からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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善悪の実を食べた理由

テーマは『善悪の知識の木から取って食べた理由』です

【創世記2章16-17節】、【創世記3章1-6節】

なぜ食べたのか、その理由をみことばを通して知りたいと思います。
エデンの園にある実の中で、この木だけは食べてはいけないことを人間に命令を与えました。
人間が自分の意思で神様に従順するか、しないかを試すためでした。理由はこれでした。

神様が主権者なので、それに従うのが秩序であります。
ですが、それに従うかは(神様は)人間に意思を与えています。
蛇の中にサタンが入って誘惑をしに人間に近づいてきました。

それまでは中央にある木を気にしていませんでしたが、サタンが違う思いを入れました。
それは神様と全く違う言葉でした。

しかしサタンの攻撃が来る以前に、神様は人間に注意しなさいと言葉を伝えていました。
なので人間はそれを守れば良いだけであります。しかし人間の言葉も曖昧になっていました。

「死ぬといけないから」と言いましたが、神様は「必ず死ぬ。」と語ってありました。
この言葉の意味には天と地の差があります。

神様は中途半端な言葉は語らないです。

蛇の言葉を聞いてから、その実がすごく美味しそうに見えるようになりました。食べたい欲が出てきました。
私たちは何かをする時には欲が出てきます。

罪というものは、見た目(包装紙)が美しい物であります。私達を誘惑するものですので、
誘惑されやすい「良いもの」に見えてきます。 

【箴言5章3-4章】

すごく見た時は甘いものなので誘惑されていきますが、一緒になってしまった後で大変なことになります。
見てはいけないものをずっと見ていると、だんだん自分の欲が出て来て、肉の欲、目の欲が出て、
自分では抑えられなくなります。

【ヤコブ1章14-15節】

誘惑されると必ず私たちは行動に移します。全てのものがそうです。
しかし誘惑された瞬間、なぜ人間はそれを止めることができなかったのでしょうか。
神様の言葉があるにも関わらず、なぜ手を伸ばしてそれを食べたのか――。

私たちは神様の言葉があるにも関わらず我々は罪を犯します。
それは私たちと言葉の関係に問題があります。
人が誘惑されるまでは、その言葉が生きてあります。
ですが、サタンにそそのかされてサタンが流した嘘が支配し、思いが支配されるとサタンが働きます。
サタンが働いた時から、みことばがおかしくなります。
みことばに対する自分の態度が(反応が)変わってきます。

アダムとエバの中には、神様の言葉を軽く考える思いが出てきました。
心が汚れたことによって神様の言葉が力を失っていきました。
神の言葉を軽く考えた時から罪が生まれます。罪は神様の言葉から離れたことが罪であります。

【Ⅰサムエル2章30節】

エリ祭司も神の言葉を軽く考えました。
神様が勝手に変わるのではなく、私たちが神様を変えなければならないようにしています。
私たちが罪を犯すなら、神様は約束を果たす義務がありません。

【マラキ書3章14-18節】

主の言葉は「必ず死ぬ」という厳しい言葉です。
サタンは「死ぬどころか、神のようになる」という言葉でした。
アダムとエバは神様の事を軽く考えていたので神様の言葉を疑いました。

罪を犯す者は、判断力、分別力、良心までもがマヒされます。
嘘を信じると、真実を嘘のように思います。

聖徒とは、聖書で神様が語っている約束を信じる者であります。
聖徒とは、聞いて信じて受け入れる人で神様の言葉によって生きる人です。

神様は嘘をつかないです。サタンは初めから嘘です。偽りの父です。

もともとサタンは自分が神になろうとしていましたが、失敗しました。
天使として造られた時は霊的な存在でしたので、人間の力は及びません。
そして神様を直接見た者であります。神の世界のことを全部知っています。
サタンが神になれなかったのに、人間が(神に)なれるわけがないです。
ここに人間の愚かさがあります。
誘惑されると善悪がわからなくなるので、悪いものが良いものに見え、良いものが悪く見える。
真理が嘘のように思え、そして 嘘が真理のように思えます。

欲を持っている人が一番騙されやすいです。無欲であるならば、
どんなに誘惑がきても私には関係がないと思えます。

詐欺師は欲を持っている人達を探します。

もし誘惑されたなら、自分は欲張りだということです。そこには既にサタンが住んでいます。
人々が福音を聞いても信じない理由は、サタンが心に住んでいるからです。
サタンが福音を受け入れることはないです。

エデンの園の「これは食べてはいけない」と言った場所は神様の領域でした。
しかし、そこに人間が足を踏み入れました。人間は許された領域の中でいなければならないです。
神様の領域に入ってタダで出てくることはないです。そこは禁じた場所だからです。
神様は人間をエデンの園から追い出しました。

今も私たちが神様の言葉を無視し、約束を疑って従わないでアダムとエバと同じように領域を侵害するならば
天国から追い出されることになります。

教会に来る人でも2種類の人がいます。
神様の言葉を恐れる人。人間は、人間として自分の領域を守りながら生きる人。
神様の領域を勝手に汚い足で踏みつけて「何が悪い」と、生きる人。

神様は正しい者と悪者をはっきりと区別するんだと語りました。
その部分で私たちは今も善悪の知識の木、私たちを誘惑して倒そうとしている その木、
それがたくさんあるということです。

パウロと共に働いたテマスは、善悪の知識の木の実を食べた者であります。
一緒に働いた者ですが、その道はとても苦しい道でありました。
他の人達は一緒に闘って最後の勝利を得ましたが、テマスは違っていました。
パウロを通して神の言葉を聞いていましたが、世を愛していました。

私たちが神様の言葉を聞いていても、それを軽く考えて疑って、神様の領域に勝手に入ってくる。
その理由は何でしょうか――?
自分の中にすごく欲があるからです。神様は「持ってはいけないものなんだ。それを何故捨てないのか。」と。
悪魔がもたらしたものなのに、それが自分にとって悪いものかもしれない。
それは自分にとって手放したくないものかもしれません。
すごく甘く見えて、すごく素晴らしく見えます。

神様は、サタンが出したものは見える部分だけではダメなんだと語ります。
その後ろには何を隠してあるのか。後ろに隠しているものが必ずあります。
それは私たちを殺す剣であったり、美味しそうに見えても口に入れた瞬間、毒が出てきて――。
それで良いのでしょうか?

神様の言葉は今の私たちにとって命の木の実であります。これをたくさん食べる人は命が豊かであります。

これは神様が私たちに教えたいことであります。
人間はとても愚かな者です。愚かな者であるからサタンが来て騙されてしまいます。

ですから私たちが誘惑されるものをよく見てください。
「あれを食べたら私はどうなるんだろう?」「食べて腹の中でも甘いだろうか?」
「あれを私が食べてしまうと、それが私にすごく益になるだろうか?」
見た目だけで判断するのではなく、中身、結果まで考えることです。
そして自分が取って食べるなら、それは食べた人の責任であります。

神様は「これは食べてはいけないよ」と聖書の中で親切に教えてくださっています。

私たちは彼ら(アダムとエバ)の姿を見て、同じことを真似してやっているのか?と彼らを鏡にして
絶対に誘惑されないぞという思いがあれば、神様は「エデンの園にそのまま住みなさい。」と
天国まで導いてくださいます。

2012.9.2
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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金ヘス牧師のブログ

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思いの中にある時は私たちは止めることが出来ますが、
心にその思いが入ってきて願うと自然と身体が動いていきます。

神様から離れた理由

テーマは『私が神様から離れた理由』です 

(坂田姉妹が実際の体験で得た証付きメッセージ)

【Ⅰペテロ5章6-11節】

皆さんに質問です。神様が自分を見ている姿を想像してみてください。どういう表情、雰囲気で見ているのか。
その神様はどんな神様でしょうか? 大きな神様でしょうか、小さな神様でしょうか、
怒っている神様でしょうか、裁いている神様でしょうか、優しい神様でしょうか。

救われたばかりの頃は、ある姉妹と「神様のカバン持ちになりたい。」
「神様の愛をもっと知って人々に伝えたい。」 という思いで神学校へ行きました。
ですが、今はそういう気持ちが無くなっていました。

祈り会の時に、ふと1人の子供がキャッキャ♪ と はしゃぎながら喜びながら飛び跳ねて遊んでいるのが
思い浮かびました。そしてその後ろには大きなお父さんがいて、温かい目でニコニコ笑いながら見ている。
このイメージは神様が私に求めている(神様に対してのイメージ)姿はこれなんだとわかりました。

でもいつも私が罪を犯した時には、神様に対して虐待されている子供が「ごめんなさい!ごめんなさい!」と
うずくまって謝るような、そういう罪の悔い改め方をしていました。
虐待児が親を見るような、そのような目で私は神様を見ていました。

8月のある4日間を、神様から自分自身を捧げなさいという言葉がきました。
7月に知人から、ある集会で神様に祈りを捧げ、交わりをすることを誘われOKしましたが、
そこから1カ月間自分との闘いでした。

本音は行きたくありませんでした。神様から逃げたく、神様から離れて好きなことをしたいと言う自分が
神様のために4日間捧げるということは、今の自分にとってキツイものでした。
集会へ行けないようにいくつかの条件を付けていましたが、全てのことが神様に聞かれ、行くことになりました。

4日間の初日は観光をしようという計画もありましたが、移動の疲れもあり、
この4日間はずっとその集会場で祈ったり、聖書を読んだり、交わりをする時間を過ごしました。
それはとても恵みの時間でした。そこでイエス様が私に教えてくださったことがありました。
証と共に恵みを分かち合いたいと思います。

~ 今回のテーマである「私が神様から離れた理由」より ~

①かたくなさ(反逆心、反抗心)

神様はどれほど私に良くしてくださり、どれほど祈りを聞いてくださって、恵みを与えてくださっていたか、それをわかっているのに、たった4日間神様に捧げることが嫌で嫌でたまらなかったです。
このことで自分の心の中に頑なさがあることがよく分かりました。

神様が祈りを聞いてくださっている時は、私にとって良い神様であるのですが、
神様が「私の命令に従いなさい」という時は、
それによって自分が何かを明け渡さなければならない命令だと「出来ない~!」と握りしめている頑なさ。
しかしそれを持っているとサタンは攻撃をしてくるので自分を滅ぼすものになりかねないので
砕いていかなければならないものだと痛感しました。


②サタンの攻撃

サタンの攻撃はどんどん激しくなっています。この教会はサタンのことをよく教えますので攻撃も強いです。
また、恵みや奇跡も多い。それが多ければ多いほどサタンは攻撃をしてきます。
聖霊のことやサタンのことを教えないのでは、サタンも眠っている教会です。

この終末で、サタンは私たちを神様から引き離そうと必死です。
自分の心の中に心配事や握りしめているものがあると、それが隙になりサタンの餌になります。
そこに食いついてきます。サタンに対して、そして自分自身に対しても戦いであり、
自分の中にサタンの餌をどれだけ少なくするかが戦いに勝利できることだと学ばされました。

長年自分が握りしめているものなので、自分の力ではなかなか捨てることができないので
神様に祈っていくことで、その餌が無くなっていき、だんだん強くなっていきます。


③律法主義(祈り)

本来、祈りは自分の本音を言えば良い場所なのですが、
私は「こんな祈りをしたら裁かれるのではないか」という思いが来て、
なるべく綺麗な祈りをしなければならないと思っていました。
今回の集会へ行きたくないと思って神様に本音をさらけ出していましたが、神様はそれで裁くことをせず、
それどころか祈り通りに恵みをたくさん与えてくださいました。

祈りはストレートであって良いのだと、自分の本音をさらけ出して良いものだと分かりました。
本音をさらけ出して祈るほど、神様は答えを早くくださいます。

家では1時間祈ることを決めていました。それも時計を見ながらで、1時間経ったら祈りをやめていました。

例えば、これが愛する異性だとしましょう。
デートをしました。バ――ッと自分が言いたい事だけを言って、1時間経ったら「バイバイ」。
これは愛とは言えないですよね?

本当に愛し合っている人とならば、いつまで話をしていても飽き足らないし、「こんなことがあったよ。
あんなことがあったよ。こんな苦しいことがあったよ。あんな悲しいことがあったよ。」というのが会話であって、
自分が言いたいことだけを言って、相手が言いたいことを聞かずに一方的に話をして「さようなら」では
神様は悲しみます。


③律法主義(行い)

断食に対してとても弱さがありました。神学校にいる頃や、
自分の祈りを聞いて欲しい時に断食をしたことがあるのですが、
断食をしなければ祈りを聞いてもらえないような気になってしまい、
神様が示していないのに断食をしなければいけないと思い、断食をしたことが度々ありました。

みさえ姉から「神様は、取引きの断食は受け取らない」と。
断食は、神様が与えたい時に示すので、断食しなさいと神様に言われた時にしたら良いということを
教えられて、自分の思いで断食するのは辞めようと思いました。これもある意味、不信仰になります。
「断食をしないと祈りを聞いてもらえない」。そんな神様ではないです。

律法主義というものは、自分の心の中にある欲をサタンは利用してきますし、
結局それは自己満足でしかないです。

私が律法主義のことで悩んでいる時に神様から与えられた聖書箇所が次にあります。

【ローマ8章15節】

神様は私たちに恐怖を与えることはありません。それは私たちは神様の子どもだからです。
「お父さん」と言って祈ることができる権利を与えてくださっています。


④神様に対しての間違ったイメージによる恐れ

神様は偉大な方で天地万物を創造されたお方なので、恐れるべきお方ではありますが神様は愛のお方です。

しかし私は「神様=恐ろしい方」というイメージの方が愛よりもはるかに大きくなっていました。

この4日間は祈り、聖書を読み、交わりをしていました。
そして近所にいる開拓伝道を始めて5年経つ韓国人の牧師先生が来られていました。
それぞれが自分達の祈りをしていましたが、最終日に牧師先生が「神様からの思いがきて、
あなたたちに手を置いて祈ってもらいたいです。」と言われ、異言で祈りました。
その時にその牧師先生の悲しみや苦しみが伝わってきて涙が出てきました。
牧師先生は開拓伝道をして5年ですが、初心者ばかり来るのでどのようにしていったら良いかがわからない
ということと、旦那さんは神様を信じていなく、会社員でしたが1年前から失業してしまいそういう意味でも苦しく、
そういう話をしながら分かち合いました。

そして最後に牧師先生が私たち1人1人のために祈ってくださいました。
その牧師先生の預言の言葉が「あなたの足の周りに子供たちが見えます。あなたにはその働きがありますね。
だからその子達のために祈っていきなさい」というものでした。

ここの教会でも同じ言葉をいただいているので、神様から来たものだと安心して
そして神様が導くから大丈夫だよという慰めと励ましの言葉が大きくて、
神様はこのために私たちがその牧師先生を祈らせてくださったんだと感じました。

【ローマ8章34節】

【ルカ22章31-32節】


イエス様ご自身が私たちのために祈ってくださっています。
私たちが間違った道に行かないように、とりなしをしてくださっています。
イエス様は私たちの目線に立って、分かるように教えてくださる方です。

この教会でも、他の教会でも他のクリスチャンを見た時に、
自分にはない賜物を持っている人を見ると、やっぱり自分と比べてしまって自己卑下をしてしまいます。
自分よりたくさん働きをしている人を見ると、自己卑下をしてしまったりしますが、
神様から与えられている使命や命令・賜物は1人1人違うんですね。

神様の命令に従った時に、神様はたくさん恵みを与えてくださるお方です。
従順することによって神様はそれ以上の大きな恵みを与えてくださいます。

罪を悔い改めたら神様は赦してくださいますが、
じゃあ愛の神様だから罪を犯しても赦して下さるだろう。という考えは間違えています。

また、裁かれたくないから罪を犯さない。
これも神様からの目から見たら悲しんでおられることだろうなぁと思います。
わたし(神様)はこんなにあなたを愛しているのに「裁かれたくない。
だから罪を犯しません。」ということだけでは、神様から見ると、神様から本物の愛を受け取って、
そしてその中で罪を犯さないで真理の道を歩んで欲しいという思いからは
自分の思いがズレているのではないでしょうか。 ( ´_ゝ`)

2012.8.26
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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