


神様は祝福を与える方ですので、あなたの口を大きく開きなさいと言われました。
大きく開ける時に大きなものが入って来ます。

神様が私たちに素晴らしい約束をたくさんしているのに、悪魔によって人々は否定的な思いに洗脳されてその頭を繁栄意識に変えるのがどんなに難しいかわかりません。

神様が「何をして欲しいのか?」と語った時に、「私はこの病気を癒して欲しいです」と言った人だけが病気が癒されました。


出来ないという言葉はあれほどよく信じながら、出来るということばは死んでも信じないですね。
繁栄したいならば、無意識に使う否定的なことばをすべて反対(肯定的)にして使って下さい。

『できるものならと言うのか。信じる者にはどんなことでも出来るのです。』と否定的なことばを言う人にイェス様が語りました。


私たちは失敗意識や貧乏意識など、どれほど否定的な意識が多いでしょうか。




繁栄態度




大企業で新入社員の採用担当をする人がこう話しました。

大企業に履歴書を出すぐらいの人ならば それらしい実力はあるので、そこにたくさんの資格があると書いてもそれをみて合格、不合格を決めることはあまりないと言います。


面接官は面接室に扉を開けて入る瞬間1秒でその人の合格、不合格を決定します。

面接が始まり、質問と答えのやりとりの過程でそれが変わる確率は10%にも満たないと言います。


面接官の目が一瞬見ただけで“合格”になる秘訣は何ですか?

繁栄態度です。
やることすべてがうまくいく人は栄えるしかない態度を持っています。

面接官は人を選ぶ時に実力も無視しませんが、実力よりもまずその態度を重要視します。


すべてが栄える人はある時点から否定的な思いと態度を肯定的で積極的な態度に変えた人です。そして何事もよくなる方に解釈し、肯定的な態度を取ります。

それが習慣になった人は無意識的にもそのような態度を取ります。

いくら面接でいい印象を与えようと準備し練習しても普段から“繁栄態度”をもって生きる人じゃないと面接官の目に1秒でばれてしまいます。

ですから面接室に入った時から面接が始まるのではなく、普段の生活の態度からが始まりです。


繁栄態度をもってない人は信仰のない人です。疑いが多い人です。

聖書の偉大な人物たちがどれほど“繁栄態度”で生きたかを知ることが出来ます。
繁栄態度は信仰を持ってない人でも持つことが出来ます。

その人たちは神様ではなく信念を信じます。“積極的な思考法則”、“肯定的な力”のようなものはすべて信念を“繁栄態度”に変えた理論です。


ヨシュアとカレブの繁栄態度を見てみましょう。否定的な言葉を語る人々の前で大胆に語りました。


【民数記14章9節】

ただ、主にそむいてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちのえじきになるからだ。彼らの守りは、彼らから取り去られている。しかし主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない



繁栄秘密




聖書に出てくる繁栄した人々はそれ自体に満足した人たちではなく、それをよく用いた人たちでした。

名誉や権力、富の奴隷に転落せずそれを用いて他の人々を繁栄させました。


14世紀百年戦争当時フランスのある都市ですが、英国軍に包囲されました。その都市は結局降伏することになりました。

そして英国の王エドワード3世に慈悲を求める降伏使節団を派遣しました。
英国王は“すべての市民の命を保証する条件で都市の代表6名を首つりにしなさい。”と命令しました。

市民たちは誰が処刑になるのかで大混乱になりました。


みんなが戸惑っている時に、その都市で一番の金持ちであるEustache de StPierreが処刑になることを志願しました。続いて市長、商人、法律家、など貴族が処刑に賛同しました。

彼らは次の日に処刑を受けるために処刑所に集まりました。
しかし妊娠した王姫の願いを受け入れた王は処刑を自ら受け入れた六人の犠牲精神に感動して彼らを生かしました。


この話が歴史書に記録され高い身分に伴う道徳的義務である「ノブレス・オブリージュ」の象徴になりました。

大体キリスト国家が多いヨーロッパでは“金持ち”が尊敬を受け肯定的に受け止められているのは、彼らが“高貴に生まれた者は高貴に行動しなければならない”という ノブレス・オブリージュを黄金律にして自負心を持って実行するからです。

彼らは富を子どもに譲りません。


神様がある人に多くの富を与えるのは1人で使って残ったものを子孫に残すのではなく分け与える意味で与えてあります。

繁栄秘密がこれです。他人を栄えさせることが自分も栄える道です。聖書に書いてあります。


【創世記26章30節】

そこでイサクは彼らのために宴会を催し、彼らは飲んだり食べたりした。


【マタイ7章12節】

それで何事でも自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。

聖書にある繁栄法則を使うことは神様が望むことです。

私たちが神様から良いものを受けて、それを用いて神様が喜ぶことをするのが目的です。
(・∀・)つ


【Ⅲヨハネ2】

愛する者よ。あなたがたましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、健康であるように祈ります。

2015.2.1
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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