からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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2013年02月

祝福とは?

テーマは 『 祝福について 』 です

【ヨハネの福音書4章13-14節】

祝福は私たちの幸せになります。祝福や幸せが嫌いな人はいません。
何かを求める人は、幸せになりたいからするのです。

イエス様が1人の女性と出会いました。その女性は必死に幸せになりたいと願い求めていました。
今よりもっと幸せになりたいというのは私たちの姿であります。
その心をイエス様が知っていました。

それで、分かりやすく井戸の水に例えて、私たちにとって本当の祝福とはどういうものであるのかを教えました。

私たちは幸せを求めて、それを手に入れても、毎日、そして死ぬまでその幸せは続かないです。
手に入れたら、また渇きます。

水が欲しくて海の水を飲んだら、その時は「良かった」と思いますが、それをどんどん海水を飲むほど
さらに渇きがひどくなります。後で生きていけなくなります。

イエス様が「あなたが飲んでいるのは、渇くような水である。そしたら、わたしが与えよう。」と語りました。

あなたが欲しい祝福をわたしが与えよう。わたしが与える物をあなたが受けるならば、
決して渇くことがありません。という言葉をイエス様が使ってくださいました。

神様は祝福を与えてくださるお方です。

【創世記1章27-28節】

神様はまず人間を祝福しました。多くの人たちが世の中の現状を見て、「神は本当にいるのか?」
「(神が)いるなら、なぜこんなに生きにくい世の中なのか。」と言いますが、
それは神様のせいではないです。
神様は祝福を与えましたが、アダムとエバがその祝福の中で生活をしませんでした。
ある意味ではその祝福を拒みました。
そして悪魔サタンが提案したものを、人間はサタンの偽りの言葉を欲しがり受けました。

それでサタンが語った通りの祝福が来たでしょうか?結果は次の聖句です。

【創世記3章16-19節】

苦労が来て、人生の道がいばらの道に変わりました。そして死が来ることになりました。

それでも神様はイエス様を通して、もう1度祝福したいという心は変わりませんでした。

【マタイの福音書5章3-12節】

祝福の祈りです。主がまず与えたい祝福は、「霊的祝福」です。
それは私たちの心と魂が祝福されることであります。

いくら美味しいものを食べても心が平安でなければ幸せではないです。
良い物を着るから私たちが幸せなのではないです。それは“その時だけ”で、また渇きます。

もちろん、神様はそのような祝福も与えてくださいますが、
私たちの心がまず満たされるように祝福してくださる神様であります。

イエス様は「わたしはそれが出来るのだ。」と私たちに語っておられるのです。

その祝福を私たちはどうやって受けることができるでしょうか――?

まずは神様の言葉をそのまま信じることであります。

いくら聞いていても、そんなはずがないだろうと考えならば、それはエサウのような心であります。
一杯の食べ物のために、自分の大切なもの(長子の権利)を売り飛ばすことです。
つまり、わずかな物で価値がないものばかりに目を留めて、わずかな物で満足しようとします。
しかし、その後はまた渇きます。

イエス様は「わたしの祝福を信じて、あなたが受けたいならば(祝福を受ける)器を準備して、
神様から受けなければならない」と語ります。
器というのは、私たち自身のことであります。

祝福を受ける1番良い器はどういう器でしょうか?次の聖句です。

【詩篇1編1-3節】

これは渇くことのない祝福であります。その人たちの人生がそのように生きるならば、受けます。
悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たないことです。

祝福を受けたいならば、祝福を受けるところに自分が立っていなければならないです。
神様の前に立って「私に祝福をください。」と祈るならば、神様の言葉通りに祝福が毎日そこに落ちてきます。

自分が祝福を受けたいならば、どうしたら良いのでしょうか?

それは、「他の人を祝福しなさい」であります。

神様は私だけを祝福したいのではなくて、皆が祝福を受けてほしいから
あなたは他の人の為に祝福を祈りなさいと語ってあります。

【マタイの福音書10章12-13節】

私たちは何に対しても祝福の祈りをしなさいということです。
平安こそが幸せであります。誰に対しても幸せになるように祈り、祝福を受けるように祈ります。
するとその人自身が祈っても、答えるのは神様です。
神様から見た時に、「(祈られている)この人は、祝福を受けることに まったく準備が出来ていない」となれば、
その祝福は、祈りをした人のところに神様が持ってきます。

私たちは祈りにお金がかかることはないです。
私たちが神様の法則に従ってすること。私たちの信仰の先祖・アブラハムに語った神様の言葉、
「あなたを祝福する者をわたしが祝福し、あなたを呪う者をわたしが呪う」と使いました。

悪人であってでも、あなたが呪ってはいけないです。その呪いがあなたのところに返ってはいけないから。
という言葉があります。

【Ⅰペテロ3章9-12節】

絶対にその人を祝福したくないと思うならば、自分自身も祝福を受けることができないです。
私たちは人々を祝福していかなければならないです。

他人のためにも祝福の祈りをしますが、自分自身も神様にいつも「祝福してください」と祈ります。

【Ⅲヨハネ-2節】

これは自分のためにも祈ったら良いです。他人のためにも、自分のためにも祈る必要があります。
「どうせ私みたいな人間は祝福されるはずがない。」と自分で否定的な言葉・呪いの言葉をかける
ならば、神様が祝福したくても出来ないです。

家族のためにも、子供のためにも、小言を言う前に祝福の祈りをするべきであります。

【詩篇67編7節】

イエス様が祝福の元でありますので、私たちがくっついて祝福を受けて、人々は私たちが祝福を受ける姿を見て、
神様を恐れるようにしてください。

「私を祝福してください。」と自分を価値ある者としてください。
私たちが価値のない者になると、他人に踏まれます。

私たちは本当の意味で、神様からたくさん祝福されないといけないです。

【申命記28章1-2節】

※申命記28章3節からのみことばにある「あなた」→「私」に変えて祈ると良いです。
神様はよく願う者、祈る者に祝福を与えてくださいます。(自分自身を)絶対に呪わないでください。

私たちは、良い実が出てくるものを蒔きながら「祝福してください」と祈ります。

イサクが種を蒔いて100倍の祝福を得ました。その祝福を私たちにも与えてくださいます。

神様は無限の祝福を持っておられますので、私たちが求めたら与えることが出来るお方であります。

成功するのが祝福ではないです。
価値ある者になるのが本物の祝福を受けた人であります。
 (・∀・)つ

2013.2.24
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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あなたは誰ですか?伝道について

テーマは 『 伝道するために 』 です

【ルカの福音書15章3-10節】

魂を救う為に、伝道しなければならないということは知っていますが、
「どうやったら伝道できるのか?」と悩んでいる人が結構多いです。

神様が一番喜ぶことは、罪人が悔い改めて、主に立ち返ることです。

天国に喜びを与えるために私たちが人を導くのではないです。
救われた人たちは、まず救いがどういうものであるのかを理解しなければならないです。

【Ⅰペテロ2章9ー10節】

救いを受ける前と、救いを受けた後は、状態が変わったことをこの箇所で主が教えてくださいました。
救いを受けた人たちは、今度はそれを伝えなければならないです。
その使命を神様が私たちに与えてあります。
私たちは(世の人たちと)区別されていますが、私たちも以前はそこにいた者で、神様から救い出されました。
ですから今度は私たちが行って、その人たちをそこから救い出しなさいというのが神様が私たちにさせることです。

伝道をする時に、いくつかの方法があります。“語るべき言葉”です。


① 「あなたは誰ですか?」

この質問をするなら、びっくりすると思います。それで相手の人は名前を言うかも知れませんし、
自分が所属している名称を言うかも知れません。

ですが、本当の意味で あなたという存在は、何ですか?と聞くことであります。
質問を受けた人々は答えられないと思います。
自分という本質は何であるのか――?わからないと思います。
ですから、神様を求めないのです。救いが何であるのかがわからないのです。

聖書には、全ての人間はこういう者であると教えてあります。

【ローマ3章23節】

神様から見る私たちの姿は「罪人」であります。これは全ての人間に共通した部分です。
これを伝えなければいけないです。

「私が何の罪を犯したんですか?」と腹を立てるかも知れません。
その時に「神様があなたを罪人だと言っている姿はこの姿です。」と教える部分は、
人間だけは神様の姿に似せて造られたものですが、それは神様の栄光を現す為に造られた目的があります。

しかし、人間が神様の初めの言葉を無視して逆らいました。それが罪の始まりでした。
神様が人間を造った(本来の)目的通りではないです。

ですから神様の栄光を受けるに相応しくなく、栄光を現す事もできないのであります。
その姿が、神様の目から見たら罪人なのです。

すべての人間は汚れているので、罪とは言わないで「似た者同士でしょう~」と、
お互いの汚い部分は見ようともしません。

しかし、聖い神様の目から人間を見ると、誰もが罪人です。それを神様が教えてあります。

それでも「私は罪人ではない」と語るならば、その人たちの罪を見せることです。それが次の箇所です。

【ローマ1章19-32節】

この箇所に1つも当てはまらないという人はいないです。これらは罪の姿であります。
私たちはこういう罪を人々に見せなければならないです。


② 「あなたはどこに向かっていくんですか?」

私たちの人生はどこかに向かって歩いています。立ち止まった人はいないです。
永遠にこの世で生きる人はいないです。
どこかに行くのです。

それを相手に聞きます。
人によって「知りません。」、「天国に行きます。」、「死んだら【無】でしょう?」等と答えるでしょう。
しかし、それが真理でしょうか?
神様から出た真理の言葉はそうではないです。

【ヘブル9章27節】

どこに向かっていくのですか? ――神様の裁きの座に私たちは死んでから、まず向かっていきます。
そこに誰もが立たなければならないです。

「私は【無】になった方が良いです。」と言っても誰も逃げることができないです。
なぜなら、世界を造ったのは神様であり、法則を造ったのも神様であるからです。

自分は願っていても、これだけは避けることができないです。

【ヨハネの黙示録20章11-15節】 、 【ヨハネの黙示録21章7-8節】

いのちの書に書かれている人は、勝利者として神様の御国に入ります。
もう1つは、その人達の不信仰によって、数々の罪によって火と硫黄の燃える池の中に永遠に閉じ込められます。

ですから、「どちらに行きますか?」ということであります。あなたは、どちらに行きたいですか?
これは2つに1つで、その中間はないです。

もし「救いの道に行きたいです」と言うならば、そのまま(救いの道に)行くのではないです。
“みことばを通して神様は「そこに行きたいならば、こうしなさい。」と、あなたに対する解決策を
神様が持っていらっしゃいます。”と、次の箇所を伝えます。

【エペソ2章8-9節】

信仰というものは、神様の言葉を聞く事であります。
福音は悔い改めなしには無理なのです。私たちの信仰には悔い改めが必要であります。

救いは悔い改めなしには、救いはないです。悔い改める時にイエス様の血潮が注がれるのです。

現代の福音は間違ったものが多いです。教会でも悔い改める事を語らず恵みだけを伝えることは、
それによって魂は救われません。

信仰を見せるということは、罪を認めて立ち返ることであります。
罪人であると自分を認めることです。「私には救いが必要です。私を救ってくださるのは神様しかいません。」と
それが信仰であります。

【ヨハネの福音書3章14-16節】

【民数記21章4-9節】

自分の罪によって死んでいく者であっても、イエス様の言葉を信じて十字架を見上げるならば、
その人は生きます。
しかし、不信仰なまま神様の言葉を耳に入れないならば、その人はそのまま死にます。
ですから同じように蛇にかまれた者であっても、1人は生き、1人は死にます。
その違いは神様の言葉を信じたか、信じなかったか、です。

行いを良くするからと言って、罪が消されることはないです。
自分の汚れは、それを洗い落とさない限り汚れが付いたままです。
イエス様の血潮でないと、その汚れは絶対に無くならないです。

それが神様が用いた方法・解決策であります。

私たちは十字架がこういうものであるのだということを“民数記とヨハネの福音書”の聖書箇所で
知ることができます。
私たちは愛だけを伝えるのですが、それだけを伝えると十字架が見えてこないです。
罪人のためにイエス様が十字架に架かって死んでくださいました。


③ 「あなたはどうしますか?」

決断は私たちがするのではなくて、
みことばを聞いた人たち、解決策を聞いた人たちが選ばなければならないです。

あなたがそれを信じて、決断をするならば、こうなりますと次の箇所があります。

【ヨハネの福音書1章12節】 、 【ヨハネの福音書5章24-25】

神様はどんな時でも私たちがみことばを聞いて、信じて救われる事を望んでおられます。

救いは軽いものではなくて、本当に永遠の命を得るか、永遠の死を受けるか、一番大きい問題であります。

ある人たちは、平気に「地獄が良い」という人がいます。
それは地獄を見ていないから言えるのです。

この地上でも地震が起きたり、テロが起きている悲惨な場面を見ているだけでも、ゾッとします。
恐怖や不安でいっぱいになります。

だけど、それは地獄に比べたらある意味では大したことではないです。なぜならそこから逃れる道があるからです。

しかし、地獄というところは、どんなに逃げたくても逃げられなく、終わって欲しいと願っても終わらない世界です。
どうやって人間を常に苦しめようかと楽しんでいるサタンが取り囲んでいます。
燃える火に投げ込まれても、一度入れられたらどうにもならないです。

「天国はつまらなさそう」という人もいます。その人がそういう世界があることを信じないから言うのですが、
「本当に 本当に、そのような世界があったらあなたはどうするのか?」と
「死んでしまったらもう遅いよ!」と私たちはその人たちを責めなければならないです。
「それでも良いのか!?」と私たちは語るべきであります。

私たちは神様の素晴らしさを伝える使命があります。しかし、(私たちに)みことばが何もないのなら、
人々にただ「信じなさい」と言っても、その人達は何を信じたら良いのかわからないです。

なぜ信じなければならないのか、その意味もわからないのです。
ですから私たちは、みことばには力があるので順序正しく、「あなたはこういう者です。」
「あなたはどこに向かっていくんですか?」とそれを教えることであり、
そして「救いはこういうものであります」と自分の努力や行いでは救われなく、
どんなに拝んでも、良い働きをしても、それでは救われません、と

それを教えることであり、救われたらこういう素晴らしい状態になりますと私たちは伝えることであります。

始まりがあり、終わりがあります。中途半端に教えるのではわからないです。
罪人であることを教えない限り、悔い改めることはしないでしょう。
悔い改めなしに主に立ち返ることもないです。救われることもないです。

罪がないと十字架がいらないです。十字架が意味のないものになってしまいます。
ですから、十字架は何のためにあるのか・・・。
    → 「罪人である あなたのためにあります」。

神様はあなたが滅びに行くことを願わないです。1人も滅びに行くことを願わないです。
それで神様がそうしました、と。そして福音を伝えることであります。

これが伝道するということです。
私たちが正しいものを伝えない限り、正しい道に導くことはできないです。
今回のみことばは紙に書いてカバンの中に入れておいてください。

こういう伝道方法を用いて、魂を導いてください。 (・◇・)ゞ

2013.2.17
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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人生を委ねるとは?

テーマは 『 人生の道を委ねる 』 です

【詩篇37編5-6節】

私たちは永遠にこの地上で定着をして生活はできません。
そういう人は世界中を探しても1人もいないです。みんな出発して終わり(生死)があります。

みんなそれぞれ違う道を歩みます。
私たちは、自分が進む道に何があるのか、明日 自分の人生に何が起こるのか、
10年先はどうなっているのか、誰1人知りません。それは未知の世界であります。

これから歩む道というのは、「未知の道」であります。
もし、私たちの人生に対する素晴らしい助言をしてくださる方がいるならば、私たちは聞きたいです。
「どうやったら私たちに与えられた人生を豊かな人生に生きることができるのか?もっと良い人生に出来るのか?」
そういう助言をして欲しいと願うと思います。

私たちの人生において案内してくれる人がいるならば、私たちは拒む必要はないです。
神様は私たちに素晴らしい助言を、今日の聖書箇所で教えてくださっています。(※主にゆだねよ)

大切な自分の人生の道を委ねるということは、その基本になるものがあります。
その基本がないと、委ねることは絶対に出来ないです。その基本は3節に書いてあります。
まずは、主に信頼をすることです。

ただ苦しいから神様に拝む・・・ではないです。これだと「信頼」がないからです。
「信頼」はお互いの関係で築かれるものであります。

私たちは神様を信じる時に周りの人がからかう時があります。
「神様を信じる人は弱い人ばかりだ。弱いから神様を信じるんだろう。自分の力で生きなさい。」
このような言葉をすごく聞きます。
しかし、それは間違っていることです。弱いから頼っていることではないです。
無知な者だから頼るのです。

世の中には「私は強い」という人がいますね。何が強いのかはわかりませんが、
強くある人が多いです。

しかし神様は「主に信頼をするということは、弱いことではないんだ。
自分を知っている者がやることなんだ。」とおっしゃいます。

自分には限界があることを知っている者、明日のことも知らない無知な者だと知っている者、
知恵のない者だということを、悟っている人であります。

これらを悟っているので、それを知っておられる神様に色々な助言をいただくのは、
知恵ある人の態度であります。

知恵がないのに自分の力でなんでもかんでもするのは、どうすれば良いのかがわからなくなります。

「このお方は何でもできる」、「ものすごい力がある」、「私が倒れても助けてくださるお方である」と
このような意味の信頼であります。

これから自分が歩む全ての道、人生の計画を委ねていくならば、神様はその人にどうすると語りましたか――?
5-6節に神様が教えてあります。真昼ということは、光が一番強く輝くことだとおっしゃいます。

私たちは自分の行いで、自分を義なる者としようとすることがとても多いです。
“私の力で”、“私の努力で”、“私の能力でします”。「ですから誰にも頼りません。」
このような人は、神様は「真っ逆さまに倒れるんだ」とおっしゃいます。
障害物に当たって倒れた時に、誰も起き上がらせる人がいません。

主に信頼をする時に神様は、その人の人生を輝くようにしてくださいます。
神様の助けと守りが、常にその人にあると、神様が語ってくださいました。
恥を受けないように神様がしてくださいます。

神様から見て、人間らしく生きて欲しい姿で生きるのが勝利の人生であります。
虚しい人生にしたくなければ、【伝道者の書】を読んでください。

【箴言3章5-7節】

【イザヤ書42章16節】

私たちは目が見えてはいても、先のことが見えない者(盲人)であります。
自分たちの道を神様に委ねるならば、神様は闇を光にしてくださいます。
委ねる者を神様が守るという約束であります。

ですから、私たちは目が見えるという勘違いをしないことであります。
今、目の前にあるものしか見えていません。

「神様が私たちの目になるように、神様が自分たちの歩む道の光になってくださるように、主よ、お願いします。」と祈ると神様は聞いてくださいます。

【詩篇25編8-10節】

信頼をするということは、お互いに結んだ契約を守ることであります。
神様は契約を勝手に破る方ではないので、私たちの方で神様に信頼していくならば、
私たちが歩むその道は、恵み、真、それに満たされてあります。

神様は頼る者たちを見捨てたことがありません。

自分の力だけでこれから生きようとする人たちは一番愚かであります。

知恵ある神様の言葉に従って、自分の人生を委ねていきましょう。 v( ̄∇ ̄)v 

2013.2.10
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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使徒の働きクイズ★-4-

  聖書知識  

No.12



(1)異邦人たちは、それを聞いて喜び、主のみことばを 【      】 した。
そして、永遠の 【      】 に定められていた人たちは、みな、 【      】 に入った。
※それぞれ 【      】 の中に入る言葉は?




(2)生まれつき足のなえた人をルステラで癒した人は?




(3)エルサレムで会議が開かれた理由が書かれている箇所は?




(4)エルサレム会議で出された結論は?




(5)二次宣教旅行で、パウロとバルナバは別行動を取るが、新しくパートナーになった人は?




(6) パウロが幻を見て、宣教のために行った所は?




(7)ピリピで最初に聖徒になった人は?




(8) むち打たれて牢に入っても神に賛美し、祈りをした人は?




(9)ピリピの牢の中で救われた人は?




(10)「ここのユダヤ人は、 【      】 にいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心に 【      】 を聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日 【      】 を調べた。」
※それぞれ 【      】 の中に入る言葉は?




2012.8月度

八戸ノ里キリスト教会

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使徒の働きクイズ★-3-

  聖書知識  

No.11



(1)復活したイエス様に直接出会って救われた人物は?




(2)三日間、目が見えなくなったサウロに按手して目が見えるようにした人物は?




(3)サウロが回心したことを知って彼を殺そうとした人は?




(4)エルサレムに来たサウロを引き受けて世話した人物は?




(5)こうして教会は、ユダヤ、 【      】 、サマリヤの全地にわたり築き上げられて 【      】 を保ち、主を恐れかしこみ、 【      】 に励まされて前進し続けたので、 【      】 の数がふえて行った。
※それぞれ 【      】 の中に入る言葉は?




(6) カイザリヤにあるイタリヤ隊の百人隊長で敬虔な人は誰?




(7)主の導きでコルネリオを訪ねた使徒は?




(8) 彼は立派な人物で聖書と信仰に満ちている人であった。この人物は?




(9)弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれた都市は?




(10)使徒の中で最初に殉教者になった人は?




2012.7月度

八戸ノ里キリスト教会

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使徒の働きクイズ★-2-

  聖書知識  

No.10



(1)「信じた者の群れは、 【      】 を一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを 【      】 にしていた。
※それぞれ 【      】 の中に入る言葉は?




(2)畑を売って、その代金を使徒たちの足もとに置いた人は?




(3)聖書を欺いて神に打たれ死んだ夫婦は?




(4)ペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。「人に従うより、 【      】 に従うべきです。」
※ 【      】 の中に入る言葉は?




(5)教会の中で苦情が出たために使徒たちが行ったことは?




(6) 「さて、ステパノは 【      】 とに満ち、人々の間で、すばらしい不思議な 【      】 を行っていた。 」
※それぞれ 【      】 の中に入る言葉は?




(7)立派な説教をした後に迫害者たちによって殉教した人は?




(8) 教会に対する激しい迫害の先頭に立っていた人物は?




(9)迫害によって散らされた信徒たちは何をしたのか?




(10)エチオピア人の高官に福音を伝えた人は?




2012.6月度

八戸ノ里キリスト教会

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心の中には何がありますか?

テーマは 『 私の心の中 』 です

【マタイの福音書13章1-9節】

種を蒔くことは、みことばを蒔くということです。畑というのは、私たちの心の中の状態のことです。

私たちの心の中は、どんな状態でしょうか。自分にしか心の状態がわからないと思います。
また、自分さえもわからない(心の)状態もあります。それは神様だけが私のことを深く知っておられます。
礼拝の時間というのは、私たちの心にみことばが蒔かれる時間です。
みことばを聞いて、良い地であるならば、ある時は悔い改めをしたり、力を得たりします。

しかし、みことばを聞いても何も思わない時には、心の中がどうであるかをよく見たら良いです。
自分の心の中に何があるのか――?

道ばたに落ちた種は、サタンがやってきて すぐにみことばを持ち去ります。
私たちがみことばを聞いても気に留めないでいると、サタンが盗みにやってきて、何も蒔かれたことが
なかったかのように1つも覚えていないです。

土の薄い岩地は、土はありますが その下に硬い岩があります。それは自我の岩です。
みことばを聞き、「良いみことばだなぁ」と思いますが、「それが一体自分に何が関係あるのか?」と。
今まで生きてきたなかで色々な価値観を持っています。そしてみことばを聞くと自分の中でぶつかります。
すると、岩が跳ね返しますので それ以上、良い芽が出ないです。

いばら というのは、私たちの思い煩いのことです。
思い煩いはとても速いスピードで大きくなっていきます。
せっかくみことばを聞いて身にしみても、そこに思い煩いが入ってくると、そのことばかり気になってしまいます。
みことばをあっという間に忘れてしまいます。
そうするとみことばに堅く立つことができないので力を受けることができません。

例えるなら、私たちは神様とコンセントで繋がなければなりません。
私たちが(目に)見えない神様に対して どんな思いを持っているのか、それに懸かっています。
思い煩いというのは、見える“何か”から来るものなのです。
それによって自分の目と心が捕らわれてしまいます。
私たちには神様が見えませんが、でも その見えない神様に自分の心を注いでいくと、
目に見える敵よりも、見えない神様の方が大きくなり力が強くなっていきます。

私たちは問題がある時に、神様のところへ駆け込まなければなりません。
そして祈りをすることが神様とコンセントを繋ぐということです。

【出エジプト記33章7-23節】

モーセと神様が親しく語っています。ここで、どのように神様と交わるのかを学ぶ事ができます。
私たちは自分の力で生きているように思いますが、自分の力というのは大したことがないのです。
しかし、世の中はそうではないです。自分中心の生き方を認めていますし、そうするべきだと言います。
ですから、競争社会になっています。
モーセは謙遜でへりくだり、神様は偉大な方であることを認めていました。
自分は無力であることも認めていました。ですから、神様はモーセにとても語りやすかったのです。

良い地とは、私たちの心の畑から要らない物を取り除いた地なのです。
最初から人間は全てが良い地ではないです。
私たちの心から、岩・いばら・苦い思い・人を許さない心や妬む心・色々な邪魔なものを
1つ1つ手作業で取り除いていくと良い地になります。

【Ⅱサムエル22章21-51節】

この言葉はイスラエルのダビデ王が語った言葉です。もともと彼は羊飼いでした。
王家から生まれた者ではないですが、神様が召させました。
また、末っ子のダビデは兄弟から軽く見られていました。
しかし神様はダビデを引き上げて王様にしてくださいました。

ダビデは色々な戦いに出て行きましたが、一度も負けたことがありませんでした。
どんな戦いでも自分の力で立ち向かわなかったからです。どんなに小さい事も大きな事も全て神様の手に
委ねました。だから神様が喜んで敵を打ち負かしました。

普段、主を呼ばない者が、その時になって主を呼んでも主は答えてくださいません。
神様は普段 祈りによって神様に近づかない者をよくご存知です。
普段、力を求めていないのに、神様と親しくしていないのに「なんで困った時だけわたしを呼ぶんだ」と、
おっしゃいます。

普段から親しい関係、神様を愛して「神様のことを知りたいなぁ」という願いで近寄る者を、
神様は決して その手を拒むことはないです。

神様はその人の心をご覧になります。(その人に)力を流すか流さないかは神様が決められます。

【詩篇119編24-32節】

詩篇119編は、クリスチャンが日々神様に祈るべき みことばです。
私たちがどういう姿勢で目を上げて、どういう心で神様に向かって良いのかをよく教えてくださる箇所です。
聖書は神様が私たちを愛して立たせる為に造ってくださった書物です。

神様を相談相手にしていますか?考えてみてください。

みことばは、ただ読んで通り過ぎたら何も残りません。
1つのみことばに目を留めて、「あれ?自分はそれが出来ているかな?」と吟味をすることです。

私たちはいつでも祈ることが出来ます。
普段から忙しい毎日を過ごしているので、祈る時間がないなぁと感じる時があるかも知れませんが、
聖書に書いてあるのは、時間が出来たら祈りなさいという言葉ではないです。
「絶えず祈りなさい」と書かれてあります。

私たちがイエス様に対する愛が深くなっていくと、いつもイエス様のことを考えてしまいます。
何かをしている時にでも、ふとイエス様のことを想うのが「絶えず祈りなさい」ということです。
神様は何でも話ができる相談相手なのです。

【ピリピ4章4-7節】

神様に信仰のスイッチを繋ぐと、この箇所に書いてあることが起こります。
神様は全てのことにおいて答えを持っておられるお方です。
私たちは色んな思い煩いが重くのしかかってきます。
ですが、神様に対してはまず感謝をもって近付いていくべきです。

自分で当たり前だと思っているもの(健康など)が取り去られたら、
その時 初めて私たちは神様からどれだけ良くしてくださっていたのかがわかります。

ですから、私たちが神様に近づく時は、いきなり願いをぶつけていくのではなくて、
感謝をもって近づく方法が一番良いのです。それから私たちの願いを神様に知っていただきます。

神様は偉大な方ですが、同時にご自分のことを知らせたくて、人となってこの世に生まれて来てくださった方です。
私たちに近づきたいと願ってくださる方ですので、
私たちは、「神様、今まで出来なかったんですけど赦してください。知らないで犯した多くの罪を赦してください。
今もよくわからないんですけど、近付きたいので 近付かせてください。」と、このような簡単な祈りで良いのです。

神様は私たちを愛しておられます。

神様はどんな人でも心を動かすことが出来るのです。神様に向かって私たちが祈るなら、
その時から神様が働かれて、あなたの周りを変えていってくださいます。

私たちの祈りは「いつ聞かれるんだ?」という思いが強ければ強いほど、「神様は聞いてくださっているのか、
聞いてくださらないのかわからない。もう自分でやってしまおう」となりがちです。

そうすると神様の権威ではなく、自分の権威でやりはじめることになります。

私たちはもともと、自分のやりたい方法でやりたいのです。それはこの世の生き方です。
そのような思いは私たちがもともと持っているものなのです。そこで神様のみことばを聞くとぶつかりますが、
「自分が偉いんだ。自分が正しいんだ。」では信仰のスイッチを繋ぐことはできません。

神様が生かしてくださる道を歩む私たちになりましょう。
神様の光の中を、光の子として歩む私たちになりたいと願っています。アーメン (*´∇`*)

2013.2.3
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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使徒の働きクイズ★-1-

  聖書知識  

No.9



(1)使徒の働きは誰に送った手紙でしょうか?




(2)イエス様は復活して何日間弟子たちに現れましたか?




(3)イエス様が弟子たちに与えた命令は?
 【      】 を離れないで、私から聞いた 【      】 を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを
授けたが、もう間もなく、あなたがたは 【      】 を受けるからです。
※それぞれ 【      】 の中に入る言葉は?




(4)「しかし、 【      】 があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリやの全土、および 【      】 にまで、わたしの 【      】 となります。」
※それぞれ 【      】 の中に入る言葉は?




(5)何人が集まって聖霊を受けるために祈りましたか?




(6) イスカリオテ・ユダの代わりに選ばれた弟子は?




(7)聖霊が下った日は?




(8) 聖霊が注がれると預言した旧約の預言者は?




(9)足なえの人を癒した2人の使徒は?




(10)するとペテロは「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。
 【      】 の 【      】 の名によって、歩きなさい。
   ※それぞれ 【      】 の中に入る言葉は?




2012.5月度

八戸ノ里キリスト教会

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神様の しもべとは?

テーマは『 神様の しもべとは? 』 です

【使徒の働き20章22-24節】

こちらはパウロが人生の終わり頃に語ったことばです。
パウロは神様の しもべですが、私たちも しもべであります。

神様とは主人と しもべの関係です。

自分を選んでくださった方、神様に対して自分が人生の最期までどういう姿勢で仕えているのか、
これを見ることができます。


しもべの姿とはどういう姿でしょうか?
自分の思いのままに働くのではなくて、しもべは常に主人のみこころに従って歩むものであります。
反抗する者は、もはや しもべではないです。

モーセ、アブラハム、アロン、パウロ、ヨセフなど偉大な者であっても、彼らは自分は しもべであるという
認識を忘れたことがないです。

しもべたちはみこころを知り、そのみこころが自分にとってどんなに厳しく不利であっても、
それに対して「いいえ。」とは言えない人たちです。聞き従うということは「はい。」であります。
なぜならそれは主人からの命令だからです。

パウロに与えられた命令は、自分が迫害を受け死ぬかもしれないということが語られました。
当時の迫害はムチを打たれたり、石を投げられたり、命を落とす人もいました。
もし私たちが、自分が進んでいく道にあるんだと知っていたらどうしますか?

パウロはそれを聞いても一切逃げませんでした。彼の周りにいるクリスチャンたちが一生懸命止めました。
パウロが持っている しもべの精神と、周りにいるしもべの精神が全く違いました。
彼らは苦しかったら逃げる。「後でそれをしよう。今、死にたくありません。長く生きてたくさん働きますから、
神様、他の人を行かせてください。」と、きっと私たちは色んな言い訳をすると思います。
しかし、パウロは自分の主人がそう命令してあるならば、わたしが行かないで誰が行くんだ?と
彼は周りの人たちの言葉を断りました。


クリスチャンたちが神様の子になったということは、その瞬間から「どの道に入ったのかを知りなさい。」と
いうことであります。「広い道ではない」と語りました。それは選ばれた者たちが歩く道は別にあるということです。

2つの道があり、1つは自由に暮らして死んだらどうでもいい、死んだ後は何がわかるんだ?だから「飲めよ、
楽しめよ。」とその道の方が良いです。と思う人は自分が主人で良いと神様は語ります。

しかし、「いや、私は永遠の命も欲しいし、天国があるなら入りたい」と思う人は、その道を選ばないと
辿り着かないです。そこには、私たちをそこまで導く主人がいます。案内する主人の言うことを聞かなければ
ならなく、そこでは自分勝手に出来ないので(自分はどちらの道へ行くのか)選択をしなさいということであります。

パウロは神様の道を選びました。その先に何が待っているのか、そんなに問題ではなかったです。
なぜなら目的地を知っているからです。

私たちが しもべであるならば、必ず主のみこころに従って、そこに迫害や苦しみがあっても
その道を行きます。それが従順なのです。
良い時だけ従うのは従順ではないです。従順は自分を殺さなければ出来ないです。


主の しもべたちは、与えられた使命を最期まで全うしなければならないです。これを別の言葉で言うなら忠実です。
中途半端にして神様に言われた時に「時間がなかったからです」など言い訳をしますが、
本当の部分はそうではなく、怠けている心がいっぱいあるからです。従いたくないという思いが詰まってあります。
旧約聖書のサウル王のようになります。

エゼキエル書には神様の厳しい言葉が書かれています。
そこには神様に従わないで偶像を作ったイスラエルの姿がありますが、
主を信じた者でも自分勝手に歩いた者に対して、神様は怒りをその者に注ぎました。
これは上下関係です。
命令を与える者と、不従順する者に対して神様が語った言葉ですので読んでみてください。


私たちが神様から与えられた使命を果たす時に、すごく気を付けなければならないことがあります。
ただ熱心に働けということではないです。それは熱心党になります。

主に仕えた しもべたちを見ると、人々にものすごく仕えました。
神様に仕えることは、人に仕えることであります。
神様は私たちが人々に仕えるように(私たちを)選んでくださいました。

本当の主の しもべの中にあるものは、ただ仕事熱心な者ではないです。人に対する愛があります。

自分の身を常に守ろうとする者は しもべの姿ではないです。
自分が第一で、他人のことはどうでもいい。他人のために自分のものは何一つあげたくもない、
「何で私があの人たちのために時間を捧げ、命まで捧げることがあるのか?」と思う人は、
まだ しもべの心が分からない人であります。

しもべたちは仕えることが自分たちの喜びになっています。

彼らは主を見上げて力を受けていました。常に彼らは自分たちを選んでくださった神様から目を離しませんでした。
疲れた時もいつも神様のところに来て力を受け、恵みや知恵をもらい、また出て行って仕事をしました。

いつの間にか神様を忘れて仕事に没頭するのは牧師たちの姿でも多いです。
仕事は熱心にしますが、羊(信徒)を置き去りにして羊を見ません。
牧師にとって、本来 それが一番大切なことですが、自分の仕事に熱心に はまっていき、
羊が後ろで鳴いていたり倒れていても、関心がないです。

羊の世話をするのは、羊飼いであり、(他に)誰がするのでしょうか?
そういうことであります。
仕事熱心よりも、神様ご自身や神様が与えてくださった魂に熱心であることが大切です。
牧師は羊を飼うことが仕事であります。

だからと言って、何でもかんでも世話をすることではないです。そのようにすると育たないです。
いつまでも赤ちゃんのままです。

時には厳しく、時には優しく、それは羊を教育するために必要です。
そして育てながら、みこころに従う忠実な者に神様がしてくださるので、 私たち自身が神様の前に、
言うことを聞かないで反抗をする不従順な者にならないで、たとえ今までがそうだとしても
「あぁ、神様。私は本当にダメな子でした。私が変わらないといけないんですね。私を変えてください。
神様が誰なのかよく知って、神様の言葉に対して恐れ おののく者でありますように。」

恐れ おののくことは大切です。

口では「私は しもべです。」と言いながら、しもべの姿の香りが1つも出ないならば、やり直しです。
やり直して、本物の しもべになりましょう。 (*´ -`)(´- `*) 

2013.1.27
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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