からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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報いを期待する

テーマは『 報いを期待する 』です

【Ⅱテモテ2章3-7節】

最近はオリンピックの特集がありますが、そこで選手たちの姿が出てきます。(※2012.7.22現在)
参加する全員がメダルを取るのが目的です。朝から晩まで極限の状態になるまで訓練を受けています。
緊張感もある中、4年毎の大会のためにそれを狙って彼らが練習をします。
自分が一生懸命練習した報いを受け、良いものをたくさん受けることができます。

クリスチャンも同じ姿だと言っています。

――  兵 士  ――

韓国の若い男の人たちは軍隊に入隊します。それは逃げることができないです。
学生であっても、お金を稼いでいた人でも2年間は、家族、友達、知り合いから離れなければならないです。
親が亡くなったとしても、行くことができません。体調が悪くても言い訳が通らないです。
1秒でも遅れると全体に責任が負わされます。入隊が1日違うだけで、年齢関係なく早い方が上になります。
完全に命令に従順であります。軍隊とはそういうものです。

私たち、クリスチャンは誰に召されたでしょうか? イエス・キリストです。
イエス様がある意味でトップの司令官であります。その命令に従わないことは命取りになります。
軍隊ならば、命令に従わなければ殺しても良いことになってあります。

軍隊に入るまでは、自分のために生きていた者が、入った後は、優先順位が「国」に変わります。
「国のためには命を棄てます」となり、「恐くて行けない」とは言えません。
そこで死ぬのがわかっていても「行きなさい」と言われたら行くのが「兵士」であります。

私たちも、自分を呼んでくださった方を喜ばせなければならないです。
神様の命令に不従順して、自分がやりたいことをするならば(神様から)追い出されていきます。

追い出されると、自分が餌食になります。
ですから「キリストの兵士である認識を持ちなさい」とおっしゃられます。
自分達が今まで持っていた、いらない物を捨てる訓練が必要になります。

私たちが厳しい訓練を通ると、神様が認めてくださいます。そしてその者たちを喜んで祝福します。
神様には祝福が必ずあります。

――  選 手  ――

選手は皆、勝利を願います。選手になるものは遊びではないです。趣味ではなく、
選手ということは、必ず結果を出さなければならないです。
訓練を受ける理由は「勝ちたい」ということで、勝ってその勝利を得て喜びたい。
しかし、訓練を受けずに選手生活はできないです。

クリスチャンは実際にそこで走る選手であります。勝利を願って走らなければならないです。
しかし、ただ熱心に走れば良いかというと、そうではありません。
運動の選手であれば、そのルールがあります。それに反すればメダルを取った後でも取り上げられます。
時々ルールが変わることがありますので、それをしっかり理解しなければならないです。
ですので、(クリスチャンも)正しく戦わなければならないです。

神様が私たちに訓練をさせるのも、みことばを色々与えるのも、これは規則であります。
「この規則通りにしなさい」ということです。

選手は知識だけでは戦えないです。実際に身体を動かしてみないと訓練にならないことであります。
競技をしている間は、100%そこに全ての想いと力と精神を注がないと、力が出て来ないです。
もし力を出し切れなければ、負けた時に後悔が残ります。

クリスチャンはとても不思議なもので、
自分が神様から祝福されたい、変わりたい、勝利したいと願いながらも、願いは強いですが、努力をしないです。

このようにしたら祝福され、変わり、勝利されると神様が語る言葉がありますが、
「しんどい、難しい」。このような言葉を聞きます。言い訳をして何もしないです。
訓練というものをとても嫌います。だから何も得られません。

兵士、選手、農夫の姿を見なさい、と。彼らは願いが強いだけではなく、努力をしているのです。
そして戦っています。
だけど、あなたたちは願いが強いだけで、肉体が弱いと言ってすぐに逃げ込みます。
口を開いて、(恵みが)落ちてくることを待ちますが、何も落ちてこないです。

神様だったら誰に恵みを与えると思いますか?
願いが強く、それの為に一生懸命努力する人に、神様は当たり前のように与えます。
その人が本気だからです。
本気とは、集中することであります。そこに全てを注ぎます。

目、時間、能力を注ぎ、それだけをします。そうすると報いがあります。

ですが、努力をしない、忍耐をしない、願いだけが一人前。
「あの人は良いな。何であの人ばかり受けているのか。私は無いな」と、
でもその人はそれだけ努力をして訓練を受け、そして神様のルールを守るから栄光を受けます。

神様は私たちに栄光を与えたいと願っています。神様はただ、奴隷のように働かせるのではないです。
私たちは子どもです。良くなって欲しいと思っていますが、しかし、甘やかすことはしないです。
一人前になって欲しいと願っておられます。 

――  農 夫  ――

ただの農夫ではなく、労苦をした農夫です。
神様は、クリスチャンは農夫である、と語りました。
キリストを信じる農夫が収穫の喜びを味わって欲しいと願っておられます。
この農夫の姿で感じることは「勤勉」であります。毎日、毎日 早い時間に畑に出ていきます。
そこで暑くても種を蒔き、雑草を抜きます。
多くの労苦が必要であります。ですが、そこで実を収穫する喜びがあるので、それが出来ます。
豊かな収穫を得るために、毎日汗を流しながら農夫は働きます。

神様はタダで報いを与えることはしません。「あなたの畑はどうなっているのか?」
「あなたは選手としてどういう働きをしたのか?」、「あなたは兵士としてどういう戦いをしたのか?」
「農夫として勤勉に何を蒔いたのか?」

【Ⅱテモテ2章9-10節】

自分をそこに投資をした「献身」であります。献身は、言葉での献身ではないです。
自分自身の人生をそこに完全に捧げた姿です。
神学校に行くのが献身ではないです。学びをするために行くことであって、
自分を捧げたことにはならないです。

神学校へ行かなくても、自分自身を神様の兵士として、選手として、農夫として全部捧げるなら、
それが献身になります。

もう1つ必要なものがあります。「忍耐」であります。
兵士も選手も農夫も 忍耐がないとできません。楽な道は1つもないです。ある意味休みがないです。
その人達は必ず栄光・収穫を受けます。そして自分の人生が成功していきます。
神様が認めてくださり、喜んでくださいます。ですから、報いがあるからこそ、忍耐ができるのです。
得るものがあるから投資することができます。

神様が、報いを期待しながら自分自身をそこに献身し、そして収穫の時まで忍耐しなさい。と語ります。

1回しかない人生を後悔しない。キリストに選ばれた者がキリストを喜ばせないと報いがないです。
「立派な兵士にしてください。」 「立派な選手にしてください。」 「たくさんの収穫を得る農夫にしてください。」
その思いで立つことであります。 (⌒-⌒)

<今週の目標>

【私はキリストの兵士としてどうやって生きてきたのか?
私は選手としてどうだったのか?私は農夫としてどうたったのか?1つ1つの項目に
 自分を当てはめて振り返ってみる時間にする。そしてどういう風に自分を変えていくのか?
(考えて決めたならば、あとは行動だけです。)】

2012.7.22
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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小さな憲法

テーマは『キリスト教の小さい憲法・詩篇15編』です

【詩篇15編1-5節】

クリスチャンとして生きるときに、これは義務でもあります。
神様は私たちに対して自由を与えてあります。しかしそれは勝手にするという自由ではありません。
みことばを行うことによって拘束されないことです。
安全に暮らせるように守ってくださる神様です。

信仰告白だけをしたから天国に行くということは聖書には書いていないです。
信仰によって義とされますが、その後は聖い者として生きていくのが神様のみこころであります。
信仰と行いがどのような関係があるのかを理解し、ただ口で告白したら救われるというのではなく、
信仰を持つ者としてどのような実を結んでいくのか。そのように(良い)実を結んでいかないと、
その救いがダメになります。天国の民として、日々の生活をしていかなければならないです。

日曜日に1回教会に来るだけで、あとの6日は世の中にどっぷり浸かった生活ばかりをして
日曜日になったら聖書の埃をはらって教会に行って、ジ―ッと ただそこに座っているだけです。
これは心が神様には向いていないです。教会にいても世の中の思いでいっぱいで耳が閉ざされて
いるので、神様が語っていても1つも耳に入らないです。

クリスチャンで地獄に行く人は多いです。

「私のような者を選んでくださって、私のような者に恵みを与えてくださって感謝致します。」と
こういう心が私たちの中にあるのかを点検しなければならないです。

【詩篇15編2節】

これが天の御国に住む人の姿であります。心が伴わないものは全て形式であります。
【イザヤ書1章】を読んでみてください。神様がどれほど形式を忌み嫌うのかが書かれてあります。
神様はその人が行う心の動機が何かをいつも見ておられます。
義を行う事は、神様の前で正しく行うことです。

【箴言21章2-3節】、【箴言21章8節】

まっすぐな道とは正しい道のことであります。
人が思う正しい道ではなく、神様が思う正しい道のことです。

【詩篇15編3節】

これは舌を使うことを教えてあります。
世の中で一番恐ろしい動物は何でしょうか?
――それは、人間であります。

山でクマやイノシシに遭遇したとしても、空腹でなければ襲うことはないです。
しかし、人間はそうではないです。人は関係が無くても、欲深い者であるので(関係がなくても)
人の命を取ります。腹が立つから他人の命を奪います。また自殺に追い込むなど。
人間ほど恐ろしいものはありません。

その人間の中でも、「舌・言葉」が恐いです。言葉は剣であります。
直接ナイフで刺さなくても、ネットを使って「死ね、消え去れ」などと中傷するなら、
結局人を殺すことであります。

家族に対しても同じであり、言葉で刺して殺しています。これは恐ろしい罪であります。
自分の子どもは自分の分身ではありません。人格を持っています。
母親が子どもを愛のまま受け入れるならば、子どもは間違った道にはいかないです。
いつも子どもの考えを批判して潰そうとして、母親の言うことだけを聞けば良いと言うならば、
それは何ですか?子どもという新しい人格を全部殺すことになります。
なぜ一番近い隣人を殺すのですか?
言葉を使うならば、愛の言葉、慰めの言葉を与えるべきです。

もし今までそれができていなければ、神様は「舌に気をつけろ」とおっしゃいます。
また、どんな親でも、≪ 親は親 ≫であります。
言いたいことがあったとしても言わないで、親も全て正しいわけではないですし親には親のものがあります。 

【詩篇15編4節】

神様と自分の関係であります。神に捨てられた人とは、神に敵対する人です。
未信者ではなく、一度救われた人です。それは高慢な人です。
そして自分はどうなのかを見ます。あの言葉は私には関係ない、ではないです。

【使徒の働き13章40-41節】

また【イザヤ書10章】も読んでみてください。警告の言葉であります。真剣に読んでください。
聞いて立ち返るならば救われます。

【詩篇15章5節】

クリスチャンにとって、お金の管理が大切です。
お金に対して正しい知識が必要であります。

【レビ記25章35-37節】

クリスチャンは利息を取るのではなく、助けなければならないです。
弱い人を困らせてはいけません。

【申命記16章19-20節】

自分も罪を犯していながら、他人を罪に定めるのではないです。
不利であっても、正義を追い求めなければなりません。これは神様が一番喜ぶことであります。

クリスチャンはこの世の秩序も守らなければいけないです。正義を守ることであります。
自分がいる所で、自分が光として輝き、腐敗を止める。この働きが私たちに任された
正義を行うことです。そうすることでそこから平和が生まれてきます。
人々にとって益になることをします。良い物を蒔いていきましょう。

そして神様の言葉と約束を守ることであります。人々にとって益になることをする。
そうすると、祝福を得るのは私たちであります。 (* ゚∀゚) ❤

< 今週の目標 >
【唇に気を付ける。悪口、非難の言葉を語らない。口から出る前に考え、悪いことなら飲み込む。
ヤコブ書3章には舌の使い方、箴言にも書かれてあります。】

2012.7.15
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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