からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


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神の奥義を知る

テーマは 『 神の奥義を知る 』 です

【ローマ16章25-27節】

私の福音とイエス・キリストの宣教によって、すなわち、世々にわたって長い間隠されていたが、今や現されて、永遠の神の命令に従い、預言者たちの書によって、信仰の従順に導くためにあらゆる国の人々に知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを堅く立たせることができる方、

知恵に富む唯一の神に、イエス・キリストによって、御栄えがとこしえまでありますように。アーメン。


聖書には神の奥義ということばが多く出ますが、どんな奥義があるのかを調べます。


神はその奥義を、預言者を通して啓示として知らせました。

奥義は霊的真理としての啓示で前の時代 旧約時代には隠されていて、今のように人の子らに知らされてはいなかったです。


しかしイエス・キリストと御霊によって明らかにされました。



まだ語られた奥義がすべて明らかにされたわけではないですが、それもこれから啓示された通りに起きた時に明らかにされます。


神の奥義が隠されたまま終わることはないです。


神は信じる人には奥義を明らかにして下さいました。

ある人たちだけに明らかにされているわけではないです。


すべての奥義は神の主権と神の摂理によるものです。

そしてすべての奥義は成就します。


【ローマ11章36節】

というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。


【ヨハネの黙示録10章7節】

第七の御使いが吹き鳴らそうとしているラッパの音が響くその日には、神の奥義は、神がご自身のしもべである預言者たちに告げられたとおりに成就する。」


【申命記29章29節】

隠されていることは、私たちの神、主のものである。しかし、現されたことは、永遠に、私たちと私たちの子孫のものであり、私たちがこのみおしえのすべてのことばを行うためである。


【ルカの福音書8章10節】

そこでイエスは言われた。「あなたがたに、神の国の奥義を知ることが許されているが、ほかの者には、たとえで話します。彼らが見ていても見えず、聞いていても悟らないためです。



最大の神の奥義はイエス・キリストの福音




キリストの受肉とキリストの本質、福音によって全世界の人々に及ぶ良い知らせ、命の道、義の道が明らかにされました。


福音の中心は 『キリストの十字架と復活』 です。

この福音は異邦人にも伝えられ、異邦人も救いを受けます。


【第1コリント15章1-4節】

兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。

また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。

私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、

また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、


【第1テモテ3章16節】

確かに偉大なのはこの敬虔の奥義です。「キリストは肉において現れ、霊において義と宣言され、御使いたちに見られ、諸国民の間に宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた。」


【コロサイ1章26-27節】

これは、多くの世代にわたって隠されていて、いま神の聖徒たちに現された奥義なのです。

神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。


【コロサイ2章2節】

それは、この人たちが心に励ましを受け、愛によって結び合わされ、理解をもって豊かな全き確信に達し、神の奥義であるキリストを真に知るようになるためです。



異邦人も共同の相続人の奥義




【エペソ3章3-6節】

先に簡単に書いたとおり、この奥義は、啓示によって私に知らされたのです。

それを読めば、私がキリストの奥義をどう理解しているかがよくわかるはずです。

この奥義は、今は、御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されていますが、前の時代には、今と同じようには人々に知らされていませんでした。

その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです。

【ローマ11章25-26節】

兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、

こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。「救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う。



これから明らかにされる神の奥義




●不法の人が現れる

【第2テサロニケ2章6-8節】

あなたがたが知っているとおり、彼がその定められた時に現れるようにと、いま引き止めているものがあるのです。

不法の秘密はすでに働いています。しかし今は引き止める者があって、自分が取り除かれる時まで引き止めているのです。

その時になると、不法の人が現れますが、主は御口の息をもって彼を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます。


●キリストの再臨、聖徒の携挙と復活

【第1テサロニケ4章15-17節】

私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。

主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、

次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。


【エペソ1章9-10節】

みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、この方にあって神があらかじめお立てになったみむねによることであり、

時がついに満ちて、実現します。いっさいのものがキリストにあって、天にあるもの地にあるものがこの方にあって、一つに集められるのです。

アーメン v( ̄∇ ̄)v


2021.9.12
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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言葉をみことばで止めて、みことばを実行する人

テーマは 『 言葉をみことばで止めて、みことばを実行する人 』 です


私たちが生活の中で一番よくしてしまう失敗は何でしょうか?


それは言葉の失敗です。

言葉の失敗によって仕事を失ったり、信用を失うこともあり、人を深く傷つけることができる一番の武器にもなります。


私たちがそのように言葉で一番失敗をしてしまいやすいのは、自分の言葉で深く考えずに思ったことを感情のままに言ってしまうからなのです。


今日はその言葉についてのみことばを見ていきます。


【ヤコブ1章19-27節】

愛する兄弟たち。あなたがたはそのことを知っているのです。しかし、だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。

人の怒りは、神の義を実現するものではありません。

ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。

また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。

みことばを聞いても行わない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。

自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。

ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行いによって祝福されます。

自分は宗教に熱心であると思っても、自分の舌にくつわをかけず、自分の心を欺いているなら、そのような人の宗教はむなしいものです。

父なる神の御前できよく汚れのない宗教は、孤児や、やもめたちが困っているときに世話をし、この世から自分をきよく守ることです。


言葉の失敗は、何もない時にはほとんど起こらないのですが、何か納得がいかないことがあった時、ちょっとイライラした時、人に対して怒りが出てきたときに一番悪い言葉が出てきやすいですし、その言葉で平気に相手を傷つけてしまうのです。


自分では『別にそんな大した言葉じゃないし』と思っていても、聞いている相手からすると鋭い刃物で刺されたような痛みになることもたくさんあります。



私たちは自分の言葉をどうするのか、また怒りが出てきた時、腹が立った時にどうするのかを神様が教えてくださっています。




【19節】 聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいように




一番よくしがちなのは、聞くのは遅く、語るのは早く、怒るのは早い姿です。


つまり、人の話や神様のみことばには耳を傾けず、自分の想いや自分が話したいことは何よりも先にぺらぺらと話し、ちょっとイライラしただけでもすぐ怒ることです。

人に怒ったり、文句を言ったり、愚痴を言ったり。


でもその姿は神様が私たちに求めている姿とは正反対の姿です。




【20節】 人の怒りは、神の義を実現するものではありません




理屈に適っていそうな怒りも含めて、人の怒りは神の義は実現しません。


全く怒ったことがない、という人は一人もいないはずです。

怒りをぶちまける人もいれば、冷静に怒る人もいますが、どんな人であっても怒っている姿は美しい姿ではないですし、見たくない姿です。


私たちでもそのように感じるのであれば、初めからずっときよい神様からの目から見るとどのように感じるのでしょうか?


私たちが怒っている姿や言葉で人々を傷つけている姿、けんかをしている姿、口論している姿、悪口を言っている姿は全くきよい姿ではなく、汚い姿であり、みにくい姿なのです。


どんなことであったとしても、私たちが怒ったところで神様が喜んだり、神様が望むような きよい生活を送ることはできません。



唯一、正しい怒りを持ってきよくあり、神の義を実現する方は、神様ご自身だけなのです。


神様が怒る時は、人々が神様から離れて罪を犯している時であり、人々を憐れんで神様に立ち返ってほしいから、目を覚ましてほしいから怒るのです。

それは愛から出た怒りなのです。


逆に人が怒っている時の理由は何でしょうか?


ほとんどが自分の思い通りにならないから、自分のイライラやうっぷんをぶつけたいから、その人よりも自分の方が大切だから自分のために怒っているのです。


人の怒りの中で正当化できる怒りは残念ながら存在しません。






例えば、ヨナがニネベの町、ニネベの人に対して怒りを持っていました。

それはニネベが神様の前で正しい歩みをせずに罪ばかりを犯していたからです。


そんな罪だらけの町に、神様はヨナを遣わして、預言を与えようとしました。

でもヨナはそれに腹を立てて逃げました。


神様がいろいろな手段でヨナを打って、それでも腹を立てて『死んでしまいたい』とまで言うヨナに語ったのは、神様がニネベの人が罪をたくさん犯していたとしても、それでも助けるチャンスを与えたいと思い、憐れんでおられるということでした。



私たちの目では、罪だらけで汚れたニネベの人たちは滅ぼされて当たり前、罰を受けるべき、ヨナの怒りはもっともだ、と思うかもしれません。


でも、そこには神様がそれ以上の想いを持ち、憐れみと愛を持っており、神様の計画があったのです。


そこを自分の怒りにまかせて行動することは、神様の計画に反することであり、神様のみこころとは真逆のことをすることになるのです。



私たちもここから学ばないといけません。


私たちが『この人腹立つ』『こんなことするんだから、大きな罪だし、私が怒るのももっともだし、正しいことだ』と思ったとしても、それは実は神様のみこころに反することであり、神様の計画、神様の義を実現する姿ではないということです。




正しい怒りを感じた時は神様にまかせる




【ローマ12章16-21節】

互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。

だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。

あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。

愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。』

もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。

悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。


私たちがすべきことは、正しい怒りであればそれは神様にまかせて自分では復讐をしないこと、怒りをぶちまけないこと、私たち自身が彼らのせいでかえって逆に罪を犯さないことです。


それとは反対に腹が立つ相手でも、敵であったとしても逆に彼らに善を施すことなのです。




【21節】 すべての汚れやあふれる悪を捨て去ること




怒り、憤り、人に対する悪い思い、のろい、悪口を含めてすべての汚れ、悪を捨て去りましょう。


キリストという新しい衣、義の衣を着る前に、汚い姿、罪の姿、汚れた着物を脱ぎすてることです。

私たちがすべきことは怒りを感じてそれを表したり、言葉にするのではなく、言葉にもなる前に、行動に起こす前にそれを捨て去ることです。




【21節】 心に植えつけられたみことば




すべての汚れや悪、すなわち周りの人への恨みや妬み、嫉妬、欲などすべてを捨て去った上でするのが、みことばの処方箋です。


自分の言葉で解決するのではなく、神様のみことばで解決するのです。

自分の言葉を神様のみことばによって止めるのです。


ここでのポイントは “心に植えつけられたみことば” ということです。


そもそもみことばが植えつけられていないと、発揮しない力なのです。

みことばを普段から自分の心の中に植えつけること。


そのみことばを植えつけていないと、怒り、汚れ、悪が来た時は心がそのまま怒り、汚れ、悪に持っていかれて終わりであり、神の義など実現せず、悪魔が与えた悪い思いでいっぱいになり、罪を犯して終わってしまうのです。


心のガードになるのは、普段からいかに植えつけられたみことばが自分の中で育っているのかが大切なのです。


聞いたみことば、心に植えつけられているみことばをもう一度受け止め、すなおに受け入れることです。




【22節】 『みことばを実行する人』 と 『聞くだけの者』




そもそも元々は旧約聖書、つまりヘブル語では『聞く』と『従う』は二つの言葉ではなく、一つの言葉”Shema”で表されていました。


神様の言葉を『聞く』=『聞いて従う、聞いて行動を起こす』までが当たり前にセットであり、『聞くだけ聞いて 何も行動を起こさない』ことは有り得なかったのです。


それは、聞いていても聞いていない姿、耳が死んでいる姿です。


みことばを聞くからにはそれに反応をすること。

それを実際に実行することがマストです。




【23節】 『鏡』で一瞬眺める人と
【25節】 『自由の律法を一心に見つめて離れない人』




その当時は今よりも鏡はよくあるものではなく、たまに見るものでした。

たまに見ては元々自分の姿がどうであったかを忘れていました。


みことばを聞いていても、実行をしないなら すぐそのことばを忘れてしまう。

たまにみことばを聞いてその瞬間はこうか、と思ってもすぐに忘れて結局は何にも活かさない姿。


私は本当は神様の子どもとしてこのように歩まないといけないんだなとその瞬間は思ってもまたすぐ忘れてしまう。


それらは、神様が私たちに求める姿ではありません。



逆に私たちがなるべき姿は、『自由の律法を一心に見つめて離れない人』です。


『自由の律法』は自由な律法という意味ではなく、『私たちを自由にする律法』であり、これは完全な律法でもあり、『キリストの律法』のことを指します。


みことばを聞くだけではなく蓄えて、キリストを見つめ、みことばを実行する者になることが大切です。


律法だけでは救いは得られないですが、キリストによって救いを得た人はそのキリストの律法を実現する者になっていくことが求められます。


この律法を実現することによって逆に私たちは自由になるのです。






例えば、ある人を許せないとします。

それは実はこの自由の律法に反すること。


『許せない』という想いが、逆に自分を苦しめて自分を縛ることになります。

自分自身が重たい気持ちになり、罪を犯すことになり、その中にいることになるのです。


でもキリストの中でその人を赦す時、私たちは逆に自由になります。

心が解放されます。



キリストの律法を実現することで、私たちは自由になるのです。


また、この自由の律法を行うことによって さらに私たちは神様によって祝福もされるのです。


このキリストの律法についての他の聖書箇所や、イエス様自身が律法について語られている箇所も見ていきましょう。


【ガラテヤ5章14節】

律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という一語をもって全うされるのです。


【ガラテヤ6章2節】

互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。


【ヤコブ2章8節】

もし、ほんとうにあなたがたが、聖書に従って、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という最高の律法を守るなら、あなたがたの行いはりっぱです。


【マタイの福音書5章17-22節】

わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。

まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。

だから、戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破ったり、また破るように人に教えたりする者は、天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます。

まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、入れません。

昔の人々に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。

しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。



【27節】 きよく汚れのない宗教




私たちの信仰生活に大切なのは、神様との関係、人との関係であり、ここでは神様の前でみことばの通りに生きること、つまりはきよく生きることと、困っている人々を助けること、つまりは隣人を気にかけ、愛することです。


そもそも本当は『この人、腹立つ』とかそういう次元で生きるのではなく、神様が私たちに求めているのは そういう悪は捨て去り、心に植えられているみことばを受け止めてきよく生きることであり、それだけではなく周りに困っている人々を助け、愛することを望んでおられます。



言葉での失敗をせず、聞くのには早く、語るのには遅く、怒るのには遅い者となり、すべての悪い者は捨てさり、心に植えつけられているみことばを実行する者、自分をきよく保ち、周りの人を愛する者になっていきましょう!


アーメン (*・ω・)ノ


2021.9.5
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