からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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2014年02月

祈りの時に気を付けること

テーマは 『 祈りの時に気を付けること 』 です

【ピリピ4章6節】

何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

ただ、祈れば良いということではありません。要らないものは捨てることです。

せっかく祈っているのに、その祈りを無駄にしてしまうものがあります。本文にそのことが簡潔に書かれています。


①いらないものは捨てる(思い煩い)

自分たちが祈る時に、心を覗いてみると思い煩いをいっぱい持って祈る時があります。

思い煩いとは、単に心配事のことをいうのではなく、問題を抱えている人で ため息ばかりつく人がいます。

ため息(汚染された空気のようなもの)をつく時に、それが私たちにどのような影響を与えるでしょうか?
私たちの心と魂を傷つけます。そして病んでいき、心が支配されてしまいます。問題よりも思い煩いによって思いが殺られます。

支配されるということは、その思い煩いが自分の主人になり 奴隷になっている姿であります。


自分たちの心の主人は、いつも神様でなければならないのに 思い煩いがあると主人が変わってしまいます。
祈りを聞いてくださるのは神様ですが、自分の心にあるものは神様ではなく、思い煩いがいっぱいなので口先だけで祈っても その祈りは聞かれることがないです。


思い煩いは信仰から生まれません。反対に、思い煩いは不信仰を生みだします。
神様が聞く祈り、反応する祈り、答えてくださる祈りは 信仰による祈りです。
思い煩いによる祈り、不信仰による祈りに神様は答えません。

思い煩いの中には、疑いがあり、絶望があり、不信仰があり、人間的な思いがあります。
目を神様に向けていなく、心も神様に捧げていません。


私たちの神様はどこにおられるのでしょうか ――?
神様は、聖霊様として自分の心の中におられます。心の真ん中におられるいうことは、聖霊様が主人ということです。

思い煩いをもって祈りをするのは 初めから聞かれない祈りをしていることなのです。

聞かれない祈りをしていながらも、「どうして聞いてくださらないのですか。」と言っても、神様は「わたしに聞くのではなく、自分の祈りの姿勢が正しいかどうかを ちゃんと見なさい。」と言うでしょう。

どんなに大きな問題だったとしても「何も思い煩わないで」と語っていますので、その通りに従うことであります。

私たちにとって大きな問題に思えても 神様にとっては小さなことです。


【ローマ10章13節】

「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。

このように、主の御名を呼び続けるならば 主が答えてくださいます。
思い煩いを捨てて、主を(自分の)主人として心に迎え入れて何も思い煩わないことが大切です。

主の御名とはイエス様のことであります。
「だれでも救われる」というのは魂が救われるだけではなく、あらゆる問題からも救われるということです。

自分の中の思い煩いが消えるまで「イエス様~!!」と叫んだら良いです。祈りをイエス様で満たしていくなら、イエス様が働いてくださいます。


②祈る時に必要なもの(感謝)

思い煩いは要らないことですが、この「感謝」は必要なことです。

私たちが神様の前に出た時に、まず感謝が必要なのです。

感謝するということは、神様が今まで自分にくださった恵みを覚えることであります。そしてお礼を伝えるのです。
そこには信頼、尊敬、期待、信仰が含まれています。

神様が一番求めているものは感謝であります。感謝の言葉を神様は喜びます。


③神様に祈りを捧げる

神様は 今回のテーマ箇所で「あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい」と語っています。

・謙遜な態度で
・具体的に
・信仰をもって


【ヤコブ5章15節】

信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。

・期待する
・熱心に祈る


【ヤコブ5章17-18節】

エリヤは、私たちと同じような人でしたが、雨が降らないように熱心に祈ると、三年六か月の間、地に雨が降りませんでした。

そして、再び祈ると、天は雨を降らせ、地はその実を実らせました。

・切なる思いで主を待ち望む


【詩篇40篇1-2節】

私は切なる思いで主を待ち望んだ。主は私のほうに身を傾け、私の叫びを聞き、

私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。そして私の足を巌の上に置き、私の歩みを確かにされた。

切なる思いは必要であります。心を神様に向けている姿です。

自分の祈りでどこが間違えているのか探らなければいけないと思います。

ずっと感謝を蒔き続けたら良いです。そうすると思い煩いが出て来なくなります。 (・∀・)

2014.2.23
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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私の使命は宣教

テーマは 『 私の使命は宣教 』 です

【マルコの福音書16章15節】

それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。

宣教は、宣教師・伝道師・牧師だけがするものではなく、救われたすべての人にイエス様が与えた命令であります。

宣教は誰かがするのではなく、「私がしなければならない使命」だと認識をしなければなりません。

初代教会の人たちと、イエス様の弟子たちは この言葉をしっかりと受け取りました。

もし 初代教会の人たちが宣教活動をしなかったならば、福音はそこで終わったと思います。しかし、イエス様が天にのぼられた後に すぐさま立ち上がって福音を伝え、3千名が救われました。
ある程度 増えてくるとグループになって固まろうとするところがありますが、それは神様が喜ぶ姿ではないです。
「まだまだ救われていない魂がいるだろう。」と語ります。


エルサレムの教会に対する迫害があり、信徒たちはそこにいることが出来ず散らされていきましたが「散らされた人たちは、みことばを宣べながら巡り歩いた。 」と主から受けた言葉通りに一般の信徒たちにも福音を伝えました。これは神様が喜ぶ姿であります。

迫害の中でも福音を伝えるということは命懸けなのです。

どの時代でもこの命令が変わることなく与えられていますので、私たちは福音を宣べ伝えていかなければなりません。


日本や韓国は、イスラエルから遠く離れていて福音が届きにくい場所にあります。
今から150年前に 日本にキリスト教が伝えられましたが、当時は交通便も悪いですし、情報を手に入れるのも難しい時代でした。

しかし、十字架の信仰と殉教精神、宣教への情熱を持って多くのクリスチャンが全世界へ出ていきました。

日本も韓国も まずカトリックの神父たちが福音を伝えに入ってきました。そしてその後に宣教師たちが来て、みことばを伝えました。

多くの宣教師たちが迫害に遭い、命を落とし、二度と国に帰ることはありませんでした。
それでも宣教師 たちは途絶えることなくやってきました。とても感謝なことであります。

もしこの人たちが来なかったならば誰1人福音を聞くことが出来なかったと思います。


今回の教役者大会でも、フィリピンの講師先生が「日本へ宣教に来て20年以上経っている宣教師たちは立ちあがって下さい。」と言われた時に、 多くの宣教師たちが立ちあがりました。

言葉が通じないところへ来て 人知れぬ大変な苦労をしながら生活をしていたのだろうと感じました。
講師先生が「この方たちは本当に立派であります。自分の国を離れて、ただ1つ福音を伝えるためだけに来られて20年以上経っていますので拍手を送りましょう。」と言って 皆で拍手を送りました。

この人たちは戦いの戦士に見えました。日本人がなかなか福音を伝えない中で、外国人が戦いの中へ飛び込んでいく姿が想像できました。

私たちはそのような姿を見て、自分たちは何をしているのか ――?自分の家族や周りの人々に福音を宣べ伝えているのか?そのことを心に留め、悔い改めながら新しい思いを持たなければいけないと思います。


終わりの時は今までにない迫害が来て、信じる人たちも自分の信仰を守ることがとても難しくなります。
ですから福音を伝えることはもっと難しくなります。今、家族に福音を伝えなければならないです。

私たち自身がいつも問題ばかり抱えて、神様に出会って何一つ良いことがないならば 証にならないです。
自分自身が変わっていないならば 家族への宣教は難しいです。


宣教は外国へ行くことだけが宣教ではなくて、家族に対しても私たちが変わっていく姿を実際に見せていないと「イエス様を信じて。」と言っても
「あなたは信じて何が変わったの?何も変わっていないじゃない。」と言われ 福音が伝わりません。

私たちには責任があるのです。「私は家族・親戚に良くなっている姿を見せているのか ――?」それを反省しなければならないです。




昨年11月8日~10日まで、イスラエルのベツレヘムで聖会がありました。

そこにあるベツレヘム第一バプテスマ教会が、韓国のヨンセ中央教会と3年間 合同で聖会を年1回 開いています。
その理由は、その地域に住む人たちは福音を聞くチャンスがないまま死んでいく魂が多いからです。

その地で福音を伝えることは命懸けであります。なぜならそこに住むアラブ人はイスラム教を信じる人が多いからです。ベツレヘムはイエス・キリストが生まれた土地であります。
現在はユダヤ人がまったくいない地域でパレスチナ人が住んでおり、いつでもイスラムのテロが起こり得る場所です。


今まで福音を聞いたことがない1,300名のイスラム教徒のアラブ人が参加し、正統派イスラム教徒も30名が参加したと言われています。
彼らは何が語られるのかと福音を聞きに来ました。神様は彼らにも福音を聞いて救われて欲しいのです。

3日間で5,000名が集まり、その中で175名が救われ、イエス様を救い主として受け入れました。そして悪霊が追い出され、病人が癒される奇跡が起こりました。


伝える人がいなければ、救われる人もいないです。

今までイスラム教徒として生きていた人たちが福音を聞いた時に、力と奇跡を神様は現わし、生きて働く神様を見せてくださいました。

神様は福音が全世界に届いて人々が救われることを願っておられます。




ここで韓国と中国の教会の姿を見てみたいと思います。


韓国の教会は以前にリバイバルをしました。聖霊の働きがとても強く、世界の中でも韓国の教会が一番燃えていました。しかし今は 下り坂になりリバイバルをしなくなりました。そして主のために献身をする十字架の信仰が消えていきました。
その原因は、経済的に豊かになってしまったからです。


その反面、今 中国では聖霊の働きがとても強く現われ、驚くべき成長を見せています。
公認教会や地下教会の人たちは命をかけて福音を伝えています。

彼らは投獄されても福音を伝えており、その多くの者たちに十字架の信仰があります。


韓国でも危機感を持っているクリスチャンたちは目を覚ましています。
「この時代において、私たちが何をすべきか」を考えるようになりました。

韓国教会の時代的使命は、中国宣教であります。
なぜ中国を宣教するのかと言うと 聖霊様の働きで救われる人たちは多いですが、教理的な部分がまだ弱いです。
神学校が足りなく 指導者も足りないです。


韓国は神学校が多く 海外で学んでいる人もたくさんいますし、教理的・神学的に優れています。
しかし熱が冷めて弱くなってきました。
ですから「私たちが持っている教理的・神学的なものや指導者を中国へ送り、中国の人たちが更に力を持って宣教できるようにと たくさんの人たちが中国へ行っています。


中国教会は殉教信仰が強い人もいれば、中国は経済が良くなってきましたので 教会に来る人の中でも経済的祝福だけを求める人が増え、神様よりも 神様が持っているものに関心が多いです。
そうすると神様に対する想いも冷めていきます。それが中国でも実際に起こってきています。

中国は人口が多く、国内では少数民族が55もありますし、中国は、終わりの時代に世界宣教の使命がある国だと思います。


なぜかと言うと日本や韓国がイスラム圏やアフリカに宣教しようとするならば拒まれるのです。それは、アメリカと仲が良いという理由です。イスラム教の国ではアメリカに対する敵対心がとても大きいのです。


しかし中国は社会主義ですので イスラム圏の国やアフリカにたくさん入っていけるのです。

韓国では「中国教会がアラブ、イスラエルなどイスラム圏の国々のために時代的使命を果たすことができるように協力することである」と考えています。




日本はどちらでもないです。
日本ではリバイバルが起こったこともないですし、熱くなったり冷めたりすることもないです。

「韓国や中国には出来ても日本には無理だ」ということを言いますが、これは言い訳にすぎません。
よく考えてみると自分たちが燃えたことがないのです。


自分たちが命を懸けるほど国に福音を伝えようと熱く燃えたことがありますか?


ですから原因は私たちにあるのです。自分たちが勝手に諦めているのです。
人々が滅びていっても関心がなく、家族がイエス様を信じなくても重荷を負わず「私には関係がない」という思いが強いです。
そのことを悔い改めなければなりません。

「ただ他人に迷惑をかけなければ良い」ということではないです。
福音は迷惑をかけても良いものです。「あなたの魂が救われて欲しいんだ。」という熱い想いなのです。


私たちの周りはほとんどの人たちが未信者だと思います。
時々その人たちに みことばカードを使って「お元気ですか?」と手紙を書いたら良いと思います。
その人たちに関心を持って、関係を結んでいくと良いです。みことばカードの言葉が種になって蒔かれていきます。

神様は私たちにそれをして欲しいと願っているのです。他人に関心を持って欲しいのです。
自分たちだけが救われて天国へ来るのではなく 「働きをしなさい。」と主が教えておられます。


私たちが宣教をする時には どのような心を持っていなければならないでしょうか?

私たちはクリスチャンの目で見なければならないです。今、ものすごく悪い勢力が働いています。
それは、日本・韓国・中国を仲悪くさせようとする力が 以前よりも強くなっていることを私たちは見ています。

ネット上でも過激な言葉や非難的な言葉がとても多いです。
過激な言葉を使って本を出版すると人々が買います。これは金儲けで自分たちの利益のために働いています。国のことは関係がないのです。

私たちはそのようなものに翻弄されてはいけないです。

「政治が悪い、国が悪い、国民性が悪い」と言いますが、どこの国でも皆、自分たちの国の方が大事なのです。
ですから色々なことがありますが、クリスチャンがそのような目で見ていたら本当の姿が見えてこないです。


クリスチャンは神の目でこの時代を見ることであります。

「サタンが働いて分裂を起こしているのだ。国々に敵対心を生んでいるのだ。」と、私たちは絶対に悪いものに乗ってはいけないです。

「今は収穫の時である。これが終わりの時のしるしであるのだ」ということを 私たちは知らなければならないです。


【マタイの福音書9章35-38節】

それから、イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやされた。

また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。

そのとき、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。

だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」

私たちが人々を見るときに、どのような思いで見るのかマタイの福音書9章36節に書かれています。

私たちの周りにいる群衆を見た時に、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れているので「可哀想だ」という思いで見ることです。
そしてその人たちに、水1杯を与えるのです。その水1杯とは神様の言葉であるのです。


弱り果てている人に力を与えるのは みことば しかないです。

まずは自分が働き手として働き、それでもまだまだ福音を聞いていない人が多いので働き手を送ってくださいと祈らなければなりません。


【ヨハネの福音書4章35-38節】

あなたがたは、『刈り入れ時が来るまでに、まだ四か月ある』と言ってはいませんか。さあ、わたしの言うことを聞きなさい。 目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。

すでに、刈る者は報酬を受け、永遠のいのちに 入れられる実を集めています。それは蒔く者と刈る者がともに喜ぶためです。

こういうわけで、『ひとりが種を蒔き、 ほかの者が刈り取る』ということわざは、ほんとうなのです。

わたしは、あなたがたに自分で労苦しなかったものを 刈り取らせるために、あなたがたを遣わしました。ほかの人々が労苦して、あなたがたはその労苦の実を得ているのです。」

もう色づいているので「まだまだ」だという思いを捨てなさいと教えておられます。
私たちが福音を伝える時の言い訳の1つが「あの人はこうだから、多分 福音を聞かないでしょう。あの人は他の宗教を信じています。 あの人は心が頑なです。」とか先に言い訳をして「だから無理です。今ではないです。」と言います。

イエス様は「あなたが出て行って刈り取る時なのだ」と言っておられます。


私たちが種を蒔いてもビクともしない人がいるかも知れません。
しかし、長い時間が経って別の者がその人のところへ行き 福音を伝えた時に受け入れることがあります。

私たちは自分が蒔いて、自分で必ず刈り取らなければならないということではないです。

今すぐ刈り取ることはできなくても失望せずに、神様は種を蒔きなさいとおっしゃいます。
いつかあなたが流した労苦が必ず実を結ぶことを教えています。


【Ⅱテモテ4章2節】

みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。

みことばを伝える時は 色々な戦いがあります。拒否する人たちも出て来るのです。
ですから教える時も、責める時も、戒める時も、勧める時も「みことば」を使うのです。そこでは自分たちの言葉はいらないです。
神様の言葉を教えてあげることであります。

神様の言葉には力がありますので、きっとその人たちの心を刺し、悔い改めや立ち返りに導かれるでしょう。


私たちはしっかりと神様の使命を悟り、みことばを宣べ伝えていきましょう。

箴言には知恵の言葉が書かれています。私たちが人間的な言葉ばかり伝えると、人と会話をしても相手の心に残ることがないです。
しかし、私たちの言葉の中に 神様の言葉がたくさん散りばめられていると、その人の魂にぶつかっていきます。


日々、私はこの国に遣わされている宣教師だと思いながらやってください。
これからは伝道を常に心掛け、宣教に力を入れましょう。 ( ̄‥ ̄)=3

2014.2.16
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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好意を持たれるクリスチャンになるには

テーマは 『 好意を持たれるクリスチャンになる 』 です


【使徒の働き2章46-47節】

そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、

神を賛美し、 すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。

日本ではクリスチャン人口がとても少ないので調査をすることはあまりないと思いますが、
韓国ではクリスチャン人口が多いのでキリスト教倫理実践運動という団体が
“2013年 韓国教会の社会的信頼度 世論調査”を実施しました。

そこでは様々な人が参加をし、クリスチャンではない人たちも大勢いました。
宗教全体に対する調査もあり、カトリック教会、プロテスタント教会、仏教の信頼度などの結果が公開されました。





◎ 宗教や信者に対して信頼しているか?

信頼-[ 19.4% ]、信頼していない-[ 44.6% ]、普通-[ 36.0% ]
(信頼と答えた人の内訳  カトリック教会-[ 29.2% ]、プロテスタント教会-[ 21.3% ]、仏教-[ 28.0% ]


◎ 無宗教の人たちに聞いた各宗教への信頼度

カトリック-[ 32.7% ]、プロテスタント-[ 8.6% ]、仏教-[ 26.6% ]、
プロテスタントに対しては10%にも満たなかったです。


◎ プロテスタント教会の構成別信頼度

信徒-[ 30.3% ]、牧師-[ 21.1% ]、教会活動-[ 14.1% ]
牧師に関しては信徒よりも信頼度が低かったです。


◎ 社会奉仕活動
カトリック教-[ 32.1% ]、プロテスタント教-[ 41.3% ]、仏教-[ 6.8% ]


これらの結果を見て、初代教会の姿からは程遠いものを感じました。
韓国では アメリカから宣教師が来て、プロテスタントが拡がっていきましたが、当時は人々から好意を持たれていました。教会に対しては人々が迫害をしましたが、そこで働く人々の姿勢に対しては信頼度が高かったのです。
しかし、信者がとても増えたため 至る所に教会が建てられ豊かになりました。その反面、信頼度はどんどん落ちていきました。
その問題が 内部のものだけではなく、ニュースに流れるものでしたので、未信者や無宗教の人々が幻滅する姿に映りました

また、信徒よりも牧師に対する信頼度が低いのも、社会的に有名な牧師たちが様々な問題を起こしたためでした。

そして 教会の信徒たちに対する信頼度が、何故ここまで低いのか? ということも調査されていました。




① ほかの宗教に対する排他的態度-[ 24.0% ]
キリスト教を信じる人たちは、自分たちだけが正しいとし 他の宗教の人に対しては排他的な態度を取ることが信頼度を落としています。


② 不透明な財政使用-[ 22.8% ]
牧師が教会の財産をたくさん使ったり、長老たちが教会のものを自分勝手に運用することがニュースで報道されました。
宗教は 税金を支払っていないので、大きな教会になるとたくさんのお金があります。それを申告しないので、どのようになっているのか分からないのです。


③ 教会指導者-[ 21.0% ]
指導者たちの生き方そのものが人々の模範ではなく、贅沢三昧な生活をしたり傲慢な姿であったり、女性問題やお金の問題があって信頼度が落ちているのです。


④ 教会成長主義-[ 14.5% ]
教会の規模を大きくしようとするのは人々の目につきます。街で一番高い建物は教会であります。建てること自体は悪いことではありませんが、
正しい成長をしていないのに(無理やり人を引っ張ってくる等)、人数が多くなったことを周囲に自慢します。


⑤ 信徒たちの生活そのもの-[ 13.1% ]
「そんなことをして、それでも信徒か」と人々は見ているのです。



信頼度が低い・信頼しない理由

◎ 言語一致していない
口先だけ色々なことを語りますが、行動が伴っていないです。

私たちは、自分たちと関係がないとは言えないです。
聖書に書かれている初代教会の姿は、世界中の教会でもなかなか見られなくなりました。

宗教の対立は霊的なものでありますので、対決は必ず起こります。
しかし 私たちが非難される者になるならば、それは間違えた姿であります。


クリスチャンはイエス様によって価値ある者にされました。しかし、価値ある者になれたはずなのに本人が価値のないものにしてしまうならば、神様がすごく悲しみます。

不正などのニュースはとても耳が痛い話ですが、私たちはこのようなことに対して改善していくべきです。
そのような問題があることで 私たちは人々に福音を伝えることが出来ないと言い訳をし、何もしないのは大きな間違いであります。
間違えたものは改善していかなければならないです。


私たちは教会そのものを動かすことは出来ませんが、「私自身」というものを変えることは出来ます。
自分1人を変えることで周囲の見方が変わるのです。1人1人がとても大切です。




どのように改善していくべきでしょうか――?


① 忠実な生き方をする

これは真面目な生き方をするのとは意味が違います。
クリスチャンにとって忠実な生き方とは、「敬虔な生活」であります。

人々がクリスチャンを見て、最初に求めているものは敬虔な姿です。真理に対して言語一致な生活です。
人は 口先ばかりの発言をする人を嫌います。言うだけで何もやっていないのは忠実な生き方ではないです。

神と共に生きる姿とは、みことば・真理の中を歩み、神様が望むことすることです。
神様がやって欲しいと思うことをよく聞き、それを毎日の生活の中で実行していくことは敬虔な姿であります。



② 愛する生活

【Ⅱテモテ3章1-4節】

終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。

そのときに人々は、自分を愛する者、 金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することも知らない者、汚れた者になり、

情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、

裏切る者、向こう見ずな者、 慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、

一番初めに「自分を愛する者」と書かれていますが、神様が、愛する生活をしなさいというのは、自己愛ではないです。 「私が一番大切」、「私が一番」というのは堕落した人間の姿であります。

イエス様は自分を捨てました。神様が語る愛とは、他人を愛する愛であります。
自分を愛する者は それを捨てない限り、神や他人を愛することはできないです。他人に犠牲を払うことが出来ないです。


愛とは自己犠牲があるものです。
自分の時間を他人に捧げるのは嫌というのは愛ではなく、それは「私が(他人のために)苦しむのは嫌。近寄るな、向こうへ行け」という自己愛からきており、 自分中心であるのです。

もしも、なぜ私は他人を愛することが出来ないのか――?と思うならば、それは自己愛が強過ぎるからです。

愛は、自分から手を差し伸べることであります。相手を洗うために自分の手を汚すことであり、そして 自分の物を相手に与えることです。

他人を愛すると言いながらも、文句ばかりを言って 感謝をせず相手を利用するのは愛ではなく、悪魔の心であります。本物の信仰は、キリスト教という垣根を巡らし、自分だけが正しく、他はみな悪魔の子だと追い出す偏ったものではないです。


本物の信仰は“だれでも”神の公義の愛によって接することです。そうする時に彼らにもイエス様による救いを得るチャンスが来ます。いつも彼らに愛の手を差し伸べたり、継続して声をかけるのです。すると相手の人たちも自分たちに興味を持つのです。

キリスト教が非難される理由も“本物の愛”が消えたのがその原因であります。



③ 良き香りを放つ姿

香りは、無理やり作り出すものではないです。
人々は良い香りを出すために香水をかけますが、それは鼻が痛くなることが多いです。周りに迷惑な時もあります。お花も綺麗ですが香りがキツイお花もあります。

しかし、野の花はどうでしょうか――? 野の花はとても素朴であります。
あまり気付かれない存在ですが素朴な美しさがあり、周りにかすかな香りを放つのです。

クリスチャンはそうあるべきです。
私たちは、神と共に歩むなら イエス様の香りが自分に移り、自分でも知らぬ間に(自分から)良い香りが出てくるのです。


自分の口から出てくる言葉、自分の行動から出てくるもの、自分の生き方から出てくるものが、人々に不愉快な思いにさせるかどうかを 冷静な目で調べることであります。

怒ったり 不平不満を言うと醜い顔になります。私たちが地上から離れ、神様が私たちの顔を見たときに「あなたは、わたしの美しい花嫁である」とは絶対に言わないです。
「表情はあなたの一生を証明するものだ。わたしの花嫁には相応しくない。向こうへ行きなさい。」と言われます。


クリスチャンとして 私たちは周りから見られているのです。自分が(キリスト教の)信頼度を落としていく者にはならず、自分たちの生き方を通して今までキリスト教に対して 非難をしていた人たちが 非難することが出来ないようにすべきだと思います。

感謝をする人、いつも笑顔である人、真理の言葉と一致する生活、常に人々に愛を示す生活、
自分だけを愛して地獄へ落ちるよりは、自分の犠牲を払って美しい姿に生まれ変わる方が良いです。

そのような生き方をして神様に栄光を捧げていきたいと思います。

本物の信仰も、本物の愛も 愛する対象を最後まで信じることであり、それを最後まで守ることです。
少しだけ愛して、相手が自分の思い通りにならないからと手を抜くということは、本物の愛ではないです。

信仰も愛も同じで、最後まで耐え忍ぶのが「愛」であります。 (´∀`*)

2014.2.9
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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