からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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自分の心を聖くする

テーマは『自分の心を聖くする』です

【マタイ5章8節】

神様は肉眼では見ることができない方です。神様は霊であります。
人々は「(神様を)見たら信じます」というのがとても多いですが、その人達の心は
信じたい心で見るのではないです。それは自分の心を満足させたいだけです。

しかし、信仰は「見ずに信じるもの」です。これは定義であります。
肉の目で見たいと思っている人は、死ぬまで神様を信じることができないです。
これは心を閉ざして、自分を信じる者の姿であります。

イエス様は「見ずに信じる者は本物だ」と語ってあります。
この人達は神様の言葉を握っている人です。

人は外側(上辺)だけを見るものです。
そして自分自身も外側は良く見せたい。そして他人を見る時も、上辺だけを見ます。
その心の内もわかっていないのに上辺だけを見て「あぁだ、こうだ」と他人を評価します。
人間の姿はいつもそうです。
その人がどういう動機や目的でそうするのか、何もわかっていないのに勝手な想像をします。

しかし神様は「違う」と語りました。神様は心を見る方であります。
人が視覚的なもので評価をすることに対して否定をしています。

心が聖いということはどういうことでしょうか?
それは、内側が純潔であるということです。混じり気のない純潔さです。

パリサイ人、律法学者、聖書を研究する者たちは外側から見えるものに ものすごく重点を置きました。
一生懸命、律法を形式的に守りました。そしてイエス様や十二弟子たちを徹底的に非難しました。
パウロも以前はパリサイ人でしたので律法的に義とされるものを徹底的に守りました。
什一献金、施し、その他、律法が命じたものは全てやりました。
彼らの姿は人々から敬虔な者に映っていました。これが彼らにとって自慢でした。

【ルカ18章10-12節】

行っている行動自体は間違えていないです。自分が行ったことに対して酔っています。
「私は正しい、私は神様の前で非難されることはない」と自慢しています。
そして「自分はあの人(取税人)のようではないんだ」と言うのは、高慢・高ぶりであります。

【ルカ18章13節】

彼は自分の心を見ている者であります。
自分の心が汚れていること、心だけではなく外側も汚れているので彼は叫び、主に憐みを求めました。
自分の義がないです。

ここでイエス様が語った言葉は【ルカ18章14節】です。

【箴言16章2節】

主は人の心を見るということであります。主は人の心にとても関心があります。
もちろん私たちの行いも見ています。
人は人を騙します。良い行いを見せて、自分達の中の汚れたものを見せないので、
周りの人は騙されます。それを神様は偽善者と語ります。

【マタイ23章25-28節】

イエス様は公の場で暴きました。この人達はイエス様のあら探しに来ていました。とても目つきが悪いです。
人は目を見るとわかります。
私たちは背中には目が付いていませんが、誰かが自分を見ていることに目線を感じる時があります。
優しい目で見られているのはそんなに感じませんが、
嫌な目線には後ろを振り向かなくてもその目線を感じることがあります。
皆さんも「あの人が私を見ているんだ。
それもあら探しをする為に、非難する為に、何かを探る為に」というのを感じたことがあると思います。

パリサイ人がイエス様に対する妬みと高慢な心で、イエス様が神様の働きを潰すために
彼らは自分が義人のようにして潰そうとしました。

【マタイ23章33節】

イエス様の止めの言葉であります。
教会の中で、地獄へ行く者が多いということです。自分が一番神様を信じる者だと誇っていた者であります。
汚れた心では神を見ることはできないです。汚れた心で見るものはサタンであります。

このマタイ23章のみことばは私たちに対する警告の言葉です。

【マタイ5章-7章】

イエス様が要求する義が書かれてあります。
「兄弟姉妹を愛します。」と言って、心の中では憎むならば、誰がそれを受け入れるでしょう。
だから心から聖くしなさいと語ってあります。

私たちは心が汚れて悪い思いがたくさんあると、反対に外側を綺麗に見せようとします。
偽善者を装います。
なぜなら外側の汚れた姿を見せると人々から嫌われるので、心の中で隠しておこうとますます外側に
力を入れていきます。 しかし、神様は「無駄な抵抗はするな」であります。

【ヨハネ15章3節】

心を純潔にする段階があります。自分の力では出来ることではないです。
ただ、言葉を聞いたから自分達が聖くなったのではないです。
神の言葉には「聖める力」があると語ってあります。そして真理の言葉によって聖めてくださいと
イエス様が祈ってくださいました。
それはみことばを聞いている者たちが、権威ある神様からの言葉として聞き、その言葉をもって
自分の中に使わなければならないです。

 

【へブル4章12節】

みことばを聞いたならば、両刃の鋭い剣にし、自分を変えなければならないことであります。
両刃を自分に向けるならば、それによって自分の益になります。

自分にではなく、他人に向けるならば、どうなりますか?
裁く姿を神様が見て、同じく裁かれるようになります。
「汚いあなたが、誰のことを裁いているのか?あなた自身がまず聖くなりなさい。」

パウロが「いつも聖いことを考えなさい。」と語りました。
私たちが汚いことを考えるならば、ますます心が汚くなります。
「自分の心が聖くなることを強く求めなさい。」

誰でも他人を羨ましいなぁと思う気持ちはあります。妬みの心も出てきます。
でもそれは「良くないことだ」と止めてみてください。
誰かを妬むと、その人に対する妬みの心がどんどん どんどん大きくなって潰したくなる心が出てきます。
そしてあら探しをして、その人を非難します。
これは自分の首を絞めることと同じであります。

他人が受ける祝福もあれば、自分が受ける祝福もあります。
神様は私たちに正しい心があれば祝福してくださいます。

そして私たちの心はいつもイエス様の十字架を握らないといけないです。
日々、自分の汚れが目に見えてきます。十字架の前でイエス様に罪を赦してくださいと
悔い改めるなら、神様は祈りを聞いてくださいます。
本当に聖くされた人は、悔い改めの実を結びます。

【Ⅱテモテ2章21-26節】

神様の言葉を聞いて、自分はどんな者であるのか調べて、神様から尊いことに用いられる器なのか、
それともサタンの手に遣わされる滅びの器なのかを自分で知らなければならないです。

22節の、自分が誰と一緒にいるのかが大切なことであります。
高慢・高ぶる者と一緒にいるなら、自分も同じ者であります。そこで何を学びますか?高慢な者になるだけです。
不平不満を言う者と一緒にいるなら、自分もそのようになります。イスラエルの民たちがそうでした。

私たちは人を見る時に、その人に聖い心があるのかを見てください。外側ではないです。
その人がどういう思いでそれをしているのか、私たちはキャッチしなければならないです。
そして心の動機が悪いならば、その人と一緒に居てはいけないです。言葉を聞いてはダメです。
聖い心で主を呼び求める人たちと共に追い求めなさいということであります。

23節が指すことばは、知恵ではないです。
「これは正しいと思います」と自分から出た知識、みことばには無いもの、間違った解釈、
それは安易であります。
愚かで無知であるから、自分がサタンに遣わされていることに気付いていないです。
これは誰でもなることであります。「私はそうはならない。」これは違います。

一番強い戦いは、自分自身との戦いです。
24時間自分の魂を見張って油断せず、腹が立つことがあっても自分は何をやっているんだろうと気付き、
イエス様を見て助けてくださいと必死になって自分の心を守ることです。

そして他人が流す悪いものは受け取ってはいけないです。同じ者になります。
自分自身がサタンに遣わされた者にならないように、真理の上に立つことです。
他人を見ている暇がないです。自分の泉を守るのに精一杯で大変なのに、
他人を見て自分が裁き主でもないのに裁くのは、神様が「そんなに心が汚れてどうする?」と心配をしています。 本当に気を付けてください。

他人を見て、「あの人が気を付けなければならない」ではなく、「自分が気を付けなければならない」です。
私たちが目覚めて悔い改め、主に立ち返ること、尊い器になること。そうすると神にとっても、
人にとっても有益ものになります。
私たちは共にみことばを聞いて従順していきましょう。 ( -д-)ノ

<今週の目標>

心の聖い者になる。
悔い改めて、みことばを読み自分の姿と見比べると心が透き通ったものになる。

2012.6.24
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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信仰成長のために

テーマは『信仰の成長の為の勧め』です。

【ヘブル13章14-17節】

誰もが信仰が成長したいと思っていますが、ある人はどんどん成長し、ある人は変わらぬままです。
その違いは何でしょうか。

妬むということは自分が努力をしていないことを意味しています。
一生懸命する人は、自分のすべきことを探して忙しいので他人を妬むヒマがないです。
そして成長していきます。誰かと比較することがないです。自分より前を進む人を目指して
その人達から良い部分を学び進んで行きます。

他人と比較する人は、自分のことを棚に上げて、人々が持っているものを羨み妬みます。
傲慢になり、さらに堕落していきます。

ヘブル書には信仰をどうやって成長させるべきなのかが たくさん書かれてあります。

【ヘブル4章14-16節】

毎日の生活の中で、キリストに対しての信仰告白が大切であります。
他のものは信じません。
(このように信仰告白をしないと、信仰が揺れてしまいます。実際そのような人が多いです。)
「イエス様だけを信じます!」と自分の信仰を試していきましょう。

【ヘブル4章16節】

自分の力ではできないことです。信仰を保つには憐れみを受けなければできません。
神の御座に近づくことです。

【ヘブル6章1節】

「死んだ行いからの回心」とは、間違った行いを主の前で悔い改めることであります。
罪は神様から離れていることを意味します。そのままにしておくならば、どんどん道から
離れていきます。そして元に戻れなくなります。

【ヘブル6章12節】

信仰の先輩を見て、見習う事はすごく大切です。怠けていては成長ができないです。
信仰と忍耐が必要です。成長する人は通りたくない道も通ります。
成長するために忍耐しようという思い、その後には約束の物があります。 

教会の中でも、自分よりも信仰が成長している人たちを見て、見習うべきであります。
高慢な心になって その人達に聞かないのではなく、 「この人からはこういう部分を見習おう」と
それぞれ見習う部分があります。自分には持っていないものを持っています。
その人達を見て、妬むのではなく見習うことであります。
「どうやったらそのようになりますか?」と謙遜になって聞く事であります。

それによって、自分にプラスになって成長していきます。

【ヘブル10章23-25節】

日々、救いの希望がある人はぶれません。 私たちは上にあるものを見て目指していきます。
地上にあるものを求めて生きるのではないです。
この(救いの)希望が私たちを支えるものになってあります。
私たちは天国というものがだんだんと近づいてきてあります。
私たちが死ぬということは、イエス様に出会えるので慰めになります。

イエス様が地上に教会を残している理由があります。
私たちは弱い者であるので、時には倒れることもあります。弱くなってつまずくこともあります。
私たちはあらゆる部分で助けが必要です。
その部分でイエス様は人々を教会に導き、人を置いてあります。
「1人で大丈夫です。」 というのは、これほど危険なことはないです。

【ヘブル11章6節】

期待しないところに成長はないです。
みことばを読んで、祈りをするだけでは成長できません。

【ヘブル12章2節】

後ろを見ると信仰生活は後退します。信仰生活で後ろを振り向くことはないです。
人が死ぬ時に、イエス様を信じない人には悪魔サタンが迎えに来てその人を地獄に連れて行きます。
しかし、イエス様を信じる人には、御使いだけではなく、イエス様も迎えに来られます。
  

私たちは絶対にイエス様から目を離してはいけないです。
イエス様の後についていきます。私たちは後ろを振り向くと道に迷ってしまい、
サタンは「あなたの行く道はここだよ」と違う道に連れて行きます。
自分の前には誰が立っているのか(イエス様 o r サタン)、気をつけなければならないです。

【ヘブル12章7-8節】

成長するためには、懲らしめを訓練だと思ってその中で忍耐することであります。
良い事だけを受け入れるのではないです。辛いことも訓練だと思って受け入れないといけないです。
神様は愛する者に、ただ保護するのではなく、保護があっての中で訓練もあり懲らしめもあります。
信仰成長する為には、心を開いて「受け入れます。」と神様の訓練と懲らしめを受け入れることです。
 

 
【ヘブル12章28節】

奉仕をする時に、主を恐れながら奉仕をしていかなければならないです。
これが成長していく姿勢であります。
嫌々しながら仕方がなくするのは、神様を恐れている姿ではないです。
恐れるということは、神様が権威ある方であることを認めることです。
そして神の言葉に従って奉仕をする時に、どんどん成長していきます。
教会での奉仕がなければ、いつもお客さんのようになってしまいます。しかし、自分がその中の
一員であるならば、神に喜ばれるようにどんな小さな事でも喜んで主の前で奉仕をすることは
大切であります。

他人から言われなくても、自分でできることを探すことが大切です。
神様の教会は、皆さんの家であります。そこで自由に振舞って良いです。
乱すことではなく、「主にあって」です。このようにしたら皆が喜ぶんだ。助かるんだということを
見つけたならば、自分の仕事だと思って実行したら良いです。

【ヘブル13章13節】

キリストの苦難に喜んで参加する者になりなさいということです。
苦難さえも喜んですることが成熟した人の姿であり、(私たちが)ここまで成長しなさいということであります。
イエス様が十字架に架かった時は、弟子たちは皆逃げました。
だけど彼ら自身があとでわかりました。彼らは皆 宿営の外で命を懸け、殉教しました。

【ヘブル13章17節】

指導者の言う事を聞いて従順しなさいということであります。
指導者が神様からの言葉を預かって、神様の言葉をもって指導をすることに従順するということは、
神様に従順することであります。
指導者が勝手に間違った道なのに連れて行くならば、それはその指導者、そして目が見えない
羊たちも一緒に裁かれると書いてあります。

だから神様は目を開いていなさいとおっしゃいます。
この指導者について行って良いのかということを確認しなければなりません。
また、牧師が恐れおののく者であったならば、その教会は死んでいきます。 Σ( ̄ロ ̄|||)

< 今週の目標 >

【信仰の成長のために行動する】

2012.6.17
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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