からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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信じなさい

テーマは『信じなさい』です

【ヨハネ20章31節】

「私は神様を信じています。」と言っても、そのような姿が見えない時があります。
信じることは、ある意味簡単なことですが、ある意味ではとても難しいものです。

クリスチャンの心の中に、信仰よりも不信仰が多い姿がすごくあります。
イエス様が神だと書かれているのはヨハネの福音書なので、(もし自分の内に熱いものが感じられなければ)
ヨハネの福音書を読んでください。

自分が信じる神様がどんな方であるのか、それをきちんと知らなければならないです。
信仰が弱いと思う時は、神様のことを知らなさすぎるからです。

信仰は自分で選ぶことです。

【ヨハネ10章37-39節】

統一教会の故・文鮮明は莫大なお金を使い、策略がすごいです。異端の人はずる賢いです。
自分のことをメシヤと言っていますが、彼は奇跡を行うことは1つもできないです。
全てお金の力に頼っています。
多くの異端は、口では言いますが、それを裏付けるもの・人々を信用させるものがないです。

イエス様はお金を使って何かをしたということが1度もないです。
ですからイエス様が行った技を見て、信用しなさい(信じなさい)ということであります。

【ヨハネ1章11-12節】

神の国とは天国のことです。天国に入られなければ、全て地獄へ行きます。
残念ながら律法を持っているからといって神の国に入るのではないです。
信仰によって入る国が、神の国であります。

弘法大師は自分達の魂のために何をしましたか? ――何もしていないです。ただ仏教を伝えただけです。
仏教は人間の教えであります。倫理的には良いかも知れないです。
(悪いことをするな 良い行いをしなさい等 それを否定することではないです。)
しかしそれは救いがあることではないです。その人自身は悟りを得ていないです。
ブッダが悟りを得ていないのに、その人達が悟りを得る事はできないです。
ただただそういう者になりたくて、修業をしているだけであります。
悟りを得たいという思いで、ずっと求めるだけです。

【ヨハネ3章16-21節】

2つの道があります。御子が現れて、信じるか信じないか。それは自由であります。
しかし結果は自分で選ぶことはできないです。
結果は、選んだ瞬間に決まってしまいます。
いのちを選ぶならば、自分は裁かれないでいのちを得ます。
でも信じないならば、もう既に裁かれています。

【ヨハネ3章36節】

イエスキリストは私たちに永遠のいのちを持って欲しいと願っています。これは神様のみこころです。
これは救いの道を与えたことであります。

【ヨハネ5章24-29節】

救い主を信じたか、信じなかったかによって判決が決まります。
良い事をしたか、悪い事をしたかが基準ではないです。

【ヨハネ10章25-29節】

口先だけの「信じています」ではないです。主が自分の名を呼んでいる時に、
自分がその通りについているのかというのが大切なことであります。
呼んでいるのに、ついていかない。呼んでいるのに、聞く耳がない。
これは “わたしの羊に属していないんだ ”ということです。

【ヨハネ12章26節】

自分があちこちに彷徨っている者なのか、
自分の思いのままに自分が行きたいところに勝手に行って歩く者なのか、
自分がしたいことを自分の思いのまましている者なのか、それともキリストはどこへ行っているのか?と、
いつも羊飼いを追いながら、羊飼いについていくなら その人達はイエス様に属している羊であります。

自分がどんな姿であるのか――。

【ローマ10章9-13節】

信仰告白は毎日必要であります。
「今日も主よ、信じます。」「今日も聖霊様、私を導いてください。」
「聖霊様、今日も歓迎します。私の中で働いてください。」「私は今日も神様に頼ります。私を助けてください。」
「私は何もできない者です。主の力がないと何もできない弱い者です。」

毎日、羊飼いに頼って生きているその姿、それが羊であります。

教会に来るからといって1人残らず天国へ行くんだというのは聖書には書いていないです。

【ヨハネの黙示録3章1-5節】

上(天)に上げられる人数の方が少ないです。

白い服を洗わないと黒くなっていきます。以前と同じように汚れた服になります。
悔い改めないということは、洗わないことであります。
自分を打ち砕くこと、毎日寝る前には悔い改めます。

自分がいつ死ぬかわからないです。「死」は年齢に関係ないです。
(天国か地獄の道なので、)白い衣を着ていなければならないです。
私たちを弁護してくれるイエス様がいなければ天の御国には入れないです。

一番賢い人の姿は、老後のために準備をすることではないです。
永遠の世界に行く準備をすることが賢い生き方であります。 (* ̄∇ ̄*)


<今週の目標>

【自分の信仰はどんなものだったのか。名ばかりの信仰だったのか。
イエス様が語るように確信を持って信じて日々生活をしているのか。
今回の聖書個所をもう一度読んでください。
自分の信仰を生きた信仰に整えてください。
一番よく信じる人の姿は、みことばを堅く守る人、悔い改める人、目を覚ましている人。
これが、今生きている人の姿であります。自分はどうなのか、鏡のように自分の姿を照らしてみてください。】

2012.8.12
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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みことばを聞く態度

テーマは『みことばを聞く態度』です。

【エゼキエル書33章30-33節】

聞く態度がそれぞれ違います。聞く耳で聞く人もいれば、そうではない人もいます。
牧師が前で語ると、(その人が)どんな態度で聞いているのか、大体分かります。
真剣に聞いている人もいれば、思いが違うところにある人もいます。

私たちは見て信じるものではないです。神の言葉を聞いて、信仰によって受け止めるならば
それによって救われることであります。
このように聞く事がとても大切です。

【エゼキエル書33章1-3節】

エゼキエルが見張り人としての使命を受けました。民たちに警告を送らなければなりません。
まず伝える人が耳を開かなければならないです。教会の中では牧師がその役割をします。
魂を預かり見守る責任があります。

もしその魂が間違えた事をするなら、主の声を聞いて語る使命があります。
この働きをまともにしないならば見張り人が責任を負います。

罪を犯すと自分の罪で死にますが、もしその者に警告を与えないならば、
それの責任を見張り人が問われ、その罪によって死ぬことになります。
そこにいる民達の態度によって、見張り人自身が堕落する場合があります。

クリスチャンがみことばを聞く姿勢のことをどうなのかと神様が語ってあります。

色んな聞く姿勢がありますが、間違った態度のことを示します。

― 自分の耳に良い言葉だけを聞く ―

聞きたくない言葉は「聞かない」です。

【Ⅱテモテ4章3節】

「私たちを喜ばせる言葉だけを聞きたい。」「何か面白い話を聞きたい。」「気持ちの良い言葉を聞きたい。」
「警告の言葉なんか聞きたくない。」「肉に死になさいという言葉は聞きたくない。」
「心刺される言葉は聞きたくない。」

(それで伝える側は)本当の意味で神様の計画の言葉を語らない。神様が語りなさいという言葉は語らない。
そうなると、うまくこの世と妥協した言葉「恵みです。」「平和です。」「何をしても大丈夫です。」
「世の終わりが来ても、あなたがたは滅ぼされることがないです。」
これらは私たちにはとても耳に良い言葉です。何一つ自分の肉体を刺さない言葉です。

【エレミヤ書5章31節】

語るべき言葉を語らない。その人達だけが喜ぶ言葉を語る。
民はそれを喜びますが、その後、神様の裁きが下った時に「あなたたちはその時どうするんだ?」という
警告の言葉であります。

これは本当に私たちが気を付けなければならない態度であります。真理を聞きたくないという言葉です。
本気で真理を聞くと心が刺されます。

【ヨハネ8章45節】

偽りや冗談はよく信じますが、真理が語られると パッ!と耳を閉ざします。
真理が道であり、その道から離れることになるので天の御国に入れないということであります。


― 高慢な思いで聞く態度 ―

【エゼキエル書33章23-27節】

この言葉を今のクリスチャンの姿に当てはめると、「私はイエス様を信じているし、教会に行っているし、
みことばを聞いているし、祈りもしているし、献金を捧げているし、これもして、あれもして、
そして信じたら必ず救われて天国へ行くと語ってあるから大丈夫。」

このような発想を持っている牧師も多いです。

これは神様は高慢だと言われます。アブラハムの場合は信仰がありました。献身的な従順がありました。
確かにあなたたちはアブラハムの子孫には間違いがないですが、アブラハムのような信仰もない。
アブラハムにある従順もない。
そのようなことが一切ないのに、アブラハムの子孫だという理由だけで(天国へ)行けるのか?
これほど高慢なものはないです。

【ルカ16章27-31節】

地上で豊かな生活をしていたので、そのまま天国でも豊かな生活をすると思ったら地獄へ堕ちました。
ただ、形式的に続けていたから天国へ入れるというのは高慢な態度であります。

― 神様に対する知識がないと、みことばを正しく聞くことができない ―

【ホセア書4章6節】

神様に対して正しく知らないと、私たちが神様の言葉を聞いても反応ができません。
預言者を通した言葉でも、耳では聞いていても何も悟りがないので心の中に落ちることがありません。
私たちは言葉を悟らないと、行動ができません。
たくさん(言葉を)聞いたから、信仰があるということではないです。

普段から聖書を読んで知識がないと、みことばが素通りしていきます。
「以前、このみことばですごく恵まれた」とか「知らない言葉であるから、今度よく調べよう」というのは
正しく聞く者でありますが、「いや、知らないわ」と、それで終わってしまう、神様を知ろうとしない人は
滅びるという言葉が聖書に出てきます。

神様の言葉は、自分が知らないことがたくさんあるので「聞くんだ」「もっともっと悟りたい」という思いでない
といけません。

― パリサイ人のような態度で聞く態度 ―

【マタイ23章2節】

自分達は一切神様の言葉を聞かないで、神学博士のように研究するだけです。
それも個人的な解釈を入れて、それが間違えているかどうかは関係がないです。

なぜ、聞かないのでしょうか? ――「私は知っている。」
「私は義人である。私が言う言葉は罪人たちが聞く言葉である。
罪人たちが聞いて、自分達の罪を悔い改めて立ち返らなければならない。
私は義人であるから、(神様の言葉を)聞く必要がない。」

これは教会の中でも多くいます。「私はその言葉をもう知っているから。あの者より私はマシである。
この言葉を聞かなければならないのは、あの者であり、私ではない。」
これはパリサイ人の心であります。

自分達が罪人だという感覚がないです。

【マタイ23章29-33節】

クリスチャンも地獄へ行くという言葉はこのみことばからあります。

 
【エゼキエル書33章33節】

神様がいつも語る言葉は悔い改めることであります。
警告の言葉を与えても、神様がすぐに裁かない理由が1つあります。
それは悔い改めさせるためです。悔い改めて態度を変えて立ち返るならば、神様は(裁きを)行いません。
警告の言葉は神様の愛であります。 神様が語らないのは2つあります。
1つは、よくやっているから言う必要がないのと、もう1つは、悔い改めるチャンスを全て逃したので、
神様が黙って裁きを下すためです。
後者になると、本当に怖い事です。

古い人間のままではなく、新しい心で神様のことばを聞かなければならないです。

ある時から神様が「祈る必要がない。わたしは必ず討つ。」と語ったら(金ヘス牧師は)祈らなくなります。
その人自身が悔い改めるチャンスを逃してしまうと、神様の言葉がそのまま起こるので
「主よ、みこころのままにしてください。」となります。
なぜなら神様の方が権威がるので、いくらとりなしをしていても神様は聞いてくださらなく、ある者は死に、
ある者は病気になります。
神様が「祈るな」と語っても、続けてとりなし祈るなら神様は本気で怒ります。
「あの人のことより、おまえ(牧師)がわたしの言葉に従わないのか」になります。
たとえその人が「助けてください」と求めてきても祈ることができなくなります。

【ヨハネの黙示録2章20-23節】

神様は憐み深く忍耐強く待ってくださいますが、私たちが悔い改めの時を無駄にしてしまうならば、
後がないということであります。

神様が語った言葉通りになるので、私たちは本当に気を付けなければいけないです。

私たちに一番大切なものは、神のみことばに自分が屈服することであります。
「私はその通りに従います。」その言葉通りに自分を変えていくことが、これが本当のクリスチャンであります。

そして神様の言葉を聞いた時は、人間の言葉として聞くのではなく、神様を意識して「主が私に語る言葉なんだ」
と恐れの思いをもって耳を傾けなければならないです。

【ヨハネの黙示録3章3節】

力がなくても聞く姿勢があり、言葉通りに守り、信仰を守り通した。
これが私たちに神様が求める姿であります。

従順のない信仰は、信仰ではないです。死んだ信仰であります。
心が聖くなければ天国に入ることはできないです。クリスチャンの名前だけで入れることはできないことを
気付かなければならないです。

<今週の目標>

【自分は今までどんな耳をもって聞く態度だったのか。
反省する時間にしてください。自分の姿をよく観察して
自分はどの部分に当てはまるのか。そのようにしないと
変わらないので、耳を変えるための時間を1週間もってください。】

2012.8.5
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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本当に滅ぼすならば、神様は語らないです。

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