からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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何を準備して主の前に出ますか?

テーマは『 何を準備して主の前に出るのか 』です。

【出エジプト記23章14-15節】

12月は1年を決算する月です。1年があっという間に過ぎました。振り返ると感謝が多いです。

主の前に自分が立つ時に、何を持っていますか?
――特別な人に会いに行く時に、手ぶらで行く人はいません。何か、特別な物を持っていきますね。
神様に対してはどうでしょうか。

神様は超VIPな存在であります。
しかし神様を、自分と同じレベルで考える人や、奴隷のような存在と思っている人もいます。
救われたばかりの時は感謝で溢れていても、時間が経つと恵みに慣れてしまいます。

夫婦も同じように、新婚の頃は ずっと一緒にいたい存在だったのに、いつの間にか・・・。
いつも一緒なので特別な存在だと感じなくなる部分が出て来ます。(お金稼ぎや家政婦さんのような存在)

神様に対して、感謝を捧げ、恵みを忘れてはいけません。
祭りの時には、何も持たずに神の前へ出てはならない、ということです。
神様は物が欲しいというわけではありません。神様の存在をあなたの中で特別扱いしなさい、ということを
おっしゃっています。
その時に、神様は私たちがどのようにするべきなのかを教育してくださっています。

気軽に接するべきではないです。他人には気を遣うのに、神様には気を遣わず、恐れないのは間違えています。

ヨブは神様を特別な存在として扱ってきました。(ヨブ記1章)
ヨブは環境に恵まれていましたが、神様は1日のうちにヨブの全てを取り上げ、一瞬にして何もかも失いました。

――その後、ヨブはどのような行動をとったでしょうか?
神様の前にひれ伏して礼拝をしました。感謝と信仰を持って、そのような状態でも神への感謝を忘れませんでした。
<今まで神様から全ての恵みをいただいていて、失わせたのも神様であるので、
自分が何か言えることではありません。>と。 
ヨブの妻は神様を恨みましたが、ヨブ自身は一言も不満を呟きませんでした。

私たちは何か1つ無くなっただけで文句を言って、「礼拝に出たくない」と思いますが、
ヨブは神様の主権を認めていました。

ダビデも断食で祈りましたが、神様は子供の命を取りました。
しかし、それを知ったダビデは姿を整えて神様の前に出て感謝を捧げました。
それを見た家来たちは驚きましたが、ダビデの中で神様は特別な存在でした。
どんなことがあっても神様への態度を変えませんでした。

何か悪いことがあると、神様を一般人のように存在を引き下ろすのは間違えています。
神様によって自分は生かされ、着る服も・・・多くの恵みを与えてくださっています。

手ぶら=物質的なものではありません。そしてお金のことでもありません。
神様は(あなたの)態度を見ておられます。
カナンの人、長血の女、百人隊長などイエス様の前に【信仰】を持ってきました。
「あなたなら、私を癒すことができます」と。
素晴らしい信仰を捧げたので、神様が祝福を与えてくださいました。

「あなたならばできます」と信仰を語り、自分の問題(悩み)を言いました。いきなり問題を言うのでは、
神様は喜びません。 <信仰のお土産を持ってきなさい。>

マグダラのマリアも、ひどい状況からイエス様が救ってくださったので、貴重な香油をイエス様の頭と足に注ぎ、
自分の髪の毛で拭き、感謝を捧げました。

貧しいやもめが、僅かな献金を捧げました。
他の人よりも金額は少ないですが、全財産を捧げましたので、イエス様はそれに目を留められました。
やもめは主に対する感謝で献金を捧げました。

神様は人格を持っておられますので、私たちは自分が恵みを受けることばかりを考えていてはいけません。
神様も私たちと同じ感情を持ちます。自分で蒔いた通りに刈り取ることになります。

僅かな物を捧げて自慢をするのは、傲慢であり 神様は喜びません。
ただ神様から何かをもらいに来るだけの礼拝ではなく、毎回 来るときは何かを捧げることを考えるようにすると
良いです。それは奉仕でも献金でも、自分に出来るもので良いです。

< 神様を特別な存在として扱います。神様は全てのものを持っておられますので >
― あなただけが、特別な存在です。 ―

主が喜ぶものを持ってきた時に、主は恵みを与えてくださいます。何でも与えてくださる神様です。

主権者を忘れず、恵みを忘れてはいけません。いつも準備をして礼拝に出ましょう。 v( ̄∇ ̄)v

2011.12.4
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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謙遜な人パウロから学ぶ

テーマは『 謙遜な人・パウロに対して 』です。

【Ⅱコリント12章9-10節】

パウロは新約聖書の中で信徒たちに多くの手紙を書いた、使徒の中の「使徒」の存在でした。
学ぶべきことがとても多い人物です。私たちが目指す姿であります。

目標はもちろんイエス様ですが、あまりにも素晴らしい方なので目指すには難しい部分がありますが、
パウロは自分たちと同じような性質(境遇)を持っている者です。

― パウロは、なぜ良い働きができたのでしょうか? ―
特別な者ではなく、パウロは救われた時から謙遜な者でした。
教えてくれる先生がいたわけではなく、主の言葉を聞いて、まず自分を打ちたたくことをしました。 

「傲慢な者は退ける」・・・自分の働きをアピールした者もいましたが、
そのように言った彼らをイエス様は「知らない」と退けました。 ≪傲慢な者よ。≫

主の働きをしているにも関わらず、「自分はイエス様に対して何もしていません。」という者に
神様は覚えてくださいます。(パウロの姿)

弱さを誇る者になること。(自らの弱さを認め、謙遜な者になる)
この世の中のルールでは、自分を強く見せようとしますが、それは神様から見ると傲慢になります。
もちろん、自分のことを「弱いです」と悲観的になって終わるのではなく、
「主よ。私はこんなに弱い者です。どうか私の内で働いて下さい。力を満たして、使ってください。」と祈ります。

パウロは、イエス様に出会って初めて自分の本当の姿を見ました。
それまでは他の者より優れていると誇っていました。しかし、罪人だということに気付きました。
自分の弱さを見つけるのが、謙遜なことです。

【Ⅰコリント1章26-29節】

この聖句で、神様は誰を選んだのでしょうか? 
神様はもちろん世の中すべての人を救いたいですが、ここに書かれている者を神様は選んでくださいます。
幸いな者です。弱かったこと、愚かな者であったことも感謝しなければなりません。(ここで悲観してはいけません。)

パウロは、その中のものと関連していることを悟り、弱さを誇る者になりました。
私自身は弱くても、神様は偉大な力を持っておられます。

特に日本人は、自分の悪いところばかり目につけて悲観しますが、
良い部分を伸ばしていくようにしなければなりません。
神様の中のことばに従って、弱い者だと悲しむ必要はないです。さらに神様が力を与えてくださいます。

【Ⅱコリント12章7節】

パウロは肉体に病気を持ったまま働きをしていました。これは「私も誘惑に弱い者だ」ということです。
私たちは自分の姿が一番信じられない姿で、世の中でも自分自身が一番裏切る者です。
パウロは自分自身を信じていませんでした。
「自分は大丈夫」という者は本当の姿を知らない者で、サタンによって倒されます。

ペテロは、イエス様から離れませんと言っていましたが、イエス様のことを一番に「知りません。」と言いました。
このペテロの姿が、私たちの姿でもあります。勘違いの性格。自分を信じるのは傲慢です。

しかし、このような者は何か苦難があるとすぐ神様に不満を言います。

【Ⅱコリント11章30節】

いつも自分の姿を見ていて、信仰生活の中で一番必要なことです。そして自らを低くする者。

「自分は弱いです。」と言いますが、その中には「頑固な心」がある人もいます。
人の言うことを聞かない、愛をもって語る言葉を聞かないならば謙遜な者にはなれません。
それを砕かなければいけないです。

【Ⅰコリント9章16節】

福音を伝えることはクリスチャンにとって義務なので、自慢することではありません。
「従います。アーメン。」と言うだけです。 義務は誇る必要がありません。

福音を伝えるチャンスが来たら、語ったりチラシを渡すなど、いつでも準備しておきます。

【Ⅰコリント9章18節】

奉仕をしているから恵みを与えてくださるだろうと取引をしている牧師や信徒がいます。
田舎や島には、牧師や伝道師がいない教会もあります。
人手が不足しているのではなく、実際は牧師や伝道師は余っています。
しかし、生活しにくいという理由で動かなかったりしています。これはお金を求めて動いたらいけないということです。

色んな働きがありますが、それらを誇ってはいけません。(神様は、既にたくさんの恵みを与えたではないか――。)
神様に「させて下さって感謝します!」と思ってすることです。

【Ⅰコリント9章19節】

奴隷は自分の権利を放棄した者だということです。これこそ謙遜な者です。「下で仕える姿」です。

【Ⅰコリント15章9節】

謙遜な心から出る思いであります。自分をけなした言葉ではありません。偽善的でもありません。
この聖句を自分の告白にしなければなりません。
自分では謙遜していても、他人から「その通りですね。」と言われると腹が立ちます。
心が高ぶる時に、叩かなければなりません。謙遜になってへりくだる時、神様は高く上げてくださいます。

【Ⅰコリント15章10節】

「全て神様の恵みによってなりました。」
栄光の告白です。恵みがなければできませんでした、と。全てのところで神様のことを出さなければなりません。
「自分、自分、自分・・・」ではないです。全て自分のおかげだと言う者は、何もわかっていないことです。
神様の恵みがない所はありません。

パウロを見習いましょう。(謙遜、忠実、聖霊、愛の姿)そうすると、自分が地上から離れる時まで
ずっと神様が共にいてくださり、祝福を与えてくださいます。(⌒∇⌒)

2011.11.27
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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